風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

冬のない国3

2009年02月25日 11時05分15秒 | エッセイ、随筆、小説





そこなうこと。災い。悪い結果や影響をもたらすこと。
辞書を引くと、そこにはこう書かれていた。

最近、新聞の求人欄にはこぞって「障害者募集記事」が目に付く。
でも、「障害者」ではなく、「障がい者」として、わざと「害」をひらがなにしているのが
マリにはどうしても表面的な気遣いで、その裏にはいらやしさを感じてしまうのだ。

「ねぇ、別にいいんじゃない?」
そこへのこだわりがいまいちよくわからないマリは、同じ障害(障がいなのだろうが)を抱える沙織に
障害者手帳の申請を勧めながら、
「身体ではなく精神障害の位置づけだから?」と再度質問することにした。
沙織は、
「社会復帰する際、どうしても『障害者という履歴』が残るのが困るのよ」と言った。
「それこそ差別じゃない?」
マリは定期入れにしている障害者手帳の緑色の小さなファイルを
ポケットから出し入れする自分を思い浮かべた。
「確かにね、バス待ちのときとか、私の定期をみて、
緑色の障害者手帳ファイルに気付いた年配者たちが私のすぐそばで、
こそこそなにか話をしていたことはあったけど、別段、気にしなきゃいいんじゃないの?」
でも、ポケットから“それ”を出し入れするときは、ゆったりとした動きではなくスピードはあがる。
「私も自分を差別しているってことかな?」
それとも恥ずかしいと思っている表れかな?と心の中で思ったが、あえて言葉にはマリはしなかった。


 


冬のない国2

2009年02月24日 17時17分20秒 | エッセイ、随筆、小説





表参道駅から半蔵門線に乗るとき、私は必ず「青山学院方面」の出口をつかう。
切符売り場や改札やトイレが集合体のようにすっきりとデザインされていて、
そこから10m程度離れた角にはベーカリーが一体になったカフェもある。

地下は冬みたいだとときに思う。
同じ経路を辿っているのに、いつも新しいことを思いついたかに、冬を連想してしまう。
そこが明るく、暖かな場所であっても。

日本のファッション界をリードするおしゃれな街の真ん中にいても、
暗い海底に沈み込んだ深海魚が何日も動かず過ごす様子にとても似ていて、
ホームに入ってくる車両がどこかから夢を切り取った一部分に思えるときもあるし、
ふと、吸い込まれてしまいそうな恐怖感に身が凍えることもある。

病気は誰にでも平等に起こり得る出来事だと自分を言い聞かせるもうひとりの自分が存在しながらも、
同時に、私が発症した躁鬱Ⅱ型という平成の鬱は、
もし、あのとき、交通事故がなければ ―  そう思うと、私には人災にしか思えず、
そこに関わった人たちへの痛烈な負の感情は、
明日や明後日では片付けられるものではないと思えると、病気が発症する自然さを感じてしまうのだ。

それはメンタル系の薬が私にとって、副作用からはじまる負担のなにものでもなく、
その苦痛に耐え、怯えながら、
なぜ、私だけが社会という時間軸から取り残されなければならないのか、と
その答えが見出せない日々を送っているから。

ピーターは「これで心身が折れない人はいないでしょう」と結論付けた。
それほど交通事故被害者が置かれる現実は厳しいのだと、ケイシャ叔母さんも続ける。
「だから、少しの間くらい、人生の長い夏休みをもらったと思って、
鼻の皮脂を取って、疲れたら御茶でもお飲み。で、明日は頬、美しくなっていけば
やがて時間が解決してくれることだってあるだろうから」と言う。



冬のない国

2009年02月24日 15時00分05秒 | エッセイ、随筆、小説




鼻の皮脂を爪先ですくっていると、ケイシャ叔母さんは言った。
「明日は頬の皮脂を取ればいいさ。きっと、美しくなるよ」と。

主治医のピーターは「北へ向かうほどうつ患者が増えるという統計が世界にはあって、
南に行くほど、うつの患者が減る現象が起こる」と。
机に肘を突いたり、真っ白な白衣の一部分に広がるコーヒーの染みを気にしてみたり、
ときどきふと思いついたようにカルテになにか記入してみたり、
椅子を前後に揺すってゆりかごのようにゆらゆらと気持ちよさそうにしている。

