風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

少女期の欠如

2007年07月31日 22時54分57秒 | エッセイ、随筆、小説





テーマは「自立」で少女期の欠如部分を補填・補足していきましょう、と

新しい主治医となる方に満面の笑みを浮かべながら言われたとき、

私は泣きそうになった。

じっとこらえた。

初対面だし、ここで号泣したら、いくら私でも格好がつかない。

いいや、その方の人格や人品やお人柄に加え、

感性の鋭さに一撃を食らわされた気分だった。

私は二箇所の病院で主治医となる医師を二名持つわけになるが、

1年も付き合っている主治医は、正直だけれど青さが目立ち、

彼にとっても私という患者を通して、

その方との交流は医師としての将来を左右することになるだろう、と思った。



少女期の欠如・・・・・・

本当に重たい言葉だ。響きだ。

私は少女期というものを飛び越えて生きてきた。

いいや、生きざるを得なかったのだ。

だからだろう、両親が揃っていながら家庭への憧れをあまり持てず、

母とは違う母親になろうと、

必死に、一生懸命に、娘とは真剣に向き合ってきたつもりだ。

それが彼女の一生を左右し兼ねない時間になることを、

私は私という人間の過去を通して、養育環境を紐解くことで、

自分という存在に対する漠然としながらも確実な体感を

まだ消化できていないことを自覚しているためだ。




人間の基礎となる部分に欠如が生じた場合、

その人間は一生そこを埋めなければ、偏りが解消されることはないのだ。

植物には土が命であるように、人間にも土台となるいしずえが必要となる。




今日は寄り道をしながら病院へ向かうことを計画した。

話題の新丸の内ビルの鉄板焼きランチをひとりで堪能して、

そこで働く若いイケ面たちにどきどききゅんきゅんして、

地下の叶 匠壽庵でお茶を嗜み、お薦めを包んでもらい

いざ鎌倉へ・・・・・




私が私として生きていくために、

その少女期の欠如をようやく埋められる確信に、

私はご縁を無視することができないと、神様を思った。

ちなみに神様とはみんなが拝む神ではなく、

人間の姿をした、私にとって大切な魂の伴侶を神様と呼んでいる。




ありがとう。

本当に、ありがとう。


 


