風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

某大学病院へ、診療録(カルテ)開示

2010年03月31日 00時13分07秒 | エッセイ、随筆、小説




新宿区にある某大学病院へ。
診療録(カルテ)開示手続きを行った。
各種書類手続きを行う列に並んでいると、カルテ開示は総合受付が担当だと追い返される。
ここで待たされること30分。
また並ぶのか・・・と思うと、全身の力が抜け落ちていくよう。
しかも、体調がいいとは限らない相手に対して、そうした患者側の視点が抜け落ちている・・・と悲しく思う。

突如、私の目に飛び込んできたこと、耳に入ってくる他者の個人情報、
こんなずさんな状態の中で「個人情報取扱のために」などとぬけぬけと言えたものだと感心してしまう。
視覚には「クレーム処理マニュアル」が堂々過ぎるほどに机上を占領しているので、
「こんなところに置いておくと、それこそクレームの矛先を向けられますよ」と言って担当者を諭す。
すぐ横では私の実家に程近い住所の年配の男性がひとり、診療録開示についてもめていた。
話によるとお子さんが医療事故による後遺障害が酷い様子。
昭和37年当時の診療録と言われても医療機関も困るだろうが、年配の男性も藁をも縋る思いで
ここに訪れたことが伺える。

ふと思うのは、どれくらいの人が診療記録の保存期間を把握しているのだろう・・・という疑問だった。
その点、大病院ほどその辺の管理は徹底しているので、保存期間は猶予をもって取扱っている。
が、逆に、個人病院については他に医師がいないために、
診療点数の不透明さなどやりたい放題だ。
ある都立病院で説明を受けたことだが、交通事故など通常の怪我や病気でない場合は
10年以上も診療記録を保存しているとお聞きした。
私と相性の悪い個人病院医師は「捨てた」と吐き捨てた。
今度、さまざまな状況で必要となる記録であるがゆえに、診療記録は患者自身のもの、
その意識を根付かせていくことが、多少は医療者へのプレッシャーになりはしないだろうか。

余談だが、これまた驚いた記事をみつけてしまった。
ある医師たちの「国立がんセンター」についての会談内容だ。
それは医師28人によって編集されている、いわゆる医療者向けの質の高い無料雑誌のようなものだ。

ある医師が言う。
「こっちの治療がすこしでも間違いだと疑われると、変な弁護士がしゃしゃり出てきて医療過誤に仕立てる」
別の医師はこう続けた。
「私たちの敵はガンであって、医師でも医療従事者でもなければ、患者でもない。
敵が明確でありながら、おせっかいな弁護士によって翻弄されるのは心外だ」と。

私が違和感を持ったのは、その人は本当に“変な弁護士”だったのだろうか、という素朴な疑問だ。
まず、自身の過誤は一切疑いもせず、患者の視点で医療を語る資格があるのだろうか、と思った。
次に医療過誤を疑う視点を持った賢い患者に対して、医療過誤に仕立てる(弁護士が関与していても)
という発言は、聞いていてこの医師たちの世間ズレを痛感したのは、私だけではないはずだ。

また、どこの病院の医師たちは親切だとか、どこは横柄だとか、
そうした発言を公の場、特に記事になるような場面で話す価値ある内容なのか、と残念に思った。

結局のところ、すべては患者側にしわ寄せがくる。
情報がわざとわかりずらいように、不親切にしてあるシステムや、医師や医療従事者の対応、
最たるものは、医療費や医療内容だろう。

某大学病院の総合受付には「クレーム処理マニュアル」が堂々と置かれている。
そこに疑問をもてないスタッフがいて、それを指導監督できない管理者がいる。
やれやれと思う。
細部に目がいってしまう私もどうかと思うのだが、
これは医療過誤にあってきた患者が身を護る術だとご理解いただき、
病院選ぶに役立てて欲しいと切に願う。

日本の医療・・・というよりも、マンパワーが欠如した状態で、
円滑な人間関係やサービスが行えるとは、私には思えない。
だからこそ、ビジネスチャンスがあるとにんまり頬を緩めている自分がいる。


 




