風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

医療と患者と未来と期待

2008年08月23日 11時07分54秒 | 医療





陰陽の世界と同じだ。
人はひとりでは生きられない。
が、ひとりで生きていかなければならない。

光と影が同居した世界、
そのどちらを否定するわけでも肯定するわけでもなく、
過度の期待を持ち合わせても落胆が待ち伏せ、
かといって、絶望だけでは明日や光はみえてはこない。

「共有するのが一番ですよ」と担当医は検査結果を伝えた後、
患者の性質や傾向や予後について質問をする私に向かって、
「自分で自己管理ができていますから、治療をして悪化させるよりも温存の道を、
この施設(病院)では、治療は例の手術をするという方針なので、
100か0、つまり、治療をするかしないか、しない場合は経過観察のための通院もできない」

せめて、交通事故から半年、いや1年未満であれば完治しやすい状況であったでしょう。
でも、4年の月日は長すぎた。
不調に身体が順応してしまっているために、
逆に、痛みや不具合を抱えたままでも生きられる状況を再構築してしまっていますから。

“共有”という言葉がなんども頭の中でぐるぐると巡った。
治療しましょう、と言われても拒否しただろうことが想像できるので、
共有という二文字や響きが、私へふんぎりをつけさせた。

医療過誤がなければ・・・・・と思ってしまう。
受診拒否、救急搬送拒否と、医療世界の裏や現実を突きつけられてきた時間は
療養に専念できたわけではなかった。
私たち患者や医療者が自覚しようとしまいと、弱者と強者という関係ができてしまう。
言うまでもなく、弱者は患者であり、強者は医療側だ。
医療者の力量で患者の将来をどうにでも左右できる権限は、
想像以上に強力で、まさに恐怖政治のように、いつの間にか言いたいこと、聞きたいことですら
閉口を余儀なくされる。

患者を救済するのは当然のところながら、
今の状態では医療者も救われることはないだろう。
国も破綻しかけている。
では、どのような循環が円滑に物事を運び、
すくなくとも国民にとって望む医療なのかと考えた時、
私は海外で医療を学びたいと痛切に望むようになった。

タイミングよく、カリフォルニアの友人が病院を開業するらしい。
一緒に仕事をしないか?と声をかけてもらえたこともあり、
そこでライセンス取得や病院経営なども学びたいと思った。

障害とは自分の意思で負うものではない。
が、この国では自己責任という名のもとで、冷ややかな対応を、
社会復帰の道を困難なものにさせているばかりではなく、
病院から放り出された患者、休息が第一の治療です・・・と言いながらも
その医師が症状を悪化させているのが医療の現実という側面もある。

誰も自分を、他者を望んで不幸にしたいとは思わないだろう。
そこから医療と患者と未来と期待がみえてくる。
さて、どこから着手するか、私の課題もみえてきた。





医局制度

2008年08月20日 20時06分15秒 | 医療






元主治医である医師は、某大学病院医局から派遣されていると教えてくれた。
その医師の下、通院しはじめて1年半が経過した頃、
医師が派遣されていた病院、つまり、私が通院していた病院医事課は
個人情報を外部に漏洩させ、私に損失を与える事態を巻き起こしたのだった。

その頃、医師が派遣先から大学病院へ戻るという噂が流れた。
出元は休日出勤の看護師からで、
その医師派か否か、患者として優遇されていた私を快く思っていない看護師は露骨に
「今後、主治医がいなくなったらどうするの?」と意地悪な質問を投げかけ、
私を動揺させた。

大抜擢だ。
なにげなくネットサーフィンをしていると、元主治医の名前を医局にみつけた。
すると、大学病院に戻っていた。
そして、外来は週1日、しかも、再診のみ、初診は受け付けていない。
他は専門とする手術などを割り当てられているのだろう。

某医学学会で会うこともあるのだろうが、
最後まで診なかった患者が、いつか患者側の視点で口演を行ったらどうなるのだろう?

