小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

“がりょうせいせい”の、ぽてとや・プラモデルをつくる

2008-02-28 18:40:56 | 週間日記
※2010年10月5日画像追加して編集

つのる おもい つもる おもく

 2月3日の仕事場

またまた遅れて3週間前日記になっちゃいました。

28日(月)いつもの電話取材~塾
29日(火)Mixiの会合で新橋へ。初めての方も多く貴重な時間、会場はニコニコ、レバ刺しはいうに及ばず、煮込みはこれまで食べた中でも上位~カラオケ~赤羽ネットカフェ泊
30日(水)出張授業~同級生Mト君宅に
31日(木)家で仕事してたらOB・Y君が到来~伊勢崎MOVIXで『アメリカ対ジョン・レノン』~ここは二度目と思うがいまるやで塩ラーメン
●2月
1日(金)
2日(土)午後は同級生にして現役生徒母上のHさんがフラダンスで出るので写真をお願いというので籠原さくらめいとに。興味深い催しだった~夕方から同級生Mト君とMixi関係の催しで都内城東へ~欧州語も飛び交うシュペールな時間~最終で帰深
3日(日)大雪の中、朝からロケ撮影で気合入る~一日働き、疲れ切って帰り坂東橋を渡り伊勢崎・ちなりで塩ちなり

【カウンター08】
ラーメン2/6 外飲み1/6 アウェイ飲み2/7 劇場映画1/4 TV海外サッカーは後で整理
ほかに1月はCDを4枚初聴
ロバート・ワイアット comicopera
アンディ・ゴールドマーク (1st)
エッソ・トリニタード・スティール・バンド (1st)
レスピーギ「ローマ三部作」 マイケル・ティルソン・トーマス+ロスアンジュリス響、レナード・バーンスタイン+ニューヨーク響

書こうとしてたトピックはいっぱいあるけど、時間もあんまりないし、さっきお昼前につくって食べた話が今回のおまけ。

=========

ぽてとやについては何度か書いているが、今回はぽてとやの真似をした話。
ぽてと姫2歳の頃に初めて行った私は、中学生になった姫に免許外の社会科を教えたこともあってその市内きっての名店について詳しく知る機会を得たのだが、Mixiコミュニティを創設した同店の熱烈なファンである同級生M君が姫にラードの芸術品の秘訣について何度も質問したところ、姫はいともかんたんに公開してくれたので、どうやら私たちはあまり売っていないが手に入らないものではない、ぽてとやの麺とソースの銘柄特定、そして脂はラードという事実については知ることができている。
あの大金持ちマイクロソフトが、最近になってやっとウィンドウズの中身を公開することを決めたのとは、そりゃあまあスケールが違うとはいえ、元来の思想自体が別物な感じだ。

そこでM君指定の店で先週麺を購入、ソースが買える店はめったに行かないので一度、家にあったお好みソースでつくってみたが満足いかず。そうこうするうちにM君が行きつけの肉屋でソースを買って来てくれたというので火曜に受け取り、ついに麺とソースだけはぽてとやが揃ったわけだ。あ、代金210円払うの忘れたので次回渡しますM君。

材料は揃っても、同じものができるとは限らない。これはいわば、ランボルギーニ・カウンタックが好きだけど、何千万も出せないからとプラモデルを買ってつくるみたいなもんだな。そういえば私はフェラーリの流麗さは認めつつもエラそうなところは嫌いで、おめえなんかにゃ売らねえよといわれたので対抗上牛のマークにしたというランボルギーニのファンで、さすがに買えないけど、何年か前に腕時計を見つけたので8千円くらいで買って愛用しています。

さて、ぽてとやちゃんぽんを構成するのは、麺、ソース、ラード、キャベツ、ぽてと;ジャガイモのフライ:のみ。とはいえ、ぽてとをつくるには油を出さなければならないので、「手間の対費用効果」を第一に考える市井クックとしてはレンジ火通しで十分。あっ、レンジだからマイクロウェーブ通しか。寄って来る外のねこどもに待ってろといいながら、バラックから芽の出たジャガイモを持ってくる。ここで、ひょっとしてキャベツは塩で水を出して使うのかなあ、と思い、姫にメールを送ったがすでに店の作業に入ったか返事は来ない。従来通り、そのまま使うことにする。

