風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

たむら新携帯、ごち!!

2011年10月31日 15時58分22秒 | エッセイ、随筆、小説



カラトリーのぶつかり合う音、
溶けた氷がコップの中で泳ぎ、カラカラと乾いた夏のような音を響かせていた。
沖縄から戻ったばかりのわたしにとって、夏の名残りをどこかに探してしまうためだろうか、
ふと晩秋の今を記憶の芯から消し去ってくれるようなん錯覚に頬を緩めていたとき、
着信を知らせるバイブレーションが携帯をぶるぶると揺らした。


アコースティックギターが奏でる店内のメロディに身も心も預け、
新宿の喧騒を眼下に眺める窓側の席で、遅いランチをひとりで過ごす。


「たむら新携帯、ごち!!」というメールが届いていた。
たむらさんという知り合いがすぐさま思い出せなかったので、
「ん? どなた?」という返信をしてみることに。
すぐさま、「今度は番長打たんとな」ときた。


脳内は記憶を辿り、「たむら」「番長」を検索するものの、それらしき人物が思い当らなかったので
「連絡先のデータ消去&記憶力の低下で・・・」
と、わたしの事情も踏まえて、相手を思い出せないことをやんわりと伝えた。


さて、たむらさんってどなただったのかしら???
番長打たんとな・・・は、野球をやっているのだろうか。
歳のころはおいくつだろう?
男性だと思って返信しているものの、女性だったら男前過ぎる!!などと思った。
想像や妄想は勝手に次の物語を生み出し、「たむらさん」という人物に魅了されていった。
すぐさま届いたメールには
「ああっ、間違えてた!!すみませんでしたm(__)m」というメッセージが。


たむらさん、わたしの想像や妄想はもう行くところまで行ってしまっております。
いいや、取り返しのつかない領域にまで広がってしまい、
「たむらさん」を知らなかったつい数分前には戻れないほどに。


ランチを終えたわたしは、今日のブログにアップするネタを短編に興す作業と格闘していた。
「困っているひと(著者 大野更紗)」は難病をテーマに、困難な身の上を笑いに変えた一冊、
もう一冊は、「考えの整頓(著者 佐藤雅彦)」は日常という混沌の中に見え隠れする不可解さを取り出し、
書くという事で整頓してみようという試みの短編集だ。
この二冊を無謀にも流し読みをしながら印象深い言葉をノートに書き留めていたのだが、
この「たむらさん」の出現で、わたしのわくわくは一瞬にして右肩上がりに、
しかも、メールの印象からすると、
いい人というオーラが短い文体からにわかに伝わってくるから、
「たむらさん」を放置するわけにはいかない。
いいや、「たむらさん」とお近づきになりたい衝動がふつふつと湧き起こる。


ひとりひとり違った暮らしをしている日常の中で、
ふとした瞬間に、その違いが重なり合う瞬間と出会ってしまう。
今日の「たむらさん」はまさにそうで、
携帯を操作する指先の誤りか、それとも神様のいたずらか、はたまた運命の出会いというやつか、
なにはともあれ、わたしは「たむらさん」の出現で、楽しい時間をいただいた。



追伸、「たむらさん」、ごちってなぁに?(笑)






10人の祖父

2011年10月30日 19時49分30秒 | エッセイ、随筆、小説


他の文化を、生活を、価値観を冒涜するような…
と、少し声を荒げた祖父が現れた。
久しぶりの再会。
えっと、いつ振りだろう…とぶつぶつ呟きながら考える。
脳の、前頭葉から小脳、海馬にかけたあたりに電気がビリビリと走り、
身体中の熱が一点に凝縮され、そこがじくじくと膿んでいくような感覚。
すると、記憶の襞から瞬時に情報がかき集められる。


1年3ヶ月振り。
わたしが声に出す前に祖父が言う。
おまえさんがうーうーと唸って、痛みでのたうち回りながら、じじ、じじとうるさく叫ぶもんだから、
わしは旅から引き戻されて、おまえさんに会いに来る始末。
まっ、今回はわしの方が話を聞いて欲しいんだがな。
と、軍服を身に纏う祖父は歳の頃、24.5歳といったところだろうか。
当時は太平洋戦争真っ只中で、
祖父の青春は日本という国や時代に奪われていた。
自由な行動はもとより、自由な言論や思想などは許されるはずもなく、
ひたすら祖国のため、神と崇めた天皇のために命を散らすことだけが使命とされた。

不謹慎とは知りつつ、どれだけのいい男が犠牲になったのかと想像を馳せた。
アルバムに収められたボロい写真ではわからなかったが、
目前にいる祖父は背も高く、身体もしっかりして丈夫そうだ。
力強い眼差し、低く掠れた声、浅黒く日に焼けた肌がセクシーでたまらない。
身内がいうのもおかしいが、なかなかの色男だ。

