これは今週11/05。今日、おばどもが来て干柿にすると採っていった
やっと「週間日記」を休んでたまっていた宿題ができます。今回は途中まで書いて放っておいた、もう三ヶ月近く前の送り盆、八月一六日(土)のこと。
・・・
前日は逗子、伊勢正三のすばらしい夜。同行のOB・Y君と逗子で飲んでたらうっかり帰れなくなり、横浜ネットカフェで朝まで寝て帰ったのは何とか午前中。午後からという送り盆の墓参りには間に合った。
午後一時は灼熱で、なぜかこういうときには必ず自分で運転したがる父親の車に乗ってすぐ。本来は歩いていける距離で親戚が来てるとそれもまたレジャーになるが、父とだけなら車が早い。自分でも百円ライター持って行ったが、なぜかお寺の名入りライターが落ちてたのでこれはいいと線香の火をつけ、ぽんぽんとお地蔵さんの列からお決まりのコースで団子と置いて、家の墓から隣にあるおじの家の墓、いくつかの親戚の墓に線香を置いて年に一度のルーティンワークは終了、近くにできた、集落始まって以来の分譲地の売れ行きの話などしながら帰る。六十すぎまでほとんど知らずだったはずなのに今じゃすっかり冷房漬けの父は最近、なんでこんなに暑いんだとよく口にするが、これは明らかに感覚の退化だろう。こんなでは、もういっしょに墓参りに来るのも残り少ないかも知れない。
帰ってシャワーを浴びてオリンピックやら競馬やらをみていると寝てしまい、そんな時に電話がかかって来て、声が似ているので二日前に余った伊勢正三の券を買わないかと電話した高校の同級生Hかと思ったら、別の同級生で今は北新宿に住んでいるIからで、「ばか、Hじゃねえよ、おれだよ」。これから大里郡の実家に帰るが、一九日が命日のHの墓参りに行くから一緒に行こうという。今年二月閏日に思い出したあのHだ(3月19日記事に)。・・・<ここまで8月記。ここから11月>・・・
しかし、この夏何度も全国を襲ったゲリラ豪雨の軽い方が家の辺りに来ていた。もうちょっとしてからの方がいいんじゃねえの、というと、「さっき高坂のあたりじゃ六〇キロくらいしか出せなかったけど、いつまでも続くもんじゃねえだろ」という。
待ち合わせたヤマダ電機の駐車場で村上春樹と柴田元幸の対談を読んでいると、途中、駅近くのニットーモールで花と酒を買うから遅れると連絡があり、なんで松山のインターで降りてここの途中にわざわざ駅の方に行くんだろ、と思ってるとIの黒いVWゴルフが来る。いつものように、「何だよ、そりゃ、おめえ、車ぐれえ洗えよ」と一通りあいさつのつもりらしい悪態をつくと、「じゃあ、ついて来いよ」。重い雲の下、IやHと近くの高校に行ってた頃にはなかったラグビー場の横を過ぎると、またゲリラの気配がする。
やはり二七年前の高校時代にはこの町になかったセブンイレブンの角を曲がって誰もいない寺の駐車場に着いた時、すでにゲリラ活動はこの日二度目のピークを迎えていた。
駐車場の反対側のIが携帯で、「これじゃしょうがねえ、ちょっと様子見ようぜ」。それがいい。といっても、ゲリラの猛攻に耐える農村風景は初めてみるものでもそれほど興味を引くものでなく、といって百円で買った村上・柴田のオースターなんかを読むわけにもいかず、ぼうっと、農村の空中を本拠にしたゲリラの連打を見ていると、さすがにがまんできなくなったかIが、「いつまでもこうしちゃいられねえ、行こうぜ」と電話してきたので傘を差して墓地に向かった。
一〇キロほどしか離れていない同じ農村でもお昼に行ったうちの墓地とは違い、並んだ御影石にはどの墓も何もない。旧暦と新暦の地図は狭い地域でも意外に複雑だから、おそらくこの地域のお盆は七月なのだろう。こんなに雨が降ってるからいいんじゃないかとも思うが、そう判断する根拠もないので桶に水を汲んで進むIの後をつけると、墓地の角のところにまだ新しい墓が建っていた。
