土曜日の今日、引越し荷物もあらかた片付き、姉から結婚祝いディナーチケットをもらう。
南仏ニースとフレジュスの間あたりに位置するヨットハーバーにあるフレンチレストランで旦那とロマンティックなディナーを楽しんだ後、フレジュスの友人宅へ。
こちらは夫婦共に医療関係者だ。
で、フランスの現状に議論は白熱していく。
日本には生活の中にふと息を抜く隙間があると指摘された。
考えてみれば、確かにお茶や風呂は息を吸い込むのではなく吐き出す時間だから、
体中から疲れや埃なんかを外へ出してバランスを保っている。なるほどと思った。
フランスの出生率や出産の話題に移行。
ここにはいくつものカラクリがあり、フランス人の出生率が上がってあかるわけではなかった。
中東やアフリカからの移民が多産傾向にあるだけで、フランス人女性はといえば、結婚や出産で企業から退職を促されても反論の余地がないのだと聞かされ絶句した。
しかも、社会保障は高額な税金からまかなわれているが、未納税者である外国人の医療費も血税からの支出のため、フランス人が利用していた病院がバタバタと閉鎖に追い込まれている。
わたしの住んでいる南仏のある街もアフリカや中東からの移民が多く旦那は驚いていた。
移民問題の深さをまだ把握しきれていないものの、宗教や習慣または人間関係の閉鎖性はわたしでも気づくように、移民しながらフランス語を学ぶわけでもなく、コミュニティに溶け込もうともしない。
日本もますます外国人が増えていくだろう未来を前に、フランスの二の舞にならないように対応する必要があるのだろう。
で、ひとりの妻だけではつまらないからと、イスラム教に改宗したフランス人男性が友人のクリニックを訪ねたという。また、20年連れ添った妻と離婚した男性は、自分だけの時間が欲しいとの理由だけで離婚し、離婚後は毎日暇で仕方ないから、どうにかしてくれと相談に来た。ちなみに前者は30代、後者は60代だ。南仏のこんなにものどかで自然に恵まれた環境にありながら、なぜこのような輩が誕生するのかがわたしの興味を誘った。精神科医を受診するか、もしくは占い師を頼りる背景には、自分の人生に責任も持てない。自分で考え抜かないから納得できる回答もなければ納得できる現実を導き出せるはずもなく、自分のわがままや身勝手さだけを常に主張するから周囲とも摩擦が起きる。
正直なことを言えば、わたしは日本人男性が苦手だ。
交通事故以来、日本人男性のえげつなさや卑怯さをまざまざと見せつけられ追い込まれたことで、日本人男性と接するときは無意識に身構えている自分に唖然とすることがよくある。
とはいえ、たまたま不幸にも交通事故処理がそのような輩との接触を増やすだけであって、日本の方がまだましなのかとしばし考えこんでしまった。
なんでも話し合える優しい旦那にわたしは感謝した。
関係はだれとでも築き育めない。
だからこそ尊いと思うからか、やっぱり愛は大切だといういつもの結論にたどり着く。
わたしを含めた日本人の多くは、フランスには肯定的なイメージがあるのではないだろうか。
同性愛婚を認知する方向で進むフランス、肯定派反対派の背景を調べるともっと興味深いフランスがみたうるばずだ。