「確かに南国では躁の人間はいても鬱々とした感覚になる暇がないですよね」と
確かにピーターの言うとおりだと思いながら私は深くうなづいてみせた。

「本当はケイシャ叔母さんのいうように、今日は鼻の皮脂を取るだけに過ごし、
明日は頬、その次の日はあごの部分に移ってみたり、いきなり踵の手入れを・・・とできれば
私の病気もよくなるのでしょうが・・・」と続けた。

ピーターは、
「日本なら鹿児島や宮崎、ううん、仕事を考えると英語の話せるマリなら沖縄が妥当かもしれない。
海外ならハワイやカリフォルニアなら友達もいると言っていたから、安心じゃないか?」と。
ピーターが得意そうに話を進める様子をぼんやりと眺めながら、
毛穴の開いた鼻の上を爪先で撫でたい気持ちに誘われる。
月面みたいなそれが私にはいつも芸術作品の一部のようで、ふと手を伸ばしたくなる。

ピーターは私がつけたあだ名で、本名は“竹之内 栄太郎”という
長ったらしいが実に立派な名前を持っている。
ピーターという名前の由来は大きな鼻がうさぎの尻尾のようなまん丸としていて、
どうしてもその一部分だけが、
ピンク色の肌が見え隠れする薄いベージュのうさぎと重なってみえるため、
ある日、ピーターと呼んでもいいですか?と尋ねて以来、
栄太郎は私にとって“ピーター”になった。

ちなみにケイシャ叔母さんは“田村 やす子”といって、
私にとっては特別な看護師とでも言っておこう。
彼女は看護師の資格を持つ精神衛生社会福祉士で、ピーターのクリニックで
受付兼、カウンセラー兼、精神衛生社会福祉士兼と、
何でも屋のようにたくさんの引き出しを隠し持っているつわものだ。

私は病気になるべくしてなったようなところがあって、日本人のくせに日本や日本人が怖いのだ。
だから身近な人たち、特に治療に関わる人物を、日本名ではなく横文字のあだ名で
呼ばせてもらう許しを得ているのだ。



 

 




 


ある作家のブログ「「自己愛」

2009年02月24日 10時42分25秒 | エッセイ、随筆、小説


心の傷が修復できなかった人が躁鬱になるではない、とまず言いたい。

世の中になにかを発信する立場にある人の認識があまりにも未熟である場合、
特にそれが障害や病気など「本人の意思ではどうにもならないこと」であるとき、
とても残念な気持ちになってしまう。
それはきっと、誤解される要因がこうした発信にあると思うからかもしれないし、
多くの人が「そう思っているのではないか?」と病気について無知な人たちを
想像してため息をついてしまうためだろうとも思う。

私や私の友人は「平成の鬱」といわれる双極Ⅱ型に分類される。
これは一年に4回以上、躁鬱を繰り返すというもので、鬱の辛さも躁の過酷さも
同時に味わっていく羽目になる病態である。

追記すれば、躁鬱病は「心の風邪」「心の病」と言われるが、
私や私の友人のように、交通事故に遭い、その後の、
交通事故処理にまつわる信じられないほどの心理的ストレスを脳に与え続けた場合、
私は約3年で鬱を発症した。
もちろん自覚などなく、事故処理の泥沼にもがき、耐えて日々しのいでいたのだった。

以下、ある作家のブログ内容を添付するが(確認は取っていません)
本当に「自己愛」だけで済ませられる話なのだろうか・・・と思えてしまったため、
私は自分のブログに書くことにした。
まず病気を患っている本人である私には違和感を覚える内容であったことを記したかったし、
多くのことが「誤解によるもの」であるといわざるを得ないからだ。
いつものことなのだろうが、彼女は過激だ。

私は「なににも満たされない」とは感じていない。
仕事ができるようになればいい、日常生活を送れるようになればいいと願っている。
脳脊髄減少症や頚椎症といった別疾患が起立を許さないこともあるが、
一日の多くを横になって過ごす苦痛を、誰よりも自覚しているのは本人でなにものでもない。

インドへも行った。
タイへも、アメリカへも行った。

がしかし、普通の人たちが旅行に行くように「○○へ行こう」ではなく、
天地療法のごとく、環境(天候含め)が心身に与える影響に期待し、
最終的には日本から離れる選択すら考えていかなければ生きていく術がないのが現状である。
むろん、海外への活路など容易に考えられる人ばかりではないのが現実であるため、
日本の病者へ向けられる視線や認識を変えることも課題のひとつだろう。
だから、無知な発言に傷つくのではなく、なぜ、そのような発言になるのか、
知りたいのが率直な私の意見だ。


