裏の楽しみ Nikon修理中につき携帯6/25
また、開いてしまった。2カ月前の週間日記部分と最近の出来事のおまけというへんてこな構成も飽きてきたので何とかしないといけませんがひとまず。
●4月
21日(月)原稿と格闘~08春・夏OB子女出産ラッシュのトップを切ってOB・O君長男誕生を知る、おめでとう~電話取材~東方・長崎ちゃんめん
22日(火)原稿~出張授業
23日(水)出張授業~おおぎやでカレーラーメン+80円券餃子
24日(木)朝にOB・M君宅にCL取りに~起きてずっと仕事
25日(金)豊里・永来でラーメン~塾
26日(土)撮影~Mixi70's 倶楽部の集いで人形町へ。入れ違いで面識のある人は1人もいず、めずらしくメンバー内で若手、でも、音楽という共通項ありあっという間の数時間~最終、帰深で腹が減ってラーメン匠
27日(日)ずっと働く
【カウンター08】
ラーメン4/31 外飲み1/15
最近の出来事も途中で放っておいたので、もう一週間前です。
●6月第3週
夏至があったこの週、ひょんなことからカレーを4回食べた。内訳は、
月)本庄市児玉・名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」
水)熊谷市別府・のび太で「カレーうどん550円」
木)都内中野・タブチで「からくちカツカレー610円」
日)自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」
暑かった(月)は仕事帰りによくするようにうまそうな店を探し、時間も半端でなかなかいい店がなく、結局最初に見つけた店に。前衛的なカップリングにひかれて注文したが、どう食べていいのか困った。ひとまず、ラーメンを食べてからカツカレー。単品だと、カツカレー590円、ラーメン390円だったから、かなりのサービス品だ。
曇りがちだった(水)は、さいたま市からやって来たMixiの食巨人を地元の名店に連れて行って。開店待ちで、近くの花菖蒲も楽しんだ。
そしてハイライトは(木)のタブチ「からくちカツカレー」。学生の時以来約20年ぶりに食べてみた。
記憶の中のカレーベスト2。最初は中学生の頃に食べた市内「黒んぼ食堂」のカレーで、これは店主が代替わりして、今もおいしいのはおいしいけれど、その頃と同じではない。
その店のカレーを語る時にいつも触れるのは、10分くらいした帰り道、その筋ではよく知られる深谷肛門外科のあたりで一緒に食べた同級生どもと、「なんか、今んなって、あの味がまた蘇ってこねえ?」「うん、帰ってきた。うめえ!」などと騒ぎながら自転車をこいできた幸福な夕闇。けれど、その記憶だけが何度も語るうちに広がっていて、もしまったく同じ味が再現されたものを目の前に出されたとしても、ほかの店のカレーと区別できないかも知れない。
その黒んぼ食堂に比べてタブチ・からくちカレーは、その真っ黒な色とじゃがいもが完全に崩れたねっとり感、そして、ハヤシライスを無理やり辛いカレーにしたようなスモーキーな味わいはよく憶えていた。
新宿でのPOGドラフト前に中野に行って、懐かしい階段を上る。実は昨年あたりか、一度日曜に来てみたら定休だったこともあった。この日も、普段は16:00という開店が「都合により17:30からです」と貼り紙があり、駅ベンチに戻ってPOG指名馬の検討を続けて出直した。
満を持して17:30に店に行くと一番乗り。「いらっしゃいませ」、若いあんちゃんだけの店内は、テーブルばかりだった20年前と違って全席カウンターになっていた。
カレー400円、からくちカレー450円だが、ここはこっちもおとなになったので当時はそんな贅沢は思いもよらなかった「からくちカツカレー610円」。食券を買ってあんちゃんに渡すと、それからあげるらしくしばらく時間がかかり、その間にサラリーマンやら作業着やらがぱらぱらやって来て、作業着コンビは先輩らしき方が「じゃあ、今日は自分で払えよ」、後輩風「はい、自分で出しまスよ」なんていっている。
そうこうするうちに610円到着。出てきた一皿は、見た目だけでも20年前と違っていた。真っ黒と記憶していたルーは、色は濃いけどありふれたカレー色。何というか、約四分の一大のジャガイモがごろごろしていたような憶えがあるが、今はニンジンとともに大きなスライスになっている。
味はどうだろう。個人的にはカレーにはラッキョウだが、それしかない福神漬けを隅に置いて食べてみる。
うまい。
カレー自体は記憶の中のよりありふれていたが、初めて食べたカツがよかった。衣のさくさく感をないものにしてしまうし、強豪を集めたオールスター感の強い「カツカレー」というメニューは「やり過ぎ」の印象が強いが、これはカツにルーをかけていないので、ソースと辛子でカツそのものを味わうこともできる。できればキャベツがほしいところだが、カラカラ氷の落ちるウォータークーラーの水を飲みながらの「カツ・ご飯・カレーの三角食べ」で十分。あっという間に食事終盤を迎える。