六年前に死んだHが、いや、Hの骨が今はこの墓石の下にある。想像はできたはずだけど、実際に見てみると奇妙な、思ってもみないかたちだった。そういえば死んだ友人は何人かいるが、仏壇でなく墓に来たことはなかったかも知れない。
墓石に刻まれた戒名はHのものらしきのが一つだけ。確か核家族だったHの家では、三九歳で長男が死んだ時にはまだ墓地はなかったのだろう。狭くはない墓地に占めるまったく角の区画からそんな気がした。
ビートジェネレーションに憧れていたHが今はこんなスクエアな墓にいるのも思ってもみなかったことだが、Hの両親にしてみれば息子の墓を用意するということの方がよほど思ってもみなかったことだろう。
傘を差しながら花とワンカップを置いて、Iと私は手を合わせた。私ならワンカップは開けていくらか墓石にかけてあとは飲んでしまうだろうが、そういうと、「だからおめえはせこいんだ」とかうだうだいいそうなのでいわないでおき、ほかの墓に何もないところを見るとここは新暦なのだろうなどと、Hのことには何も触れず、一般論を話したのは駐車場への帰り道になってからだった。
六時を回っていただろうか。「実家に帰って飯食うけど、ファミレスかどっかでお茶でも飲んでぐか」、ああ、じゃあ、140号の方がいいんじゃないか。「じゃあ、後ついてくよ」、とまた白と黒、二台のツーボックスは再び農村を走り出す。
セブンイレブンまで戻ると多分角を間違えたらしくどこにいるのかわからなくなったが、そんなことをいうとぎゃあぎゃあいうので、わかったようなふりをしてどこだかわからない農村を走り回り、少しすると知っている工場の近くに出た。407号に出るとけっこう混んでいて、「今日のこの時間じゃファミレスはだめだろう、どっか喫茶店でもねえか」と電話があったが、熊谷警察反対側のCoco'sを通ったらけっこう空いていたので、ここでいいや、と駐車場に入ると文句はいわずにⅠもついてきたし、いつものように何も考えず、入り口から一番近いところに車を停める。
Coco'sは中途半端な混み具合で、Iはそうするのが使命であるかのように一通りメニューに文句をつけた後、「これがおもしれえと思ったんだよ」と「ベトナムコーヒー」なるメニューを指差ので、なんだ、おれも何だろうと思ってたんだよ、とそれを二つ注文する。そういえば高校の頃にIが最初にHに話しかけられたのは、日比谷で『地獄の黙示録』がかかっていた映画館にいたろう、だったと知ったのはHが死んだ後のことだった。
ベトナムコーヒーが来てからもやはりHのことは話さず、話題は今は会うのは年に一回あればいい方で、だからこそか繰り返される毎回と同じようなことばかりだ。最近会った同級生やいっしょに仕事をした人たちの近況、次にお互いの親や近辺の話、それが終わるともう二十年は会ってなくて今は何をしてるのかわからない同級生や、なぜか野球部が甲子園に行った時の後援会でしか会ったことはないけどあまりに衝撃的な人物像で話題なる応援団の先輩Sさんのこと。とくに会ってない人々の話は、きっと情報が更新されないからこそ安心して笑えるのだろう。そのどれもがIがよく使う言葉を借りていえば「与太話」に過ぎない。最近更新された情報はともかく、何度も繰り返される何だか二〇年くらい前にIが心酔していたブロウスキーの小説みたいな会話は、それこそ二〇年前には将来こんな話をするとは思ってもみなかったものだ。
けれどもしかしたら、会話は得る情報がないほど何かのすき間をうめ得る。Iは満足したように時計に目をやると、じゃあ行くか、と席を立った。
レシートを持ってレジに来たIは、「まじい、金持ってこなかった、出しといてくれよ、車行ったら返す」。千円もしない代金を払うといつの間にか、入口の向うは空中戦ゲリラの天下だった。
