新宿区にある某大学病院へ。
診療録(カルテ)開示手続きを行った。
各種書類手続きを行う列に並んでいると、カルテ開示は総合受付が担当だと追い返される。
ここで待たされること30分。
また並ぶのか・・・と思うと、全身の力が抜け落ちていくよう。
しかも、体調がいいとは限らない相手に対して、そうした患者側の視点が抜け落ちている・・・と悲しく思う。
突如、私の目に飛び込んできたこと、耳に入ってくる他者の個人情報、
こんなずさんな状態の中で「個人情報取扱のために」などとぬけぬけと言えたものだと感心してしまう。
視覚には「クレーム処理マニュアル」が堂々過ぎるほどに机上を占領しているので、
「こんなところに置いておくと、それこそクレームの矛先を向けられますよ」と言って担当者を諭す。
すぐ横では私の実家に程近い住所の年配の男性がひとり、診療録開示についてもめていた。
話によるとお子さんが医療事故による後遺障害が酷い様子。
昭和37年当時の診療録と言われても医療機関も困るだろうが、年配の男性も藁をも縋る思いで
ここに訪れたことが伺える。
ふと思うのは、どれくらいの人が診療記録の保存期間を把握しているのだろう・・・という疑問だった。
その点、大病院ほどその辺の管理は徹底しているので、保存期間は猶予をもって取扱っている。
が、逆に、個人病院については他に医師がいないために、
診療点数の不透明さなどやりたい放題だ。
ある都立病院で説明を受けたことだが、交通事故など通常の怪我や病気でない場合は
10年以上も診療記録を保存しているとお聞きした。
私と相性の悪い個人病院医師は「捨てた」と吐き捨てた。
今度、さまざまな状況で必要となる記録であるがゆえに、診療記録は患者自身のもの、
その意識を根付かせていくことが、多少は医療者へのプレッシャーになりはしないだろうか。
余談だが、これまた驚いた記事をみつけてしまった。
ある医師たちの「国立がんセンター」についての会談内容だ。
それは医師28人によって編集されている、いわゆる医療者向けの質の高い無料雑誌のようなものだ。
ある医師が言う。
「こっちの治療がすこしでも間違いだと疑われると、変な弁護士がしゃしゃり出てきて医療過誤に仕立てる」
別の医師はこう続けた。
「私たちの敵はガンであって、医師でも医療従事者でもなければ、患者でもない。
敵が明確でありながら、おせっかいな弁護士によって翻弄されるのは心外だ」と。
私が違和感を持ったのは、その人は本当に“変な弁護士”だったのだろうか、という素朴な疑問だ。
まず、自身の過誤は一切疑いもせず、患者の視点で医療を語る資格があるのだろうか、と思った。
次に医療過誤を疑う視点を持った賢い患者に対して、医療過誤に仕立てる(弁護士が関与していても)
という発言は、聞いていてこの医師たちの世間ズレを痛感したのは、私だけではないはずだ。
また、どこの病院の医師たちは親切だとか、どこは横柄だとか、
そうした発言を公の場、特に記事になるような場面で話す価値ある内容なのか、と残念に思った。
結局のところ、すべては患者側にしわ寄せがくる。
情報がわざとわかりずらいように、不親切にしてあるシステムや、医師や医療従事者の対応、
最たるものは、医療費や医療内容だろう。
某大学病院の総合受付には「クレーム処理マニュアル」が堂々と置かれている。
そこに疑問をもてないスタッフがいて、それを指導監督できない管理者がいる。
やれやれと思う。
細部に目がいってしまう私もどうかと思うのだが、
これは医療過誤にあってきた患者が身を護る術だとご理解いただき、
病院選ぶに役立てて欲しいと切に願う。
日本の医療・・・というよりも、マンパワーが欠如した状態で、
円滑な人間関係やサービスが行えるとは、私には思えない。
だからこそ、ビジネスチャンスがあるとにんまり頬を緩めている自分がいる。
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