撃沈、不調はしんどい

2010年03月29日 16時31分58秒 | エッセイ、随筆、小説




私の場合、全身が激痛なので、熱も頭痛も体の節々も、最悪な状態にならない限り、気が付けない。
今回もそうだ。
熱が38度続いていたことにようやく気づいた頃には、激痛のために寝返りもうてない。
久しぶりに、痛みで睡眠が阻害される数日を過ごし、誰とも話をしたくない心境に陥った。

いつまでこの状態が続くのだろう・・・と思うと、やっぱり不安になる。
彼氏が心配してくれるものの、それでも治った?とか大丈夫?とかいうメールが届くと、うんざりする。
申し訳ないとは思うのよ。
でも、治らない病気を抱えている以上、治った?はないと思うのよ。
それはなによりも酷な質問でしかないのだから。

献身的に看病してくれる愛犬たちと一緒に、毛布の中で時間をやり過ごしていると、
不調にもかかわらずにゆっくり休めない自分の性格というものが、露呈してくるよう。
それはどのようなことかというと、不調なのにもかかわらず、健康だった頃に近づこうとするというか、
健康なふりを演じるというか、自分でもなぜそうするのかがよくわからないのだけれど、
でも、元気ではない・・・とはなかなか言えない性格に、泣きたい気持にさせられる。

ゆっくりと休んでもいいのに。
証懲りなく、どうしても休むことに罪悪感を持ってしまう。
自分でもやれやれと思うものの、どうすればよいのか、出口のない迷路に迷い込んでいくようで怖い。
すべてが怖くてたまらない。

桜の開花予想がニュースで流れている。
今年はどこへ桜を見に行こうかと考えている。
着物は着れるのだろうか。
誰と桜を見ようか。
なにを食べようか。

他愛ないことを考えて、今日も一日が終わる。
私、生きていく自信がない。
ひとりで臨む事故処理も、そろそろ限界がみえる。


 


記憶の海(TBS 午後11:40スタート)

2010年03月22日 16時57分39秒 | エッセイ、随筆、小説




事故により記憶をとどめておくことができなくなった男性と回復を願う恋人を通し、
記憶の本質を問うドラマが今夜からはじまる。
脳医学の研究チームらが別の人間の脳を媒介してコンピューターに記録することに成功するなど
「記憶が記録できれば便利」だとの理由で実験の続行などは戸惑いを覚えるものの、
記憶とはなにか・・・について考えさせられることには、深く興味を抱く。

私自身が交通事故被害によって、記憶力の低下が深刻な状況を経験しているため他人事ではない。
また、記憶の代用を他者の脳に頼ることで、不具合や失敗が少なくなったために、
障害を工夫することが可能ではないかと考えるように至った背景と比較したいと思ったりもした。

覚えていない・・・では済まない出来事との遭遇や
どうせ覚えていないはずです・・・との他者の、特に医療関係者からの無理解には
愕然とさせられたりしたことを思い出した。

また逆に、理解してくれる人たちの温かな姿勢の根底にある大切なものや、
その大切なものが障害を和らげてくれる起爆剤になるなど、私なりの見解も感想として書けたらと思う。

 

上記、「記憶の海」のドラマ内容に関するコメントは、
讀賣新聞記事試写室を参考にさせていただいていることを追記する。

 


 


高次脳機能障害への取り組み

2010年03月22日 11時03分39秒 | エッセイ、随筆、小説





築地で鮨を食べた後、銀座にある御茶屋で抹茶と煎茶をいただく。
久しぶりの銀座の風景はやはり華やかなもので、
とあるスタイリッシュなデザインの御茶屋がパリに進出した話題で
お茶屋のスタッフとここもニューヨークに進出して欲しいよね~としばし団欒する。

黙っていれば私の障害はわからないものだろう。
わからないのではなく、見えないものだから、他人がそう思うわけだし、
自分もないものに出来るのだと考えた。
私がしんどいとか苦しいとか痛いとか言わないかぎり、ないものにできるのだ、と。

前日、大喧嘩をした彼氏と8時間にも渡って話し合いをした。
最終的には「素直という言葉が英語にも韓国語にもない」という話題に行き着き、
たぶん、それが私たちが喧嘩をする一番の原因だとお互いが理解した。
言葉の壁でもなければ、価値観の相違でもない。
素直さという解釈がほんのすこしだけずれてしまっていたために
感情までもがひねくれて、ささくれ立って、誤解を生じさせる要因になるのだと結論つけた。