患者として・・・ではなく、ひとりの人間として、
まだ30代前半の医師の出世と将来に、陰ながら期待したい。
あの貧乏ゆすりがなければ、私は救われなかった。
医師としてではなく、人間として、人を救う仕事を選んだ道をまっとうして欲しいと切に希う。






休息を許さない社会とひと

2008年08月20日 08時49分13秒 | 医療





目覚めると同時に一筋の涙が頬をつたり枕を濡らす。
幾度もなくため息が漏れる。
なぜ?という疑問が頭の中をぐるぐると巡る。
疲れてしまった。
なにもかもに。
息をすることですら。

私には“約束”というキーワードがあるらしい。
感情が不安定になった理由は、娘の無理解と約束が守られないために起こる感情の起伏、
激しい自責の念にかられたかと思うと、今後はその怒りが他者へ、娘へ向かう。

通院日は友人を自宅には連れてくるなと何度も約束をしている。
が、娘はそれを守ってはくれない。
現に私は歩行困難な状況で2週間を過ごし、
今週は毎日の通院が予定されていると伝えてあった。
病院に付き添う約束をしていたにも関わらず、朝起きると娘はすでに出かけた後だった。
その後、彼氏と一緒に家に戻ってきた。
「自宅で療養しているのを何度も伝えてあるし、前もって私の予定の確認をとること、
大学受験前で優先順位を考えろ」と言った。

「約束の帰宅時間も守らず私から毎回注意を受けてもそれから帰宅するのはよくて1時間後、
私はあんたたちふたりの家政婦でもお手伝いでもない。
なぜ、通院しているのか? なぜ、救急車で運ばれたのか? なぜ、それを考えないのか?
お願いだから、ゆっくりと休息できる環境をつくる協力をしてほしい。
わかってくれなどとは言わない。ただし、休ませて欲しい。
無駄なことで感情を激しく揺さぶらないで。
障害は自分ではどうにもならないこと、ただ、その結果を突きつけられた後、
障害受容できていない私は、戸惑い、そして、発狂しそうになる心境を抑えるのに必死だ」

幾度となく娘の甘さを指摘するが、理解できているとはどうしても思えない。
家族が最大の休息を許さない集団である場合、
私には逃避の道しかすでに考えられなくなってしまっている。
しかも、彼らが容易に連絡できない海外へ・・・・だ。

TVでは、病気についての特集が毎日のように放送されている。
が、実際のところ、この国では病気になった時点で、
社会復帰の受け皿など用意されてはいない。

約束を守らなかった会社を退社した。
約束を守らない交通事故加害者と共謀者たち。
約束を守らない司法関係者。
約束を守らない医師。

約束が軽い時代において、私には約束が呪縛のように今でもそれを信じてしまう。
そして、なんども破られてしまうことで、自分が傷ついていく。
ずたずたに、切り刻んで、ポイとゴミ箱にでも、誰か捨ててくれ。



20年という歳月の介護

2008年08月19日 11時49分34秒 | 医療





ふたりの訪問看護師がお隣へ入って行った。
颯爽として、女からみても格好のいい、素敵な女性ふたりだった。

通りすがりに私が杖をついていることに気付いたようで、
道を譲ってくれた。
私は「ありがとうございます」と挨拶をして、自宅の玄関を開けた。

母は私を産んでからずっと「女とはこうあるべきだ」という妄想をぶつけ続けてきた。
娘としての「私」ではなく「女」として。
赤子の私は、当然のことながら母は母であり、女ではなかった。
だから私は・・・・・といえば「母親とはなんだろう?」という疑問を
常に小脇に抱えた状態で生活し
ライバルのように振舞う母をどんどんと遠ざけていくようになっていった。

この2週間、自力では歩行が困難な状況が続く。
昨日は検査のための通院があったため、どうにか杖をつきながら病院のある新宿へ向かった。
が、やっぱり人の流れにはついていけないせいか、
ゆっくりとしか歩けないものを、油と水の関係のように、混ざり合うことがないのだと痛感した。
何度も人が私にぶつかりそうになる。
でも、表情ひとつかえない。
まるで、ぶつかるような場所にいる私の方が悪いのだと言いたげだ。
人形のように、無機質で、表情がないのはむしろ健康な人たちだ。
私にはそう見えてしまう。
なぜだろう・・・・・・

