風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

告白、高次脳機能障害と人生や愛など

2009年12月29日 14時13分14秒 | エッセイ、随筆、小説





愛してもいいですか、という意味です。
ハングルでサラン・ヘド・ツゥェルカヨという言葉を講師から教えてもらいましたが、
自分で、実際に使えるとは夢にも思ってみませんでした。
あなただからこそ・・・と思いました。
素直に自分のことを、気持ちを、弱さへの吐露も、今までのこと、これからのことすべて、
自分の人生に対する誠実さだけは今のこの歳だからこそ、失いたくないと思えました。
思わせてくれたのは、もちろんあなただからこそです。


さらさらとした音がノートの上を走るペンが奏でる。
丸の内ビル36階のレストランで、私たちはおそらく話に夢中になるのでポーションを小さめに・・・と
イタリア語でマネージャーに伝えたのは、午後12時をすこし過ぎたころ。
失礼します、と続け、彼は携帯をかばんから取り出すと、神経内科医である友人に
「明日、高次脳機能障害について知りたいので、時間をつくって欲しい」と約束を取り付けた。
私を知るために、私の一部である高次脳機能障害”とビジネスノートの余白に書き記していた。
どのようにすれば彼女を救えるのか、との文字の羅列もみつける。
ぎゅっと胸を、私の内側に佇む何かをぎゅっと鷲づかみにされた動揺を誤魔化すのがやっとだ。
どのようにすれば彼女を救えるのか・・・・・


いくつかの料理がテーブルに運ばれてきたとき、
その彩に心を奪われていたら、悔いについて・・・とのサブジェクトで、あなたは私に質問を向けた。
今までの人生の中での「悔い」を聞かせて欲しいという。


私は言った。
「過去には悔いはひとつもないの。だから、私は恵まれていたのだと思う」と。
「でも・・・・」
といいかけたところで、皿の中で行儀よく並ぶマリーゴールドを鼻先に軽く押し付けて、
「いい香でしょう?」
とあなたに微笑みかけた。
その微笑の裏には、過去には悔いがひとつもみつけられない人生を歩ませてもらったとしても、
これからについてはわからないのよ、という意味が含まれていたことを彼は知らない。


西側の空が緋色に染まっていた。
皇居のお堀のライトアップがはじまり、ビルとビルの隙間からみえる富士のシルエットに心が動き、
「私に悔いが残るかもしれないと思うのはこれからの出来事における選択についてで、
それはあなたに自分の気持ちを伝えないとの決断が、
私の一生の、もしかしたら唯一の悔いになり得る可能性は高いのよ」と、
でも・・・の続きを言葉に置き換える。
彼は一言、
「その言葉は僕にはもったいない」とだけ言い、窓外に視線を移した。
スワロフスキーの時計が、鏤められたクリスタルがキラキラと輝きはじめたとき、
「私たち、もう5時間も話をしていたわ。あなたと一緒にいると、時間に意地悪をされている気分になる」


愛してもいいですか・・・・・か。
「ありがとう」というシンプルな文字の羅列しか私には今は思いつきません。
でも、そのわずか5文字でしか私の気持ちを表現できないとも思うのです。
ありがとう・・・という言葉は、奥行き深く、もし仮に心の領域というものが存在したとき、
それを簡単に突き破るのは、ありがとうでしかないようにも思います。


愛してもいいですか、という意味です。
ハングルでサラン・ヘド・ツゥェルカヨという言葉を講師から教えてもらいましたが、
自分で、実際に使えるとは夢にも思ってみませんでした。
あなただからこそ・・・と思いました。
素直に自分のことを、気持ちを、弱さへの吐露も、今までのこと、これからのことすべて、
自分の人生に対する誠実さだけは今のこの歳だからこそ、失いたくないと思えました。
思わせてくれたのは、もちろんあなただからこそです。









 