それは正直さとはいささかニュアンスが違っていて、
素直な気持にさせる側にも受容する態度が備わって成立する感情なのかもしれない、と思った。
素直になって・・・は私はそうそう使わないフレーズだとも思った。
きっと、相手が素直になれない状況がわかってしまうためかもしれないし、
自分に受容する用意がないことも、素直になる・させる時熟が今だと思えないのか、
素直を要求しないわ、と呟いた。

私たちの共通事項は「言語」だ。
私は日本語に深い思い入れがある。
彼のマザーランゲージ(母国語)は韓国語、だが、アメリカでの生活が韓国以上のために
感情の多くを表現する言語は英語を使用する。
その三ヶ国語はネイティブレベルで、他にマンダリン(北京語)とスペイン語が使用可能だ。

私が使用する日本語は文学を基本としているために、
要求される日本語のレベルがあまりにも高度過ぎるとも指摘を受けた。
それと、美的感覚が鋭いために、そこに入らないものを拒絶したり排除する傾向にあること、
それは一種の才能でありながらも、それが凶器になる危険性があること、
多くの人はそうした美学では生きていないものなので、
その世界観で生きていない人たちにもわかりやすく説明してもらえると、才能が生きる等。
確かに・・・と思えた。

高次脳機能障害のためか、言い尽くせない感情が沈殿し過ぎると不安定になり泣けてくる。
おそらく自分の不甲斐無さ・・・というよりも、障害を自覚できてしまうがために、
どうしたらよいのかわからない困惑と共に、相手の理解がなければ自分が辛くなるためかもしれない。
だからといって私はいままで「体調が悪い」とか「しんどい」とか「障害のせい」だとか
言葉にできずに、いつもで「大丈夫」で片付けていたように自分を振り返る。
ぐちぐちとブログに感情をぶつけるものの、
日常生活を送る上で同様にできたかといえば嘘で、どこか格好をつけて、自分を演じてしまう癖が
結果、自分をどこまでも追い込んでいくことを知った。

ある女性が高次脳機能障害者を受け入れるケア施設を来月OPENさせる。
東京のど真ん中という立地にもかかわらず、施設内はとてもきれいで落ち着く環境がある。
そこで私が働けるようにと思ってくれた支援者が、早速社長と会ったのよ、と連絡をくれた。
それからどうすれば人間が楽しく幸せに痛みを感じずに生きれるのか・・・の第一弾として
手当てを学ぶ環境を提供してくれた。
そのひとつが、医療に近いエステを教えてくれる人を探してきてくれたことで、
早速、木曜日から講座は開催される。
人と出会っていくことによって、自分が磨かれていくのだとも思う。
私は事故後、人との出会いを避けてきたフシがあることに気づいたりもした。
環境的にはいつも恵まれていた・・・というのに。

軽度ではあるものの、脳の機能障害のために神経疲労は想像以上に身体に重く圧し掛かる。
また、頚椎や腰椎の狭窄は、首や腰の稼動域の制限だけではなく、激痛でしばし嘔吐すらする。
でも、それが私の体であるならば、それと友達になるしかないし、
身近な人たちにもそれとは友達になって、よき理解者になってもらうのが一番だと思った。

きっと、病気や障害を抱えていても、人が希求するものは同じなのだと思う。
よい人と出会うこと、よい人と語らうこと、よい人に理解してもらうること、よい人を理解すること、
そこには笑いがあり、ぬくもりや優しさが溶かされている。
成熟した社会で事業を成功させていくには、人間として希求する欲求に
素直に耳を傾けることが必要なのだと思った。

銀座の空が青く澄み渡る。
ビルとビルの隙間から切り取った絵のように、静寂の中に動くものは雲だけ。
白くてふわふわとした雲が風に流されていく。
頑張ろうと思う。

 


 


僕の立場とは・・・

2010年03月19日 21時22分39秒 | エッセイ、随筆、小説




 