予感②

2007年07月31日 05時59分18秒 | エッセイ、随筆、小説






吉田山の霊場に卜居して斯文の徒となった人。

現今、大人の女性に対するとの理由から、

苗字ではなく私の呼称である名前を呼ぶ了解を得るために、

禁忌を犯すような、神殿の祠の扉を開くような、

厳かな気持ちになると告白し、

祠を開帳してその神体を仰ぎ見る心情で、

あなたの名前を呼ばせていただけたら・・・・・・と思うのです。





毎日、ほぼ同時刻に届く電子メールは、

編集者と作家の卵の関係をすでに事実上超越しており、

これが私を悩ますだけの手腕だとしたら、

彼は仕事のできる男として賞したいと思う。





なぜならば、

彼の文章には新しい言葉を毎日数語ずつ学習できる漢字が溶かされていて、

私はそれを辞書を駆使し、理解し、会得する。

自分の言語にするために専用ノートに書き記す。





むろん、そうではない場合を考えても、

筆を執る作業が停滞しないということは、

それは私の才覚ではなく、彼の知恵や能力の高さを物語るに過ぎない。

悔しいけれど、それが物を書く場合の私の現状だ。




ピアノを奏でるように私の魂にソナチネやショパンを用い明察する。

たとえばそれが冥府や太古から届くのであれば、

それならば私にも物事の道理が多少はさとることができるのだ。

けれど、今世の出来事にしては、

毎日のそれは私の魂をあまりにも優しく演奏し過ぎるのだ。




切なく、そして苦しい。




珠玉の短編を子宮に宿し、

一瞬のうちにそれに陣痛を起こすなど、

神業以外、私にその経験はない。




無二の容れものである風のいたずらにしては、

気品に満ちた音の組み合わせは、私の今後を左右する。

一度、連続して生み出される麗容の語、

つまり、整って美しく、うるわしく、うららかな存在に

近づいて触れるということは、

それ以上のものを迎え入れることは容易であっても、

それ以下は拒絶し、それを自身に入力を許すことは、

言葉の階級や水準や程度を低下させることを意味し、

私にはそれが恐怖であり、

そのときは筆を下ろす時機であることは明確なのだ。





同性では経験済みのそれでも、異性に魂を抱かれることは

外界の物事を認識する感覚が、

視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の感覚のどれもが研ぎ澄まされていくことを

否が応でもはらいのけるのではなく許し、迎え入れる行為は、

諸行事物としか解釈の域をはるかに超越している。




仏教でいう前世からの因縁であるなら、

私たちは浅からぬゆかりや定めを意識しながら、

三世の現世において魂の置き場を探し当てた価値を受容するだろう。






予感

2007年07月30日 20時57分08秒 | エッセイ、随筆、小説





その人は自分を「僕は・・・」と呼ぶ。

「僕は・・・」とそれを視覚から入力する言葉によって、

私は恋に落ちそうになり、

落ちないように知らん振りを決め込むことで必死な自分が情けなく映る。

なぜ落ちてはいけないのだろう?

自分でもよくわからない。

注がれたそれが強ければ強いほど、

映る影の濃度に触れたくないだけかもしれない。




ほぼ同じ時刻に届く電子メールは、

その一文だけで彼は私の魂を揺さぶるのだ。

心ではなく、もっと奥深い領域に、容易に手を伸ばして

赤子をあやすように、優しく撫でたり、包んだりしていく。

そして、私に欠如している部分を補った後、

今日の役割が終了したかのように余韻だけを残して消えてしまう。




それはすでに私の内側に住処を構えているように、

表面と裏面、外と内、表面と内心を自在に、

束縛も支障もなく、心のままであること、

思いのままであることを届けるだけの役割を演じ

そして、私は長い長い夜をひとりで過ごす羽目になる。




私の疑問は一点でしかなく、

なぜ、彼は私の魂に容易に手を伸ばし、弄り、

私はそれを拒否しないのか?

また、無意識のうちに私も彼の領域、

つまり魂の光や影に手を伸ばし、

私にしか理解されないだろう事実を共に抱き合いたいと言う。




彼は言う。

まるでピアノを弾き語るように、それを奏でているのだ、と。




男の闇は子宮に吐き出すのよ、と言ったことが原因だろうか?

それとも、文学を語る相手を希求していただけのことか?

けれど、文学を語るには私は文学の知識が極めて乏しく、

指先に逆らうことなく位置を変えていると、

自然に文章ができあがっている、という書き方なので論外だ。




ともかく、自分のことを「僕」と呼ぶ電子メールを気軽に送信するな。

私の魂を包み込みにだけ夜業するな。

心をゆらゆらさせるな。

きゅんと胸奥に響く名前を親に名づけてもらうな。

馬鹿でどうしようもない、文才のない私にかかわるな。




おそらく、彼は私には欠かせないパートナーになり得る人物だ。

言葉を扱う道において、彼が私の担当となってくれるのであれば、

おそらく、いくらでも書けるし、珠玉を生み出せる予感がする。




言葉を紡ぎだす過程を見守りたいなどと、

愛を告白するような言葉は、心臓に悪いから仕舞っておいてくれ。




収集日を間違えたゴミみたいに取り残された私は

「僕は・・・」と自分を呼ぶ男を咀嚼し、

すでにガムには味など残ってやしない。




「僕は・・・」と自分を呼ぶ男になぜこれほどまでに

自分の大切な時間を費やしてしまうのだ?

