小林真 ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

たれ目の左目

2005-07-31 10:45:10 | ねこ
ちょっと開きましたが今日は猫の話です。
なお前回でお話した“反乱”は、トイレの増設、猫砂を以前使っていたものに戻すなどでほぼ終結しました。猫砂についてはよく説明書に新規に使う時は前のと少しずつ混ぜてとありますが、こんなにも違うものかと驚いています。もっともそれが原因と断定はできませんが。

さて、カロンタンの娘キャサリンの息子、名前はまだなく、猫にしては少したれ目気味なので暫定名「たれ目」と呼んでいる雄ねこは灰色と黒のとらで、この春生まれた子猫の中で一番大きくて太い脚が力強く、けれども動きはゆっくりで、ちょっとさえないやつです。
ちょっと前、子猫の間でウィルスによるいわゆる猫の鼻かぜが流行り、ほかの猫が治ってからもしばらくぐちゅぐちゅいっていたたれ目はある日、何か左目が腫れてしまいました。インターネットで症状を調べると、病気が治れば自然に戻ることが多いとのこと。動物病院の看護師Sさんにも相談したのですが、自分の忙しさもあってそのまま様子をみていました。
ところが、しばらくすると今度は黒ずんできたので、これはまずいとSさんの働く動物病院に。心配ではありましたが、初めての車にずっと運転席の下にもぐりこんでいて慣れるとお腹の上に座るようになったたれ目に、祖母のカロンタンがそうしていたことを思い出しました。
診察した若いH先生は、「これはけっこう難しいですね」。ここで初めて自分のうかつさに気づき、点眼薬とサプリメントをもらい、ほかの子猫からは隔離するようにいわれてこの日は帰りました。
隔離のために最初はダンボールにたれ目を入れましたが、普段使っていないシャワー室の方が広いと思って移動。しかし、当然のことながらたれ目は暴れます。いったん仕事に出かけて帰ってみると、シャワー室内はがしゃがしゃ、たれ目もキャネット、猫砂まみれで、目の保護のために着けていたメガホンのようなエリザベスカラーも吹っ飛んだ状態。さえないやつですが、脚は太いしいざという時には相当の力が出るようです。
やむなくもとの状態に。普段通りにほかの子猫と遊ぶたれ目は、目が腫れていることなどまったく問題ないように見えます。
約束の3日後に再び診察に行きました。「思ったよりひいてないですね」というH先生は、たれ目自身の血清から点眼液をつくるという方法をすすめ、看護師さんが「がんばれ、たれ目」と応援してくれる中、注射完了。「がまん強いですね」「ええ、動きはちょっと鈍いんですが」というやり取りがありました。それでも「やっぱりこれくらいしか採れませんでした」と、できた点眼液は1、2日分だけです。帰ってからはやつの血からできた薬だからと、こまめに点眼を続けました。それ以外の時間、たれ目はいつも通りに楽しそうです。
しかしその2日後、台風の雨の朝。昨夜の分のトイレを捨てに畑に出かけて戻ってみると、たれ目の左目から血が流れ、目尻には何か膜がぶら下がっていました。
ほかの子猫と遊んでいてなったのか、自分で何かにぶつかってなったのかはわかりません。人間ならずいぶん痛いと思う傷なのに、たれ目は前と同じに運転席の下に丸くなったまま。時々大丈夫かとなでながら、台風の中、車を走らせました。
急いで病院に着くとH先生は留守で、代わりに診てくれた先生がいうには、手術になるだろうからあずかりますとのこと。しかたなくたれ目を残し、一人で帰りました。
お昼過ぎだったか、院長先生から電話あり。最悪の場合には眼摘もあり得るが、もっともいい状態にしたいとの話でした。まかせるよりほかにしかたありません。
翌日、迎えに行って手術後のたれ目に対面。「こんなになりましたが、どうですか」とSさんが連れてきたたれ目の左目は、上のまぶたが縫いつけられ、何とか少し開く状態でした。10日くらいで抜糸になるそうです。にゃーにゃーいいだしたたれ目に、「おお、元気になった」と、にこやかなH先生とSさんでした。
もしまた傷が開くようなら、もう一度手術が必要です、ほかの猫ちゃんに触れないように隔離してないと、というH先生の言葉に従い、今度は最近寝ていなかった寝室にたれ目を隔離。またもやぎゃーぎゃー大騒ぎでしたが、すまんすまんと逃げるように仕事に出かけ、帰るとやはり大騒ぎでした。
たれ目帰還は水曜日。以来、毎晩隔離室でたれ目と寝ています。ドアを閉めると必死にぎゃーぎゃーのたれ目ですが、一緒にいるとくっついて静かに落ち着いています。点眼にも慣れたし、サプリメントも魚や肉もやし、鰹節などに混ぜてよく食べ、効果のほどはわかりませんが魚の目玉は必ずたれ目にやっています。エアコンがない隔離室はドアを開ければ十分に冷えますが、隔離なので開けっ放しにはできません。このところ夜は涼しいので助かりますが、サポートにアイスノンも買いました。
今回の隔離室暮らしで、たれ目という1頭の猫との距離は縮まっています。多くの猫と暮らしていると、猫どもをつい一頭一頭でなく集団としてとらえてしまいがちですが、一対一で過ごしてみるとその猫のリズムのようなものがよくわかります。本を読む横で、こういうタイミングで鳴いたり、こうやって乗っかって来たり。それはそれで貴重な時間と思います。そして、鼻をなめに口を近づけるたれ目の左目は、焦点がぼけて右目と同じような光を放ちます。
病院の待合で話をした車にぶつかって脚を折った犬の飼い主の夫婦は、あの時、放さなければよかったのにと悔やんでいました。私も、もっと早く病院に連れて来ていたら、ちゃんと隔離していたら膜は破れなかったかも知れない、とよく思います。
しかし帰って来てからのたれ目が、エリザベスカラーが苦しそうでほかの猫と遊びたそうなほかは、以前と変わらず元気なのでいくらかは助かります。たまに隙をみて脱走すると思わぬ鋭い脚を見せるし、片目が見えないことは人間が思うより不自由ではないように思えます。Sさんの話では、片目が義眼の猫などもあまり困ることなく暮らしているそうです。
でも何よりなのは、たれ目は片目が見えなくなっても、命はあるということ。たれ目が帰ってきた日のちょうど一年前の27日は、カロンタンが裏の道で車にはねられた日でした。たれ目には、まだ命があるからアジやサンマも食べられるし、もう少しでほかの猫と遊ぶこともできます。それは何とすばらしいことでしょう。
たれ目の抜糸まであと一週間ほど。まだちょっと不自由な暮らしが続きますが、それもまた味なものです。たれ目と一人と一頭の、シンプルな生活を楽しむつもりです。

