今年の自殺者は最悪ペースでその数を伸ばし、
通年3万4千人規模だとの推定が新聞一面に掲載されている。
自分に刃を剥いたものが「自殺」だとしたら、
他者へのものは「殺人」として連日の報道からも妙な納得を覚える。
それはこの国が抱える病理、根底にある問題は同等であるからだ。
さて、ここで私が違和感を感じてしまったのは、
言うまでもなく、自殺者が交通事故死亡者数との比較によって、
増加、減少という判断をさなれている事実だ。
交通事故死亡者への無礼はともかくとして、
幸運にも一命を取り留めた方々の、その後の過酷な運命が用意されていることには
多くの方々はご存知ないだろう。
日本の場合、被害者に立証責任があるため、
交通事故を起こしたとしても加害者は立証という重責を負う必要はない。
しかも、立証は交通事故事件そのものから健康被害に至り、
受け入れてくれる病院や医師が簡単に探せる・・・とは現実は相違する。
交通事故被害者を露骨に嫌がる医療機関が存在することは稀ではない。
(病院名や医師名は書けませんが)
診断書の書き方、検査方法、画像の読み方などは医師の裁量次第で、
医療によって左右される被害者の未来という側面も浮き彫りになる。
診ようとするのか、そもそも診ようとしないのか、診れないのか、が鍵となる。
それを被害者である患者側が見抜かなければ自己を守る行為には繋がらない。
今秋で5年が経過する。
私が交通事故被害に遭い、仕事を失くし、
日々の生活ですら満足に送れなくなってからの時間経過だ。
しかも、いまだに交通事故被害における検査が継続している実情がある。
容赦なく、医師から、他交通事故処理関係者からの誹謗中傷を受けるのはざらだ。
が、私は不調を抱えているため、そうした言葉にいちいち反応してしまい、
(自分の意思とは関係ないからこそ病気であるとの認識)
その後、数週間において寝込むことは日常化してしまっている。
一度、心神耗弱状態に陥ると、死の危険が一気に増してくる。
いいや、音もなく近づいてくる。
間近に、べったりと。
被害者になって5年、この国でのタブーにようやく気付く余裕が生まれてきた。
交通事故事件に限らず、犯罪被害でも、他障害や病気でも、
メディアが取り上げるようには容易に、
語れない土壌がこの国の根底には存在している。
加害者が加入する損保会社本社が東京の高層ビル群の一角に位置している。
確か、私は別件で、近くにある大学病院へ一度だけ訪れた際に、
そのビルが私を追い込む会社であることを偶然に知った。
「あなたは自殺をするか、寝たきりになるのが運命でしょう」
ある雨の日の午後、
損保会社担当者と弁護士は、夏休みの予定が楽しみだと言わんばかりに
私へ死の宣告を、笑顔を交えて伝えてきたことを思い出す。
それが彼らの仕事だというなら、なんとおぞましく、悲しい内容なのだろう。
(すべての従事者がそうだとは思っておりません)
ビルを見上げると、空が、雲がみえる。
随分と高層なのだということを覗い知ると同時に、
なぜ・・・・・という疑問が浮上する。
なぜこんなに立派な自社ビルが建設できるのだろう。
その答えはこの業界のタブーが物語っている。
被害者になるのも、加害者になるのも酷だ。
個人はこの両者だけで、あとは交通事故に手馴れた専門家によって
右にも左にも、物事を大きな声で言った者勝ちのような世界が常識となっている。
また朝がやってきてしまった。
昨夜は珍しく、2日続けて眠るのに苦戦したから、
目を閉じて、ゆっくりと休みたかったはずなのに。
でも朝がくると、夢見がよくないからかもしれないけれど、
どっと疲れや重さを感じて、ちっと舌打ちしてしまう。
生きているための最低限の希望や期待は持っている。
でも、今は食べることすら労力を要する行為になってしまっている私なのだ。
先日、脳科学者に出会った。
やはり、私の脳に傷があるのではないか?とおっしゃっていた。
東京都の障害者福祉センターからもいろいろな提案をしてもらい、
病気に理解ある人たちという共同体がようやく確立された。
が、たかが画像撮影で消耗される体力。
外へ出られないという葛藤。
ほぼ寝たきりの私に面倒を見てもらうつもりだという親の本音を聞いてしまった後、
