風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

ホ・オポノポノ ライフ in 南仏

2013年04月17日 20時15分35秒 | エッセイ、随筆、小説

カマイリ・ラファエロヴィッチ著者 ホ・オポノポノライフを何度か読み返す。

南仏へ移住するにはそれなりの「覚悟」をしたつもりだったのだが、それが全く足りなかったようで。
いまさら当たり前なことを言っても仕方ない。けれど、性分はそう簡単には変わらない。
旦那とは24時間常に一緒ということも重なって、自分のバランスを整える暇もなく、また明日がやってくる。
人にあったり、これからの仕事や生活の段取りを考え、お金の工面をしたり。
で、バランスを崩す。

日本に帰りたい気持ちなんてこれっぽっちもない。
のに、わたしときたら、帰りたいと旦那に責め寄る始末。もちろん、これには他にも理由はある。けれど、ずっとこんなことを繰り返してきたような気がした。

ありがとう。
愛しています。
ごめんなさい。
許してください。

ホ・オポノポノが基本とするクリーニング方法は至ってシンプルだ。この言葉を心中で繰り返す。わたしは花を生けながらこの言葉を繰り返すと、落ち着きを取り戻す。

あなたが、あなたの周りの人が、細胞が、家が、土地が、時代が、地球が、傷付いている。
優しい気持ちを自分にすら忘れがちだからこそ、わたしがこの考えに魅力されるのだろうか。今夜はフレジュスで女性ミーティングに参加、瞑想のひとときを皆と共に過ごす。




添加物の話、フランスで日本の食を疑う

2013年04月16日 08時22分18秒 | エッセイ、随筆、小説

フェンネルとズッキーニでスープを作る。
味付けはプロバンスハーブと塩、胡椒のみ。

フランスにきて、まぁ、こちらの塩気のない家庭料理の悲惨さはまた別の機会にでも記すとして、今日は添加物や化学調味料の話を少し。

皆さんは自分がどの程度添加物を口にしているか考えたことがあるだろうか?
わたしは体を壊してからは、特に添加物や化学調味料が口の中でピリピリと弾けるようで、体が受け付けなくなった。とはいえ、もともとコンビニ弁当も冷凍品もほぼ食べたことがないに等しい食生活だったので、知人や友人宅へ行くよりも、我が家でもてなし食の大切さを話題にしたこともしばしば。実家の母も冷凍品は
苦手だったので食べたことがない。

日本人の、年配の方はここでの主題ではないので割愛するとして、若い男女の肌がなぜここまで荒れているらのかとよく思う。日本では企業と政治の関係が少なからずあるのだろうが、なんにでもポイポイと添加物が含まれている。コンビニでは塩むすびですら本来の「塩と米」が原料ではすでになく、添加物名が記されているのでわたしは食べる気が失せるのだ。当たり前になり過ぎている日本の常識を疑ってみるのも悪くはないだろう。


フランスへの幻想を持たないわたしだが、フランスで恵まれたと思うのは、無農薬野菜やオーガニックコスメを懐に優しい価格で購入できることだった。例えばわたしが日ごろ使っているオーガニック系のエッセンシャルオイルやマッサージオイルは、日本の市価より五割安い。要はすべてが半額以下で購入できる。

日本は生活費、特に日々食するための最低限の生活を維持するためのものにまで税金をかけているため、フランスにきてあらためて驚いた。しかも、収束しない福島原発の責任所在を棚上げし、電気料を値上げしたり、他の原発稼動へと国民を誘導している。

選択肢を持ち得ないことすら気付けない社会が、本当に豊かなのかと疑問を持ってしまう。フランスの家庭料理もなかなかひどいものの、日本の添加物漬け食品もどうかと思うのだ。


福島産の野菜や果物などが市場に出回っている話をしたとき、フランス人は皆一様に驚く。風評被害がどうのという議論は政府や東京電力の責任回避策でしかないわけで、国民の健康などどうでもいいのだろうか。それともわたしが無知なだけか。


ちなみにわたしの周囲には、チェルノブイリ原発事故時、ポーランドで子供時代を過ごした友人や家族がいる。皆が日本でいうところの慢性疲労症候群を発症しており、医療でできるすべてのかけとをし尽くしても、体調の変化はいまだ見込めないのだと言う。