ところで、な、カロンタン。一周忌にはいろいろ思い出そうとしていたことがあったけど、カロンタンの孫がとんだことになって考えなくちゃいけないことが多くて思い出せなかったよ。でも、生きてるやつの方が先だよな、カロンタン。
(ニャ)

長くなりました。最後まで付き合っていただいた方、どうもありがとうございます。
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『死刑台のメロディ』~三つの時代の“理想”

2005-07-26 01:15:38 | 映画
008 1971イタリア ジュリアーノ・モンタルド監督 NHK-BSで収録

【introduction】
1920年代“アメリカ史の汚点”、サッコ=ヴァンゼッティ事件の映画化だそうですが、不勉強にもこの事件についてはまったく知りませんでした。
イタリア移民であり無政府主義者である2人が、偏見の中で死刑台に追い込まれていくというストーリー。事件のあらましを知るのに十分な作品ですが、それより、モリコーネ、ジョーン・バエズの音楽、アップを多用したこの当時のイタリア映画らしい濃厚な絵づくりでこうした政治的事件が描かれている取り合わせの妙に驚きました。
マイケル・ムーアら、演出いっぱいのドキュメントが好きな人にいい刺激になりそうです。

【review】
二人の見解が食い違っていくところ、特にサッコが思想に殉じるといった様子ではないところに妙なリアリティがあった。
「理想を持つものは……」という歌詞が、“理想”をあまり考えることのなくなりつつある21世紀初頭人にずっしりと重い。製作された1970年代、事件の舞台の20年代と、みる人のいる三つの時代が一直線に連なって、「普遍」ということ、「信じる」ということについて考えさせられる。
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たれ目の動物病院~Fの高校野球~HD故障~阪神のオールスター~残念クリフサイド

2005-07-25 07:16:05 | 週間日記
ちょっと間が開いてしまいました。
読んで頂くほどのことはなさそうですが、日常のトピックを簡単に記録する「ただの日記」カテゴリーを新設します。重要なものについては、各カテゴリーで詳しく。

20日(水)
阪神戦収録で一杯になったHD、書込み不能に

21日(木)
猫カロンタンの孫世代、暫定名たれ目の左目が腫れたので動物病院へ

22日(金)
塾生F3年の高校野球を観戦。S高校敗れ、Fの高校野球終わる

23日(土)
H酒屋、愛飲のクリフサイド扱い終了を知る。クリフサイド難民に
金土と野球オールスター。阪神勢爆発

24日(日)
たれ目2度目の診察
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MLBオールスター ~アブレイユ、D・トレインにびっくり

2005-07-21 05:38:55 | スポーツ
クルーン160キロと前後してしまいましたが、ミッドサマークラシック、毎日少しずつみてようやくみ終わりました。
日本人はイチローだけでしたが、3-0になった後、あのくねくねしたボールをよくコントロールしてのタイムリー。四球はつまらんとのコメントも彼らしい。ああやってライト前に上から叩きつけるようなバッティングはあまりみませんが、それを大舞台でやってのけるのもイチローたるゆえんでしょう。
それにしても毎年次々に発見があり、世にあまたある“オールスター”でも抜群におもしろいのがMLBオールスターです。とても選手を覚えきれないからいい。基本的に個人プレーのベースボールは、もっとも“オールスター向き”といえそうです。
今回はHRダービーで大爆発のアブレイユ(PHI)、めちゃくちゃな投法のD・トレインことドントレル・ウィリス(FLA)などにびっくり。D・トレインなんて、2年前にみているはずだけど覚えていない。それだけ人材があふれています。
そんなところでMLB。後半戦も楽しみです。
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赤星、よく当てた! 鳥谷も ~クルーン日本最速