おまえさんは自由なのか?
祖父はわたしの顔を覗き込みながら、どうなんだ?と訊ねる。
昭和の、あの戦争のニオイが鼻先を占領する。
なにかが燃えるニオイ、
錆び付いた金属のニオイ、
濃い土や草のニオイ、
血のニオイ、
死んだ人間のニオイ、
祖父はわたしの細胞の中で生きている。
そして、わたしの意識とリンクして、時空を超えて奇妙な問いかけをしに来る。
わたしを困らせたいわけではなく、わたしに考えることを放棄させないために。

日本人に右肩上がりの豊かさや総中流意識を植え付けた高度経済成長、
狂乱のバブル経済、奈落への扉を開けた経済崩壊を経験したとはいっても、
わたしたちが自由であり、
自由な言論が約束されているとはわたしが思えないのはなぜだろうか、と考え込んでしまった。
祖父が身体を揺らすたびに、腰に吊るされた銃剣は不気味な金属音を鳴らして
わたしたちの身近には決してないニオイや音から
覚醒の後押しをさせるような、不思議な気持ちのままどれだけの時間が経過したのだろう。

24.5歳だったはずの祖父は、いつの間にか今世のお別れをした年老いた姿に変身していた。
また視線を窓外に移した間に、出兵前だろうか、
まだ幼さ残るあどけない年頃の祖父が、わんわんと声をあげて泣いている。

見えない戦争の中で生きるおまえさんに申し伝えたいことがある。
おまえさんは自由か、幸せか。
都合よく作り出される価値観や常識といったまやかしに、騙されちゃいかん。
わけあって馬鹿になったおまえさんだからこそ、
おまえさんにしかわからないこと、おまえさんにしか見えない世界を
わかりやすく世の中に伝えていく必要がある。


祖父はまた旅に戻ったのだろう。
昭和のニオイが薄れ、何気ない日常が目前に広がっている。
ダージリンの深い香り、深呼吸をひとつ、ふたつ。


透視と物語を発現する力

2011年10月30日 06時57分29秒 | エッセイ、随筆、小説


選ばれてしまったのよ。
あなたは天からの御使い者だから。
ビジネスをやっていくことはもちろん出来るのだけれど、
引もどされるわよ?
あなたが本来、やるべき使命の道に戻されてしまう。
今までもそうだったはずよね?
なぜならば、あなたは先駆者であり、
道を作り、道を正し、啓蒙することこそが使命だから。
そのような人生だと自覚なさっているし、納得されているはずよね?

忘れていた記憶が蘇る。
虹色の色彩の中で見え隠れするわたしの大切な人たちの姿。
雲の合間からもうひとつの世界が広がっていて、
わたしはその扉の向こう側へ出入りできる自由を得ていることを
ふと思い出す。
だから護られている。
その引き換えとして、普通の人生を歩めないという約束のもとに生まれてきた背景を、
記憶の襞は眠っていた細胞をまるで呼び覚ますかのように、
わたしの心身に、血に、骨に、肉に自覚を植え付けていく。
七色の色彩の中で見え隠れする大切な人たちは、
この世の人たちではない。
わたしは虹を見つけるたび、
眩い光の中で走り回るとき、
消炭色の闇の中に浮かぶ金色の月をぼんやりと眺めるとき、
あるときは夢の中で、大切な人たちと語り合う。
わたしが泣いたり、わたしが笑ったり、わたしのあらゆる感情を受け止め、
引き受け、受容し、ときに抱きしめて包み込む優しい人たち。

透視のできるある中小企業診断士の先生から、
わたしのアイデア、起業プランを伝えると、
そもそもあなたはこの世には生きていない人なのよ、と言われた。
もしなにか…というなら、ハーブに関係すること、
あなた、確か漢方にお強いわよね?と続き、わたしは頭をこくりと下げる。
いままでの経験をハーブや漢方を使って人の役に立つ道こそが
あなたの物語を発現する力になる。

封印していた透視力を見透かされたような気分に包まれたまま、
わたしの歩むべき道に引き戻されてしまう運命を、
人生を想う。









沖縄ブセナテラス

2011年10月27日 22時01分34秒 | エッセイ、随筆、小説



空になりました。
雲になりました。
波になりました。
海になりました。
風に、光に、あなたに、わたしになりました。


沖縄への旅。
海に浮かんで一日を過ごしていると、みんながつながっていることを感じる。
この世界の仕組みも、その世界の醜さも、この世界の美しさも一手に引き受けた沖縄という地で、
これからの人生について、考えていました。