シャクシャクと芽を取って皮をむき、ざっざっとキャベツを切って2分で準備完了。ジャガイモをレンジに入れて2分にセットすると、中華なべにずいぶん前に割引で買ってすでに酸化も進んでいそうなラードのチューブを絞る。
この瞬間の美しさはラードが一番。だって、白いのが温度が上がって透き通る、ミラクルな状態変化が楽しめるじゃないか。タイトルは忘れた山口百恵の替え歌を思いつく。

「しろーが透き通る ラあドが熱す (ちゃららら、らーららー)」

とストリングスのオブリガードも歌った頃にキャベツと、M君に敬意を表してブラックマッペもやしも投入。
じゅううう、野菜の水と油がぶつかり合うこのサウンドは、調理の中でももっとも魅力的な調べではないか。つっぱた野菜どもがしんなりすると同時にピッチもボリュームも下がり、油帝国と水共和国の国交が樹立される。
ここで、主役である「魔法の黄色い麺」と電子の力で湯気の立つジャガイモが参戦。
初期の財津チューリップのように魅力的な麺はマルちゃんあたりに較べるとごわごわしているが、熱のラードにまじってだんだん寛いでくる。うどん、そば、スパゲティ、麺類にはアルデンテという基準があるが、ぽてとやに関してはそれを通り越したくらいでいい。
ころあいを見計らってもう一つのリソースであるソースの出番。そうかなるほど、この前の濃厚ソースではだめだというのがよくわかる。寛ぎに寛いだ黄色い麺は、気持ちのいい風呂上りに飲むビールのようにウスターソースを吸収していく。
さらに幸福なミックスを楽しんだ後、ついにぽてとやプラモデルは完成。

青のりをかけて熱いうちに食べる。おいしい。でも、渋谷陽一が以前にロンドンのロックメディアを引用していたXTCのレビューを思い出す。「頭もいい、アイディアもある、でも、何かが足りない」。ついでに大リーグボール2号の謎を解く花形満に星飛雄馬がいった言葉も思い出す。「“縦の魔送球”だけでは80%だ」。
ぽててとやと同じでなくても十分にうまいけど、それが現実なのだ。

食べ終わって考えたのは、「食べ物のアイデンティティ」である。
この頃よくまわりの者によくいっているのは、昨年毎日新聞の連載で読んだ内田樹の「人間の格付けは『雅量』と『胆力』」というフレーズだ。マイクロソフトのウィンドウズ設計公開やLINUX、ラーメンのカリスマ山岸氏大勝軒グループのあけっぴろげなのれん分けなど、やりたい人はお好きにどうぞというような、「雅量」を感じさせる行動は世の中にけっこうある。「普通」の食べ物というのは、誰にでもわかるこういう透明性を持っているものではないだろうか。
何度か書いている地元の郷土料理煮ぼうとについて、M君の縁のある方が参画していて、最近よく話題にしている「保存会」の定義がある。いわく、ライバルである山梨の「ほうとう」が味噌味でかぼちゃを入れるのに対し、ねぎの甘さなどもあるから、醤油でかぼちゃを入れてはいけない。わからないでもないが、食品リベラリストの私としては、余計なお世話。あまりに「雅量」を欠く「狭量」にしか思えないのだ。

画竜点睛。
絵に書いた見事な竜に瞳がなく、どうしてかというと作家である名人は、これに瞳があると飛んでいってしまうと応え、実際に入れてみたら地は割け竜は天に昇ったというあの中国の故事をここで思い出す。

せっかくのおいしいものを、つまらないオーソリティで飾るのはもうやめにしないか。

自分のつくった何かが足りないプラモデルのぽてとやに対し、市内でかんたんに買えるもので構成され、できるものならどうぞとばかりにおいしいにおいと味を提供し続ける、すべてが揃ったのが本物のぽてとやだ。

それはいってみれば、「雅量清々」。

「雅量」があって「清々」としたその佇まいは、くだらぬオーソリティから遠
く離れて、朝早くから当たり前のジャガイモを茹でて、当たり前の材料で当たり前でないものができる、そういうミラクルに満ちているから愛されているのだろう。これからもできればそういうものを食べていきたいし、そういうものを食べるのが幸せなのだと思う。