2005-07-20 06:41:32 | スポーツ
タイガースについて書くのは初めてですが、私は85年の優勝時に神宮にいたほどの阪神ファンです。フェバレットプレイヤーは、田淵、江夏、望月、掛布、佐野、真弓……。
さて、現在の話。先ほどNHKで横浜クルーン161キロのニュースに驚嘆。それもそれですごいですが、打者赤星はあの外角高めを当ててました。空振りしないとはやるもの。あのリストの固定された打法は、こういう時に威力を発揮します。
ニュースを調べると160キロが出た鳥谷もファールだったとのこと。映像は見ていませんが、あのグリップの位置から160キロに追いつけるとすれば、これまた驚異です。これからが楽しみ。
160キロで空振りにできないクルーンは、打者からみてそんなに伸びない球なのかも知れません。ですが、ここはひとまずバットに当てた若トラ二人を称えましょう。
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ブログ1ヶ月 ~これまでとこれから

2005-07-20 04:13:49 | Weblog
いつの間にか1ヶ月が過ぎました。
始めてみると、好き勝手に書ける記事を積み重ね、小さいながらも一つの世界を構成していくというこの作業は思ってもみないほど楽しく、仕事以外でパソコン前にいる時間が増えています。
猫をはじめ、接した読書、音楽、映画などについて書いていこうと思って始めたブログですが、ほかにもいくつかのカテゴリーができました。途中、ねこの写真くらいは入れようと携帯からの画像もアップ。先日安い中古のデジカメも入手したので、多少画質良化も見込まれます。
ブログは、日記とはいえ多くの人の目に触れる可能性のあるもの。それなりに気をつかって書いているつもりですが、うまくいっていない点も多くあります。
こういうことをいちいち書くのも言い訳がましくて何ですが、次のように反省の上、改善していくことにします。

1)文体……知らない人に向けて書くのは丁寧な「です・ます」調がベストと考え、またWEB言語内での「です・ます」調の可能性も追求しようなどと思ってはいたのですが、やはりここぞという時のスピードに欠け、まだるっこしいのは確か。今後はいろいろ織り交ぜて書いていこうと思います。
2)長さ……ワープロ書きは、削るのがもったいないので長くなるのが欠点。もうちょっとコンパクトにします。
3)読書、音楽、映画の記録……まだの人への【introduction】、もうの人への【review】の2本立て構想も、実際はあまり意味なくなっています。ですが、この形式にはもう少しこだわりたいので、ちょっとスタイルを変えて続けます。
4)プロフィール……公開しなくていいかと思っていたのですが、身辺のことを書くのにはかえって不自由と実感。最低限のプロフィールをアップします。
5)コメント……けっこうひとのブログにもコメントするようになり、そのお礼のコメントもいただいています。それに対するコメントはいいかなと思っていたのですが、ほかの人々のブログをみると自分のとひとの両方にコメントしていることが多いと気づきました。内容をよく読むと、第三者にもやり取りがよくわかるし、その方がベターなよう。今までの方々には申し訳ございませんが、これからは一つひとつコメントしていくようにします。

というところですが、今後ともよろしくお願いいたします。
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"Don't Believe the Truth / Oasis" ~それでいいのか大物

2005-07-14 07:42:53 | 音楽
2005、イギリス、アマゾンにて購入

【introduction】
今や英国を代表するロックバンドの6th。名作2ndの後はいいところ少なく、3rd以降はいつももう買わないと思ってきたが、今回もアマゾンの割引券をもらうために1枚買わなければならなくなり購入。
ほかのアルバムをきいたことがない人は、やはりまず2ndから。

【review】
2nd以来のデキと評判で、確かに最近のアルバムの中ではいい曲が多く、きく回数も多くなっています。
ききながら、このバンドのいいところとよくないところを考えました。いいところは、何より歌がよくできていることと曲づくりや歌の力に対する疑いのなさ、よくないところは、裏返せばそれが単純さとして現れること、音楽的な蓄積の浅さ、言動は抜きにしても音から感じられる傲慢さなど。まあ、最後の傲慢さは、反対にこのグループの持ち味なのかも知れません。
そして、音楽に何か発見があるかどうかという“ロックミュージシャン”の宿命への姿勢があります。
唐突ですが、今回のNHK朝のドラマ『ファイト』。よくみてますが、その中で週に1回出てくる由紀さおりの歌唱シーンは見ごたえあります。『冬の星座』『はるかな友に』などという普段は決して思い出さないような曲を、由紀の揺るぎないスタイルで歌い切ってドラマに彩りを与えます。それはあまり重きを置かれないこういった歌曲に、新しい命を与えているかのようです。
そしてオアシスの本作。あっ、今回はベルベットか、サージェントペパーズにこんな曲が、やっぱり最後はジョンかい、これがオアシス節だよな、ときいていくのは、ある意味ロックファンの醍醐味かもしれない。けれども、新しい発見は由紀の歌ほどありません。それでいいのか、英国ロックの大物。
2ndが名作なのは、一応はあの時代にああやっていい歌を歌うイギリスの若手があまりいなかったから。しかし、名作たるゆえんは今きいてもあせることのないメロディーと潔さがほかにない輝きを放っているからでしょう。1stと2nd、当時のB面集は今も時々きくし、10年後もたまにきくことはありそうです。ですが、本作はそうなりそうもありません。
といいつつ、現在はよくきいているのですが。
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謀反、ツルツル・クシャクシャ ~やつらはなぜそこにしゃがむのか