ちなみに症状が鬱と躁が同時に存在するような症状というのはまったくこの病気を知らないし、
事実、躁鬱が同居しているのは、時期の差があってのことで同時性ではない。
こうした物事を語るとき、精神科医療のすさんだ現実を取材する必要があるし、
まず、本人たちがどれだけ苦しんでいるのか、認識がないなど言うべきではないと思った。
反論ではなく記録のためにここに記す。

以下、ある作家のブログを添付する。




 

かつて「メランコリー親和型うつ」と呼ばれた典型的なうつ病は、
昭和のたそがれをイメージされる哀愁があったと先生は言う。
なるほど、確かに中年期の生真面目なおじさんが「俺の人生これでいいんだろうか?」とため息をつく、
そういう「うつ」は昭和のゴールデン街の雰囲気があり、そのようなうつの人には最近は会わなくなった。


平成の「うつ」はまったく違うのだという。
もちろんさまざまなパターンがあり、ひと言で説明などできないが
平成の「うつ」に自己愛が深く関わっているというのは、実感できた。


自己愛は、誰でももっているものだが、自己愛が傷ついている人が多いという。
誰でも自己愛には多少の傷があり、50も近くなれば人に言えない心の傷はひとつやふたつではない。
でも、なんとか修復可能ではあった。自己愛の大きな傷は、親が子どもを自分の手足のように利用して、
必要のない部分は切り捨ててしまう……という、
親との関係で切り捨てられた子どもの魂の傷のようなものらしい。


というわけで、なにをやっても、どうしても、満たされない。
結婚しても、成功しても、満たされない。
その満たされなさをさらに子どもで実現しようとして、自己愛人格障害を生産していく。
……この場合、「うつ」という症状に本人が同一化できないので、
うつは潜在化し、うつなのにうつに気がつけないという、複雑なうつとして発症するという。


最近、若い人に増えているという「双極型のうつ」ということが、話題となった。
単極のうつは、ひと目でうつをわかるが、双極型のうつは、うつの極と躁の極、
二つの極が重なっているため、目まぐるしくうつと躁の状態が入れ替わり、
その両方に巻き込まれてるため、くたくたに疲れてしまうという。
だいたいにおいて、自分が「うつ」であることに否定的で、
なにかに追い立てられているような焦燥感をもっている。
一見、落ち込んでいるように見える。
「辛そうだね」と言うと、ぱっと笑顔になり「なに言ってるんですか?わたし元気ですよ、ほらね〜」と
明るく返答するが、次の瞬間には暗い顏で沈み込む。
そのような自分の一貫性のなさに矛盾を感じていないし、無邪気であり、悪気もなく、
多少、場違いでとんちんかんだが、いい人。


……そういう若い女性は、私もよく出会う。
なんとなく地に足がついていなくてふわふわしていて、わりとスピリチュアルなことが好きで、美人だ。
症状としては「不全感、ルールに従おうとすると具合が悪くなる、
会社に行けないが遊びに行くと元気、過食、他人が自分を疎ましがっていると思う……等々」


うつの時は、メランコリー親和型とよく似ているが、うつであると同時に躁でもあるので、
会社を休んで平気で旅行に行けてしまう。
他人から見るとさぼっているだけに見える。
なので理解されないが、本人は上がり下がりがあって、心がいつも二つに割れていて、
自分をコントロールできず、たいへんに消耗している。
とんちんかんなので他人の気に障ることを平気で言ってしまい、いじめられたりもするが、
本人にはまったく自覚がなく、なんで私が?と、被害者意識をもっている。


いる、そういう人がいる! と思う。
しかし、そういう人たちにどう対処したらいいのか?
答えはシンプルだった。
自己愛は一度、徹底的に満たされる必要がある。
褒めてあげるのがよかろう、ということなのである。
昭和型うつの典型のような私には、信じられない。
そういうのは甘やかしと呼ばれて、恥ずかしいことだと思ってきたからだ。
だいたい、他人のナルシズムを増長させるような、そんな、オナニーの手伝いみたいなこと
気持ち悪くてできるか。

 

 


ちくしょーアメリカ人

2009年02月23日 11時34分10秒 | エッセイ、随筆、小説




医師でもありセラピストでもあるアメリカ人の友人に
私の症状に対する対処のアメリカ側主流を聞いたが、
一向に返事がこない。

何回か、ストーカーのように電話をかけてみたが、
数日中にメールで返信を送る・・・と言ってから、今日で丸3週間が経つ。

どうしてアメリカ人は・・・というと批判も受けそうだが、
約束が正確なのはやっぱり日本人の特性なのか?とも思う。
それにどっぷりと慣れ親しんでいる私には、彼らの「時間軸」には到底なれそうにもないのだ。

ということで一言、
ちくしょーあめりか人野郎!!