そんな状態だから、下着も満足に自分で脱ぎ着できない。
で、娘に「悪いんだけど・・・・」と言って、お風呂に入る手助けや下着などの着脱をさせている。
「これって介護みたい」とへらへらとしている娘。
「介護みたい・・・じゃなくて、立派な介護です!!」と私。
「ありゃりゃ、いくつなのさ?」と娘。
「うるせー!!痛いときは痛いんじゃー!!さっさと脱がせろー!!」と私。

闘病4年・・・・・にもかかわらず、元気な印象しかない私に向かって
「写真撮ってもいい?」だと。
「いつか絶対にぶっとばしてやるーーーっ!!」と言われながらも
けらけらと声を出して笑い、
「まいちゃんの介護なら楽しい」とぬかした。
ふざけるな!!と私は毒を吐きながら、頭を洗ってもらい、その後、湯船につかった。

隣のばあちゃんが元気な頃の記憶がすでに失せている。
でも、部屋の中ではちゃんと生きている。
きっと、天井を眺める視線もおぼつかない中で、流動食の味気ない食事、
男しかいない息子たちに下の世話にもなり、さぞかし情けないだろうと思う。

私がふと思い出すのはばあちゃんの言葉なのだが、
元気な頃、裏のじいちゃんが寝たきりになったとき、
「あたしゃ、あんなじーさんの姿をみると反吐がでる」と繰り返し言っていた。
たぶん、私はまだ中学生で、東京大空襲の話を聞いた後、
ばあちゃんは裏のじいちゃんの悪口をいいはじめたのだった。
あたしゃ、あんなじーさんのようにはなりっこないから、と何度も何度も繰り返し言った。

そのばーちゃんが隣のうちで寝たきりになって20年になる。
ばーちゃんの息子4人のうち、ふたりは介護のために会社を早期退職した。
それは結婚していないため、自分たちで介護をしなければならない状況のためだ。
(お嫁さんがやるのが当然だという意味ではありません)

車椅子で散歩ができていたときはまだましだったものの、
それすらできなくなって15年。
でも、ばーちゃんは今日も生きている。
あの日の言葉を悔いているかもしれないし、まだまだ私は死ねないと歯を食いしばって
気丈に振舞っているかもしれない。

甘いものでも差し入れしに行こう。





考えるという趣味

2008年08月19日 11時09分57秒 | 医療





「君がなにを考えているのか頭の中をいつかかち割ってみてみたいと思う」と言われた。
今日でかれこれ10回になる。
しかも、同一人物に・・・・・だ。

その人は還暦を迎えてから3年を経過した元売れっ子編集長だ。
その人が言う。
「僕は物事を考えないという主義で今まで生きてきたから、
君のようにいろいろなことに疑問を持ったり、それを追求したり、探求していく姿勢は
作家のはしくれにでもなったつもりだから、やれていることか?」と。

すこし残念に思った。
いいや、残念ではなく、腹が立って仕方なくなってしまった。
久しぶりにまん丸の月をインドから持ち帰ったオーガンジーのコットンカーテン越しに眺めた。
白檀の香をたき、いつの間にか祖母の口癖“どっこいしょ”と言った。
どっこいしょのあとは起き上がって、ベランダに出るだけだ。
椅子に腰を掛けた。
寝ぼけた状態でとぼとぼと歩いて近づくシエルをそっと持ち上げ、抱きしめて、頬擦りした。
柔らかな風に月色の毛が私をくすぐるように首筋をなぞる。

書けなくなってしまったのではなく、
記憶力が日本語をまでも奪ってしまう結果に過ぎない。
きっと、これは経験した者でなければわからないのだろうが、
脳の伝達物質の異常は、私から記憶や根気やときに感情を波のように
一瞬にさらっていく瞬間がある。