2005-07-13 03:03:00 | ねこ
ねことの暮らしは楽しいものですが、いいことばかりとは限りません。もっとも厳しいことの一つが、やつらがそこいらに糞尿をアップデートする時です。

基本出入り自由のうちの離れでは成猫になると外で排泄を行うので、五きょうだいが外に出るようになった去年の途中からはトイレは要りませんでした。ですが、今年生まれたこねこどもの多くはまだ内猫状態。当然、トイレもカムバックしました。
ねこはすぐにトイレを覚えます。食物からつくられた人工的な砂でも一所懸命に掘って用を足す。数年前、これもまた前にいたにゃおんの話ですが、健在だった祖父が庭の飛び石を掘り返した時、柔らかくなった土を早速掘り返し座り込んで祖母に注意を受けていました。土が柔らかいとなれば即座に反応して用を足そうとする、この上なくダイレクトなメカニズムに驚いたものです。
なので、たまに間違えることはあっても、ほぼ間違いなくトイレに行くやつらに、そうトイレの心配はしていませんでした。

ところが数日前から、やつらはなぜか謀反をはたらきだしたのです。これまで使ってきたトイレでなく、室内各所に排泄範囲を広げ始めました。
現場を押さえたことも何度かあり、どいつが反乱に加担したかもわかっています。まるでミーティングで、「あいつも最近調子に乗ってんな、少しわからせてやった方がいいんじゃねえのか」「ニャ」「にゃん」というやり取りでもあったかのように、一斉にトイレ外排泄攻撃を開始したのでした。

奇妙なのは攻撃ポイントです。無差別攻撃でないのがせめてもの救いですが、今のところの主な攻撃対象は、シャワー室、流し台に、ゴミ袋の上という分類上オン・ツルツル、それと部屋の隅のテーブルの横で、ここは古新聞や何かのオン・クシャクシャです。
クシャクシャの方はわからないでもありませんが、おかしいのはツルツルの方。これまでねこ砂をかき分けてやってきたのに、どうして感触のまったく異なるツルツルにしゃがむのでしょう。
以前、弟の家にいたもみじという犬も、夏の間、下がコンクリートの日陰に避難させたら排泄を我慢していました。やつらにとって下が柔らかいというのは重要ではないのでしょうか。
たとえば人間も大理石か何かの上にしゃがめといわれれば、それはちょっとというでしょう。シッティン・オン・ツルツルには、何かそれを突き抜けた快感があるのでしょうか。
ねこは行動のパターンを一つ知ることで理解が深まると同時に、いつもそれ以上の謎が頭をもたげます。

帰って来た時、起きた時、「ひえー、またやってる」と驚き、犯人がわかった場合はそのねことほかのねこに向って、「まったく困るよ、こういうとこでするやつがいるからな。みんなが困るんだから」といってはみますが、少なくともほかのねこどもは困っていない模様。
まあ、掃除のしやすいポイントばかりでよかったかなとも思いつつ、いつまでこの警戒態勢は続くのだろうとおびえる日々は、まだ終わりそうにありません。
不謹慎ながら、テロや内戦にも似て緊迫した状態。といっても、幸いこっちの爆弾は命にかかわることはありませんから、精々スリルだけ楽しませてもらうとしましょう。
少し面倒で臭いけど。
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ねこ紹介(1) おとなしもの オディール

2005-07-12 03:52:25 | ねこ
これから1頭ずつねこどもを紹介していきます。
カロンタンの5頭の子は50音順で、最初はおとなしもの オディール(メス、くろとら)から。

正式名はオディール・カリーナ。オディールはJ・L・ゴダール監督『はなればなれ』のヒロインです。まだ名前が決まっていない頃、イマジカでやっていた大好きなこの映画をHDに収録、仕事の合間にちょっとみていたらひざに上がって画面に目をやったのでヒロインの名オディールと、苗字はわからなかったので女優アンナ・カリーナからもらいました。

もとよりオディールは、一番静かな、おとなしものです。
一度、将来動物病院に行くことを考え、もっともうるさいカミーラと車に載せてみたことがありました。動き出したとたんに近寄って来て「ニャーニャー」うるさいカミーラに対し、オディールはじっと後方待機。カミーラが疲れて休むと、短く「ニャー」と存在を伝えるだけでした。
控えめな性格なのかやる気がないのか、おとなしく時間の流れのままに暮らすのがオディールです。くろとらの毛色は母カロンタンに似ていますが、カロンタンもあまり自己主張しないそんな佇まいのねこでした。

ナイスレスポンスのねこもいいですが、おとなしい、物言わないねこにも、とくにこっちが静かな気分の時に心ひかれます。ぴんと張った布の真ん中を少しだけへこませ、そこに水を落とすとその窪みに集まる、そんな心ひかれ方です。
やって来ても、何もいわずにちょこんと座るだけ。「おお、来たんな」となでても、目を細めるだけ。離れれば静かに動き、キャネットのところに行ってカリカリ食べるだけ。そんな様子は生まれてからずっと変わりません。