症状は想像以上に悪化してしまった。
完全な完治を望んではいない。
が、病名が医師によって異なる状況からは脱したいし、
もうすこしだけ、生活の質をあげた以前のように暮らしたいと願うだけだ。
おばけみたいなものなのだろう、と思った。
おばけは誰でもがみえるものではないが医療という科学は、
診ようとする人間にはみえるし、診ようとしてもみえない人間もいる。
そもそも診るつもりがない人間には、なにか・・・があってもみえないものだと。
それは所属する医局の大きさ(大学病院など)や経験年数など関係なく、
ある意味、その医師の育った環境や感性や素質、人間性という部分が重きを置く。
しかし、医療者はまさか患者が病院へ足を踏み入れたところから
さまざまな医療関係者の機微を読み取っているなど考えてもいないだろうし、
立場ある役職という盾を持った医者という自分へ
患者が瞬時にそれら医師の背景を感じ取っているなど想像にもしないだろう。
患者が無能だと思い込めた時代はとうに終焉を迎えたのだ。
声の高低、速度、表情、姿勢、雰囲気はもちろんのこと、
ある意味運命共同体として、
治療者とそれを受ける側との信頼関係を構築する気持ちがあるか否かなど。
医療を語るとき、私は複雑な心境に陥る。
それは医師が「私」に対して躓く部分が
未婚の母という生き方を否定する態度であったり、
交通事故被害者に追い討ちを与える言動であったり、
元気そうにみえる(内部障害者は全員そうだ)から
なんのために病院に来て、なにを求めているのかと詰め寄られたりするたびに
疑問だけがまた私の頭なのか心なのかはよくわからないけれど、
でも確かに蓄積をして、そのために体重がほんのすこし増える感覚を覚える。
上記は「普通の人」がいうのではなく、
「医者」という専門家の言葉だからややこしく絡まる。
多くの医師は真摯な態度で患者と接しているのだと信じたい。
ただ運悪く、私が出会ってきた十数人の医師たちが
たまたま「おばけを診ようとしなかっただけ」なのだと。
あなたの幸せはなんだ?
誰がうつと診断したのだ?
現在の仕事は?
なぜ整形に行かないのだ?
なぜ治療をしないのだ?
信濃町にある大学病院へ検査依頼のため伺った。
が、押し寄せてくる質問の嵐に私は違和感を覚えた。
うまく経緯を話せる自信のなかった私は、一ヶ月かけて状況を書面にまとめた。
が、医師は「それを誰が作成したのか」に関心を示し、
そこに記してある内容については、一切問題にしなかった。
なぜだ?
ふと私の頭の中に「逆転移」というフレーズが漂い始める。
この逆転移とは、治療者が未解決な問題を抱えている場合に、
その未解決な問題を患者へ投影してしまう、とでもいえば正しいだろうか。
私はただ、今の私の不具合に対する状況を把握するために
疑いを徹底的に潰すための検査依頼をしただけのことだ。
が、承認された検査は単純MRIと脳波のみで、
心理テストや他などは行うつもりがないことがわかった。
行う必要性がある・・・と訴えてもだ。
それは、そもそも私の脳の状態を知るつもりがない医師の意思表示であり、
間接的な医療拒否に近い診察だったのだろう。
もやもやとする気持ちがなにかを自覚するまでに数時間を要した。
取り急ぎ、私の弁護士に連絡を入れると、
普段は無口で温厚な弁護士が激怒した。
「医師を変更しよう」
診るつもりのない医者などに付き合っている時間は私たちにはないと言った。
私が置かれてきた状況、
つまり、医療という閉鎖的な世界において、
医師が患者を診る行為が当然だと信じて私たちは病院へ向かうのだが、
現実は、診察や治療などとは程遠い状況が蔓延化している。
それを患者の自己責任として、私が負う羽目に。
もしかしたら、いいやこれが核心だろう。
受傷背景に「交通事故」が関与しているため、
厄介ごとには巻き込まれたくないという思いが
医師の無神経で失礼な態度につながっているのかもしれないとも思う。
限界です。
私ひとりでの医療との交渉には限界を感じます、と弁護士に伝えた。
少なくとも初対面の人間に対して、信頼を培っていこうとする場合、
横暴な言動を取るだろうか?