ひとりごとを言っていても誰かに指摘されない限り自覚はない。
約束をしたことも然り、本人はまったく記憶になかったりする。
本を読む際、漢字がまったく読めない。
だから、前へ進むのに躓いてばかりいる。
それを自覚するのは、脳の伝達物質がどうの・・・というよりも前に
どうして自分がこんなにバカなのか?という情けない気持ちの方が一歩前へ出る。
そして、なにをどのように手をつけたらいいのか
今やるべきことにおいては思考が停止するのに、
常になにかを考えずにはいられない衝動に駆られる。
格好よくいえば、世界に無関心でいられない。
だからといって、積極的に偽善を振りまくつもりも、
行動を起こす体力も資金もないわけなのだが。

「考えるってそんなに馬鹿げたことに映りますか?」
すこしおどけてみせた。
「今の私のままでは作家になどなれっこないですよ。
なんの所為にもしません。言い訳もしません。
力がないというだけのことです。
でも、考えることはやめるつもりはないですし、趣味みたいなものですね」
わざとおどけてみせたのは、わかり難い私の優しさのつもりだったが、
「特殊な人間にしかみえない・・・・・」
と言われたとき、がくんと肩の力が落ちた。

優しさという積み木が、砂の城が、完成したジグソーパズルが、
跡形もなく消去してしまったときのように。

医療とかかわってしまった現在、
自分の権利を主張するだけでは物事がぐちゃぐちゃとなるだけだと学んだのだ。
医師も本当に過酷な労働下で「命」という有限を取り扱うにあたり、
なにかあれば(故意ではない結果でも)訴訟を起こされてしまえば
患者が恐怖にしかみえてはこないだろう。

患者も同様だ。
なにをされ、なにを見逃され、なにをどのように取り扱われるのかを考えない限り、
医師には当然のごとく、不信を抱く。
そして、それが双方が血だらけになる序章となり、
小さな“戦争”がはじまってしまう。

どうか私から“考えるという趣味”を奪わないでください。







30歳男、年収2000万超

2008年08月18日 11時44分46秒 | エッセイ、随筆、小説





「なんだか落ちている声だね?」と男。
「あんた、何時に電話をかけてきていると思っているの?
しかも、仕事でもあるまいし・・・」と私。

昨夜は午後9時半にはベッドに入っていたし、
夜中、覚醒してしまい、一気に放送している“花男”をみて、道明寺をみてにやにやして
朝5時に慌てて二度寝を試みたのだった。

東の空が白けて、空が高くて、空が軽い。
ベランダで深呼吸をして、朝一番の新鮮な空気を部屋中に取り込んでから、
ふわふわの毛布に包まって眠った。
当然、夢も“花男”、
とっても幸せな気分で、うきうきしていた・・・・のになのだ。
携帯が鳴り響いたのは。

「午前8時前だよ。
しかも、いい夢を遮断されて、彼氏でもない男の声で起こされるのは心外」と私。
「いやさ~、生きていくのって思ったよりしんどいよね~~~」と男。
「あんた、なに言ってるの?健康なだけましよ。サーフィンでもして心身海で清めろ」と私。
「最近、どうなのよ?」と男。
「こっちも大変で・・・・とでも言うと思っているの?私はそんなにやわじゃない!!」と私。

確か、最後の電話は“30歳にして年収2000万越すなんてすごくね~~~?”だった。
だから私は金の価値と本人の価値がずれ過ぎている、とひねくれたことを返した。
15年近く知り合いでいると、彼の危うさが手に取るようにわかるからだ。
案の定、金よりも生活や安泰が確保されなければ、
金なんかあっても幸せなど感じられない、そういった内容に終始した。

「すこしは不調を抱える人間が社会に復帰することがどれだけ大変なのか、
バカ経営者のひとりとして、考えることでもあったわけ?」と私。
朝からずいぶんときつい言葉を食らわしていると自覚しつつも、
彼にはまともな経営者になってもらいたいという親心なのだ。

「障害については無知だからわからないし、
実際、利益をあげなければならない資本主義社会では、
そこまでの余裕がない・・・」と男。
「資本主義の行き着くところは、金になるものを仕事と呼び、
臓器まで売買することよ」と私。