韓国中華を大久保で食べている最中、私と恋人は大喧嘩になってしまった。
私が現在の話をしているのか、それとも過去のそれなのか・・・が理解できなかったために、
恋人に些細な質問をした結果、それに逆ギレ、なぜか私が責められる羽目に。

なぜ、過去のことだよ、とか、ごめんね・・・とか、
心配しなくていいよ、とか、そういった言葉で切り返せないのかと不思議に思う。

私の脳みそはうまく機能していないために、ごちゃごちゃと話をされると理解できないし、
話が飛び石のように転々とあちこちに散乱すると、集めることもできない。
なんとなく、こういった話をしているのだなぁ~程度でしか、わかっていないのだ。

あまりの頭痛がしたために
「ごめん、私の障害のせいか、わかるように順序立てて説明してもらいたい。それと頭が痛い」
と恋人に伝えた。すると、
「僕には普通にみえるし、障害があるなんて思ってない」と返された。
「なんでも障害のせいにされるのはずるい」とも言われた。

「そうじゃなくて、大きな声を出されたり、予期せぬ言葉に過剰反応してしまう障害だということを
頭の片隅にでも置いてもらわないと、私の方がしんどい」と言った。
が、今度は「僕が精神障害だとでも言いたいのか?」とまた大きな声を出されたので
「もういいよ」と言って、私は大きな溜息をいくつも漏らすことになった。

今日は歌舞伎町のど真ん中にある病院へ行き、私の画像やカルテ開示の手続きを済ませた。
恋人宅までは徒歩でもいける距離なので、
「もし時間があったら会って話がしたいのだけど」とメールで伝えた。

何通かのメールのやり取りをした後、受信した内容を見て私は愕然としてしまった。
我慢の限界・・・というか、堪忍袋の緒が切れた音がした。
私の大切な留学面接前には“私の立場を無視”して喧嘩をしたくせに、
「仕事をしている僕の立場も考えてください。今日は無理です。明日にでも電話をしてください」と
冷たく、私からの連絡が迷惑だと言ってきたのだった。

“僕の立場”ってなんだろう・・・と思った。
そんなに大それた立場など存在するのだろうか、と。

てくてくと新宿三丁目を目的なく歩いた。
金曜日の夜の雰囲気を味わいながら、頭を冷やしながら、いろいろなことを考えていた。
最終的には連絡をする気持ちが失せた、のが私の本心であり、結論に至った。
私の事情を伝えたにもかかわらずそれは無視され、“僕の立場”だけが過剰に主張されたかたち。
怒りを通り越して、ただ呆れてしまった自分を自覚できたので、
その瞬間からすべてが馬鹿らしく思えて仕方なかった。

私からはもう二度と連絡はしないだろう。
私は素直に自分の気持ちを伝えたし、私にも悪い部分があったことを詫びた。
それでも彼は私の気持ちを無視して押し退けてしまったのだもの。

思うのよ、この障害ってとても厄介だと自分でも。
相手の理解がないと成立しないことがたくさんある。
それを言い出すと相手に事情を無理強いしているようで、とても嫌な気分になるの。
その後、矛先は自分を責め続けてしまうこともある。
でも、それでも理解しようとしてくれる人の存在はとても大きなもので、
とはいえ、面倒だと思われている感情も、障害があるゆえに敏感に感じ取ってしまう。
それが相手にはわからないからこそ、しんどさを我慢しきれなくなったときにはじめて
突きつけられた答えに動揺したところで、溝は埋まらないのよ。

だから、お願い・・・だといっているうちが花。
なぜ、私には大きな声や責め立てる口調が障害には禁忌だと伝えているのに、
譲ってくれようとはしないのかしら?
なにも言わなくなったら、終わってしまうだけなのに。






交通事故事件、医療過誤問題に発展

2010年03月18日 21時42分59秒 | エッセイ、随筆、小説



唸る弁護士。
私の5年半にも渡る交通事故以後の記録や医療機関の診療情報を穴が開くほど見た後にぽつり。
「これ、れっきとした医療過誤ですよ。協力医を探し、事故処理のチームに入ってもらう必要があります。
現在の残存する症状を見極めるためにも、検査入院などが必要になってくるかもしれません。
その辺、大丈夫ですか?」