「犬は自分のことを人間と思っている。猫は自分のことを神だと思っている」という言葉を読んだことがあります。なるほどここでいう神というのは、オディールのようなねこかも知れません。
遠藤周作の代表作『沈黙』。特に宗教を持たない私はこの本を宗教と人間を考える時のベースにしていますが、作中の「神よ、なぜあなたは何もいわないのか」というパドレのリフレインに神というものの本質を感じます。
決して語らないがゆえに人をひきつける。神と世界の片隅で暮らす一匹のねこを並べてはなんですが、この点において両者はよく似ています。

しかし現在のオディールは、まるでよそのねこのようです。
ほかの三姉妹に遅れてお腹が脹らんだオディールは、6月の中頃の土曜日、こねこどもあふれる部屋に入って来ました。何やら探しているような様子に、いよいよ産むのだなと思ったものです。
その晩、ほかのこねこどもと私と寝たオディールのお乳に、甥や姪であるこねこが吸いつきました。最初はまとわりつくこねこをフーッと威したオディールでしたが、その時はもうどうでもいいように静かに吸わせていました。まったくどこまでも流れに身をまかせっぱなしのオディールです。
しばらくすると姿を消したので、ほかの姉妹と同じく部屋の中の見えないところに産んでいるのだろうと思っていました。ところがそうではなかったのです。

月曜だったか、ドアのところに現れたオディールは、テレビで見る妊娠中の牝馬のように横に広かったお腹を少しぽこんという程度にへこませていました。何か何頭か出てまだ入っているというような感じでしたが、いつもと同じようにキャネットを食べ、またどこかに消えていきます。
もう2週間ほど経っていますが、オディールの子はまだ見つからず。近所の人何人かにきいてみても、わかりません。追跡もしてみましたが、狭いところに入り放題のねこをまさか人間が追い切れるものではありません。
ただ、いつも東の方向から現れるところから、そっちに子どもがいるのではないかとにらんでいます。オディール自身はしばらく部屋に入って来ず、庭にいて以前と変わらぬ静かさで過ごしています。
最近オディールに会うたびになでながらきくのは、「おめえ、子どもどこにいるんだよ」。もちろんオディールはだまってなでられているだけです。

風呂上りにつまみの「ごちそう」を持って来る時、オディールがついてくるとほかより上等なアジの頭などを投げてやるのですが、なぜかそうするとアジから離れてキャネットをかじりだし、ほかのねこどもにアジを奪われます。控えめなのか、それともキャネットの方が好きなのかはわかりませんが、ねこの行動はこういうところがよくあります。

これからオディールの子が出てくるのか来ないのかはわかりません。
そんな中、子どもの頃から蛇口から水を飲むのが五きょうだいで一番うまかったオディールの子がするすると流し台を駆け上がる姿を思い浮かべると、何だか少し楽しくはなるこの頃です。
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納豆メニュー「ナニキャマ」 ~夜のつまみに食欲をそそります

2005-07-11 04:16:41 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
日付変わりましたが10日が納豆の日と知ったので、私が開発した納豆メニュー「ナニキャマ」を紹介し、新カテゴリー「食べ物・飲み物」を設けます。もちろん、大したものではありません。

ナニキャマとは、納豆、ニンジン、キャベツ、マヨネーズのことで分類すればサラダ。調理時間は最短5分から10分程度です。納豆好きでいわゆる「ご飯は納豆のおかず」の一員の私ですが不規則な毎日ゆえご飯を食べない日も多く、つまみとしての納豆を試行錯誤の上、ここにたどり着きました。レシピといったほどではありませんが、次のようにつくります。タンパク質、ビタミンC、ベータカロチンに富むヘルシーメニューといえましょう。イメージに反して、見かけもトゥレ・ジョリーと思います。

素材:納豆、ニンジン、キャベツ、マヨネーズ。あとはお好みで

1)キャベツ、ニンジンを切り、塩でもんで水出し
納豆の粘着力をキープするため、ザルを使っての水出しをおすすめします。キュウリ、ダイコンなども試しましたが、水が出過ぎるのが欠点。体積が減ったら水で洗います。洗わないとしょっぱくなるので注意

2)納豆スタンバイ
ご飯にかける時のように納豆を整えます。味付けはお好み。私の場合、ご飯の時は甘過ぎるたれは使わずに醤油なのですが、ナニキャマではタレ使用で、ほかにカラシ(チューブもので補強)、青ノリと、味を整える役目の味の素が基本です

3)納豆 meets 野菜ども
東海林さだお氏いうところの「納豆の興奮が収まったら」、マのマヨネーズとニとキャほか野菜どもをフィーチャーします。納豆のたれが入っているので、マヨネーズは多く要りません。かき混ぜる時が本メニューのハイライト。マヨネーズ色に染まった納豆の糸が立ち上がってはぷつんと切れる様はキャの薄黄色とニの赤とマッチして、納豆特有の泡立ちとともに、いやあ、よかったよかったという気分になって盛り上がります。ついここで少し食べてしまいますが、ちょっと待ってからの方がプリュ・デリシュー。私はここでゴマも加えます。

4)静粛のナニキャマ
これで完成ですが、私はいつもここで入浴。風呂に入っている間に素材どもがさらに息を整え、しっとりとした佇まいで待っているのがうれしいところです。

ナニキャマを食べる時いつも思うのは、納豆の昼と夜の表情の違い。ご飯と一緒の昼、納豆はしっかりものの学級委員という風情ですが、夜のナニキャマではマヨネーズに緩められるのか妙になまめかしくあります。