高次脳機能障害における禁忌事項

2009年12月26日 07時27分20秒 | エッセイ、随筆、小説





役所が支払いをしないので診断書の支払いをしてもらえますか?と請求された額に驚愕。
えっと、本当に役所が支払いをしないのですか?
これはなんの診断書ですか?と質問すると、
自立支援サービスを受けるための審査書類として役所が医師に直接請求したものだ。
なにかがおかしい・・・・・と思ったのは、医師が請求先がわからないというので、
私は役所だと思いますという会話を交わしたのが10月、
私の目前で役所に電話をかけ、役所が支払うという確認光景を私も見ている。
でも、役所が支払わない診断書作成費用があるとの理由で、1万3千円の領収書、
そこにはもちろんのこと、項目詳細など記載されていない。

なぜだ?
しかも、上記請求に加えて診察料がかかるために、結果、2万近い医療費支払いとなった。
ちなみに私は2万も財布に入れて通院はしていない。
なぜならば、自立支援を受けているために、ある程度の金額で収まる・・・・
いいや、収まってきたからだ。

すぐさま役所の担当者に電話を入れると、それはおかしいと受話器の向こう側でしばしの沈黙の後、
書類を確認したいので今から自宅に行きたいのですが・・・・という。
パジャマで失礼しますが・・・・・と伝え、30分後に自宅で落ち合うことになった。

私、なんとなく思うんです、というか、気付いてしまうんです。
高次脳機能障害だということで、その障害の、記憶の部分が曖昧だという症状を利用されて、
役所が支払いをするという確認行為を忘れて、支払い拒否されているといえば
私が気付かないと思われてしまっているのだろうか、と。
役所は12月2日付けで医師への振込みは完了しているのは間違いないといった。
もし役所が支払いとしていないと患者に説明をして、すでに金銭の受取は医師は行っている。
でも、自立支援法に基づくと、これは法律違反そのものので、
役所としても、この病院を紹介した東京都としても、見てみぬ振りはできないはずですよ、と言われた。
なぜ医療の闇を見続ける機会に恵まれるのか知らないし、
おかしな部分に気付いてしまう嗅覚が作動するのかもわからない。
でも、私の心にある棘は、いろいろなものを、ことを、引っ掛けていく。
そして、消化しないまま、引っ掛かりが増えていくために、喉奥が詰まった感覚を常に抱く。

ふいの質問。
今後、仕事をしていきたいと思いますか?と。
役所の人はにこにことしながら、あなたなら仕事をしていくともちろんお答えになるでしょうから
愚問だとわかった上での質問だというご理解をいただきたく、と。

私は答えた。
医師を糾弾していこうなどという間違った志は持っていないので安心してください。
でも、これだけ医師の、病院の差異や不具合を見続けてしまうと、
自分が負った障害や病院などの情報公開を行う役目を担うのは吝かではないと思った。
本当は医療とは関与したくないというのが本音です・・・・とも付け加えて。

医師への不信。
高次脳機能障害を利用しているとしたら?
髪を掻き毟り、頭を左右に振り、間違いであって欲しいと祈る自分がいる。

 



 


知的障害者3000人地方施設へ

2009年12月24日 19時03分44秒 | エッセイ、随筆、小説





讀賣新聞21面の記事が目に飛び込んできた。
「あっ、私たちと同じなんだ。阻まれる自立という現実の前で・・・・・」という課題が露になってくる。
記事は東京出身の3000人の知的障害者が、東北や北関東などの施設で暮らしているというのだ。
都内の施設不足を補うため・・・・・と管轄である東京都はその理由にしているが、
地方の施設に望んできた障害者はひとりもいず、
施設で一生を暮らさざるを得ない障害者も多いために、
自立や東京への帰宅という問題は、私は他人事ではないと思いながら記事を読み進めた。

今日、通院先の医師から役所が支払いができないという金額の請求を受けた。
その額にして、12600円。
これは区役所が私が要請をした介助者サービス提供のために、
医師の診断書を取り寄せたものなので、「私」という人間は存在しながらも、
「私」はその内容も、請求時期も、なにも承知していないのが現実だ。
記憶が間違いでなければ、医師は請求について、
私の目前で役所へ問い合わせをしてくれたことがある。
区役所の回答は「区役所側の負担なので、患者である「私」は支払う必要はない」だった。
が、どのような経緯があったのかは知らないが、今日、この金額を医師から請求された。
そして、私は有無を言えず、立て替えるというかたちで財布から出さざるを得なかった数枚のお札。
当然、納得いかず。