僕の直感ですが・・・と前置きした上で、
「頚椎や腰椎の狭窄や脳萎縮などから、なんらかの問題が心身にあるのは事実だと思います。
髄液は脳を保護しているわけですから、その容量が減少すると、
記憶や感情など脳に関連する部分が不具合を起こすのは当然です。
でも、本当に高次脳機能障害なのか・・・は疑問なのですよ。
一時期、失語になられたようですが、文章も会話も常にクリアです。健常者よりも正常ですから」

もし交通事故に遭い、医療機関や弁護士などでお困りになっている人へ私が言えることは、
どうか諦めずに闘って欲しいと切に願うのです。
私は交通事故に遭い、損保会社からの嫌がらせ、医療過誤によって今尚体調は不安定なままです。
無理解な家族という不幸中の不幸という現実も引き受けてはいます。
今日も母がテレビで若年性痴呆の中年男性を高齢の父親が介護している番組をみながら
「これって平和ボケしているから、こんな若い人が痴呆になる世の中なのだ。精神力が足りない」
と真剣に言っているので、心の中で思いました。
また、想像の世界では母をぶっ飛ばしで、月へ送ってやりました。
(自分が当事者になったときに、平和ボケだとか精神力うんぬんだとか言えるのか?)。

無理解ほど人を傷つけるものはないですし、それほど怖いものもありません。
なにしろ、自分の親ですが、本当に情けなく思うことが多いので、やれやれです。
それから、交通事故被害者である私にも、被害者になるような運命の“私”が悪いそうです。
だから加害者は悪くないのだ、との主張です。
犯罪天国日本という著書が自宅にありますが、
それを容認する思想が日本人にあるとしたら、とても残念だと思いました。
自分が被害者になってから痛感しても、現実は自分が思っていたものとは違う・・・では
本当に遅いのです。

母の無茶振りを目前にすると、交通事故事件に限らず犯罪被害者やその家族に向けられる視線が
冷たいものである理由がわかるような気がします。
日本の風土や教育の中に、もしかしたら私たちにも気づかないようにそっと、
いいや、人間の業の中には他者を差別する瞬間を待ち望んでいるなにかが存在するのだと思います。
毎日、責任の所在をうやむやにする政治家や犯罪者の言い分が氾濫する生活を送っていると
気力が殺がれていくように思えてならないときがあるのです。
でも私もしぶとい人間なので、自分が生きていくために、生き抜くためには
自分を納得させる結果がいつしか必要になっていきました。

世の中を変えたいなど大それたことは考えていません。
でも、犯罪者や間接的加害者含め、やりたい放題の社会を容認することは私にはできないだけ。
それでは被害者を増産するだけにしか社会が機能しないと強く思うからかもしれません。

医師や弁護士の力量が患者や被害者のそれになる。
言い換えれば、社会的地位のある職業に就いているからといって、
信用や信頼に値するか否かは、やはり私たちの目や直感に頼らざるを得ないところがあります。
私自身、円滑に事故処理ができたわけでもなければ、まだまだ進行中の案件ではありますが、
それでも諦めずにきた要因はなんだろう・・・と考えたとき、
“潮目は必ず変化する”“時熟”との言葉が、しっくりと内面を表現してくれる気がします。

孤独な闘いです。
とても過酷で、残酷でもあり、厳しい時間の連続です。
世の中や人間は曖昧で、誰かの都合で障害者になったり健常者になったりさせられる。
でも本当のことは、痛みを感じる本人にしかわからない。
本人にもどうすることもできないことがある。
が、やり続けることなのでしょう。
それはきっと、生き抜く作業だと信じているからかもしれません。

さて、話は脱線しましたが、私が高次脳機能障害ではない・・・になりそうです。
であるならちょうどいい。
交通事故や医療過誤によって困窮している方々のお役に立てる日がくることが
私の今の目標であり、経験が生かせる道なのだと考えています。





見えないものと見えるもの

2010年03月17日 10時12分24秒 | エッセイ、随筆、小説





気づかいは裏切られ、
社交は続かず、
感情労働は挫折する。
そんな破綻の先で、
人はようやく
他者と出会えるのかもしれない―

「見えないものと見えるもの」
著者 石川 准 (医学書院)
http://fuji.u-shizuoka-ken.ac.jp/~ishikawa/mienaimieru.htm