 

 


うつ病について

2009年02月22日 22時41分45秒 | エッセイ、随筆、小説
今や百万人を超すと言われる病、鬱だ。
NHKスペシャルは鬱病の特集を放送していた。

医師の見立て、
誤診、
薬の処方、
脳の伝達物質の問題でありながら
いまだに「心の病」だとされる誤解。

確かに「感情的部分」に症状が集中するが
心が風邪をひいて鬱病になるわけではないはずだ。

以前にも書いたが
鬱病の履歴をみつけた知人の人事担当者は
他の管理職の友人も例外なく、
鬱病の当事者や経験者を除外していく風潮が
日本の社会には根強く染み付いている。

私は障害者手帳を取得したが
やはり社会復帰するときのことを考えると
日本では考えられないのは
受け皿がないと思うからだろう。
偏見や無意味な非難から遠ざける傾向が
回避として顕著にあらわれている。

が、考えると
本当に健康だと言える人はいるのだろうか?
私には疑問だ。

医療に何を求めているの?ばかね…とある作家は言ってこの世を去った。
集中力も記憶力も失った私が
以前のようにものを書く作業が出来ない葛藤など
嘲り笑うかのように、
医療に希望を見るあまちゃんに
投げる言葉がないと彼女は言った。


ぼんやりとNHKスペシャルを見終わった。
疑問を投げるのは簡単だ。
その答えを皆は希求してやまないのだと感じる。

南房総

2009年02月17日 15時45分21秒 | エッセイ、随筆、小説






これからのこと。
たとえば、体調がこのままよくなっていって、社会に再度放り出される日のこと。

主治医から以前、私は「少女期の欠如がありますね?」と言われたことがある。
少女期の欠如?とその語弊に驚きはしたものの、確かにそのとおりだと思った。
それはなぜかと問われれば、友達が大学へ行っている時期に私は妊娠出産を経験し、
友達が大学院へ進学するか否か・・・と悩んでいるときに、
私は「子育てと仕事の両立」に悪戦苦闘し、結果、自分で飲食店を開業する決断をしたためだ。

すこし先を行っていた・・・と言えば格好はよいだろう。
が、現実は友達たちのような青春や年恰好にあった経験のみしていればよかったものの、
私に用意された人生は、その青春や年恰好にあった経験以外にばかり費やされていった。
それが良かったのか悪かったのかは別として。

そして私は今年40歳になる。
娘は私とは違い、当時の友達たちのように「大学進学」を果たした。
これで責任がなくなったわけではないが、
ようやく「私の人生」を歩めるような気がしたとき、ふとひとりになりたくなった。
ひとりになってこれからの人生や仕事や健康や恋愛について、じっくりと考えたくなったのだ。

南房総はお天気に恵まれていた。
南側一面には太平洋が見渡せる。
黄色の菜の花が、右に、左に、風の機嫌に寄り添うように優しく揺れる。
じっくりと考える場所に選んだ南房総の地で、
ひとりで「これからのこと」を吟味したいなど、ここに来るための理由に過ぎないのに。



 

 


ニューヨークの残像

2009年02月11日 18時55分46秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

 久しぶりにニューヨークの彼のもとへ電話をかけてみたのよ。
鳴り響くとんかちやら金属音があたりに散らばっていて、
その音の合間に受話器の向こうから声が聴こえるって感じかしら。
「私・・・」と言ったの。
すると、「オーマイゴット」とお決まりのフレーズと
寂しい・・・といきなり切り出されたものだから、私は言葉を失ったのよ。
まさか・・・彼が寂しさを感じるなんて、しかも相手は私よ。
ありえないことだと思ったから、
「頭でもぶつけたか、殴られでもしたの?」、
いいや、変なものを食べて、体質でも変わったんじゃないの?と本気で言ったのよ。

 私のローブを抱きしめて眠り、私のマフラーを首に巻いて外出する。
私の残像が残る部屋に取り残されたのは彼だけで、
私はといえば東京で、彼の存在すら忘れかけた生活を当たり前のように送っている。

 ニューヨークのラジオステーションを東京で聴いていると
スムーズジャズのやさしい音色にあの街が、彼が恋しくさえ思える。
不思議だ。

 距離はまるであたたかな母親のように、
すべてを包み込んでいく。いいことも悪いことも、すべて。