ザーッ、なんて竹林を走る白兵戦みたいなゲリラじゃない。だだだだだだっ、と、そういうのがあるのかバズーカのマシンガンのように、ゲリラはディープ関東平野を攻撃している。
「ぶわっ、これじゃスティーヴン・キングの世界だよ……」。猛攻に笑うIが思い出したのがどの作品かは知らないが、そういえばやつは仕事で知り合ったキングの訳者と親しくしていた。
こりゃあちょっと出られない、席に戻った方がいいんじゃないかというと、「ばか、とっくに片づけちまったに決まってんだろ」。
確かにいつの間にか入口付近には、すんでのところでゲリラを逃れた家族連れや何かでいっぱいだった。「しょうがねえ、ちょっとここで待とうぜ」。
そんなわけで、今度はベトナムコーヒーじゃなく、ガラスの向うのゲリラ豪雨を前にさっきの話の続きになった。
いや、今年の雷、わけわかんねえけど今日のはまたすげえよ、あそこに座って肩置いたらかなり気持ちよさそうじゃねえか、と、その辺の健康ランドをはるかに上回る水圧で、どどっどどっ、とシンコペートする樋から落ちる水の塊を指差していうと、「まったくだ」とIも笑う。「そういえば、おめえ、平野啓一郎って読んだことある」と唐突にきくので、芥川賞のはすぐ買って読んだよと応えると、「あいつすげえな、最近、東野圭吾とか軽いのばっか読んでたから全然進まねえんだよ、文章があんまり濃密なんで」なんていう。すると、なぜかずぶぬれを楽しむかのようなヤッケの白人と東洋人の夫婦と明るい毛髪の子どもがゲリラの弾丸の中、笑いながら入店して来る。ついにしびれが切れたか、Iは時計を見ていう。
「もう行かねえか。だけどおれ、今日、靴、新しいんだよな」。Iの足元を見ると、何だか原色のラインのニューバランスかなんか履いている。「靴は白か黒に決まってんだ」と多分冗談だろうが、高校の頃にやつがいってたのを思い出したが、余計なことをいうと怒るだけなのでやめた。Iはいうそばから靴下を脱いでる。夏なのでこっちは靴下履いてない。
「行くぞ」。
ニューバランスと靴下を持ってIがドアを開ける。スティーヴン・キングの世界が今度は、だだだだっ、というサウンドつきで展開した。『明日に向かって撃て』のブッチとサンダンスのように「うおーっ」と叫びはしなかったけど、眼下に広がる川でなく目の前に広がった水の柱に向かって、二人の中年は傘も差さずに走り出す。そういえば高校の頃、Iの実家の部屋には『明日に向かって撃て』のラストシーンのポスターが貼ってあった。
「おお、おお、何だこりゃ」。車までの距離は八〇メートルくらい。新幹線の高架と高崎線の跨線橋、二本の国道の交差点が重なったこの駐車場には、全方向から水が集まるようになっているのだろう、水はくるぶしをとっくに超えている。キング作映画なら田んぼに入る『スタンド・バイ・ミー』を思い出したが、幸い駐車場にヒルはいない。どんな事情があってこんな時間にCoco'sに向かわねばならないのか、傘を差した作業服がにこにこしながら通り過ぎる。
こんなんなら、もっと近くに置けばよかったよ、といったが、こんなんなるとは思っていないのだからしかたない。「そんなことわかんねえよ」とⅠもいう。
まいったまいった。ざぼざぼと歩くように走ってゲリラ健康ランド・打たせ水を左に曲がると、駐車場の方に視界が開ける。足を引きずりながら、どざどざいう雨音の中で見たのは、これまた思ってもみない光景だった。
即席湖となった駐車場の豊かな水面は沸き立つゲリラの猛攻にさらされながら、周囲のステーキ屋やら街灯やらの光が映ってきらきらと輝いている。轟音が支配するすっとんきょうな世界に広がった奇妙に静寂する見事な視界。なぜか思い出したのは、Ⅰのいうスティーヴン・キングではなくJ・G・バラードの『結晶世界』だった。どこだったかアフリカの町から始まる世界が結晶化する信じられない有様を、主人公たちがその美しさに見とれながら歩いて行く。文字でしか触れたことのない映像が、あっちは固体、こっちは液体の違いはあっても、信じがたい、思ってもみない、忘れられない景色として思い出された。