日本にはわたしの家族がいる。友人や仲間がいる。
数年後を考えるとき、気の利いた言葉が今のところ見当たらない。



日本人の知らないフランスの現実

2013年04月13日 17時58分17秒 | エッセイ、随筆、小説

土曜日の今日、引越し荷物もあらかた片付き、姉から結婚祝いディナーチケットをもらう。
南仏ニースとフレジュスの間あたりに位置するヨットハーバーにあるフレンチレストランで旦那とロマンティックなディナーを楽しんだ後、フレジュスの友人宅へ。
こちらは夫婦共に医療関係者だ。

で、フランスの現状に議論は白熱していく。
日本には生活の中にふと息を抜く隙間があると指摘された。
考えてみれば、確かにお茶や風呂は息を吸い込むのではなく吐き出す時間だから、
体中から疲れや埃なんかを外へ出してバランスを保っている。なるほどと思った。

フランスの出生率や出産の話題に移行。
ここにはいくつものカラクリがあり、フランス人の出生率が上がってあかるわけではなかった。
中東やアフリカからの移民が多産傾向にあるだけで、フランス人女性はといえば、結婚や出産で企業から退職を促されても反論の余地がないのだと聞かされ絶句した。
しかも、社会保障は高額な税金からまかなわれているが、未納税者である外国人の医療費も血税からの支出のため、フランス人が利用していた病院がバタバタと閉鎖に追い込まれている。
わたしの住んでいる南仏のある街もアフリカや中東からの移民が多く旦那は驚いていた。
移民問題の深さをまだ把握しきれていないものの、宗教や習慣または人間関係の閉鎖性はわたしでも気づくように、移民しながらフランス語を学ぶわけでもなく、コミュニティに溶け込もうともしない。
日本もますます外国人が増えていくだろう未来を前に、フランスの二の舞にならないように対応する必要があるのだろう。

で、ひとりの妻だけではつまらないからと、イスラム教に改宗したフランス人男性が友人のクリニックを訪ねたという。また、20年連れ添った妻と離婚した男性は、自分だけの時間が欲しいとの理由だけで離婚し、離婚後は毎日暇で仕方ないから、どうにかしてくれと相談に来た。ちなみに前者は30代、後者は60代だ。南仏のこんなにものどかで自然に恵まれた環境にありながら、なぜこのような輩が誕生するのかがわたしの興味を誘った。精神科医を受診するか、もしくは占い師を頼りる背景には、自分の人生に責任も持てない。自分で考え抜かないから納得できる回答もなければ納得できる現実を導き出せるはずもなく、自分のわがままや身勝手さだけを常に主張するから周囲とも摩擦が起きる。

正直なことを言えば、わたしは日本人男性が苦手だ。
交通事故以来、日本人男性のえげつなさや卑怯さをまざまざと見せつけられ追い込まれたことで、日本人男性と接するときは無意識に身構えている自分に唖然とすることがよくある。
とはいえ、たまたま不幸にも交通事故処理がそのような輩との接触を増やすだけであって、日本の方がまだましなのかとしばし考えこんでしまった。

なんでも話し合える優しい旦那にわたしは感謝した。
関係はだれとでも築き育めない。
だからこそ尊いと思うからか、やっぱり愛は大切だといういつもの結論にたどり着く。

わたしを含めた日本人の多くは、フランスには肯定的なイメージがあるのではないだろうか。
同性愛婚を認知する方向で進むフランス、肯定派反対派の背景を調べるともっと興味深いフランスがみたうるばずだ。





フランス版「よい気」「悪い気」

2013年04月13日 11時10分24秒 | エッセイ、随筆、小説

地中海を遠くに眺めるアパルトマンに引越し。
交通事故の後遺症であるMTBIの悪さに一憂することなく浮かれていた昨夜、とうとう事件が起こる。


わたしの荷物はスーツケース20個にもおよぶ服、
また服、時々靴、着物といった日本から持ち出した最低限の私物。
旦那はといえば、子供時代に使っていたボロい寝具からはじまり、なにせ物を捨てない。もとい、物を
大切にしている。と言っておこう!(笑)