と、昼間っから感動してたらねこが呼ぶので、ほれと、にせぽてとやをやってみた。しかし、動物性脂肪の希薄だからかこの食品をやつらは喜ばず、鼻を近づけただけで遠ざかる。
よし、次は本物をやってみようか。ちょっともったいないけど。

(BGMは昨年、accuradio できいて購入したレスピーギのローマ三部作。やっぱりバーンスタイン指揮の『松』がいい)

プラモデル


昨日、ひょんなことから来ることになった花たちをティーが偵察


こっちは庭の小さな踊り手たち

 2月22日

つーん

 2月19日
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「一人称で食べる権利」~西本、『窓ガラス』、ローラ・ニーノ

2008-02-09 09:42:55 | 週間日記
トップは、2月5日(火)朝撮影。
「2日後の雪、空へお返し」


うっかりまたも遅れ出し、2週間前日記です。

21日(月)昼、電話取材~夕方、取材で与野へ~着いてちょっと腹ごしらえはラーメン屋見つからず駅前笠置そばで天ぷらそば≒330円はなかなかうまい~取材2時間半後、駅近く居酒屋で打ち合わせ~帰深
22日(火)昼、原稿~晩は同級生Mト君邸に呼ばれ、OB・Y君も来て、建設、健康、物理などの話
23日(水)昼は雪~晩は出張授業~永華で塩ラーメン472円
24日(木)晩にのび太カレーうどん550円~塾
25日(金)昼は原稿~晩はミクシィの人とのオフ会で浦和へ~食べ物、長嶋茂雄、映画、ビートルズなどいろいろ話す~最終で帰深
26日(土)昼は原稿~晩はまた別のミクシィの人とのオフ会で蒲田でおでん。話題は食べ物、音楽、鳥、学生時代ほかいろいろ~またも赤羽へ。ネットカフェ入城前に駅前で天ぷらそば≒300円。なぜかジャンジャーエールとファンタレモンをがぶがぶ飲む
27日(日)起きて果敢にも、前夜と違う店で天ぷらうどん≒300円~帰深して午後から撮影~晩は塾

 サッカーはいつだったか忘れたが、早野解説復帰が嬉しくて泣きそうになったフラム:アーセナルとレアル:サラゴザはアイマールもいないし半分だけ。

【カウンター08】
ラーメン1/4 他外食4/6 外飲み2/5 アウェイ飲み2/5 TV海外サッカー1.5/4.5

前回の餃子には多くの反響もいただいたことだし、今回の週間日記付録は食べ物のことを書こう。
週間日記とずれるのでわかりにくいが、きっかけは雪の日曜の翌日、つまり4日の月曜。フランス語で「市場」という名にして高級志向を謳うスーパーが24時間制になったので、切らしたウィスキーを買おうと寄ってみたことだ。
この店は大ファンのキャラバンコーヒー&ティーカンパニー製品があるのでたまに行くが、それ以外の商品はあまり魅力を感じない。ウィスキーはよその店で価格調査したことあるんですかね、とききたいくらいだったのでやめて、実は冬でだけこの店で見かけたある商品を探した。
その名ぞカップ麺「ペヤングふる里うどん」。ささがきごぼうという大胆な具を導入した上州の傑作で、私は西の「マルタイ長崎ちゃんぽん」に対しこの商品を「カップ麺東の横綱」に認定している。
しかし武州ではめったに売られていないこの名作は、正規のカップ麺コーナーで見つからない。落胆して何も買わずに出ようと思った時、何というのかサッカーでいえばFWの位置にあたる、プッシュ製品が並ぶあの棚の折り返しのところにあの何も考えていないすばらしいパッケージが。味噌しかなかったがしかたがない。早速3つほどかごに入れた。
愛しのカップメニーナに会えた嬉しさからか、突如、いつもは眠りがちの買い物精に火がつく。勢いを取り戻した足取りで店内を進むとところてんが。なぜだか猛烈に食べたくなった。この点については後述するが、基本的に冬にところてんのような食品を食べるのは愚か者だという感を強く持つ私である。しかしあの不思議な食感を味わいたいといいう誘惑に勝てず、一番安い2個入りをかごに。何、冬の横殴りの陽が当たる昼間、アンディ・ゴールドマークでもききながらつるつるとかきこめばいいではないか。寒天なんてすぐに悪くなるでなし。

