風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

失われた顔

2009年05月30日 19時19分53秒 | エッセイ、随筆、小説

 

男は言った。
僕の専門は脳血管手術だけど、
脳を鎮めるための方法や投薬を知らないから精神科へも通院してくれないか、と。

顔が無くなっていく姿を見続ける覚悟もないと言った。
顔を奪う勇気すら今の僕には持ち合わせてはいない。
精神科へ…とやっとの思いで口にしているのを察してもらえたら有り難い。

顔が無くなるとか顔を奪うとか私がその男の言葉を理解しはじめたのは精神科へ通院するようになって
二年目の、薫風が髪を揺らす季節を迎えたときだ。
私の…はわからない。が、通院をするようになって感じたのは、
精神科を訪れる人たちの表情の豊かさであり、
逆に、精神科とは無縁だと信じている人たちの顔がない現実やギャップだった。

世の中は忙しい。
しかも、熾烈な競争社会だ。
豊かな表情など浮かべていたら誰かに食われてしまうとも限らないだろう。
足元をすくわれ、あっという間に昨日とは違う今日が準備されかねないのだ。
東京の中心街から30分もしない場所で顔が売り買いされているという。

太陽の沈む西へ。
そこには失った顔を探しにくる輩も少なくないという。




午後の紅茶

2009年05月26日 18時27分30秒 | エッセイ、随筆、小説

 

通院後は本屋に立ち寄る決まり事がある。
地元では一番の品揃えのある、顔馴染みの店だ。

注文した本を受け取る場合もあるし、
新書をぺらぺらとめくりながら流し読みしたり、
『決まり事』に忠実に店内をひとまわりして帰る日もある。

ちなみに今日は、注文した数冊の本を取りに向かった。
店の入口からレジへの動線上に、興味深いタイトルの、
『イスラエルと宝石』という本が目に留まるように被さって積まれていた。
そこから左斜め前方には『魂降ろし』という小説が平積みされていて、
それらを抱えたまま店の中を何周かしたらしい。

らしいというのは自分では意識してないからで、
でも装丁の美しいエメラルドグリーンの『空蝉』というタイトルの本を
手に取ったり置いたりを繰り返したのも三回、
だから今日は三周したのだと思った。

高田馬場の通院日が晴天に恵まれたときは、
一秒でも長い時間、風に髪を撫でられたり、太陽の光のシャワーを浴びるために努力する。
それを私は『私の中の決まり事』として、
外出時間をこの前よりも一秒でも長くのばすことをリハビリとして行う。
そして、それを律儀に片付けた後、
エクセルシオールカフェでミルクティーを注文して、
さもすれば小さ過ぎて見落としてしまいそうなほどの幸せと満足感に浸る。
いつか来るだろう社会復帰の日を心待ちにしながら。


座り心地のよさそうな長椅子で眠っている老人がひとり。
なにかを思い出したようにむくりと起き上がって、
なにやら携帯をいじっています。
私はその向かい側のひとり掛け椅子で、
いろいろな人を眺めています。


冷房が効き過ぎるなぁと時々意識をそちらに取られながらも、
外で書く文章も久しぶりに悪くないと思い、
ふとメールを送りたくなりました。
午後の紅茶は甘くて優しい味がします。