全体として“記憶の中の”タブチのからくちカレーとまったく同じではなかったが、ああ、やっぱり“これも”タブチのからくちカレーだと。つまり、カレーも20年分歳をとったということか。帰ってネット検索すると、数年前の「ニンジンはない」という記述があるから、常に更新されて“今の”タブチのからくちカレーになったのではないか。
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そして、三番目と四番目のカレーの間の土曜日。中学校の同窓会があった。四十も半ばの男女、そして六〇~七〇代の先生ががやがや集まって昔をしのび、今を述べる、時間のスイートスポットだ。
二年前の前回から写真を撮っているが、最初に学年主任のM先生をファインダー越しに見て思った。これは「懐かしい」ではない、「新しい」経験なのだと。
何度もきいたその声で、内容こそもう四〇代の元生徒に合わせてはいても、三〇年前と同じような論旨でスピーチは進む。元気な先生もさすがに三〇年分の歳月を容色に重ねているが、それはいわばおりこみ済みだろう。
「新しい」とは単にこちら側の話で、カメラを構えて三〇年前に見ていたのと同じお顔が、同じように向かって左に触れ、今回は欠席の同級生O君が中学の時に「弓矢の目」と評した、目尻が少し下がる瞬間を待つという「経験」のことだ。
会場のホテルでは仕事で、同じように見知らぬ人々の表情の変化を待ってシャッターを押している。教え子の結婚式で、初めて被写体としたことも一度や二度でない。
けれども、二年前にM先生をファインダーからのぞいた時ほど「新しさ」を感じたことはなかった。実は私は学校勤務時代に校長となったM先生の下で一年間働いたから、中学校の時と二〇代の半ば、二期にわたって先生の話をきいている。そうした中で積み重ねられてきた時間と、その後、多くの写真を撮ってきたという経験、それがこの行いを「新しい」と感じさせたのではないか。
「新しさ」を生むのは「経験」なのだ。「経験のなさ」は自分が「新しい」のであって、決して「新しさ」を生むわけでない。
先生方の話に静かに耳を傾ける同級生。子どもが成人した者もめずらしくない彼らは、それぞれが一人ひとりの「経験」からその話をきくのだろう。だから「経験のない」一月の新成人のように私語でスピーチを乱すこともなく、「懐かしい」言葉のリズムを「新しく」楽しむことができる。
今回も三〇年ぶりに会う同級生がいた。決して変わっていないわけではないのになぜそれがその人物だとわかるのか。当たり前のようでよく考えると不思議でたまらないのだが、それはまた後で考えよう。今はまず、「懐かしく新しい」不思議な時間を楽しんだ方がいい。
-------------------
翌日曜、これはもう一週間に四回食っちゃおうと、カレーをつくった。
メンバーは、前の畑の新ジャガと新タマネギ、近く産直のニンジンの三本柱に、これも前の畑のナス、同級生Hさんにもらったインゲン、父親が近所からもらってきたカボチャ、どっかのショウガ、乾燥ニンニク、それと生協冷凍肉に冷凍とうもろこし。
新ジャガは不思議だ。こするだけで皮がむけるのに、どうして時間が経つとそうはいかない。あんな新しそうなのに、実は去年のじゃがいもから出てくるのも何だかすごい。
具を切り終わってバターで炒める。ぐるぐる回る新じゃがを見て思う。同級生ってのも、この新ジャガやなんかと同じだな。一緒の畑から出て、あるものはサラダにあるものはカレーに。新ジャガを味わうならふかして塩がベストだけど、カレーになるやつもいいもんだな。がつがつまわりのやつとぶつかるのはおもしろそうだし、だいたい中学生あたりはみんなカレーが好きだ。
前日は例年より一日早い夏至だった。
(BGMはスティーヴ・ウィンウッド nine lives。やっぱりこのハモンド、気持ちいい。dirty city のクラプトンのソロも最近の記憶の中では一番)
カレー1 名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」
カレー2 うどんの前に見た花菖蒲
カレー3 タブチ「からくちカツカレー610円」
カレー4 自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」
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4月週(これはNikon)
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忘れちゃいけない今朝撮影