すぐさま区役所の担当者へ連絡を入れた。
担当者は会議中であったために、電話口に出た女性に用件を端的に伝えた。
第一に、介助としては中度の認定が下りているにも関わらず、私が必要としていること、
家事補助については他の同居家族(世帯は別)がいるとの理由で、
介助が受けられず、紹介されるのは有料な提携先だけだ。
それについて、いつ、どのようなサポートを受けられるのか、
認定が下りているにも関わらず、介助サービスが具体的に受ける日時指定ができない明確な理由、
それを口頭で聞いた後に、書面にまとめて郵送して欲しい旨をお伝えた。

第二に、この介助サービスを受けるにあたり審査のために役所側が必要とした診断書について、
なぜ私が診断書料を支払う必要があるのか、それは以前に確認していたことで、
いつ、誰が、その内容を一方的に変更させたのかを明確にしてもらいたい、と趣旨を述べた。
今日は終日通院なので、明日、午後1時以降に連絡をもらい、
もし必要があれば区役所で説明を受けたいと伝えた。
その際の交通費においても、役所側の不備があった場合は請求額に加算します、と言った。
自分でも「細かいなぁ~」と思いつつ、でも、おかしなことはおかしいと思った。

今朝、新聞を読んだのか、それともテレビの情報なのかはわからないけれど、
あっそうだ、子供を育てられない人たちの駆け込み寺として、
赤ちゃんポストの実体を調査した内容が、私が感じてきたものと同じだったため、
私に降りかかってきた役所のやり方について、おそらく手厳しく指摘をしたのだろう。

それはなぜか。
この介助サービスを知るまでに5年の歳月を費やしている。
何度も何度も保健所へ相談に行ったが、
誰もこうしたサービスがあるなどという情報は与えてはくれなかった。
しかも、要介助、中程度という審査が下りているにもかかわらず、実際のサービスは受けられない。
書類を提出してから約一年にもなる。
その間に気力体力の消耗がないと思うのであれば、初めから福祉など声高く叫ぶ必要はないと思う。

先の、赤ちゃんポストは民間病院の苦肉の策だ。
その調査結果の中で、行政に相談をしても相談にのってもらえているという実感が持てない、とある。
私も同様だった。
今の担当者は例外であるが、他の、死にそうだと、自殺をいつするかわからないと相談に行っても、
ああ、そうですか・・・・・と言われ、とりあえず頑張ってください、と帰されるのがオチだ。
福祉を担当しているとはいえ、本当に福祉に精通している人間が行政にいるのかと疑問に思ったり、
福祉に関心があるのか問うこともあったと記憶する。

たぶん。
私という障害者を客観視した上での発言。
障害の種類にもよるという前提はもちろん持ちながらあえて言わせてもらえるのであれば、
やり方を間違えないかぎり、早急な対応こと、行政の負担は軽減されるだろうと考える。
それはなにも行政に限ったことではなく、医療においても同様で、
診断や慢性疾患になった後の取り扱いや付き合い方を誠実に行えば、
患者にとっての利益はもちろんのこと、医療費削減に直結する。
が、結局は人間のやることだ。
行政も、医療も、患者も、障害者もすべて、人間という部分に行き着くのが私の出した結論だ。
では、次の手はなにか?

東京出身の障害者が希望するように、帰りたいと思う場所へ、自立を実現させて戻れたら・・・と願う。
私たちにとっても、それは希望になり、進む道になるのだから。



※クリスマスイブにふさわしくないと思われた方へはお詫び申し上げます。

 





 


高次脳機能障害、銀座の夜と独り言

2009年12月24日 00時08分52秒 | エッセイ、随筆、小説



最近のタイトルには「高次脳機能障害」と必ず付けている。
自分でも自分への戒めか?と思うのだけれど、高次脳機能障害が及ぼす日常の不具合や現状を
少しでも知って欲しいという思いの表れなのか・・・・・と自分では納得している。

昨夜も銀座のお客さん、同世代の人たちと障害の話題になったときに、
障害を負って社会から放り出された状況であるからこそ自身のこととして言葉の深みを期待して・・・と
自殺者の減少について、なにか打開策を考えるとしたら何か?と質問を受けた。