しかし予定外の物を買ったといえ、買い物は足りないので次はホームグラウンドにしている別のスーパーに。最近イオングループの軍門に下ったとはいえ、商品構成は近くの店でもっとも好みである。
いつものように、これは友人への応援商品たるブラックマッペもやし、ほかにきのこか何かをかごに入れて歩くと、海鮮コーナーに対するFWの位置に見慣れない商品が。商品名は「大判大黒」。単なる袋ラーメンなのだが、今時大黒さまと小判をあしらったイラストもとんでもないし、麺が通常の1.5倍なのはいいとしても、いちいち「麺が2つに割れる!」と主張した後、追い討ちをかけるように「大盛でもハーフでも」と説明しているところが尋常ではない。ちょっと考えると、2つに割れない麺が世の中にあるんですか、1.5倍を2つに割ったら、「1.5÷2=0.75」だから、ハーフじゃなくてスリークオーターじゃないんですかと思ったりもするが、この大胆な勇気に敬意を表し3袋入り1パック、ついでにとなりにあった「大黒軒みそ仕立てうどん」というカップ麺もかごに入れた。ついでに、これは現在のところ乾燥そば界の王者に認定する沢製麺「信州更科」、全部買ったところで今回の買い物としては異質な、キューピー「パン工房 ベーコンエッグ」という調味料を初めて購入したのだが、最後の商品については別の機会に譲ろう。

私はなぜこれほどまでに、こうした商品群に惹かれるのだろうか。
ちなみに食品の場合、CMをやってるものはできるだけ買わないという個人ルールがある。というかあまりCMをしているような商品には胸がときめかず、まるで買う気が起こらないという方が正しい。なので、コンビニで食品を買うことはほとんどなく、安売りの○○○薬品とかそういうところに行くと心が躍る。
そりゃあ、中学生あたりがCMをみて、マック何とかが食べたいと思うのは無理もないとも思う。自分だって赤城おろし吹き荒ぶ奥関東で、「牛丼一筋はちじゅうねーん」とCMをみて、あれはどういう食べ物だろうと夢ふくらませていた頃もあった。
しかし、四十を越えた大のおとなになればそうはいかない。CMを見て店に行ってあああのおいしそうなのはこれだと思うことより、突然店で初めて見て、むう、これはわけがわからんがすごそうだ、と手を伸ばすことの方がどれだけエキサイティングか。そう、これは食品購入におけるイノベーションなのだ。
帰り道、こうしたあれこれについて考えていて、思い浮かんだ言葉がある。

「一人称で食べる権利」

出典は詩人長田弘のすばらしいエッセイ『一人称で語る権利』。「食べる」に関しても、忘れてはいけないのは「一人称=私」ではないか。
愚かな舌や精神は、みんながおいしいといってるから、テレビに出てるから、と「一人称を三人称に溶かしていく」ことを「食べる」ことと見誤る。食べるのは「誰か」じゃなくて「一人称」なのだ。私がこうした無名の星のようなジャンクフードから得る「気分」は、実はこの「三人称」からの開放感なのではないだろうか。
「三人称」は均一化するのが、徹底したマーケティングが進んだ高度情報化社会の常だ。もう10年くらい前か、当時の中学生が楽しそうに食べていた棒状味つき小麦粉お菓子の日本のお菓子離れしたパッケージ。それにそっくりなデザインが数年前、現在シェア1位という複数女優のCMが話題のシャンプーとして現れた時に何ともいえない違和感を感じたが、この「何でも同じになっていく」感じ、それが「三人称」の息苦しさなのだろう。「大判大黒」のおむすびころりんのように動いていく大判を見よ、「ペヤングふる里うどん」のいったいこれはどこなんですか、とききたくなるような水車小屋のまわる音をきけ。

そうだ、とここで『一人称で語る権利』から、もっとも印象に残っているフレーズを思い出す。例によって本が見つからないので不正確だがそれは「この世界で自分の身長の分だけ生きたい」。そうだ、いいたかったのはこのことなんだ。