貧しい人たちは勉強ができなかった、学歴がない・・・だけの理由で
貧しいわけではない。
私たちは富める者とそうではない者との差異を
誤解したまま、ある種、洗脳に近いかたちで「自己責任」という便利な表現の下、
それを信じてやまないだけだ。
でもそれは誤解で、貧しい人たちが一方的に悪いわけではない。
むしろ、富める者、資本主義という構図が、
そうしたものを生むことを私たちは忘れてしまっている。
今後、政府は国民の貯蓄を投資にまわすべく、対策を講じているのが現実なわけだし。

「年収2000万男、ついに泣き言?」と私。
深いため息だけが受話器から伝わってくる。
私は社会からお休みをもらって、前線にいないだけ、世の中の渦に巻き込まれずに済んでいる。
だから、今まで見ようともしなかった社会の構図というものを
身をもって体験できているだけ有難いと思った。

さて、これから検査だ。
真夜中に花男を観て、検査を受ける緊張がほぐれた。
寝ぼけずに済んでよかったな、と盟友からもメールが届く。
ちくしょう!!

主治医いわく、病院での症例3人のうちひとりである私は、
ある眠剤で寝ぼけてしまう。
この前は無意識のまま、とうもろこしを美しく食べ、
そのかすがちゃんとゴミ箱に捨てられていた。
あるときは、夜中に掃除をしているらしい。

さて、話を戻そう。
お金は大切で、便利だ。
お金があることで医療にもかかれる。
食べることもできる。
ときどき、映画を観たり、欲しいものを買ったり、学業のために費やし、本も、
旅行にも年に何回か行くこともできる。

が、お金があるからと幸せになれるわけではない。
とはいえ、お金がないのも困る。
すべてほどほど、いい加減、塩梅が大切なのだろう。




存在の底

2008年08月17日 09時06分31秒 | 医療




東京は雷とバケツをひっくり返したような豪雨、
しばしそれが続いた後はけろっとして青空が広がる。
豪雨の中を娘と買い物にでかけ、子供のようにわざと水溜りに入り、
ばしゃばしゃと足を濡らした。

裸でマラソンしている人もいれば、
突然の雨、シャワーを浴びるように早足の人もいる。
でも傍目にはそれが気持ちよさそうにみえる。
空が怒っているのか、それとも恵みの雨か?
私たち親子にとっては後者だろう。
だって、子供にかえったようにきゃっきゃと声をあげて、はしゃいで、楽しんでいたのだから。

さて、明日は検査だ。
造影剤でショック症状を起こした後だから、正直、単純撮影MRIだとしても、
あの窮屈な空間で気力が持つのか・・・・自分でもわからない。

医師は紹介元の大学病院から「疑い・・・」という文言だけで、
すぐさま治療のための入院が4ヶ月先、費用の説明をしてきた。
私はといえば「ちょっと待ってください」とその治療への流れを遮って、
「完治した人を知らないし、リスクの高い治療はもとより検査もしません」と伝え、
リスクのない検査のみ行うことになった。

この医師はある程度の症例数を持っている。
だから、治療後の悪化なども口にはしないまでも、知らないはずがない。
まして、正直な人だから“医療が放置した私の予後や今後”を予想できるだろう。
きっと、治療時間ではままならないはずだから、面談でも申し入れ、意見交換をしたいと思う。

さて、4年にわたる検査漬けの日々。
不調を目前にしても所見がでないかぎり「ないもの」になってしまう怖さを学んだ。
そして、検査すらリスクが伴うことを身をもって知った今、
明日の検査は気が重いが、
検査後に新宿にあるタイ料理と花男(ちなみに花より男子の略・映画)でも再度観るから
頑張れと自分を誤魔化して、言い聞かせ、楽しみをみつけないとやりきれないような気がした。

とはいえ、よく頑張ってきた。
休息が最大の治療だと言われながらも、自宅療養で、大学受験前の娘と受験先を絞り、
作戦を立て、勉強をみる。
掃除も食事も誰かがつくってくれるわけではなく、
同居する両親ですら、病状の重篤さに気付かず月日だけが流れた。

悲観することはなにもないし、自分の体調との付き合い方や長い長い夏休みのような時間を
有意義に過ごしながら、
いろいろあったけど・・・・と笑っている自分が浮ぶ。
やっぱり私はしぶといらしい(笑


 