「おお、なんだ、痛えぞ」。すぐ横でⅠが喚いている。これまた思ってもみなかったのだが、まったく見えない足元は砂利だった。
痛てて、だって裸足で砂利歩くなんて思ってねんだからしょうがねえよ、と声を出しながら私は思っていた。
考えてみればこの世界で起こるのは、思ってもみなかったことばかりだ、思った通りになったことなんてほとんどないじゃないか、Hがお寺の御影石の下にいて、おれらがお盆にそこに線香立てて、帰りに与太話してたらゲリラにやられて、裸足で砂利歩いて、今日だけじゃない、Iが住宅の図面引いて暮らしてたり、おれが中学生に天気図の見方をおしえたり。
それはスティーヴン・キングとJ・G・バラードみたいにミステリーやSFじゃないけど、おれたちにとっては十分に思ってもみなかったことで、時々はこの液体の『結晶世界』みたいに美しく感じられる、だから生きてられる、これはこれでミステリーでSFで、ついでにいえばビートなのかも知れない。
「おょっ」、ふー、じゃぶじゃぶと光の行軍は目的地にたどり着き、裸足の中年兵は各々のツーボックスに戻った。エンジンをかけようとすると電話が鳴る。思えば、こうやってすぐ隣にいる同級生と電話で話をすること自体、十分にSFで思ってもみなかったことだ。
「ああ、金、返すよ」。Iは車を回すと窓から千円札を出す。
「じゃあな、また」。じゃあ、また、いつでも同じで、思ってもみなかった与太話でもしよう、Sさんが吹田のICで見せた「天ぷらうどんでも食おうと思って……」の話は、できるだけ多く繰り返せるといい、
帰り道、407号沿いのスタンドでガソリンを入れようとすると、店員が出てきて、「すみません、停電でガソリン出ないんですよ」。今日のゲリラはライフラインまで寸断したようだ。でも、次のスタンドは無事で、ガソリンを入れ、この夏一番多く通ったラーメン屋、大麻生・四華郷に行くと、北京五輪で星野チームが韓国と戦っていた。おお、こりゃ帰ってみなきゃ。
帰ると九回に岩瀬が打たれてそのまま気づいたら眠ってて、何度か目覚めるとロナウジーニョやメッシが出ている。八月の夜は十一月の今よりずっと短い。この送り盆で終わりかなと思ったゲリラは、その後も九月まで続く。
Iからは九月一八日にメールがあり、そこには「『Once ダブリンの街角で』ってみたか。いい作品だったよ」とあった。
※08年8月16日19:52、熊谷気象台の日最大10分間降水量は33.5ミリで同気象台の過去1位を更新。
http://www.tokyo-jma.go.jp/home/gaikyo/626/626_08.html
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/daily_s1.php?prec_no=43&prec_ch=%8D%E9%8B%CA%8C%A7&block_no=47626&block_ch=%8CF%92J&year=2008&month=08&day=&view=a1
(BGMはAccuradioでMultichannel Mix。最近600円くらいで買えないかと探してるピンク・フロイド『狂気』から、トリビュート盤のカバーか Us And Them と、オリジナルで Speak To Me~Breathe がかかる。『狂気』のアナログは高校時代、Ⅰを含むある麻雀卓のメンバー全員が持っているアルバムの一つだった。そういえばHとピンク・フロイドの話はした記憶がない。おっ、今度は Money が。Pink Floyd Redux というトリビュート盤らしい)
08/18のティー======
ゲリラ前の雲と
ゲリラで一輪車にたまった水と