AYURA 東洋医学できれいになる

2011年10月21日 08時04分25秒 | エッセイ、随筆、小説


わたしが勉強している「美脳かっさ」という中国の伝統療法がある。
それはもともと水牛の角を加工して使用していたという話もあるが、日本では陶磁器製が主流だ。
わたしの先生は韓国かっさ(韓国でも独自の発展をした)を元にしているため、
陶磁器といっても、正直、実用性はあるがデザイン的な視点では・・・
と、コメントは差し控えたい。


さて、かっさプレートを調べていると、AYURA化粧品から「美かっさ」というものが販売されていた。
ぜひ、実際に見てみたいと思い、テナントを出しているいくつかのデパートへ連絡を取ることに。


第一印象は、「美しい」と思った。
女性らしさ、柔らかさ、しなやかさ・・・といった言葉が次々浮かんでくる。
日本のデザイン力やセンスのよさを誇らしく思うとき、自分が日本人だと気づかされる瞬間でもある。


わたしが伺ったのは西武所沢店だった。
2階の小さな一角に、AYURA化粧品はあった。
なにしろここが気に入ったのは、対応してくださったかわいいお姉さんたち(スタッフの女性たち)の
素敵な笑顔と対応にある。
名前は出さないがフランス系のある会社のお姉さん方は、
わたしがヘビーユーザーであることも見抜けず、常に初心者を扱う態度に辟易した結果、
その商品は購買まで至らなくなった。


思わず持ち歩きたい美かっさプレート。
写真ではよくわからないかもしれないが、本当に愛らしい作品のような商品なのだ。
これで顔や身体のリンパを流し、小顔に、デトックスに、効果を発揮する。
うっしっし・・・(笑)




※店名や商品名を出していますが、本当にいいと思ったものなのでここでご紹介することにしました。
 どうぞご理解のほど、よろしくお願いします。


無心の合掌

2011年10月20日 09時40分58秒 | エッセイ、随筆、小説







あの山を越えたら・・・



と、自分に言い聞かせ、いくつもの山を越えてきました。
生きるとはそうした山を越え続ける行為そのものなのでしょうが、山を越えるには体力が必要です。
わたしにはその体力がなく、すでに折れてしまっている杖を支えにするしかありません。
とはいえ、生きていると幸せなことに出会えます。
おしゃれをする、おいしいものを食べる、いい人に出会える・・・
だから、生きていても悪くない、そう思えるようになりました。


申し述べたいこと、がある。
伝えたいこと、がある。
耳を傾けてもらいたいこと、がある。
それゆえ、小説を書く。


作家、司馬遼太郎さんの著書、人間というものの余白に書かれていた言葉になります。
申し述べたいこと、伝えたいこと、耳を傾けてもらいたいこと、だから言葉を綴る。
それが天命なのでしょう。


無心の合掌はときにさまざまな無意識を引き出していく。
わたしが何者であるかということさえ。




美容業界について

2011年10月15日 09時43分59秒 | エッセイ、随筆、小説




先日、あるエステ会社主催の講習会に参加した。
すると、開催日までに金額が二転三転しはじめたかと思ったら、今度は講習内容は口頭のみでの説明しかなく、
こんなずさんな状況がなぜまかり通っているのかと正直驚愕したのだ。

が、長年美容業界にいる友人に言わせれば、なにを驚愕しているのかと首を傾げられてしまった。
当初の講習費用は20万円(4日)、それが一気に倍の40万円にまで跳ね上がり、
説明を求めると30万円で手を打たないかと打診された。
20万円が30万円になったこと自体が疑問であるにもかかわらず、
それくらいは仕方ないと言って、友人もわたしを説得する方向に転換した。

お金のことを例に出すとわかりやすいだろうと思う。
けれど、こうした対応で「信用」というものを失うことへは誰も恐怖を抱いていないことに正直驚いた。
わたしは信用を失いかねない行為は怖くてたまらないし、責任の所在なども含め、大切にしていることなのだとあらためて痛感した。
彼ら彼女らは決して通じなくても。

話は変わるが、美容業界には吉川ちあきさん姉妹がいる。
恵比寿で「さくら治療院」という”働く女性の保健室”というコンセプトで開業している。
わたしはまだ利用させてもらってはいないのだが、
「わかりやすく伝えようとする姿勢」や「シンプルさ」というものに常に魅了されてきた。
白金にあるプロデュースしたサロンビオ・パスカルにいたっては、93年当時にRetreat&Relaxというテーマを用いたことに
先見の目を感じずにはいられなかったし、真摯さや価格設定の配慮などについても、目指したいと思う女性のひとり。

“日本の女性たちの美しさ、健やかさのために”

先日UPしたブログには「男性をターゲットにしたサロン」を考えていたものの、
東京都中小企業振興公社の方々や大好きで信頼する中小企業診断士の那須藤生先生のアドバイスから、
見直すことに決まった。その理由は、危険回避の意味が多分に含まれているため。