それは私の原稿についての意見を聞くからではないし、

その会社で彼と会うためでもない。



きっと今夜も同じ時刻に電子メールが届く。

予感はきっと、いずれ予感ではなくなる。










院内コミュニケーションについて

2007年07月30日 12時43分06秒 | 医療





明日は南青山にあるクリニックの初診日だ。

前日に体調などの変化がないかなど確認の連絡をください、と親切な対応に感激した。

約束の時間に連絡を済ませ、

外は神鳴と豪雨で、やっぱり空だって怒るし泣きたくなるよな、と思った。



連絡が来ないのだ。

その連絡というのは、7月26日の経過観察日の際、

主治医へは別クリニック受診と併用して疾患の対応をしていく旨、

今後の診療方針が決まった。

その後、2時間半の点滴が終了するまでに紹介状を書いておきますね、と約束をし、

私はその取り決めが社会や集団であらかじめ守るように決められているそれだと、

信じて疑う余地などなかったのだ。



がしかし・・・・・・

残念ながら紹介状は書かれていなかった。

医者は忙しい。

それは重々承知の上の話だ。

けれど、自分の専門分野以外のことを別院で対応を求めてきたのは、

主治医本人だ。

私もそれが自分の体調にとっても望ましいことだと理解し、承諾したのだ。

先日のわずか一時間の外来担当の際も同様だ。

事前の連絡にて主治医へ私の到着時間をメモ書きで渡すように医事課へ伝えた。

が、主治医はそのような連絡は受けていなかった様子で、

私が受付を済ませた旨を看護師から聞いて、正直驚いたことだろう。




また、受付は済ませておきながら主治医の担当時間が終了したため、

点滴くらいで先生を呼べない、他医師がみる、主治医が今からくる、

看護師側の発言も二転三転を繰り返した後、結局、誰も来なかった。

私は点滴の管を通され、天井を仰ぎ、

院内コミュニケーションの不手際を思い知るのだった。





長い長い点滴時間が終了し処置室から出ると、

病院は闇の中へすっぽりと包み込まれたように、

異様な静寂に夜であることに気付いた。

紹介状が用意されていない事実に驚愕し医事課職員へも別院の初診日を伝えた。

申込み用紙の受理は・・・・・

主治医がすべて理解しているのだから、

私にはそんなものは書かなくていいと説明を受けています、と声を荒げてしまった。




待てど暮らせど医事課からの連絡はなく、

別院の初診日が明日に迫った。

結局、私の方から病院へ連絡をすると、またしてもそんな話は聞いていない、と言う。

主治医は休日のため、連絡が取れないといい、

では、先日の点滴の際も、医師の診断がなければできないと言う一方、

主治医も別医者も診察などせず、点滴を行ったじゃないか。

自分たちの道理が通ると思っているのかどうかは私の知ったことじゃない。

ただし、ここは自分の人生をなかば預けている病院であり、医療現場なのだ。





私からの医事課への連絡は、

誰がどのように処理しているのか、主治医に伝えないという判断を行っているのか、

私は問いただした。

ここは会社ではない、病院だ。

まして、治療法が確立されていない疾患を抱えた者の、

人生や生活の質を左右し兼ねない職業だとの認識があまりにも薄すぎる。

では、不具合が生じた場合、謝って済むとでも思っているのか?

こちらのミスで・・・・・・と繰り返す女性は、

これから上司へ報告をしますので少しお待ちいただけますか?と

先の出来事もすべて、院内には何も共有していないことだけは私でも会得した。




一言だけお伝えさせてくださいね、と私は言った。

私は風邪ではない。

まして、不具合を抱えて生きていかなければならないという

宣告を受けた者への対応としては残念でなりません、と。





循環器と脳神経外科のみを扱っている病院であるため、

他の患者も同様のことがいえる。

いかに病気を暴れさせないように、上手く付き合っていくことがカギとなることを。





 

 


self pleasure

2007年07月30日 07時43分33秒 | エッセイ、随筆、小説





共通するはずの言語、

つまり、人間が音声または文字を用いて

「思想」「感情」「意志」などを

伝達または理解するために用いる記号体系。

またそれを用いる行為を、言葉と私たちは呼んでいる。


広辞苑より


 

では、同じ母国語を持ちながらその言語が通じないという経験を持ったとき、

果たしてそのときの対処はどのようにすればいいのだろうか?