私たちは銀座という華やかな席で「自殺」について真剣に考えた。
正直に、はしょりながらも、私のこの5年間を告白した。
結論からいえば、私たちは社会から放り出されたからこそ、社会の仕組みや本質を知った。
障害者という烙印も押された。
が、どうみても、健常であると思い込んでいる人たちの方や心身への負荷がかかり過ぎているのは
表情や目や顔をみればわかるし、実際にそのとおりだと思うと私見を述べた。

ひとりの商社マンが「今朝も意味なく人を傷付けたいという衝動が湧き起こり、
気付いたら前を歩いている人の靴の踵を蹴飛ばして空振りした」と言った。
「まずいよ、それ」と私は返答した。
だからといって今の社会にはストレスフリーになるためにはお金が必要なわけだし、
事実、会社をドロップアウトしない限り、このシステムから抜け出すなどできないだろうと思った。

「日本人の男は悲惨だと同情するの。だって、やり直しを認めない社会のくせに、
リストラだの、正社員雇用がない状況で、どうやって生きていけというの。
危うい立場の人と正社員でエリートと言われる人たちでも、犠牲にしている分野が相違するだけで、
自分の人生なのに、自分の人生を歩めないという窮屈さが40にしてわかるなんて、
馬鹿な女なのよ。でも、私は男たちを応援したいと思っているの」と続けた。

選択肢が死しかないという状況は、私にはよくわかる。
私はその選択をしなかっただけのことだ。
そして、日本人は無関心だと言われるけれど、決して無関心な人ばかりでないとも思う。
なら、そこに危機感を覚える人がそうした議論をするだけでも、
なにかの一歩に繋がるのではないか、と私はそっと、でも強固なる手ごたえを感じていたのだが。

35歳で人生の長い長い夏休みをもらった。
その夏休みはすでに6年目となり、あとどれくらい休めばいいのかは誰にもわからないことだ。
でも、この考える時間の享受によって、私はとことん考えてみたいと思う。
自分のためにも、他人のためにも、社会の、将来のためにも。


※写真は留学書類の提出用に・・・・と思ってためし撮りしたものですが、すっぴんであしからず。



高次脳機能障害、銀座のママに

2009年12月23日 17時29分15秒 | エッセイ、随筆、小説





クローゼットの中でひっそりと息を静めていたドレスを纏い、
いざ、銀座並木通りへ。
その前に内幸町にある日本料理屋で友人と落ち合い、
3時間ほどゆっくりと食事と会話を楽しみ、9時半を過ぎたところで銀座へ向かった。

働く・・・・・という行為から距離を置かざるを得ない状況の私にとって、
しかも銀座のクラブママ役を1日といえども行うことは、実験そのものだった。

率直に、人と話をすることが本当に楽しかった。
初対面の人ばかりなのに、若い女の子たちとも仲良くなり、お客さんとも意気投合した。
夜の慣れない仕事とはいえ、やっぱり働くのは面白いと思った。
どの職種で社会復帰を果たすのかわからないけれど、
社会や人と関わり、その一員として貢献できるのであれば、それほど今の私にとって嬉しいことはない。

障害があってもそれが負担にならない職業がある。
働けるだけの体調に安定する日を希求しつつ・・・

 


 


高次脳機能障害、鹿児島県阿久根市竹原市長へ

2009年12月20日 10時51分05秒 | エッセイ、随筆、小説




高度医療が実現したため、機能障害を負った子供や人間が存命している。
だから、施設などの経費が嵩んでいく・・・・・みたいな発言を行い、謝罪はしないそうだ。
上記はタイトルにもある「鹿児島県阿久根市竹原市長」の見解なのだが・・・・・

機能障害を負った私にも向けられた言葉なのだ・・・・・と報道を観て唖然とした。
誰の責任でもない。
先天性、後天性含め、障害を負うリスクは同一に、誰にでもあると思うのだが。

ときどき私は言葉を失ってしまう。
こういう類の人間を目前としたとき。
ハンセン病の人たちに国家がしたことを、薬害問題を、他の驚愕した事実を、思い出してしまう。
まるで健常でなければ生きる資格がないと平然という無知さに、狂気を感じてしまう。
一見、あなたは健常かもしれないが、内面の、心が病んでいるのですよ、と笑いたくなる。
そして、こういう人間こそ、公の立場の、市民の生活を左右し兼ねない立場にいると思うと、
背筋が凍る思いがしてしまう。
素直に嫌悪感を抱いてしまう。
唾を吐き出したくなる。
できるなら、傷つけてやりたいとさえ。