障害学という学問に出会ったのは、東大の福島先生の影響があったからだ。
福島先生の優しさに触れたときに、障害についての概念がとてつもなく変化した。

どのようなことかといえば、通常、社会で言われる障害者とは、精神・身体を指すわけだけれども、
私が交通事故受傷によって障害者のレッテルを貼られた後に感じてきたことは、
健常者側が気づいていない、健常者自身の障害の存在だった。
つまり、心が捻じ曲がっているというのか、なにしろ荒んで、醜く、見ていて気の毒で仕方なかった。
追記すれば、障害者を生み、障害者から金を巻き上げている輩もいるわけで
(これは社会的地位のある職業に就いている方々のことで、決してやくざなど特別な世界の話ではない)
そうした現実を当事者として関与してくると、もういい加減にしてくれ・・・というのが私の本音になった。

他者と出会える。
もしかしたら、本気で他者と向き合えるのかもしれないと私も思ってきた。
障害を持ったことで見えなかった世界や人間の本質のような部分が浮き彫りになって(本人含む)
私自身は世の中を見る目も自身の人生観までもが、今までのそれとは相違してきた月日があって、
そこでしか成立しない奥深い人間関係に支えられて、今まで生きてきたように振りかえる。

恋人との出会いも、現在継続する関係性においても同様で、
他者ともう二度とこのような付き合い方はできないと思うような、
愛情や優しさに護られている安心感があるからこそ、いろいろな人とも会えるし、
面倒な交通事故処理にも対応できるのだと理解している。

障害って本当はなんなのだろう・・・とよく考える。
障害があっても幸せな人もいれば、障害がなくても不幸な人もいる。
たぶん、答えなんて、その程度のシンプルなものなのだろう、きっと。



 

 


障害者と健常者の間で・・・

2010年03月15日 22時37分30秒 | エッセイ、随筆、小説






もっと愚痴を言えばいい。
僕だってたくさんの愚痴を聞いてもらっているように、なんでも言えばいいんだよ。
こっちにおいで。

交通事故被害者で構成されているある家族の方から連絡が入った。
私は午後のお茶を楽しんでいたところだったので、
正直なことを言えば、この連絡がせっかくの時間を台無しにしなければいい。
そう思っていた。

今度弁護士に会うときに面談料を甘えないで支払いをしっかりして欲しいこと、
それから前回の弁護士にかかった費用については、なぜ70万もの費用が別途かかったのかしら?
それはあなたの障害が、これは交通事故処理には有効な情報収集じゃないとか、
そうしたことがわからないのは、やっぱり障害のせいなのかしら?
だから無駄な費用が発生してもわからないものなの?

私は絶句した。
それはときに健常者の態度に、あちら側の身勝手な都合によって
私が障害者になったりならなかったりを決められている出来事に幾度となく遭遇したためだ。

今回もそうか・・・と思った。
すこし、いいや、たくさん、悲しい思いにさせられた。
だから、そうしたことを未然に防ぐためにこそ、家族の方々には弁護士の選定や資質を
確認してもらえたら事件処理はよりスムーズにいくのに・・・と思ったりもした。

午後の楽しいお茶の時間だったので、交通事故処理へ意識が無理やり変化させられて、
私はどっと疲労感に襲われてしまった。
となりの部屋で仕事をしていた彼が私の落胆にすぐさま気付いて、
「こっちにおいで。僕が一緒にいるから。愚痴でもなんでも僕にぶつければいいんだよ」と言ってくれる。
私は子供のように彼に甘えた。
そして、彼の腕の中で包まれながら、このやさしさやぬくもりがあるからこそ、
心が折れないでいられるのだと感謝した。
愛情というものがなにかを初めて教えてもらっているのだとも思った。

人に甘える術を知らなかった私が、彼の存在があることで変わりつつある。
5年もの間、正式には5年半もの時間を、ひとりで交通事故事件の処理に奮闘してきた。
もう限界だと匙を投げてもおかしくなかったときに、私は彼と急激に関係の距離感を知縮めた。
そして、今に至る。

