風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

軽度外傷性脳損傷(MTBI)とそれにまつわるあれこれ

2013年01月17日 07時02分18秒 | エッセイ、随筆、小説


物事が動き出すということはこういうことなのだろうか・・・


岐阜県にある脳画像読影で唯一の病院から検査日時の連絡が入った。しかも突然に。
現在、その病院は「初診」は受け付けていないという。
わたしは初診が済んだ数日後に携帯電話が破損したことで連絡先や予定が一切わからなくなってしまった。
どうしたらいいかと思いつつも、交通事故処理を諦めようと考えていたところ、
主治医のI氏から「責任のある者に責任を負わせる必要があるのですよ」と説得を受けた。
交通事故処理は苛酷で孤独な戦いだ。
同じ被害者同士でも理解し合えないし、当事者にならない限りわからないのだと思う。
だからこそ、その切羽詰まり感が加害者を追い込んでいくことも可能なことを追記する。


交通事故から8年が経過した現在でも、全身は痛むし、健康な状態がなんであるかなどわたしにはさっぱりわからない。
いまのことはもちろん理解できる。が、一週間前の記憶はほとんど引き出せないし、
時間も季節の感覚もわたしには乏しいものでしかない。


先日もオーガニックネイル(所在 新宿)と謳うオーガニックなんて嘘の小さなネイルスクールに騙されたし、
雪道で転倒しそうにもなった。
オーガニックネイルなんて存在しないことも雪に足元が掬われてしまうという当たり前のことすら、
わたしには時に気付きずらい出来事のようで、なぜ気付けないのかがわたしにもさっぱりわからない。
だから、交通事故被害はやっぱり甚大なのだと毎日痛感させられるのだ。


この記事にたどり着く方々の中には、きっと「交通事故被害者」や「軽度外傷性脳損傷」という診断を受けたり
自分の不定愁訴や体調の不具合の原因を見つけたいと思ってネットサーフィンしてたどり着く人もいるのだろう。
体調が本当に悪い時期に書いた記事は、怒りが充満していたり、逆に現実逃避した内容が多く読みずらく本当に申し訳ないと思う。
けれど、記事を残すことに決めたのは、もしかしたら些細な情報がだれかのために役に立つのではないかと考えたからだ。
そして、もし闘っている人が読んでくださっているのであれば、情報が必要であれば連絡してください。
少なくとも交通事故処理に関わる一連のこと、法曹界や医療界の内情はわかっているつもりなので。


昔の日記を初めて読み直した。
交通事故を専門とする行政書士(当時、千葉県松戸市)や損害保険被害者を救済する団体(当時、北海道)など
弱者を救済するふりをして詐欺行為を行っているひとの多さに驚きながら、交通事故処理がスタートしたのだった。
そして、損保会社から送られてくるすべては「死亡した人の遺族が記載する診断書などの一式」であり、
生きている被害者に行う卑劣な行為が日本を代表する大企業が平然と行っている事実に出会った。


なぜ、自殺をしなかったのだろう?
なぜ、生き抜けたのだろう?と当時を振り返るものの、あまりにも必死過ぎたのか、それとも記憶の問題なのか、
当時のことをよく覚えてはいない。
あるひとことを除いて。


あなたは自殺をするか、よくて寝たきりの人生なのですよ、と詰られたのは、損保会社担当者や損保側顧問弁護士だった。
けれど、わたしはまだ生きている。
しかも、事故前と同じ人生は二度と歩めないけれど、からだには泣かされるけれど、
それでも明るく楽しく毎日を過ごしている。
それは、悔しい思いをさんざんしてくると、最終的に人間は開き直れるのだと自分をみていて思う。


悩んでいた頻尿や尿失禁は、知人から紹介された「ゲイシャボール」というものでだいぶ改善できた。
道はある。