あわただしく過ごしていて新聞もよく読めていなかった。
だから、この40年くらいでもっとも重要なこの国の発言者のひとりだった橋本治の訃報への言及にもあまり触れていなかったので、「橋本治 毎日新聞」を検索する。
「80年安保ってあったと思うんだよね」。政治ではなく、感性の闘いだったと。「あなたも僕も一緒に闘ったでしょ?」。
「ああ、中森くんはもう、少年を卒業したんだね」
(中森明夫)
橋本治さんへの評価は低い。不当に低すぎる。内田樹さんが書いているが、大学アカデミズムや既成の権威は、越境してくる高度な知性を、本能的に排除する。橋本さんはめげずに、むしろそれを誇りとした。
(橋爪大三郎)
世の中は自分の外側にあって、世の中が動けば、自分も動くことがあるし、動かないこともある。ズレやギャップがある。それが普通の考え方なの。でも、あなたは世の中と自分がシンクロしてるの。
(藤原章生抜粋)
そうして橋本治の日本語が、どこまでも水平に日本語の可能性を広げようとしたとすれば、古井由吉の日本語は、どこまでも垂直に日本語の表現を高度化していくように見える。
(田中和生)
わずか三百ページ余りのなかに、日本人のこの一世紀がまるごと提示されていることに感嘆する。だが、さらに感嘆するのは、会話もなく生きているこれらの人々のなかにこそ時代を超えた人間の姿があるのではないかとも思えることである。とすれば、日本の現在に問いかける1948年生まれの作者の姿勢には、革命的だった60年代に青春を過ごしたものに独特な慨嘆が含まれているということになる。すなわち『草薙の剣』という小説もまた歴史の所産なのだ。それこそ傑作の真の理由と思われる。
(『草薙の剣』評・三浦雅士 18年11月)
最初に好きになった『桃尻娘』から、橋本治とパティ・スミスはわたしの中でセットだ。よく音楽ファンにいってる、「パティ・スミスとニール・ヤングは音楽の成り立ちがよく似ている」があって、さっきスポティファイでかかった『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』からニール・ヤングのプレイリストをきいている。
だから、この40年くらいでもっとも重要なこの国の発言者のひとりだった橋本治の訃報への言及にもあまり触れていなかったので、「橋本治 毎日新聞」を検索する。
「80年安保ってあったと思うんだよね」。政治ではなく、感性の闘いだったと。「あなたも僕も一緒に闘ったでしょ?」。
「ああ、中森くんはもう、少年を卒業したんだね」
(中森明夫)
橋本治さんへの評価は低い。不当に低すぎる。内田樹さんが書いているが、大学アカデミズムや既成の権威は、越境してくる高度な知性を、本能的に排除する。橋本さんはめげずに、むしろそれを誇りとした。
(橋爪大三郎)
世の中は自分の外側にあって、世の中が動けば、自分も動くことがあるし、動かないこともある。ズレやギャップがある。それが普通の考え方なの。でも、あなたは世の中と自分がシンクロしてるの。
(藤原章生抜粋)
そうして橋本治の日本語が、どこまでも水平に日本語の可能性を広げようとしたとすれば、古井由吉の日本語は、どこまでも垂直に日本語の表現を高度化していくように見える。
(田中和生)
わずか三百ページ余りのなかに、日本人のこの一世紀がまるごと提示されていることに感嘆する。だが、さらに感嘆するのは、会話もなく生きているこれらの人々のなかにこそ時代を超えた人間の姿があるのではないかとも思えることである。とすれば、日本の現在に問いかける1948年生まれの作者の姿勢には、革命的だった60年代に青春を過ごしたものに独特な慨嘆が含まれているということになる。すなわち『草薙の剣』という小説もまた歴史の所産なのだ。それこそ傑作の真の理由と思われる。
(『草薙の剣』評・三浦雅士 18年11月)
最初に好きになった『桃尻娘』から、橋本治とパティ・スミスはわたしの中でセットだ。よく音楽ファンにいってる、「パティ・スミスとニール・ヤングは音楽の成り立ちがよく似ている」があって、さっきスポティファイでかかった『アフター・ザ・ゴールドラッシュ』からニール・ヤングのプレイリストをきいている。