風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

障害というものとの関わり

2009年11月29日 23時47分59秒 | エッセイ、随筆、小説





鏡に映し出された気持ちの悪い紫に変色した皮膚をみて、泣き出しそうになった。
お尻の片方にだけ、丸い変色がくっきりと刻印されたように浮き出ている。

同じシャワー室にいた友人が最初に見つけたが、彼女は私が障害を持っていることを知らないために、
最初はどこか、円形のなにかに長時間座ったか、それとも火傷だと思ったそうだ。
でも、どこにも座った記憶もなければ内出血をした痛みも従わず、火傷であるわけでもない。
なぜかわからないが、嫌な予感だけが私の周囲を取り巻いていく。

それを知った知人が病院を探してくれたが、
結局、体調が悪いわけではないので明日、主治医へ連絡をいれ、指示待ちということで落ち着いた。
が、気持ちも落ち込みが激しく、昨日のしゃぶしゃぶ、
しゃぶしゃぶなのに、生肉をごまダレにつけて何度も口に運ぶという失態の翌日だったので、
さすがに心がぽきっと音を立てて折れてしまった。

ニューヨークの友人に電話すると号泣してしまう。
自宅まで車で送ってくれた知人と食事をしようと言っていたのだが、
知人も肩が張って頭痛がしてきた・・・・・というので、食事はいいので帰ってください、と伝えた。
もしかしたら、ほんのすこしでもいいから、一緒に居て欲しかったのかもしれない。
帰らせてもらうね、という一言にまた傷つき、
私の障害や変色した皮膚の状態を友人から聞いているくせに、冷たい人、と勝手に思って怒った。

ニューヨークの友人はいつも私を受容れてくれるので、甘えてつい、余計なことまで吐露してしまう。
「障害の辛さはわからないけど、寄り添うことは出来ると思うんだ」
いつもこの言葉に勇気付けられて、生きているように感じた。

しばらく人離れしようと思う。


 


高次脳機能障害としゃぶしゃぶ

2009年11月29日 01時43分27秒 | エッセイ、随筆、小説




「うえっ」と言いながら吐き出す。
友人は「嘘でしょう?」とさすがに驚いた様子を見せた。
「具体的なリハビリって何が効果的なんだろうね?」と言うので、
「いくら医師や心理士が提案したものの、
患者の数を見ているからといって個人に当て嵌まるとは思わないんだよね・・・」と返答する。

ぐつぐつと煮える鍋を目前にしているのに、私は豚しゃぶ用の肉を鍋の中でしゃぶしゃぶせずに、
直接、ごまダレに付け口に入れること5回。
自分でもなぜ鍋の中でのしゃぶしゃぶ”を忘れてしまうのかがよく理解できない。
遂行機能がまさに障害を如実に現れたケースだろう。
やっちまった・・・・と口では言って笑っていたものの、自分で障害を目撃すると、
考えるよりもやっぱり事態は深刻なのだと思い知らされる。
実際、表には出さないだけで、ひどく落ち込む・・・というか、事態がうまく理解できないまま、
時間は流れるものの、私だけが置き去りにされた心境になる。

つい昨日、友人と私の障害について話をしたばかりだった。
「私はあなたとは友人ではなく恋人やパートナーとして一生を共にしたいと考えているのだけど、
ひとつ気に食わないことがあるの」と言って、静まり返る車中で一方的な話を展開させた。

「あなたは私の一番身近にいる存在なのに、私の障害名って知ってる?」
「私が体調が悪化するとどうなるか知ろうとしないのはなぜ?」
「障害と一生付き合わない身の上だとしても、その私のままでもいいと思ってくれる?」等。

友人は「元気になるさ」と笑った。
「それは私のこの疾患の発症後5年を知らないからで、激痛に襲われ、自殺を考える日々が続き、
寝たきりであったことを彼にはあえて教えずにいた。
確か、私は長期の海外駐在になりそうだから、日本に戻ったら連絡するね”と最後に、
帰国するまではたまのメールくらいしかできないわね、なんて見え透いた嘘をついて場をしのいだ。

元気にならなければ存在価値がないみたいな言い方をされると辛い。苦しい」
「私が一番好きなのに、その人の前では無理をしてでも元気な振りをしなければ付き合えないなら、
私はそれはそれでいいと思ってる。でも、きっと早い段階で限界がきて、私たち会えなくなるわ」

