風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

雨の夜に

2011年07月29日 23時14分05秒 | エッセイ、随筆、小説

欲がないの、と言いかけて止めた。
生きる欲がない。
雨のせいか、闇を見てしまう自分の目というものを怖れた。
体調が痛ましいかぎり、
わたしはわたしであり、わたしではなくなってしまったのだから。
あれから7年の歳月を、
迷い込んだ迷路に、出口がないことを気付きつつあるこの頃。


彼女だと言われたからね、僕はあんぐりと口を開けて、
首を右側に傾けたんだよ。
だって、彼女といえば前に付き合っていた彼女のことだと思ったし、
誰のことか、本当に頭に浮かんでこなかったからね。
そしたらこの前、一緒に歩いているところを目撃したというんだよ。
一緒に歩く女性といえば、あっ、先輩しかいないから、
だからね、先輩のことですか?と僕は尋ねた。
彼女ではないならそれでいいです、と言われた後、
情報源や知恵の出処はそこか?と詰め寄るんだよ。
先輩とは食事に行くし、趣味であるラグジュアリーホテルステイの話題で盛り上がることはしても、
彼らが思い込んでいるような、軽率さはない、と声を荒げたんだ。
するとね、ほら、高次脳機能障害は感情抑制がきかないといった冷ややかな視線を感じて、
僕や先輩への侮辱を、容易に行う姿勢にすら気付けない彼らを、ただただ情けなく思ってね。
国の施設だよね、ここは。
でも、あくまでも障害者の僕たちのためのものではない。
過度の希望や障害受容についてをあれこれ称える前に、
やる気を削ぐような物言いや態度を、
高次脳機能障害や先輩への偏見を、省みる必要がある。
あっ、僕ね、容赦するつもりはないんだ。
だからといって、弱者になってしまった障害者として、彼らと闘うつもりもない。
血税が彼らの給与になっているかと思うとね、いたたまれなくなる。
ここにいる僕がいうのもなんだけど、疑問を払拭できないんだよ。

航空公園にほど近い、とある国のリハビリ施設。
僕とはわたしの友人で、先輩とはわたしを指している。
社会復帰に向けた今後の方針を決める会議に出席した友人は、
抱えてきた疑問を声に出したとき、その発言がわたしの指図や知恵によるものだとして、
ふたりの関係に口を挟んだ挙句、わたしの実名があがったことに腹を立て、
情けない思いを味わい、悲しみに暮れ、こころが折れたそうだ。

支援というものをわたしたちが考えさせられる現実がある。
だれのためのなにを目的とした支援かを置き去りにしたままでは、
支援は絵に描いた餅にしか過ぎず、偽善のニオイが立ち込めてくるだけだ。


欲がないの、と言いかけて止めた。
生きる欲がない。
雨のせいか、闇を見てしまう自分の目というものを怖れた。
欲を削ぎ落とされれることをたとえば支援と仮に呼称するなら、
そんな支援は必要ないと叫びたい。
雨の夜だから、声は雨音に紛れ、闇夜に消えてなくなるだろう。




















おばけの正体

2011年07月13日 06時00分17秒 | エッセイ、随筆、小説

おばけとの遭遇。
そのことにより友人関係は壊れてしまった。
いまでもこれでよかったのかと自問する。
けれど、あのおばけをみなかったことにしたなら、
おそらくわたしの方が心労でおかしくなっていたことだろう。
まさかおばけが生きた人間だったなんて、
あの光景を、この数週間を振り返ると背筋が凍る。

開けたはずのカーテンが帰宅すると閉められている。
銀行通帳が無造作に開けられていたり、
夜中、わたしの部屋前または部屋の中で、人の気配を感じた。
怖い夢でもみているのだろう。
わたしの思い違いだろう。
そう思って、自分を納得させようと努力したのだ。

けれど、どう考えても府に落ちなかった。
だから、わたしの部屋にはおばけが出ると寮の職員には報告していたのだった。
職員は、そんな話は聞いたことがないし、
いやね、気持ち悪いから、なにかあったらすぐに連絡を、と言ってくれていたのだ。

その晩も人の気配を部屋前に感じて目が覚めた。
午前1時50分、
おばけが出るにはちょうどよい時間だ。
そのおばけは車椅子らしく、床と車椅子のタイヤチューブがこすれてキュッと音がした。
まだ誰かはわからなかったが、車椅子だということは確定した。

どれくらい時間が経過したのだろう。
部屋前に20分近くうろついていた後、ドアが開いた。
おばけが部屋に入ってきたのだ。
わたしは息を殺しておばけの正体を突き止めたいと思った。
ご丁寧にも、おばけはドアを閉めた。
そして、部屋の入り口を入ってすぐ右手に置いてあるワゴン前に車椅子を停止。
おばけがワゴンに手を伸ばした瞬間、わたしの怒声が真夜中に響いた。
なにやってるんだ?

おばけはすいません、すいません、と言って部屋を出て言った。
わたしは妙な気持ちになった。
わたしが部屋鍵をかけていないことを知っているのは彼女しかいないし、
頻繁に部屋に遊びに来ていたことで、部屋や物を熟知している。
それから、わたしへの嫉妬や怒りが根底にあることも瞬時にわかった。
障害者の職業リハビリテーションセンターにいながら、
ここにいるレベルではない、と言われたり、
持ち物や趣味趣向、いろいろなことを障害者らしくないと指摘されていたからだ。
もっといえば、車椅子の人たちからみれば、立位であるだけで羨望の的になる。
羨望がやがて嫉妬へと変化し、
嫉妬が妬み嫉みになることは、ここに来て何度もその標的にされたことによって、
怖さは多少知っていた。
人間のどろどろとした負の感情を目の当たりにするたび、やり切れなさに包まれた。

記憶がない、とおばけは言った。
記憶がないのに、わたしの部屋に入ったのは一度だけで、
わたしの部屋の不思議な状態、
つまり、おばけの仕業は自分ではないと泣いて訴えた。
けれど、職員と気付いことがひとつ。
昼間の行動に対しても自分の都合悪いことは、
記憶がないと言う強烈な癖の存在だ。

あえて、彼女がなんの障害名であるかは言わない。
とかく、このような障害者が集められるセンターでは、
軽度にみえる、または障害が可視化されない人は配慮を受けらない。
こうした事態に陥りながら、ある職員はこう言った。
彼女には脳の障害があるから、もしかしたら発作が起きたのかもしれない、と。
発作ではないことを知っているのはもちろん本人だ。
そして、日常生活を目の当たりにしているわたしとケースワーカーは、
それが発作ではないことを知っている。

障害者がもし障害を使い分けて自己防衛したら…
わたしは禁忌、パンドラの箱を開けてしまった気分になった。
やっぱりおばけはみてはいけないものだったのだ、と。




今回、ある障害者リハビリテーションセンターでの事実に基づく内容を書きましたが、
障害者のすべてがこの内容には属さないことを
あらためてお伝えしたく。
また、誤解のないようにお願いします。