というわけで、書いていたら食べたくなってきました。もう少しして、さっそくつくりましょう。
では、ボナペティー

※「あるある大辞典」による納豆売り切れ騒ぎ直後の07年1月19日に思いついて写真追加しました
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「この歌のこの歌詞はすげえ!」 日本編・平成中心

2005-07-10 03:16:49 | 音楽
本日は番外編。
先日、長い友人Iからなぜか突然、「『この歌のこの歌詞はすげえ!』と思うヤツをいくつかあげてくれ」と頼まれました。「何だ」ときくと、「私的な文章の参考にする」とのこと。凶暴につき、いうことをきかないと次に会う時こわいので、仕事が詰まっていたのに関わらず没頭すると、これが案外楽しい作業でした。
翌朝、「参考になったよ」とのメール。どうやら難を逃れ、「せっかくだから、少し直して最近始めたブログに載せておくよ」と返信しておきました。その後、連絡はありません。
本当をいうと昭和の歌詞が続々のところですが、Iもよく知っているはずのその辺はもっともベーシックなものにとどめ、平成の音楽を中心に選びました。
なお、自分でCDを持っているものに限りましたが、私の場合、サウンドと切り離して歌詞を味わうことはないと再確認。何年か前に編集した"Japanese post student days"というCD-Rと重複するものがほとんどです。
年代降順。歌詞はうろおぼえが多いため正確ではありません。
また、同時に「くるりとCoccoの簡単なアーティスト論も頼む」といわれ書いたので、それもついてます。

●小島麻由美
「愛しのキッズ」2002
~さよなら愛しい人、もう一度だけ笑って
 この年のベストシングルで、歌唱や曲、サウンドとともに歌詞もいい、という印象だった。しかし、改めてきくと何も残った歌詞はなく、ほかの要素を壊さないことに全力をあげているという感じでそれもすごいこと

●畠山美由紀
「輝く月が照らす夜」2001
~あなたがもし望むならば、きょうだいでも友だちにでもなるわ、そしていつの時もあなたを一人にしない
 大人の静かな狂気のかたち。息遣いがきこえてきそうな情景描写が秀逸

●Ajico
「すてきなあたしの夢」2001
~すてきな私の夢を少しの間きいてよ
 UAも敬愛のパティ・スミスに“Listen to my story...”ではじまるすごい歌があるが、これを文化を含め日本語にするとこうなる。何よりメロディー、浅井のギターとの絡みが隙なく、歌詞は決して独立したのものでないと実感

●Aiko
「桜の時」2002
~春が来るとこの河辺は、桜が目いっぱい咲き乱れるんだ。あなたはいう、わたしはうなずく
 セリフ歌詞として最良。見えない世界を描くのが言葉の機能の優越だということを改めて思い知らされて唸った。桜の花のように騒々しさ満点のアレンジも秀逸

●Cocco
「雲路の果て」2000
~この眼さえ光を知らなければ、見なくていいものがあったよ
 ギリシア悲劇的、演歌的ともいえるダイナミズム。Pink Floyd "Wish you were here..."のように、「もし……」は歌詞に向いた構文

●くるり
「街」2000
~この街はぼくのもの
 世界を自分のものといえるのは若さの特権。サウンドとも絶品の歌い出しの4小節で、世界を構築する。この叫びを歓喜で描かないこと、激しく繰り返す転調は岸田の真骨頂

●トライセラトップス
「ゴシックリング」
~(必死の捜索もCD見つからず。あとで入れます)
 とくに歌詞は純粋詩歌より下世話さを味方にする。下世話はつまり、具体的ということで、その点で和田の詞は平成のバービーボーイズか

●ゆらゆら帝国
「昆虫ロック」1998
~雨が降る日は何もしない、髪がべたべたするから、風が吹く日も何もしない、どこか消えたくなるから
 ただ声を大にして歌えばいいと誤解されがちだが、不快感の表現に説得力を持たせるには力量が必要。おかしさに包んでそれをやってのける山本のそれは相当のもの

●東京ナンバーワンソウルセット
「Sunday」1995
~一、二、三とくれば、四、五、六と……
 日本語ラップをいわゆるBボーイ的な価値観と別のところに見出した少ない例。サウンドも絶妙

●ブランキージェットシティー
「青い花」1994
~忘れないでくれよ、誰もがみんな、この星のひとかけらなのさ
 フェアネスを価値として持つことは、舌ッ足らずな若さの条件。浅井の詞は世界を撃つことの痛みにあふれる

●早川義夫
「この世で一番キレイなもの」1994
~弱い心が指先に伝わって 痛々しいほどふるえている
 94年作の冒頭を取り上げた。大槻ケンジが「早川流ひねらずの術」と呼ぶこんなに歌詞を一生のうちきいたことはなかった。
 本人の詞ではない
69年作「サルビアの花」
~泣きながら キミのあとを追いかけ 花ふぶきに舞う道を 教会の鐘の音は 何て嘘っぱちなのさ
 てのもすごい