 


闇の子供たち

2008年08月07日 10時51分18秒 | 医療





これは、事実か、真実か、現実か
(パンフレットのコピーより)


広島に原爆が投下された日、私は娘と渋谷にある映画館(シネマライズ)へ向かった。
世界を知るために、現実を、私が海外で浴びせられてきた質問、
“日本人のあなたは日本人が行っている現実を知っているの?”と
再度、向き合うためでもあった。


原作、梁 石日(闇の子供たち 幻冬舎文庫)
監督、阪本 順治
出演、江口 洋介、宮崎あおい、妻夫木 聡、豊原 功補、鈴木 砂羽、佐藤 浩市 他
音楽、岩代 太郎 ・ 主題歌 桑田 圭祐
http://www.yami-kodomo.jp/


幼児売春宿、臓器密売の“闇”がテーマとなっている作品だ。
“値札のついた命”
生きたままって知っていましたか?
臓器を提供する子供です・・・・・・
http://www.yami-kodomo.jp/


21歳になったばかりの私は、当時まだビザの必要な韓国へ行った。
理由は戸籍の取り扱いについて、この国のシステムを知るためだった。
が、機内には男性客がほとんどで、女性は・・・といえば、数人、おそらく片手で足りただろう。

同行していた方は在日韓国人男性であったので、その異様な光景について、
“現実をみる覚悟があるなら案内する”として、男性客が韓国へ向かう理由を、現実を
衝撃的に目の当たりに突き付けてきたのだった。
現実をみろ、と言って。

セックス産業、つまり、カラオケと看板の書かれた店内で行われていたのは、
ストリップなど生易しい、公開セックスとでもいうのだろうか。
私は店外へ出て、食べたものがなくなるまで吐き、最後は胃液の苦味が口中に広がった。

その後、フィリピンへ。
性産業はもっと過激になっていた。
つまりどのようなことかと言うと、私がそのときに目にした子供の最低年齢は10歳の少女、
スラム街へ行けば父親が日本人だという子供を容易に目にすることができた。
もちろん、父親がわかっている子供もいる場合もあるが、養育しているはずはなかった。
なぜならば、日本には家族がいる。
責任など負うはずがないだろう。
(もちろん、日本人側が被害を受けている場合もあることは存じていますので
すべてではないことをどうかご了承ください)

宗教上の理由で、堕胎せず子供を産んでいる。
(堕胎を推奨するものではありません)
相手にする客を目撃できたので、その日本人は70歳近い人もいた。
またしても私は吐いた。
そして、日本人なのになぜフィリピンで起こっていることを知らないの?と叱咤された。

タイやカンボジアでも同じだった。
高級ホテルに泊まる外国人の客室から、
午前5時、朝食のビュッフェを楽しみにする客と鉢合わせしない時間帯に少女たちは帰宅する。

去年の9月に療養のために滞在したバンコクでは、
同行者たちの一部が買春目的だったようで、
夕食を共にするたびに、その話題で男たちは盛り上がっていた。
しかも高級ホテルやレストラン、
食事がすすむはずもなく、
私は周囲にいる日本人ビジネスマンたちの冷めた、軽蔑した視線にただ言葉もなく、
深々と頭をさげるのが精一杯だった。

その後、タイやインドでは臓器移植について尋ねられることが多かった。
尋ねられる・・・というよりも、あなたは知っているの?と厳しい言葉を浴びせられた。
それは“臓器提供者が生きたまま”であることだ。

“金持ちの国のやることは違うな。臓器まで買いにくるのか!”と
同じ日本人だということで、私が責められた。

私は金持ちでもなければ、日本は金持ちでもないと説明しても
高額な臓器を買える客は、日本人と欧米人が圧倒的なのだそうだ。


私は臓器移植についての賛否は正直持ち合わせていません。
それは、当事者でないので、わからないしか言えないからです。

大切な人、自分、家族の命を助けたいとは誰しもが思うでしょう。
それがお金でどうにかできるのであれば、工面し、最善の方法をと考えるのは自然です。
が、私たち日本人はそこに臓器売買が絡み、
助かりたいと藁をも縋る思いの人たちに忍び寄る魔の手を考えたことがあるでしょうか?

