風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

まーちゃん作家になる②

2007年10月14日 09時52分34秒 | まーちゃん作家になるシリーズ







生きているなぁ~という実感が持てる日など人生に何度もないんだって。

だから、素直にそう思えた日は、相手がいれば相手へ、その日へ、すべてのものへ向かって

「ありがとう」と伝えると、また生きているなぁ~っていう実感のご褒美が届くんだって。

17歳は言う。

なんだ、この奥深いメッセージは。

私ときたら返答できず、たじたじになっているじゃないか。

満面の笑みを浮かべて、何が生きている実感だと?

17歳はもうすでに人生を悟っているとでもいうのか?

うわぁ~、脳みそが沸騰する。

ぐつぐつと、熱を帯びて。









生きているなぁ~とその尊さや実感を手に入れたかわりに

私としーちゃんは病気になった。

発症からしーちゃんは5年、私は3年目の秋を迎えた。

色づく木々、誕生日、日暮れの早さ、秋風の気配、

それらを日々実感しはじめると、あれから・・・・・と複雑な心境に押しつぶされそうになってしまう。

あの日が時空を超越してすぐ傍で息をしている。

なのに、私もしーちゃんも、あの日以前の身体感覚を思い出すことはもうできない。






私もしーちゃんにもちびたちがいるから、

そのちびに餌をやらなければならないことは、療養できないことを意味する。

闘病などと病気と闘うつもりは私たちには毛頭なく、薄く、

けれど、日常の、当たり前のことができない悔しさに、

キッチンでひとりめそめそと泣く。

しくしくと。

わんわんと。

いずれそれが大洪水のようになって号泣する。

鼻からもいっぱい決壊した水分が体中からあふれ出してくる。

お料理をつくるための赤いフライパンや黄色のボールが並ぶキッチンで、

水分が体内に足りないというのに鼻からもふたつの瞳からも、

よだれまで垂らして子供のようにぎゃぁぎゃぁと泣き叫ぶ。

悔しくて。

でも、本当は自分の不甲斐なさに情けなくて仕方ないのだ。









しーちゃんはこの前、すんごい剣幕で怒っていた。

「無理をするな」とか「お大事に」とか「頑張って」とか言われると

それが本心のものであっても表面上の挨拶程度のものであってもむかつく、と。

私も同じだよ、と言ってしーちゃんの魂をなでなでして、

怒ったことで飛んでいってしまった水分を補給するためにお茶を入れた。

それは命の色彩のように紅く染まる茶葉で、

長蛇の列に並ばせて男友達に買いに行かせたものだった。

それも、台湾まで。











しーちゃんはそれを美味しそうに3杯もぐびぐび飲んでいた。

お酒みたいだった。

もっと小さな器で飲ませたら、舟歌がBGMで流れてきそうな気配。

くすくすと笑っていたら、何が可笑しいんだ?と言って、

怒られる覚悟をしていると、頭の中で「舟歌」が流れたよ、今、だって。

しーちゃんには私の考えていること、思ったことが伝わってしまう。

今、同じことを考えていたよ、なんて余計な言葉を添えることなく、

悔しいことも、悲しいことも、出口の見つからない感情の行き先、

苦しさも痛みも、同じように、同じ分量を持ち、その傷を労わりあっていた。





 

生きているなぁ~という実感が持てる日など人生に何度もないんだって。

だから、素直にそう思えた日は、相手がいれば相手へ、その日へ、すべてのものへ向かって

「ありがとう」と伝えると、また生きているなぁ~っていう実感のご褒美が届くんだって。

17歳は言う。

なんだ、この奥深いメッセージは。

私ときたら返答できず、たじたじになっているじゃないか。

満面の笑みを浮かべて、何が生きている実感だと?

17歳はもうすでに人生を悟っているとでもいうのか?

うわぁ~、脳みそが沸騰する。

ぐつぐつと、熱を帯びて。






ありがとう、と今なら言える気がするの。

病気が私を選んでやってきてくれたこと、

日常の不具合から手取り足取り多くを教授されたこと、

しーちゃんに出会えたこと、

すべてへ。

ありがとう、と今なら言えるよ。