障害者であろうと健常であろうと、僕の気持ちはなにも変わらないよ。
だから安心していればいい。
僕がいつでも傍にいるのだから。
僕はどんなことがあっても味方なんだから。



Romantic Rehabilitation

2010年03月14日 15時08分36秒 | エッセイ、随筆、小説





最近ねふと思うのよ、と私が言うと、キーボードをかちかちと叩く指先を止めて
いつもの優しい笑顔を浮かべて、「なにかあったの?」と柔らかな眼差しで私をみつめる彼。
南向きの部屋の窓から、春光のシャワーが燦々と降り注ぐ。
「夏になる前に韓国と香港へ行こう。一緒に観たい景色があるんだ。
それから食べさせたい料理やスイーツもある。きっと気に入ってもらえると思うんだ」

この人が私の生活から消えてしまうことが、
彼の低くてすこし掠れた声、アメリカの柔軟剤のニオイ、温かな胸、思わず抱きしめたくなる背中、
頬を這う繊細な指先 - ずっと傍にいてほしいと思うからだと思っているからこそ、
今の生活がなくなってしまうことが想像できないってふと思うことがあるの。
今日みたいに、青く澄み渡る空を眺めていると、ふと。

普通のデートというものを経験したことのない過去の恋愛を振り返るとき、
とても贅沢なもの、たとえば自宅に高級者で迎えにきて、そのまま銀座で高額なデートを。
でも、私は作り笑いのままで、どうしても楽しいとは思えなくて、本当に好きなのかが不明で、
いつも昔の男たちからは嫉妬を受けてきた。
そして、似たような終わり方をして、いつも私が嫌いになって、振られるために女優になった。
だから過去の恋愛に未練もなければ、特別な思い出も思い入れもないことがわかった。

「時計の文字盤とストラップが赤いデザインのものが欲しいって言っていたでしょう。
これ、似合うかな?」と彼がベッドに腰掛けている。
こっちにおいで、と私を誘い、時計を付ける右側の手首をそっと持ち上げて、彼の時計をあてがう。
「いいんじゃない?とってもかわいくみえるよ」

他愛ない毎日が、彼と重ねる時間の一秒一秒が、私にはリハビリになっているのだと思う。
会話も、笑いあうことも、街を歩くことも、彼に抱きしめられること、重厚な安心感、信頼、愛情が
私の快復には絶対に必要なもので、それがあるからこそ彼となら二人三脚もできると思える。
いや、彼がそう私に思わせてくれたのだもの。

誰かに心配してもらったり、愛されたり、甘えられるっていいものね。
とってもシンプルなものだけど、今までの私の生活にはなかった存在だった。
だからあなたを大切に思うし、これからも大切にしたいと考えているのよ。

歩きまわっていたので、疲れるわけだよね・・・と言って
カフェで休むことにした。

私は障害当事者が被写体となっている写真集「ロマンティックリハビリテーション」を読みたくて、
ロマンティックリハビリテーションを無意識のうちに実践してくれているボーイフレンドと一緒にみて、
彼と語り合いたかった。
でも、3件目の本屋でも売り切れだったので、今日のところは諦める。
「そのかわり、いつものカフェに寄ろう。大好きなイチゴショートをクリームいっぱいにしてもらって、
また仲良く食べて、その後はのんびり歩いて家に帰ろう。
お風呂に入ったら、マッサージしてあげるから」




弁護士と、交通事故にまつわる人間模様と日本の現在を語る

2010年03月12日 06時58分07秒 | エッセイ、随筆、小説






それにしても醜い金の取り方をする医者だなぁ~と呆れ果てました。
良心の呵責など、このような人間の辞書にははなっからなさそうですね・・・と弁護士は苦笑する。

交通事故に遭わなければ“醜い人間たち”には出会わなかっただろう。
詐病だと言うのが仕事である損保会社関係者たち(私のケースではそうでした)、 
自殺をする運命なのだと預言者に変身する加害者加入損保側顧問弁護士、
わからないと言えない医者や医療関係者、ころころと診断名を変えるのではなくて、
病者や障害者から汚い金の取り方をするのであれば、
医師法に抵触する行為を仮に『仕事』と呼称するのなら、もっと胡散臭さを払拭させろ。
すくなくとも国立大学を出て、受験戦争には勝ち進んできたのだから。
でも考えると、だからこそ、胡散臭さがにじみ出るのだ。
その答え・・・・・は馬鹿だから。
人間として、と追記しておく。