また、開いてしまった。2カ月前の週間日記部分と最近の出来事のおまけというへんてこな構成も飽きてきたので何とかしないといけませんがひとまず。
●4月
21日(月)原稿と格闘~08春・夏OB子女出産ラッシュのトップを切ってOB・O君長男誕生を知る、おめでとう~電話取材~東方・長崎ちゃんめん
22日(火)原稿~出張授業
23日(水)出張授業~おおぎやでカレーラーメン+80円券餃子
24日(木)朝にOB・M君宅にCL取りに~起きてずっと仕事
25日(金)豊里・永来でラーメン~塾
26日(土)撮影~Mixi70's 倶楽部の集いで人形町へ。入れ違いで面識のある人は1人もいず、めずらしくメンバー内で若手、でも、音楽という共通項ありあっという間の数時間~最終、帰深で腹が減ってラーメン匠
27日(日)ずっと働く
【カウンター08】
ラーメン4/31 外飲み1/15
最近の出来事も途中で放っておいたので、もう一週間前です。
●6月第3週
夏至があったこの週、ひょんなことからカレーを4回食べた。内訳は、
月)本庄市児玉・名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」
水)熊谷市別府・のび太で「カレーうどん550円」
木)都内中野・タブチで「からくちカツカレー610円」
日)自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」
暑かった(月)は仕事帰りによくするようにうまそうな店を探し、時間も半端でなかなかいい店がなく、結局最初に見つけた店に。前衛的なカップリングにひかれて注文したが、どう食べていいのか困った。ひとまず、ラーメンを食べてからカツカレー。単品だと、カツカレー590円、ラーメン390円だったから、かなりのサービス品だ。
曇りがちだった(水)は、さいたま市からやって来たMixiの食巨人を地元の名店に連れて行って。開店待ちで、近くの花菖蒲も楽しんだ。
そしてハイライトは(木)のタブチ「からくちカツカレー」。学生の時以来約20年ぶりに食べてみた。
記憶の中のカレーベスト2。最初は中学生の頃に食べた市内「黒んぼ食堂」のカレーで、これは店主が代替わりして、今もおいしいのはおいしいけれど、その頃と同じではない。
その店のカレーを語る時にいつも触れるのは、10分くらいした帰り道、その筋ではよく知られる深谷肛門外科のあたりで一緒に食べた同級生どもと、「なんか、今んなって、あの味がまた蘇ってこねえ?」「うん、帰ってきた。うめえ!」などと騒ぎながら自転車をこいできた幸福な夕闇。けれど、その記憶だけが何度も語るうちに広がっていて、もしまったく同じ味が再現されたものを目の前に出されたとしても、ほかの店のカレーと区別できないかも知れない。
その黒んぼ食堂に比べてタブチ・からくちカレーは、その真っ黒な色とじゃがいもが完全に崩れたねっとり感、そして、ハヤシライスを無理やり辛いカレーにしたようなスモーキーな味わいはよく憶えていた。
新宿でのPOGドラフト前に中野に行って、懐かしい階段を上る。実は昨年あたりか、一度日曜に来てみたら定休だったこともあった。この日も、普段は16:00という開店が「都合により17:30からです」と貼り紙があり、駅ベンチに戻ってPOG指名馬の検討を続けて出直した。
満を持して17:30に店に行くと一番乗り。「いらっしゃいませ」、若いあんちゃんだけの店内は、テーブルばかりだった20年前と違って全席カウンターになっていた。
カレー400円、からくちカレー450円だが、ここはこっちもおとなになったので当時はそんな贅沢は思いもよらなかった「からくちカツカレー610円」。食券を買ってあんちゃんに渡すと、それからあげるらしくしばらく時間がかかり、その間にサラリーマンやら作業着やらがぱらぱらやって来て、作業着コンビは先輩らしき方が「じゃあ、今日は自分で払えよ」、後輩風「はい、自分で出しまスよ」なんていっている。
そうこうするうちに610円到着。出てきた一皿は、見た目だけでも20年前と違っていた。真っ黒と記憶していたルーは、色は濃いけどありふれたカレー色。何というか、約四分の一大のジャガイモがごろごろしていたような憶えがあるが、今はニンジンとともに大きなスライスになっている。
味はどうだろう。個人的にはカレーにはラッキョウだが、それしかない福神漬けを隅に置いて食べてみる。
うまい。
カレー自体は記憶の中のよりありふれていたが、初めて食べたカツがよかった。衣のさくさく感をないものにしてしまうし、強豪を集めたオールスター感の強い「カツカレー」というメニューは「やり過ぎ」の印象が強いが、これはカツにルーをかけていないので、ソースと辛子でカツそのものを味わうこともできる。できればキャベツがほしいところだが、カラカラ氷の落ちるウォータークーラーの水を飲みながらの「カツ・ご飯・カレーの三角食べ」で十分。あっという間に食事終盤を迎える。
