男は言った。
僕の専門は脳血管手術だけど、
脳を鎮めるための方法や投薬を知らないから精神科へも通院してくれないか、と。
顔が無くなっていく姿を見続ける覚悟もないと言った。
顔を奪う勇気すら今の僕には持ち合わせてはいない。
精神科へ…とやっとの思いで口にしているのを察してもらえたら有り難い。
顔が無くなるとか顔を奪うとか私がその男の言葉を理解しはじめたのは精神科へ通院するようになって
二年目の、薫風が髪を揺らす季節を迎えたときだ。
私の…はわからない。が、通院をするようになって感じたのは、
精神科を訪れる人たちの表情の豊かさであり、
逆に、精神科とは無縁だと信じている人たちの顔がない現実やギャップだった。
世の中は忙しい。
しかも、熾烈な競争社会だ。
豊かな表情など浮かべていたら誰かに食われてしまうとも限らないだろう。
足元をすくわれ、あっという間に昨日とは違う今日が準備されかねないのだ。
東京の中心街から30分もしない場所で顔が売り買いされているという。
太陽の沈む西へ。
そこには失った顔を探しにくる輩も少なくないという。