漂白剤で食器の白さを保つ習慣がないせいか、おいおいこれはすでに捨てる代物だろうというものが、ざっと見積もりダンボール箱50個。引越してから数日が経過するものの、日曜大工しながら収納を作っていくため、なかなかはかどらない。


で、事件は紛れ込む。



フランス人、なぜか気の話が大好きな人たちがわたしのわまりにはやたらと多い。
しかも、交通事故の後遺症を抱えて、ストイックなほどに場所や地域にこだわるわたしの生き方を絶讃してくれる。わたしはただただ自分の体が楽になりた一心でしかないのだが、フランス人はその自己主張を興味深く見守ってくれる。
ある箱を開けると、二体の彫刻が現れた。で、その夜、体調を崩した。
彫刻の作り手は女性なのだが、生活が荒れ、大変だと聞いた記憶がある。
作品はわたしも好きなのだが、そこに宿るエネルギーがなんとも厄介なのだ。

腹痛や吐き気はじゅのくちだった。
このままではうちの家庭が崩壊する危機感さえひしひしと感じた。交通事故以来、そうした第六感的な能力がさらにパワーアップしたことは間違いないものの、安易に古い人形や大仏の頭だのモチーフが日本好き家庭からいただくのが、なんとも迷惑な話なのだ。
わたしは健康を理由に好意を断わることにしているが、ものに魂が宿ると信じてあるわたしは、ああ、わたしは日本人だと実感する瞬間でもあったり。清潔感の違いとまぁ食生活は置いておくとして、オカルト的感覚は慣れないだろうなぁと思わされる。うちの旦那もよくわたしの主張を許してくれるものだと感心させられる。

よい気の集まるコート•ダ•ジュールに、ドロドロした人間の欲や業は似合わない。
彫刻をダンボールへお戻りいただくこと、旦那の後ろ姿がなんとも哀愁深く、可笑しい。





フランスでの生活と日本

2013年04月12日 06時37分53秒 | エッセイ、随筆、小説

シャガールが住んでいた場所にわたしたちは移住した。
広いバルコニーからはニースの海が遠くに眺められ、標高1500mという土地柄、山も空も真近に見渡せる。
シティ(この地域の繁華街)へは徒歩10分も満たなく到着するのに、静かな環境が約束されている。
フランスでも芸術家が集まるせいか、洗練された人たちをよく見かける。
明日はマルシェ(毎週金曜日の露天朝市)でソーカを食べよう。

東京に住む母へ連絡をした。
わたしの部屋にある本棚から何冊かの本を指名し送ってもらうために。

少しずつフランス生活も慣れ言葉を覚え出すと、去年フランスの家族や親戚宅を回ったときにはなかった余裕が自分にあることに気付いた。国際結婚に憧れて外国人と結婚する日本人が多いことに驚くも、彼女たちがそうならざるを得ない土壌が日本には根深くあることも事実。
人間を幸福にしない日本というシステム、という一冊を読み直して、いまの自分ならどのような感想を持つのか自分を掘り下げてみたくなったのだ。

フランスは週36時間労働、年間5週間の休暇が法律で決められている。
日本に慣れたわたしは当初、フランス人が怠け者にみえた。
スーパーのレジはは常に長蛇の列で、効率の悪さが目に付くためだ。

けれど、同時に思う。
希望がないとはこういうことなのだろうと。
そして、日本も間違いなくフランスと同じ道を歩んでいる。
ただ違うのは、家族や大切な人たちと過ごす時間を重んじるフランスでは、日本のように誰かの意見に流されることは少なく、仕事に追われ人生を犠牲にするということも稀なような印象を持つ。
フランス人が怠け者にみえたように、日本人がロボットに見えるのは、日本では人間らしい生活を送り難い状況に置かれていることすら気付けないほどに皆が何かに追われている。

政権が交代した途端、アジアはきな臭さに包まれた。
福島第一原発の報道も朝鮮半島の緊張も、国内と国外では報道自体がまるで違う。
テレビや新聞はある一部の人たちにとって都合よいものなのだとあらためて痛感する。

フランスが好きで移住したわけではないが、ここなら人間性を回帰できるような気がする。
そして、人間らしい生活を取り戻したいと希求する日本人へもメッセージが届けられたら本望だ。
さて、マルシェへ行こう。
生活のフランス語に触れ、知り合ったおじいちゃんの笑顔に出会うために。