死んだ子供、人間の臓器を提供していると思うのはあまりにも性善説過ぎます。
ここには貧困という悪循環が関与し、
安い労働力で安く物を消費する私たちの生活全般に、
彼らの存在を垣間見ることができるのです。
冷静にニュースを見ていれば、
そうしたことが今後、日本でも多発することは予測できるでしょう。
現に安い賃金で外国人労働者は日本で従事しています。


私は作家でもジャーナリストでもありません。
見たことをそのまま湾曲せず、書いているに過ぎません。
なぜかわかりません。
が、20カ国の渡航先でみてきたものは、“人間の光と影の両面”、
その表裏一体である“現実”でした。

私は批判などするつもりは毛頭ありません。
が、それが人間なのでしょう。
私たちが生きている世界なのでしょう。

そして、自分のできることをこつこつと積み重ねていく。
それを再認識させられた映画でした。


ぜひ、劇場へ。
http://www.yami-kodomo.jp/




ある疾患と治療とリスク

2008年08月06日 07時13分36秒 | 医療




さらりと。
それはせせらぎのように、思わず「はい」と返答しそうになるほど、さらりとだった。

ある疾患における検査や治療について、
私が薬漬けになっていないことや一度も治療を行わずに
体力の底上げを実現できた成功を祝して、
“検査や治療後の変化について、大変に興味を持ちます”と言われた。

医師なら当然だろう。
しかも、この疾患について医学会で口演を行っている医師だ。

私も言った。
“私自身も医学的見地では非常に関心深いですし、どのような変化が顕著にあわられるか
知りたいと思っています”と。
“でも・・・・”と続けた。

“腰椎穿刺(硬膜外硬に注射針を刺す)を必要とする検査では、
針の太さは医療機関によって相違する。
成功率は高いといいながらも、失敗は20%~30%存在し、
その患者はその後、治療をするしか方法がないようですが、悪循環に迷い込む、
よくなっている人を知らないという意味では、
私は医学会で発表された内容と対峙する立場です”

医師は“確かによくなっていると言う背景には、僕たちは入院中しか診ていない”と言った。
“それでしか判断できないし、患者さんにもいろいろな人がいるから、
なんども治療(手術)を希望する人もいれば、通院しなくなる人もいる。
だから、把握しきれていないのが残念ながら現状です・・・・・”

正直な医師だと思った。
そして、ある大学病院の著名な教授からの紹介とはいえ、口演を聞いていたとはいえ、
真正面から向き合い、私にとって“なにがリスクないか”をふたりで考えていた。

発生率0.1%という造影剤による重い副作用に見舞われた私だ。
そして、もうあの重篤な疾患の症状に戻ることは死を意味すると同じだ。
完治を目指さず、この心身との付き合い方がわかった今、
制限がありながらも昨日よりは今日、確実に軽快している。

長期的視野で物事をみなければならず、約束なども即答を避けなければならないが、
心身の声にまず耳を傾けることは、決して私にとって苦ではなくなっている。

検査や治療や失敗した患者はどのように取り扱っているのですか?と最後の質問に宛てた。
同意書にも書いてあるとおり、その可能性、
つまり、合併症を引き起こす確率や再度、この手術とは違う処置が必要になる場合があるなど
この病院は私が知っている限りの情報を文書として提示し、患者に渡し、
説明している上での手術だと。

そこまで説明され、決断を下すのは患者自身になる。
リスクについてもわかるまで説明をするという。
その後、同意書を書く以上は「やる」「やらない」の判断は、患者自身が下したに等しい。

余談だが、脳血流を活性化させるために、
竹ふみのような足裏のつぼに強い刺激を与える自然素材のものを使っている。
20分程度/1日2回~3回を繰り返しているが、
それだけで頚椎痛や頭痛は激減した。
脚のむくみも軽快する。
別の主治医は興味深いと言って、せっせとカルテに書き、
他患者に参考事項として伝えてみよう、と笑った。

考える力が試される。
私が医療に関わる上で、それを痛感させられた。
自分を護るために、考えることを。