●忌野清志郎(RCサクセション)
「空がまた暗くなる」1990
~Yeah おとなだろ 勇気をだせよ おとなだろ 知ってるはずさ 悲しいときも 涙なんか もう二度とは 流せない 悲しいときも 涙だけじゃ 空がまた暗くなる
 いい詞がいっぱいだが、今一つ選べばこれ。世にあまたある前向きソングに足りないものが何かがわかる90年作

●中島みゆき
「異国」1980
~百年しても 私は死ねない ふるさとと呼べる場所がないから くにはどこかときかれたら私 まだありませんとこたえる
 鮮烈。世の中にはわかりようもないことがあり、それを表現しようとするものがいることに衝撃を受けたが、今もそれは生々しい

●伊勢正三(かぐや姫)
「置手紙」1974
~君はまだたくさんの紙袋を抱えたままでこの手紙読んでいるだろう
 やっぱりこれか。マイナーから始まって4小節でメジャーに移るというコード進行とメロディが主だが、付帯状況の構文が印象的な歌詞もぴったり合い心酔。今はめったにきくことはないが、時々心の中で反芻する永遠の名作

【簡単なアーティスト論】
●くるり:サウンド面でもいろいろやっているが、何より歌詞と曲づくりに関しては若手では抜けているのできいていて飽きない。その面ではやはり日本のレディオヘッドといえそう。メンバー全員、歌詞、曲、サウンドとも勉強熱心で、過去の音楽遺産の消化のしかたが絶妙。J-WAVE でやっていたラジオは、大変勉強になった。岸田の歌詞世界では、日本のポピュラー名曲、マンガからインスピレーションを受けたものが多いと思うが、今後は豊穣な日本文学世界を多くインプットしてさらに世界を深めることを期待。

●Cocco:よくいわれるようにオーバープロデュースという感じはあったが、それとも真摯に向き合っていて好感を持てた。90年代的、PJハーヴェイ的なハードネスと日本独特のやわらかな絵本世界、そういうものとの振幅が身上だったと思う。岸田との Singer Songer に期待。
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"The Invisible Invasion / The Coral" ~ 今年度No.1争い

2005-07-09 00:58:01 | 音楽
003 2005 イギリス アマゾン内 import-cd_specialists にて購入

【introduction】
リヴァプール出身、膨大な過去の音楽からの遺産を継承する英国ロック界期待の若年寄の3rd。
早くいえば昔っぽいサウンドだから意外に、邦楽ならクレイジーケンバンドら昭和歌謡復興組のファンにはいいかも知れません。

【review】
と、音楽雑誌で読んだようなことを書きましたが、次に書く予定のオアシスと違って私などでは原典は判別不能。ですが誰がきいても新しい音ではなく、それがよくきくと若いのに似合わずハイレベルのプレイに、とぼけていながら時に熱いボーカルが、叫ぶというより横で何かいってる、こんな言葉でこのパフォーマンスが伝えられていますでしょうか。
アマゾンあたりのレビューでもよく見かけるように、上に述べた特徴に加えて若者らしいはちゃめちゃさもあった1stにもっともファンが多いらしく、私自身もベストは1stと思う一人ですが、どうして本作は魅力いっぱいです。
何より、一つひとつの音が大事にされているのがいい。やってること自体は恐ろしく保守、ごく普通のことにきこえるので、何気なくきいていると流れてしまうのにふと耳が止まり、これカッコイイ、何だこの和音、と集中してしまう、そんなリスニングタイムは、音楽の種類は大きく異なりますが、私としては全体としてシカゴ音響派にも似た時間に感じます。メリハリきいて時々恐ろしい勢いを見せるギター、いまどき誰がという使い方のオルガン、これまでいたかなのストリングスほか、何度聴いても耳が止まる耳が止まる。
現在のところ、大友良英ニュージャズオーケストラと個人的今年度ナンバーワンを争っています。
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『恋愛日記』 ~おしゃれで、変態で、おかしくて、切なくて

2005-07-08 03:44:09 | 映画
007 1977 フランス F・トリュフォー監督。スターチャンネルで収録

【introduction】
おしゃれで、変態で、おかしくて、切なくて……。脚フェティシズムを持った女好きの日々をつづる。
邦題からあまいラブストーリーを期待してはいけませんが、ラブだけはもうあふれんばかり。もっとも主人公は、「あなたには愛がない」といわれています。
ディオールも名を連ねるローブ中心のファッションも楽しく、スカートの揺れる裾の下はどれも個性的に踊っていて幸福な気分になります。

【review】
あまりにかっこいい『突然炎のごとく』、魂の叫びがきこえる『大人は判ってくれない』のようなシリアスな名作で知られるトリュフォーは、『私のように美しい娘』など極端な人物を描いた不思議コメディも得意。まあ、これをコメディとしてみるにはかなりの余裕が要るでしょうが。なお、極端な人が主人公でシリアスな『アデルの恋の物語』も名作です。
作中、編集者たちが主人公を変人扱いしていますので、当時のフランスでもやはりこれは極端な人らしいのが、安心のような残念のような。こういう変な、常人の理解を超えた愛し方が排除されるばかりでは、いい世の中とはいえません。
原題は直訳では「女たちを愛した男」ですが、字幕も『恋愛日記』で統一。邦題もこのタイトルでイメージされる世界に対するパロディなのでしょうか。
増村保造『好色一代男』とともに、男恋愛遍歴映画の日仏おかしな二大傑作に推挙します。
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POG指名馬 ~SSは5頭。Wプレアデスに驚き

