風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

感動の一日

2008年12月30日 06時18分06秒 | エッセイ、随筆、小説





28日、御不動さんの日、最後の護摩焚きの日に深大寺へ行き、御参りをした。
突如、入院先で一緒だった仲良しのKちゃんも同行することになり、
盟友とKちゃんと3人で。
風もなく、御天気にも恵まれ、本当に爽快な気分を味わっていた。

私はある供養をしたあと、心願・良縁成就をお願いした。
あまりにも御作法が美しいので、僧侶の手さばきに惚れ惚れし、見入ってしまった。
Kちゃんはお清めの水に落っこちて靴からどぼどぼと水滴は落ちるし、
みんなで「厄が落ちた」と言って笑った。

その後、東京女子医大病院へ行き、私は予定外の予約となった。
診断書作成をお願いしていたのだが、やはり診察をしながら作成しましょうということになって、
私もそのほうが願ってもいないことだったので、快諾し、予約となった。

翌日、ある夢をみて目覚めた。
それは彼の夢で、彼との信頼関係を構築していくには毎日の積み重ねが必要だという話で、
私がそれを彼に伝え、もし言い訳でもするなら、
今回のニューヨーク行きは“なかったこと”にすると伝えているものだった。
盟友にこんな夢をみたと伝え終わるほんの少し前、
携帯には「非通知」と表示され、電話が鳴った。

言わずとも彼からだった。
そして、夢で見たとおりの話を彼として、お互いに信頼について語り合う結果となった。

彼の刻印ができあがった。
そして、私のペンネームである名前の刻印も。
それが引き出物のように作り手が気を利かせてくれたことで、
感動して、わんわんと声をあげて泣いた。

もちろん、作り手はそこまで感動してくれるとは・・・といって、
私の泣いている姿をみて、嬉しそうにしていた。




夢見

2008年12月27日 05時16分47秒 | エッセイ、随筆、小説





ある大学教授がキーポイントになる。
それは交通事故事件に関する書類作成における彼の所見に基づく意見書を意味してるが、
それについて、私の将来起こり得る疾患や脳の状態、
一度、萎縮した脳が戻るのか否か、
肥大した部分が正常と判断されるようになるのか否か、
造影剤を使えず、それでも今後、発病した場合に不便はないのか、など。

彼は書くと言った。
言ってくれた。

嘘は書かないが、事実の詳細を明確に書く、と。



不眠は続き、働けるのだろうか?
日本で深い傷を負い、渡米した後、私はどうなるのだろう?
まだ渡米という選択ができるだけ、ましだと思われるのだろうか?
感情反応が自分でもコントロールできず、
痛みも油断すると出現する。
それで、働けるのだろうか、生きていけるのだろうか?



それを理解してくれている教授だ。
信用して、安心して、待つことにしよう。




飯島愛ちゃんについて

2008年12月26日 05時22分32秒 | エッセイ、随筆、小説
まずは心からご冥福をお祈りしています。



私、または私たちも別疾患や医療不信によって
陥ったメンタル系の投薬を経験し
言葉では表現できない苦しみを味わってきた。


身体的疾患をきちんとした検査もせず
心の病とされ
脳の伝達物資の異常であったも
性格や心、きのせいかともされた。

が、ここでは詳細は書かないが
(以前に書いているので)
同じ経験体験をした者なら
安易な言葉を避けるだろうとだけは
思えてならなかった。

ハルシオンの大量服用による死因。
私はハルシオンを飲んだことはないが
何しろメンタル系の薬は
副作用がまず最新に現れ
そのご、拒否かいなかを身体が決定を下す
少なくとも
私のケースでは上級のとおりだ。
なので、医師とも密度の高い連携を取らせて頂いて対応に迷惑をかけている。


気の毒としか。
若くて綺麗な人の死は
それだけで寂しくもあり
悲しくもある。

ヨットクラブ

2008年12月21日 05時05分54秒 | エッセイ、随筆、小説






暖かくなったらヨットクラブに復帰しようと考えた。
オーナーに電話を入れた。
「おっと、MM、元気でいるか?」

いつの間にか私はmmというあだ名が付いていたらしい。
mmはイニシャルであって、なんだか好かんのだ。

海は怖い。
だから、現状、つまり、障害者になった旨などを伝え、それでも陸当番でもいいので
ときどき顔を出していいですか?と尋ねると
当然だ!!との嬉しい返事に心は躍る。
いや、彼らも厳しい世界にいるからだろう、他者への受容には寛大なのだ。

船に乗れという。
なにもしなくていいから乗って、十二分に楽しめ・・・・という。

なぜ、温かいのだろう。
そうじゃない人、つまり、自分のことしか考えない人もいっぱいいる世の中で
この人たちは相変わらず、海の男だし、温かかった。