カラトリーのぶつかり合う音、
溶けた氷がコップの中で泳ぎ、カラカラと乾いた夏のような音を響かせていた。
沖縄から戻ったばかりのわたしにとって、夏の名残りをどこかに探してしまうためだろうか、
ふと晩秋の今を記憶の芯から消し去ってくれるようなん錯覚に頬を緩めていたとき、
着信を知らせるバイブレーションが携帯をぶるぶると揺らした。
アコースティックギターが奏でる店内のメロディに身も心も預け、
新宿の喧騒を眼下に眺める窓側の席で、遅いランチをひとりで過ごす。
「たむら新携帯、ごち!!」というメールが届いていた。
たむらさんという知り合いがすぐさま思い出せなかったので、
「ん? どなた?」という返信をしてみることに。
すぐさま、「今度は番長打たんとな」ときた。
脳内は記憶を辿り、「たむら」「番長」を検索するものの、それらしき人物が思い当らなかったので
「連絡先のデータ消去&記憶力の低下で・・・」
と、わたしの事情も踏まえて、相手を思い出せないことをやんわりと伝えた。
さて、たむらさんってどなただったのかしら???
番長打たんとな・・・は、野球をやっているのだろうか。
歳のころはおいくつだろう?
男性だと思って返信しているものの、女性だったら男前過ぎる!!などと思った。
想像や妄想は勝手に次の物語を生み出し、「たむらさん」という人物に魅了されていった。
すぐさま届いたメールには
「ああっ、間違えてた!!すみませんでしたm(__)m」というメッセージが。
たむらさん、わたしの想像や妄想はもう行くところまで行ってしまっております。
いいや、取り返しのつかない領域にまで広がってしまい、
「たむらさん」を知らなかったつい数分前には戻れないほどに。
ランチを終えたわたしは、今日のブログにアップするネタを短編に興す作業と格闘していた。
「困っているひと(著者 大野更紗)」は難病をテーマに、困難な身の上を笑いに変えた一冊、
もう一冊は、「考えの整頓(著者 佐藤雅彦)」は日常という混沌の中に見え隠れする不可解さを取り出し、
書くという事で整頓してみようという試みの短編集だ。
この二冊を無謀にも流し読みをしながら印象深い言葉をノートに書き留めていたのだが、
この「たむらさん」の出現で、わたしのわくわくは一瞬にして右肩上がりに、
しかも、メールの印象からすると、
いい人というオーラが短い文体からにわかに伝わってくるから、
「たむらさん」を放置するわけにはいかない。
いいや、「たむらさん」とお近づきになりたい衝動がふつふつと湧き起こる。
ひとりひとり違った暮らしをしている日常の中で、
ふとした瞬間に、その違いが重なり合う瞬間と出会ってしまう。
今日の「たむらさん」はまさにそうで、
携帯を操作する指先の誤りか、それとも神様のいたずらか、はたまた運命の出会いというやつか、
なにはともあれ、わたしは「たむらさん」の出現で、楽しい時間をいただいた。
追伸、「たむらさん」、ごちってなぁに?(笑)