どうしてこうした人間を見抜けないのかと。
いつか自分が病気にでもなったときに、その発言の本質を突きつけられるのだろう、
そのときを機会があれば立ち会いたいと悪い趣味を持つ私もどうかと考え物であるが。

いくら高度医療が実現しても、それを扱うのは人間である。
そして、障害者にも心があり、感情があり、一生懸命に生きている、生き抜いている毎日を
ほんの少しでもよいので、知ってもらいたいと希う。





高次脳機能障害、銀座のママになります

2009年12月20日 00時36分51秒 | エッセイ、随筆、小説



ひょんなことで、2日間だけ銀座のママになる。
1日3時間弱、ギャラは悪くはない。
リハビリがてらに手伝ってよ、とのママの口説きにNOとはいえない私。
80歳のママがバリバリ働いている姿を見ていると、負けてられないと思わされる。
去年までは上海やNYなど世界4カ国に展開していたものの、一気に撤退の決断を下す。
ということで、今冬、NYの凍える街でママとお会いしていたのだが、
まさか銀座で再会できるとは思わず、しかも、障害をわかった上で、
いずれ社会復帰せにゃあかんでしょ、と。

教育をつけてもらおうと思う。
あの元気やパワーや人間との付き合いや構築、すべてが勉強になる。
朝まで・・・・・・とは言わないけれど、休日の前の夜は弾けて遊びまくろう。

お台場と七色の夜景

2009年12月19日 23時58分37秒 | エッセイ、随筆、小説





大学生の友人たちとお台場へ行くことになった。
趣旨は「お台場にできたアウトレット見学」だったのだが、意外と・・・というか、相当楽しめた。
友人たちは「あっ、こういう状態は高次脳機能障害なんじゃないの?」とかさらりと言い流し、
「はいはい、メモして!!」と言ってノートをかばんから取り出す。
時間感覚がないこと、計算ができないこと、居場所がわからないこと、左側が躓き易いこと等。

確かに誰かが一緒に居て指摘してくれない限り、なんとなく自分自身の違和感に気付きながらも、
本当の自覚には至らないだろうと思った。
指摘の仕方が上手だからなのだろうが、私自身が不快に思ったり傷つくこともないので、
「このままおかしな行動や気付いたことは言葉にして伝えてね」とにっこりと微笑む。

今日は久しぶりに杖がないと歩けない状況だったので、
外出するか否かに多少の時間を費やし、判断をしかねていた。
障害者対象の奨学金の英文書類が出来上がったので、早速、速達にて郵送した。
その後、マクドナルドでコーヒーを2杯飲みながら、ノートに最近の出来事を記し、
出掛けるか否かを百円の裏表を使って遊んでいると、
ふと久しぶりに東京を見渡せる場所で夜景がみたいと思ったので、
待ち合わせの場所へ向かった。
正解だった。

レインボーブリッジが本当に七色の色彩のライトで照らされていて、
世界中で東京の夜景が一番きれいだと思うし、子供の頃から見慣れているからか、
ここの景色をみると、なぜかほっとするんだ、と語った。
と同時に、友人から「中国の海南島にマンダリンオリエンタルホテルを予約しておいた」とメール受信、
行き先はバンコクでもなく、ベトナムでもなく、
中国のハワイといったリゾート地で年越しをすることに決まった。
さて、こんな高額な場所に何人のメンバーが集合できるのだろうと、ちょっと不安が過ぎる。

もう今年も残すところあとわずかなんだと思うと、一年の速さに追いついていない自分を知る。
でも、悪いことばかりでもなく、年越しも海外で向かえる恩恵に、感謝を伝えよう。




高次脳機能障害、再放送

2009年12月18日 15時41分28秒 | エッセイ、随筆、小説


 