日本はアメリカに次ぐ世界第二位の格差社会だそうだ。
その格差にさらされている中で「美しさ」「健やかさ」に投資できる人がどれくらいいるのだろうと思うものの、
人間は見た目のイメージで印象の良しあしが決定づけられてしまう。
だからこそ、老若男女問わず、幸せになりたければ美しさは必須だ。




※ここでいう「美しさ」との表現は、ルックスを指しているのではなく、あくまで「内面美」「清潔感」を意味します。
 




名も知らぬ28歳の青年へ

2011年10月13日 19時35分32秒 | エッセイ、随筆、小説

横浜中華街にて。
講習のために訪れた横浜、
夕食はそれなりに満足できるものを食したかったので、
中国の赤に包まれた中華街を、ひとりふらふらと歩いていると。

これからお食事ならご一緒しませんか?
声をかけてきたのは28歳の青年、
後で知ったことだが、巨乳に釣られたとのこと。
バカだけど、正直で、なぜか憎めない。

この歳になりオヤジたちを悪く言えないのは、
若い子が近くにいて欲しいと思っている自分を自覚したためだ。
いままでの恋愛は年上が多かったからか、
その反動で、年下好きに趣向を転換した無意識や本能が可笑しい。
若い子はかわいいし、肌もピチピチで、なにより優しい。
相性のよさもわたしの心を擽る要素だ。

さて、ナンパしてきた横浜の28歳、
夕食をご馳走になり、山下公園で人生を語り、
お互いの名前も聞き合わず、そして、なにもなかったかのように別れた。
名前や連絡先を聞いたところで教えなかっただろうし、
もし相手が走り書きした紙きれを渡したところで、
わたしが連絡をしないことはわかっていたのだろう。

たぶん、夢。
またみたい甘い夢、
至福のひとときをありがとう。






東京都中小企業振興公社 主催、起業ゼミ

2011年10月09日 07時58分09秒 | エッセイ、随筆、小説

2011年10月8日土曜日、
午前10時から秋葉原にて。

創業準備またはすでに創業している方を対象にした
起業家ゼミ講座に参加。
40名近い、レベルの高い参加者が多く、すこし緊張している自分に気付く。
熱気が心地よいのは、
こうした空気感の中で仕事をしたいと長年希求してきたためだろう。

わたしの参加動機はもちろん創業を考えていること。
次に、参加者の事業計画を参考にしたかったことや、
主催者である公社の方々との交流、
担当される講師陣の魅力、仲間づくり…と続く。

人前で表現するよりも、書く言葉としてじっくり時間をかけた方が自分らしさが伝えられると思った。
表現の大切さを痛感しながらも、
表現の仕方、表現の向き不向き、表現の可能性を自分なりに考えたとき、
自分らしさを強みとする手法が頭の中にぼんやりと浮かんできた。
なぜそのように思ったのかといえば、
参加者の方々の自己紹介が素晴らしく、
わたしなど足元におよばなかったから。
自信喪失している場合ではないので、頭を切り替えることに。
自分の得意分野で勝負すればいい。
ただし、伝えることは想像以上に大切で重要なことだと肝に命じながら。

さて、わたしはプライベートサロン・スクール事業を考えている。
想定しているクライアントは40代以上のエグゼクティブビジネスマン、
場所は都心部の、複数の場所にて。

わたしのこだわりは「WIN.WIN」の関係性だ。
関わるひとが高め合える、結果、豊かになることを目指している。
追記するとスクール事業については、
資金面から具体的に支援できる女性、若者、障害者の自立支援や
雇用促進に貢献したいと考えている。

ご興味のある方はメッセージを、ぜひ!








新しい事業モデルの仕組みを構築するわけだが、
資本、リスク少なく始められるのは、
以前、飲食事業を行った経験から、
地道に、着実に、継続性を考えると、はじめ方としては理想だ。

こころとからだ

2011年10月06日 06時53分30秒 | エッセイ、随筆、小説


こころという厄介なものがなければ…
と思った。
脳から発生するこころは、自分のものであるのに、
自分でもどうすることが出来ない。
ある意味、制御不可能な領域のもの。

ひとを好きになったり嫌いになったり、
やる気に満ちたり、やる気を削がれたり、

からだと連動しているせいで、
こころはらからだを移し絵のように
色をつけたり、輪郭を浮き彫りにしたり、凹とつで立体感をつくる。

こころはらからだを必要とし、
からだはこころの機嫌や様子見しながら、一日の活動を組み立てていく。

手の届かない領域にあるからこそ、
人生に彩りを与えてくれるのかもしれない。

庭の木々が紅く染まっている。
予想よりも訪れ早かった秋が、
読書と食欲を誘う。

ふと、こころとからだを想う。
労りながら、仲良く付き合わなければ。
自分にありながら自分ではどうすることもできない領域のものを。