うつだと診断されている人間に「あなたの幸せは何だ?」と突然聞くだろうか?
書かれた症状には目を向けることもなく、
なぜ、杖をついているんだ?
今やっている仕事はなんだ?との問いは、
事前面接にて看護師に伝えたものを一切把握していないことを意味する。
当然のことながら、持参した書面を読むこともしていない。
今朝も讀賣新聞には「信頼の医療を目指して」と題した
医療改革シンポジウム記事が掲載されている。
が、私はこうした「信頼の医療」という言葉を耳にするたび、
違和感や嫌悪感を覚えずにはいられない。
それは医療の問題ではなく、行き着くところ、
人間性の問題に突き当たるためだ。
医療になど期待や希望を私は抱いていない。
ただ思うのは、医療の質をあげたいのであれば、
まず医療に携わる人間の質をあげるしか方法はないということだ。
そして、よりよい人間関係を築く上で、
人間として患者にもできることは行うべきだろう。
ただ患者は医療弱者であり、不具合を抱えた身だ。
それを考慮した上で、医療を考える必要があるのではないだろうか。
これは経験者にしかわからないことだろうが。
死に体(しにたい)の脚がすらりとのびている。
ナイトウェアーには珍しい緋色のキャミソールから。
色彩が奪われた・・・というか、祖父が亡くなったときと同じ肌色がそこにはある。
寝椅子でうとうとしていたせいか、
それとも誰かの悪戯か、現実か、その判断がつかないのは確かなのと、
自分のものである、温度があるはずの脚が、
さっきまでのものとは、いいや、いつもの自分のものとは相違する肉塊が
不気味にのびている。
でも、なぜか色気が増していたので、祖父のものでも、私のものでもないと認識することになった。
母が言う。
「昔は死柄のワンピースというものがあって、
自分の大切な人が亡くなったとき着るために先祖代々受け継いできたものだ」と。
その死柄のワンピースと今の私の脚の状態に関係性があるのかは不明だ。
が、ふと、墓参りをしたくなった。
祖父母に無性に会いたくて仕方なくなってきた。
その昔、長崎にいたキリシタンが散在させられた場所のひとつに長野県があるそうだ。
私の知るかぎり、先祖の眠っている長野県の山奥とはキリシタンは無縁だが、
長崎に引寄せられる想いと墓参りが妙に重なってみえるのだ。
夏だ。
色気の増した脚を眺めながら、ふと、思い出すことがひとつふたつ頭に浮かんでくる。
優生学をふと思い出す。
言うまでもなく「優生」に対峙する表現は「劣勢」で、
その間にあるものの温度差や距離感や認識の相違や誤解などが
そうした言葉の背後には見え隠れする。
それとも「優生」とされている人たちの立場や位置や自信を失わせないために存在するのか?
最後の転院となる前日の今日、
やはり妙な緊張感を覚えてやまないのだった。
検査が正しく行われるのか否かということもあるのだろうが、
「劣勢」とレッテルを貼られたように、あるひとつの病名に翻弄されてきただけに、
また振り出しに戻されるのではないか、その病名に固執されてしまうのではないかと思うと
怖さや落胆や注射針の傷みや点滴痛などが脳裏に張り付いているのか、
それがすこしずつ剥れては身に染み込んでいく感覚を覚えるのだ。
優生に認識される病気があるとするなら、
劣勢だとみなされる病気も存在する。
前者は積極的治療が行われるものだとしたならば、
後者は原因が定かではなかったり、治療法がない、死が目前に迫っているなど
医師側からすると「医療の敗北」に属するものが、劣勢扱いされるのだろうか。
一患者として、私はそんな気がしてならないのだが、
それをまた明日鋭くなってしまった嗅覚で、診察室に入った瞬間、感じ取らなければならないなら
なんとまた残酷なことだろうと自分を思うのだった。
最後の転院前に・・・・・・