私のケースでいえば、それは久しぶりに最近の出来事の中に舞い込んだ。

言い訳でしかないそれを、私は雑音にしか感じず、

結局のところ、自分で考えてみろと言って、

冷たく残酷な電話の切り方をしたのだった。




それは15年来の友人との間に起こったことで、

彼の面倒を見てきた自負が私にはある。

何があっても切り捨ててこなかった。

甘えきってしまっているのか、

それともそれ自体が理解不能なのかは友人に問いたいところだが、

なにしろ、我慢の限界が沸点を迎えてしまい心境を言語化した。




もう無理よ、と。




彼はなぜ私が怒っているのかが理解できていないようだった。

それをひとつひとつ説明して欲しい、と言う。

生態系の中で言語を持つ人間だけに許された思考を駆使することもせず、

相手にそれをすぐに求める人間を、

私は最も苦手とし、友人とはしてきていない。

だからこそ、彼はそうした私の友人の分類史上、

稀な生物だったのだ。




発端はこうだ。

彼を人へ紹介をする。

私が彼と久しぶりに会う。

彼も彼と共通する友人たちも転機を迎えているため、

南房総の景色のいいレストランやカフェをはしごして語り、

その後、人を紹介する、というシナリオを伝えていた。




また私の都合を言えば、ある雑誌を置かせていただくために、

今までは客であった私が営業としてご挨拶を済ませ、

その後、再度南房総へ行く際にそれを持参する。

彼にはカフェのはしごをする理由には、

それが含まれていることも伝えておいたはずだった。




私の自宅へピックアップするはずの正午、

彼はまだ別の場所にいた。

そして、驚いたことに、

午後13時20分に銀座のあるショップへ

PCを修理しに行く予定を組んでいると告白した。





あの・・・・・・

すみません・・・・・・

何を考えているのでしょうか?





私も一日彼のために時間をつくり、

紹介する相手も16時の約束に13時からオフィスで待機している旨は

彼にも何度も伝えたことだ。

私たちは車で向かうため、

夏休みに突入した道路混雑事情が不明なため、

紹介する相手の方は早く到着しても渋滞に巻き込まれても

私たちを迎え入れる万全の体制でいてくれることは

この時間の使用方法で理解できるはずだ。





案の定、PCショップで手間取ったため、

私たちが東京を出発できたのは午後15時だった。

そこから南房総へ行くには、間に合うわけがない。

何度もその方へ連絡を入れ私は謝罪した。

横にいるその彼はといえば、

何をそこまでしなければ・・・といった具合で、

一切の事態を理解できていないのだ。

自分のルーズさが原因であるにもかかわらず。






手土産を用意したのも、

南房総のカフェで舌鼓するはずだったランチ時間がないため、

デパ地下で軽食を用意したのも私。

お礼行脚のつもりで、費用の60%を心包みとしたのも私。

なのに、彼はそうした人間関係の基本がすっぽりと欠如していた。




紹介した方に、ぜひ、この予言のような出来事に対し、

裏切ってくれることを信じています、と言われていた。

それはどのようなことかというと、

彼の悪習を改めない限り取り返しのつかない事態に陥ると

遠まわしに言われたのだった。




ずばり、言ってください。

そんな言い方をされても僕にはわかりませんから。




彼はサーファーだ。

最近結婚をした。

引き出物を父の作品を使ってくれるために何度か私の自宅に足を運び、

何度も会っても挨拶ができない人を妻としていた。

というより、ふてぶてしい態度に、

私はその時点で何かを察知していたようだ。





友人とはいえ、結局は他人の人生だ。

けれど、怪我の多い彼の人生の少し先に視線を注ぐと、

次は命に関わることになるだろう予感が私には強くある。




けれど、彼の聴覚は塞がれ、私の忠告など一切受け付けようとはしない。

だから私も言った。

他の友人と同様に付き合っていくことは、私にはできない、と。




なぜ?と彼は動揺している。

まじで?と多少怒りを露にした強い口調へ移行している。

15年前にも私の店への出入りについて何度も約束をさせた。

その約束を、彼は一度も守ってきていないことを意味しているのだ。

34歳にもなった今も幻覚物質にとり付かれた

彼らは悲しい生物でしかなかった。

だから言語のほとんどを、言い訳にしか使用できないのだ、と。




タイトルにある言葉は、マスターベーションを意味している。

所詮、人生はそれの繰り返しだ。

けれど、それはひとりで性欲をコントロールするためのものであり、

他人の人生を巻き込んでまで行う類ではないことを指すため

あえて、それをタイトルに置いた。




幻覚物質はどんなものでさえ、

人間の思考を奪い、廃人化する。

日本はそれがとてもみえずらいが、

アメリカでは多くの廃人を私はあるワークショップの過程で

垣間見て衝撃を受けてきたのだ。

妊娠中、その影響を受けた子供は将来がないと言っても過言ではない。




友人に届けばいいと希いつつも、

もう二度と、私から連絡をすることはあるまい。

 








