わたしはひとを好きになってもいいのでしょうか。
ふともたげた自問に、
途方に暮れゆく道をどうも歩き始めてしまったようなのです。
その道の先には人影が見えました。
じっと、しばらく眺めていると、歩き方の癖、
右側をかばうようなわずかな傾きがたり、
その人がわたしの大切な人であると気付きました。
わたしの大切な人には身体の一部がありません。
心が欠けているわけではないので、わたしはさして苦にしませんでした。
安易に捉えてきたわけではありませんが、
そこに踏み込むことをせず、今日まで生きてきました。
わたしたちはお互いを尊重し、大切にし、愛し合ってきたからです。
わたしが切なさを覚えたのは、その声を聴いたある朝からです。
その日、いつものように他愛ない会話を交わし、
いつもの、なにも変哲もない一日がはじまるはずでした。
あなたはモチーフというフレーズを話題にあげ、
セザンヌが愛した言葉であることを添えました。
モチーフを軽く説明書きし、
その言葉がなぜか浮かんできたのかをわたしに告白したのです。
それはすこしでも手に力を入れると粉々になるような、
それを持続することの困難さ。
そこであなたからのメッセージは一旦途切れるのです。
わたしはシャングリラホテル ロビー階に到着したばかりでした。
ホテルクルーとしばし談笑し、眺めのよいとっておきの席、
アロマティーの誘いにときめいていたときでした。
ラウンジからは東京が一望でき、
幸せそうに見えるカップルや外国人旅行者が織りなす喧騒の世界を過ぎたその奥に、
とっておきの席は行儀よく、品格に溢れ、上質感漂う時間だけをそこに集めているようでした。
お台場の先には房総半島が見渡せ、
冬の、ぴんと張り詰めた透きとおる大気は、
わたしの心の投影そのものだと気付きました。そして、わたしはあなたを想うのです。
猫の背中でも撫でていたのでしょう。
手の甲にさらさらとした感触を覚えたとほぼ同時に、
あなたからのメッセージが届きました。
足をなくした不自由さは問題にしないたちですが、精神的な苦痛や仕事や恋愛で、
自分なりに自殺等も含めて苦悶しました。
そんなときにも自分の中に、消したくても決して消えることのない、
これが消えれば楽になるという灯火の存在に気付いてしまうのです。
この灯火が僕のモチーフだと思います。
この灯火は想像以上に深く、繊細なエネルギーであることに最近ようやく気付きました。
現れ方は違いますが、僕とあなたのモチーフは同質なのです。
途方に暮れゆく道の先には、もうあなたの姿はありません。
あなたが描く柔らかな色彩の世界、優しく、力強く、
すこしでも手に力を入れると粉々になるような繊細さを内に秘めた、
あなたの中にいます。
わたしの大切なあなたが描くあの絵の世界に。