「この世界で自分の身の丈の分だけ食べたい」

ちょっと話はそれるが、ここで「身の丈」ということについて書いておきたい。この言葉でよくおぼえているのは、劇作家山崎哲の劇団にいた友人から20年くらい前にきいた山崎が酔っていった野球選手評だ。
曰く「西本ってやつあ自分の身の丈で投げてっからだめなんだ」。巨人ファンの劇作家が、当時の投手二本柱、江川卓と西本聖について語ったもので、まだ20歳そこそこだった私は、その慧眼にうなった。確かに西本の外角低めのコントロール、右打者を詰まらせるシュートは見事だ。ただ江川掛布や山本浩二に対した時のような、「身の丈を越える瞬間」はない。自分の劇を映像に撮らせなかった山崎らしい論点で、これをきいた若い私がうなったのも今となってはよくわかる。
だが、それは「非日常」を仕事とするアスリートやアーティストの話だ。「食べる」という行為は、時に「ごちそう」という名の「ハレ」の場があるのは認めるとしても、基本的には「日常」=「ケ」、「身の丈の分」だけ食べていればいいのではないだろうか。
そりゃあ私も20年代の頃には、「このカニは今朝北海道から空輸されてきたんです」なんて聞いて喜んでいた時代もあった。しかし今思えば、そんな身の丈を越えたものなんか食べなくても困らない。
思い出そう。たとえばソリッドな木綿豆腐は、豆腐屋から遠いところまで持って行っても崩れないようにその丈夫さを競って現在のかたちになったという。雪深い山地で冬に緑の葉っぱを食べようと思えば塩で漬けてとっておく、そうやって人々の暮らしは成り立っていた。
冬場のスーパーで場違いの場所に連れて来られたようなきゅうりを見ると、時に悲しくてやりきれなくなる。きゅうりは暑い夏に畑から採ってまだとげとげしたやつを、ぱりっと食べるからおいしいのだ。こんな寒い時期に何のためにきゅうりが食べたくなるのか。
じゃがいも自宅で採れたのが物置にあるので、みずみずしい新ジャガから彼岸を越えて芽が出てほとんど捨てるところばかりになったものまでその時期にあわせた形態を食べている。たまに「名産」という「三人称」で語られた北海道じゃがいもなんかをいただくが、冬になっても芽が出ない発芽抑制剤入りはやっぱり気持ちが悪い。
忘れてはいけない。ニンジンはニンジンくさいんだ。ベータカロンチンのおかげなのか何なのか詳しいことは知らないあのニンジンくささといっしょじゃなきゃ、ニンジンの苦しいようなおいしさはありえない。食べたいのはでっかくて色が上品で見てくれがいいばかりのニンジンじゃなく、ごつごつしてうっかりすると割れてしまうバイタルな赤いニンジンなのだ。
一人称で食べたい。身の丈で、当たり前のものを。

と、そんなことを考えた月曜。帰ってさらに仕事をするために楽しみだった「大判大黒」を食べた。「割って2つ」のためにスープが2つある。これぞホスピタリティ。もやしや白菜、ニンジン、生協の冷凍豚細切れ肉と煮たら一つのどんぶりには入り切れない。すごい。食べたら腹いっぱい。仕事は進まず寝てしまった。
翌朝、起きてあわくって仕事して、陽が当たるところで食べたところてん。うまい。本当は夏に食べるものなのにな。
食べ物って何だろう。そう思ったところで、ティーがにゃんにゃんと呼ぶ。思い出したのは中島みゆき作詞、研ナオコ『窓ガラス』の一節。

それよりも雨雲が気にかかるふりで あたしは窓のガラスで涙とめる

この「それよりも」よりすごい「それよりも」を私は知らない。この頃の中島みゆきの歌詞は、西本のシュートと同じくらい切れてたな。
ラーメンから抜いておいた豚肉片がねこの前ではねる雪あがりの午後。

(Phは1月30日、畑で背中かしゅかしゅのティー。BGMはこれぞ一人称、ローラ・ニーノ New York Tendaberry)

これぞ一人称食品群


1月30日、ホトケノザは気が早い


同日、畑で背中かしゅかしゅのティー
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