 


yacht harbor

2007年07月29日 11時51分04秒 | エッセイ、随筆、小説






上半身褐色の肌を見せ付けるように、

海の男たちは航海のための準備に余念がない。



寝られるときに寝る。

食べられるときに食べる。

休めるときに休む。

何もせず、数日を過ごすことも決して稀ではないらしい。



私がヨットに関心を持ったのは、風だった。

オープンカーやバイクや自転車で受けるそれとは相違する、

海上の潮風に憧れたためだ。

それも、交通事故に遭った後、

友人が潮風が体にいいらしいことを教えてくれたことがきっかけとなった。




マネージャーを務めるのは重度の障害を持った方で彼はクルーではない。

けれど、彼の指示は厳しい。逆らえない。

はい、以外の言葉を発言できない。

障害の受容からはじまり彼に手出しのできるクラブ員は

キャプテンですらいないことをよく噂として耳にする。

それだけ彼の人生には彼にしか理解できない苦悩があるのだと思った。




人命に関わるため、キャプテンの判断がNOと出た場合は

それに従ってもらうことになります。

武士のようだった。

二言なし。

自分、他者問わず、船上にいるクルーの命に危険が伴わない人間しか

クラブ員にはなれない。

海を甘くみたものは、海に返される。

常日頃から眺める海原、叢雲の過酷さを叩き込まれてきた私だけに、

クルージングメンバーに選ばれたときは本当に嬉しかった。

二艘でレースをしながら大島を寄港し、新島や式根島への航路は、

海上からの東京を眺め、

星空や海への深読みが自然との対話であることに気付く頃、

海の男たちの気質にすこしだけ触れた気がした。




私はもうクルーにはなれない。

それは自分の命が、というよりも

他者の命の配慮を自分で判断した結果だ。

プリンを差し入れしにヨットハーバーへ行くと、

作業を続ける男たちが海の男らしくてより好感が持てた。



生き返ってきたかぁー

またしごかれにくるとは、女にしておくのはもったいない。

失礼な・・・・・・と言いかけてやめた。

今日はうわてに出よう!

プリン食べるの? 食べないの? どっち?

ヨット内の冷蔵にに差し入れを仕舞い、

また気が向いたらしごかれに来ます、と言ってハーバーを後にした。

ここに来るだけで、私の闘志は夏の陽射しのように燃えて熱い。

 



 


奴隷制度のような労働における一票と日本の未来

2007年07月29日 09時07分47秒 | エッセイ、随筆、小説






藤原新也さんブログ

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

 

 

※この問題になぜ私が強く反応するのか、というと、

 やはり、先の交通事故の問題と深く関与する。

 それはどのようなことかといえば、

 7年も継続勤務した者を、派遣であるがために

 障害を抱え容易に転職ができないことを承知しながら

 それを人質のようにして条件を悪化させようとした試みを

 実際に経験してきたためだ。

 私は負けない。

 というよりも驚愕の内容に対し、会社側弁護士は私側についた。

 事実が確認できたということと、

 本件をもって自身もこの会社の顧問から身を引く、という。
 

 私は会社の内部、心臓部分となる闇を知りすぎた。

 だから、会社は逆に手放したくないのだ。

 辞めさせたいのではない、生かさず殺さず傍に置きたいのだ。

 これでも一部上場会社だ。

 私は絶対にマンションは買わない。

 いいや、この会社のマンションは買わないし、人には勧めないだろう。

 なぜならば、その闇をみてきたこと、

 作り手も買い手も見えない売買はリスクが大きいことを意味する。

 これは買い手も勉強しなければならない想像以上のリスクなのだ。



 障害者の労働にまでメスを入れた小泉政権、

 昨日安部総理は隅田川花火大会で混雑する浅草雷門前で、

 選挙のための演説をしていたが、あれは迷惑でしかない。

 必死なのだろうがそれは自分の方向性に問題があると

 認識した方が選挙の勝負よりも必死になる優先順位は先のはずだ。

 戦争準備内閣ともいわれる安部政権を、

 小泉政権が行ってきた人間切捨て作業を若者や弱者が引き受け、

 それで「仕方ない」などとは私は思わない。

 だからこそ、この国の舵を、修正できる人間を見極め、

 一票を投じたい、と思う。



 自分の愛する子供たちや孫たちが戦争へ送り出すことを、

 誰が幸せなどと思えるというのか。

 これは年金問題やコムスンの介護問題で煙を立てながら、

 実は今回の選挙の本筋や未来の道すじに深く関与する。



 自分たちの年金も大切な問題だ。

 けれど、この国の状況を垣間見る限り、年金などあてにしない方がよい。

 目先のことに気を取られている間に、

 世界の平和イコール日本の未来に関与する事柄を

 やはり見失ってはならない、と思う。




江戸下町の夏(隅田川花火大会)