と私が「これじゃまるで悪口でしかないので、もっと利巧でスマートな方法で悪人退治をします」と言うと
「しぶとさも潔さもわかっているのだから、鬼に金棒ですよ」と弁護士は笑っている。
とはいいつつ、交通事故に遭わなければ盟友にも他素敵な人たちとも出会えなかった。
自分を知る機会にもなったし、そもそも諸行無常の精神観、
生きるのも悪くないと思わせてくれる木々の色彩や見事な桜の晴れ舞台など。
もちろん、私の事納めは(交通事故処理)この弁護士とでしか行えないと思うからこそ、
本音でぶつかっていけるのだと思う。
そして、弁護士も正直でいてくれる。
おそらくこの案件が片付いた後も、長い付き合いになりそうですものね、と笑顔の絶えない弁護士が
子供のような表情を浮かべ、私の目前でコーヒーを啜っている。
「ケーキを食べたいところだけど、精進した方がいいと思う?」

若者は、日本の若者たちは、将来に夢も希望も抱けないという記事を読んだ。
「夢や希望は闘病でも一番大切なことです。科学の進歩や医療技術ではないもの」と私がぽつり。
「結局のところ、たったひとりでいい。いい大人を知っていれば若者たちの見本になる。
僕は自己責任論で若者や日本の人たちを一喝することはできない。
それは、自己責任で片付けなければ都合の悪い輩を見てきたわけだし、司法の冷たさも残酷さ、
すべての“正当な”弱者を救済できない歯がゆさも同時に持ち合わせている。
でも。
しぶとく、強く、優しい大人たちに自分も救われてきましてね・・・
弁護士も十人十色、ただ自分は鮮やかな色にならなくてもいい。けれど、くすんだ色、
つまり、弱者をさらに弱者たるものに陥れるような仕事のやり方はできませんから。
それが弁護士でいられる理由ですし、自負です」と。

きらきらとした瞳がまるで夏の日の海辺にいるような水面の輝きに似ていた。
しばらくその夏の日の光景にみとれていると
「あなたをみていると夢や希望を持てる、という作業を今現在、あなた自身も行っているわけです」
弁護士は「自覚しなさい」と私の頭にぽんぽんと二度、優しく手をのせた。

人間はエネルギーの奪い合いをしているのでしょう。
それはお金というエネルギーだったり、資源、もっと根本的なことをいえば、
人と会うことで元気になったり、逆にエネルギーを消耗したりが日常で、それが生活だと。
その中で現在の日本を語るのであれば、日本人は日本人を苦しめ、日本人から略奪し、
夢や希望を奪い続けている。
そんなことをしているにもかかわらず、
若者を草食だとか根性が足りないとか内向きだとか、甘えているだとか。
非難中傷の言葉を列挙してみたところで、ではそれは若者だけのせいなのか・・・と思う。

世の中は表裏一体だ。
以前でいえば表は堅気の人を指し、裏といえばやくざ稼業を言ったものだろう。
けれど、今は表の人たちにもやくざ以上の、金になればなんでもやるという人種が出現した。
もっと言えば、そうした人種は本当は以前からいたものの、
私たちはなかなか見えなかっただけかもしれない。
そして、絶対的にやくざと相違するのは、責任を追及されて“オトシマエ”には絶対だという世界と
言い訳をちんたら平然と言って、逃げようとする去り際というか、生き様の温度が
顔をつくるのだと思った。

「いい顔をしていれば、いい顔の若者をつくれるのだと思う。
だから自分の顔には責任を持て。それは美人美男子ではなく、
目や表情や雰囲気として形成されてしまうものだから」

私はこの弁護士との出会いによって、生きる意欲が湧き上がる。
痛いとか辛いとか言っている場合じゃない、そう思わせてくれるのだもの。