2005-07-08 02:30:14 | スポーツ
5日。POG(競馬のペーパーオーナーゲーム)のドラフトに行って来ました。
05年はエアメサイヤ、ビッグプラネットがいたので、ほんのちょっとのマイナスですみました。06年はどうか。
昨年、2頭しか取らなかったSS産駒。ラストクロップになる今年は5頭います。知らずに、Wプレアデス両頭指名。
指名馬は以下の通りです(馬名・性・厩舎)。

1)キングアーサー・牡・藤沢和
2)ビッグカポネ・牡・中尾正
3)パルジフィル・牡・萩原
4)ヤマニンプレアデス・牡・浅見
5)ニシノミライ・牝・松田正
6)(母Dance Desire)・牝・角居
7)レディストレイツ・牝・山内
8)マイネルジュネス・牡・中村
9)シルクプレアデス・牝・奥平
10)(母エイシンサンサン)牡・(未定)
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月曜の雨の朝、クライフェルト駆ける ~気になる音で成り立つ身の回り地図

2005-07-05 02:15:40 | ねこ
今日は、猫の話です。

日曜の夜は仕事が朝までになり、時間がちょうどいいのでたまっていたごみを豪雨の中、家から200mほどの屋根のある収集所まで行きました。
あいにくの天気に、庭にねこどもの姿は見当たらず。雨の午前6時にしては明るい朝を傘をさして歩き出すと黒にゃんと点にゃんがそこらから出てきましたが、悪天候のためか家の裏で待機を決め込みました。
いっぱいの燃えるごみ置き場のてっぺんに袋を置いて戻ると、私が見えたあたりで2頭の黒ねこは「にゃあにゃあ」と鳴き出します。「わかったわかった」とやつらに近づいた頃、収集所隣のSさん宅の藪から、「ニャー…、ニャー…、ニャー」。降り返るとうちのクライフェルトが出てきて、一目散に駆け出しました。
近づいてくるのに一目散という言葉が適切かはわかりませんが、とにかくわき目も振らずに走ってくるクライフェルトはまるで名犬ラッシー。狩りをする動物で瞬発力はあっても持久力のないねこは長距離を走る時はピッチ走法が普通ですが、全身を使った大きなストライドで、「ニャーニャー」いいながらやって来ました。こちら1人と2頭は唖然として見守るばかりです。
ゆったりとしたような一瞬のような雨の朝の何秒かが過ぎ、たどり着いたクライフェルト。私のところまで来ると顔を見上げ、「にゃー、にゃー」といいました。
何がしたいのかよくわからぬまま、「来たんな、来たんな」と頭をなでるとまた「にゃー」。とくにこれといった用事はないようなので1人と3頭で家に戻り、ドアの前に来ると散らばっていたキャネットをカリカリ食べ始めます。

それから風呂に入り、さっきクライフェルトが長い脚を使ったSさん宅~自宅間のコーナーつき150mを窓からながめて考えたのは、なぜやつは私がいるのがわかったのかということでした。
目で見て確認したのなら、私が通り過ぎたあたりでよくそこにいる銀にゃんがするように伴走するはずです。しかしタイミングからすると、黒にゃんと点にゃんの声を聞いたから出てきたとしか考えられないし、極度の近視だというねこに150m先から目で見てわかるとは思えません。
昨年読んでもっとも刺激的だった本の一冊、日高敏隆さんの『動物と人間の世界認識』で知ったユクスキュル「環世界論」によれば、「動物が生きているのは、彼らの環世界の中であって、意味のない客観的な環境の中で生きているのではない」。つまり、動物たちは自分の感覚器と意味からできた世界で生きている、クライフェルトが私がいることを知ったのは、やつ自身が知っている泣き声が自宅の方から聞こえ、その情報からすると「私がそこにいるに違いない」と判断したとみるのが正しいのではないでしょうか。
もしそうなら、前回の猫の話の謎、なぜやつらは犬がいることがわかるのかということも説明できるような気がします。
そういえば、銀にゃんの前に私の家の担当だった三毛猫にゃおんについて、やつと仲がよかった祖母がこういっていました。「不思議なんだよ。こっち(母屋)の前にいて突然あっちのうち(私のいる離れ)に行くことがあって、そうすると必ず少し経ってM(私のこと)が出て来るん。何でわかるんかね」。
私はにゃおんに前の晩食べた魚の骨をやるのが日課でした。母屋と離れの間は10m。50m先のねずみがわかるというねこにとって、物音から私が出る様子を感じ取るのはそう難しいことではないはずです。
気になる音で成り立つ身の回り地図とは、どんなものでしょう。見るのではなく、ぜひ一度聞いてみたいものです。

と、まあそんなことを考えた豪雨の朝でしたが、土曜の夜に録画したサッカーをみて遅い眠りにつく私の周りにはいつものごとく何頭ものねこどもが寄ってきました。今朝はクライフェルトもいます。こねこどもがいても強引にお腹に上がってくるやつに、「今日は遠くから来たんな、Sさんちの方から来たんな」と語りかけました。
そしてこれから、やつが乗っかった時、「あの時遠くから来たんな、Sさんちの方から来たんな」と繰り返すことが何度もあるに違いありません。
コメント (2)
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