2007年07月29日 00時44分38秒 | エッセイ、随筆、小説





慶応4年、東京と改称した江戸。

江戸の風物詩のひとつである隅田川花火大会がはじまるしばしのとき。

薄い月輪が浮き出す様は、

まるで精や神を見るようでもありました。



夜さりつ方、花火は物語の心情を詠うように、

一瞬の命を散らすだけに生を受けるのです。



やはり私は、遠い記憶へ誘われるように、

絞の浴衣を纏い、横縞の博多帯を粋に締め、

この団扇で涼をとりながら、女すわりをして眺めていたのです。

どなたか男性の気配を背中に感じながら、

この江戸の風情に、その方との逢引に、酔いしれていたのです。



ある旅館の屋上から眺める夏の風物詩は、

江戸から平成へと時間が流れても、

私の魂はその時間に散り落ちていないことを、

ものが移り動いていないことを

美しい一瞬の生を眺めながら思いに耽るのです。

この上ない贅沢なまたたく間に身をあずけながら、

花火職人たちの思いが火の中で華を咲かせる瞬間に、

心が動かされるのです。



江戸時代享保18年、

両国の川開きとして20発からはじまったのが由来。

前年は全国的な凶作、伝染病によって多くの命が失われ、

八代将軍吉宗は悪疫退散と死者の霊を弔うために、

水神祭を行いました。そこで花火をあげた記録が残されています。



隅田川の花火は、私にとって鎮魂の意味が込められています。

先の戦争で亡くなった方々、江戸の出来事など、

自らの魂を鎮めるためにも、

私にとって特別であり、格別で、区別された行事なのです。



満月の夜、余音までもが艶っぽく、

残る風情や余情は、言外の情趣に深く感じられる風情を

美的印象として肌に纏わり付かせます。



JAZZBARに立ち寄りシャーリーテンプルを一杯、

マイルスデイビスのマイファニーバレンタインで今日を締めくくる。




※参考文献

 隅田川花火資料館





夫婦合

2007年07月28日 07時49分54秒 | エッセイ、随筆、小説





将来の息子となる予感むんむんの娘の彼、T君が一日中うちにいた。

私はとなりの部屋で調べものや書き物をして過ごした。

彼らの会話を聞いているとそれは夫婦そのもので、

とても仲がよく、落ち着いている。

17歳のふたりなのに、だ。



私は彼らに触れていると「結婚も悪くはないなぁ」などと

魔法にかかってしまうような心境になる。

ほのぼのとして、羨ましい。

男女間の焦りがないというか、

あらゆる欲が排除された関係。

眩しいくらいにきらきらと輝いてみえる。



「娘にはもれなくお母さんがおまけに付きますが・・・」と言った。

Tくんは「もちろん、お母さんとも結婚したいと思ってます」と。

「ちょっとおまけなんていらないの!!」とT君を揺さぶる娘。

「はいはい、お邪魔はしませんよ」と私。

その間に挟まれたT君は、嬉しそうに笑みを浮かべている。



私はこのふたりを眺めているだけで幸せになる。

娘の成長を感じ、選んだT君という少年も息子のように愛している。

いいや、手放したくない。





娘はもちろん、T君にも伝えた。




「もしも、何かの事件や犯罪に巻き込まれたとき、

助けてあげられなかったとき、

私は一生、その悔いだけ取り付かれ、抱かれてしまう」と。

だから、何か心配事があったときは駆けつけるから、

必ず、連絡してね!!

あなたたちのあしたのために、あしたを守りたいだけなの」と言った。




T君はうちにくるとおなかがふくれて帰宅する。

心も満腹になって、またお邪魔します、と言って帰る。

みえなくなるまで手を振って、

T君がみえなくなると、一瞬にして寂しさが心身を包み込む。




自分が若い頃、こんな少年と出会いたかった。

そして、恋におちてみたかった。

娘はT君以外、もう誰とも付き合う予感のないことを

折にふれ言葉にする。

それがきっと幸せなのだ。



人生の陽春を謳歌して、

その思い出を語り、晩秋を過ごす。

それが人生だ、きっと。