全体として“記憶の中の”タブチのからくちカレーとまったく同じではなかったが、ああ、やっぱり“これも”タブチのからくちカレーだと。つまり、カレーも20年分歳をとったということか。帰ってネット検索すると、数年前の「ニンジンはない」という記述があるから、常に更新されて“今の”タブチのからくちカレーになったのではないか。
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そして、三番目と四番目のカレーの間の土曜日。中学校の同窓会があった。四十も半ばの男女、そして六〇~七〇代の先生ががやがや集まって昔をしのび、今を述べる、時間のスイートスポットだ。
二年前の前回から写真を撮っているが、最初に学年主任のM先生をファインダー越しに見て思った。これは「懐かしい」ではない、「新しい」経験なのだと。
何度もきいたその声で、内容こそもう四〇代の元生徒に合わせてはいても、三〇年前と同じような論旨でスピーチは進む。元気な先生もさすがに三〇年分の歳月を容色に重ねているが、それはいわばおりこみ済みだろう。
「新しい」とは単にこちら側の話で、カメラを構えて三〇年前に見ていたのと同じお顔が、同じように向かって左に触れ、今回は欠席の同級生O君が中学の時に「弓矢の目」と評した、目尻が少し下がる瞬間を待つという「経験」のことだ。
会場のホテルでは仕事で、同じように見知らぬ人々の表情の変化を待ってシャッターを押している。教え子の結婚式で、初めて被写体としたことも一度や二度でない。
けれども、二年前にM先生をファインダーからのぞいた時ほど「新しさ」を感じたことはなかった。実は私は学校勤務時代に校長となったM先生の下で一年間働いたから、中学校の時と二〇代の半ば、二期にわたって先生の話をきいている。そうした中で積み重ねられてきた時間と、その後、多くの写真を撮ってきたという経験、それがこの行いを「新しい」と感じさせたのではないか。
「新しさ」を生むのは「経験」なのだ。「経験のなさ」は自分が「新しい」のであって、決して「新しさ」を生むわけでない。
先生方の話に静かに耳を傾ける同級生。子どもが成人した者もめずらしくない彼らは、それぞれが一人ひとりの「経験」からその話をきくのだろう。だから「経験のない」一月の新成人のように私語でスピーチを乱すこともなく、「懐かしい」言葉のリズムを「新しく」楽しむことができる。
今回も三〇年ぶりに会う同級生がいた。決して変わっていないわけではないのになぜそれがその人物だとわかるのか。当たり前のようでよく考えると不思議でたまらないのだが、それはまた後で考えよう。今はまず、「懐かしく新しい」不思議な時間を楽しんだ方がいい。
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翌日曜、これはもう一週間に四回食っちゃおうと、カレーをつくった。
メンバーは、前の畑の新ジャガと新タマネギ、近く産直のニンジンの三本柱に、これも前の畑のナス、同級生Hさんにもらったインゲン、父親が近所からもらってきたカボチャ、どっかのショウガ、乾燥ニンニク、それと生協冷凍肉に冷凍とうもろこし。
新ジャガは不思議だ。こするだけで皮がむけるのに、どうして時間が経つとそうはいかない。あんな新しそうなのに、実は去年のじゃがいもから出てくるのも何だかすごい。
具を切り終わってバターで炒める。ぐるぐる回る新じゃがを見て思う。同級生ってのも、この新ジャガやなんかと同じだな。一緒の畑から出て、あるものはサラダにあるものはカレーに。新ジャガを味わうならふかして塩がベストだけど、カレーになるやつもいいもんだな。がつがつまわりのやつとぶつかるのはおもしろそうだし、だいたい中学生あたりはみんなカレーが好きだ。
前日は例年より一日早い夏至だった。
(BGMはスティーヴ・ウィンウッド nine lives。やっぱりこのハモンド、気持ちいい。dirty city のクラプトンのソロも最近の記憶の中では一番)
カレー1 名前のわからない店で「カツカレー+ラーメン750円」
カレー2 うどんの前に見た花菖蒲
カレー3 タブチ「からくちカツカレー610円」
カレー4 自作「新ジャガ・インゲン入り、S&Bとろける×グリコ熟」
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4月週(これはNikon)
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忘れちゃいけない今朝撮影