お知らせ
今夜午後20時NHK教育にて、高次脳機能障害の番組が再放送されます。



トロピカーナの100%フルーツスパーリングを片手に、すこしの食べ物と愛犬を抱き階段を上った。
すると、どのあたりかはよく覚えていないのだけど、階段に躓き、
愛犬は数段上のスペースでぶるぶると震えている。
スパーリングは言うまでもなく、そこらじゅうに飛び散ってしまい、すこしの食べ物は辛うじて助かった。
が、皿の中でゆらゆらと揺れている。

インフルエンザでも普通の人よりも治り難く、自覚ができないから、
やっぱり誰かが管理してあげないと熱すら出ていることに気付けないのね、
調子が悪いのはわかるのに、と友人からのメールに、そのとおりだと思った。
ずっとずっと調子が悪くて、インフルエンザが長引いているのだろうと勝手に思い込んでいて、
でも、熱を測ると38度以下になる日は1日もならずに、10日間を過ごしていた。
なぜ、そんなに安易なことを誤解し、誤解したままの状況が脳にインプットされてしまうのだろう。
近所の女医のところへ行き、インフルエンザではないことを確認すると、そのままSPAに向かった。
今日は熱が下がっているので、大きな風呂で体を洗いたいのだ。

解任した弁護士も知人も、高次脳を甘く見ている人たちが私にはとても不愉快極まりない。
それは、相手本意の時間を無理に押し付けられている感じがするし、
それが当然だとの認識が無意識に伝わってくる・・・・・とでも言えばいいのだろうか。
夜中や早朝の電話があったりなっかったり。
私は確かに働いていないけれど、毎日、ボーと暇にしているわけではない。
それなりにやりくりして生活をしているというのに、気楽なものだと何度も笑われたことか。

友人から「年越しはバンコクで過ごさない?」と連絡がきてから、返事をしかねていた。
ヨットのクルージングには体力が持たないためやんわりと断りを入れていたが、
その後、体調が思わしくなかったので、こちらにもきちんとした返事はできていない。
というか、相手を納得させられたとは言いがたい。
でも、なぜか、漠然と、エステに使える用品を買ってこよう、との思いが湧き起こっている。
本当はスリランカで勉強をしたいのだけど、今の体力では可能性ゼロだろう。

若年層の高次脳機能障害、性別女性、これからまだまだ働きたい、結婚したいと思っている。
答えは手中にあるのだ。
それがまだ自分でもうまく掴みきれていないだけで。



 


高次脳機能障害、ふと思うこと

2009年12月15日 20時35分08秒 | エッセイ、随筆、小説





だから言ったじゃない?と何度か繰り返した後、
あなたは言ったわ。
まさか、こんなに体調が不安定だとは想像もしなかった、と。

私は何度も何度も禁忌事項を伝えていたし、
こういうことは言われたくないとか、交わしたくない話題などもしっかりと伝えた。
けれど、一向に聞こうとしなかったのはあなたの方だったし、
にもかかわらず、まだ私が参加できなかったパーティーがどれだけ楽しかったのかと続けるので、
出られなかった人の身にもなってみるのももしかしたら必要なことかもね、とだけ呟いた。

うんざりするの。
あなたはきっといい人よ。
あなたなりの心配の仕方というのがあって、表現の不器用さや伝わり難さがある。
でも、私にとっては、だからなんなのよ、なのよ。
わかる?

そんな会話をしている最中も、あっ、これからなんとかという団体の忘年会だというので、
さよならも、また後で、という言葉も交わすことなく私は電話を切ったの。
疲れるの。
とっても、疲れるのよ、あなたとの会話が、語れないという欠点がどうしても許せないの、私には。

私が高次脳機能障害を抱えていることを承知の上で交際を申し出てくれた。
でも、やっぱり今でも怖いし、私はあなたを信用できていないことに自分でも驚くの。
本心を見せている?
本音を伝えている?
すべての答えはNO、あなたは私の何も知らないということになるわね。

早すぎたみたい、男を付き合う行為自体が、と言ったとき、あなたが絶句していたのを知ってるわ。
ひとりの人に限定するということが早すぎたのかしら?と言い直して、誤魔化して笑った。
でも、いいところ取りをお互いにするのであれば、それが賢明な付き合い方よ。
そして、それは私が誰かに本気に恋をしたときに終焉するの。
それでもいいというのであれば、会いにくればいい。
なぜ、私はどこまでも嫌な女なのだろうか。