ぎゅっと抱きしめられた。
いきなり。
頬と頬が重なる。

伸びた無精ひげを手のひらで優しく撫でながら、
「元気になると信じたいのは誰でも一緒だけど、そうでなかったときに逃げ出すなら・・・・」
だから、何が言いたいのか、伝えたいのかわからなくなったので、
「私は努力するわ。でも、プレッシャーを与えるのではなくて、ゆっくりと見守っていて欲しいの」
「障害のことも、なにもかもすべてを知っていこうと考えているし、
だから俺が至らない点があったときは、常に指摘して怒ってくれ」

銀座の森田酒造が経営するレストランで銀座を眼下に眺めたときも、
六本木のグランドハイアットのバーでノンアルコールのカクテルを飲んでいるときも、
あなたが誰よりも不器用なだけで、うまく自分の感情を表現できないということには、
私は早くから気付いていたの。
だから私の質問や問いや指摘はあなたにとっては「わかっていること」で、
言われる以前に理解できているのだとわかっていても、
長く付き合いたいからこそ、私は自分を押し通そうとするのかもしれないわ。

5枚、口の中でねっとりとした感触の豚肉を吐き出したとき、
彼は「冗談だろう?」と半信半疑な表情を浮かべて、私に「悪ふざけよ」といわせようと必死だった。
でも残念ながらこれは嘘でも悪ふざけでもなく、一種の症状の出方で、事実なの。
でも、あなたと一緒なら、お肉もったいないわね、と言って笑えるわ。
そして、あなただって「もったいないことをするなよ」と優しい声色で障害に付き合ってくれる。




コミュニケーション

2009年11月27日 09時12分04秒 | エッセイ、随筆、小説




夜中に、それは日本時間のことなのだが、
午前2時半から「コミュニケーションについて」のサブジェクトで、NY在住の俳優と盛り上がる。

「ねえ、どう思う?」と私。
「日本人とかガイジンとか・・・・が理由でも問題でもなくてさ」と続けた。
掘り下げた会話の出来ない人たちが私にとって苦手になったのは、おそらく障害を持つ以前の、
いつからなのだろう?と過去を振り返ったとき、ひとりの男の顔が憎たらしく浮かんできたので、
ちくしょーと心の中で叫ぶ。

「あのね・・・」と私。
「好きだと言ってくれる人がいるの。でも、すごく年上なの。歳なんてただの数字だからいいんだけど、
問題はさ、私が元気な振りを装っていることにまったく気付かないというか、甘える隙間がないというか、
障害に負荷をかけると本当に治ると信じ込んでいる人でね、
それから私の話を遮って最後まで聞かないの。でも、自分のことは余計なものまで話す。
おしゃべりな男が苦手ってことなのかしら?」

友人は「シェアが出来ないことに不満があるんだよ」と言う。
もし片方が問題を抱えていた場合、問題なんて障害だけではなく、ごくごく一般的に、
誰にでも当然のようにあるものだよ。
でも、それがシェアできない。
自分の話は聞いて欲しいという欲求だけが先走っていて、
自分の都合で世の中をまわそうとしていて、好きだという気持ちは嘘ではないだろうが、
だからといって相手に寄り添うとか、相手を受容するとか、そうしたことが抜け落ちているんだよね、
ずいぶんと年上の彼であっても」と。

私が有難いと思うのは、私の障害を告白した友人や知人たちの多くが、
障害を理解するために専門書を買って勉強してくれている温かな行動に目頭が熱くなる。
でも、一番理解して欲しいと希う人は私の話すら耳を傾けようとはしない。
毎日、莫大な時間を共有しているというのに、医師会に参加すれば嫌味を言われ、
障害の質問をされるので、返答していると、なにが言いたいのかわからないとの一言で、
それが失語症だと認識されるまでもなく、一方的な視点で、話が支離滅裂だ、で終わってしまう。
でも違う。
私は一生懸命に話をしているし、それを聞こうとしない姿勢にこそ問題があるのだと思う。

なにを話すわけでもなく、聞きただすことに時間を浪費するわけでもなく、
ただ傍にいて、寄り添ってくれるだけで人って温かな気持ちになるものだよね、と友人は言う。
それはナショナリティやオリジナリティの問題ではなくて、
最終的には人間の本質という領域に行き着く話だと思う。
難しい話ばかりを毎日しろとはいわない。
けれど、現実を無視した話題ばかりでは、その人がいくら社会的に偉い立場だろうと、高齢だろうと、
人間としての薄さが露呈してしまう。

自分が決してぶ厚い人間ではない。
が、その薄さというぺらぺらなものなど、私が希求する友人や知人ではないのだとも思う。
意味のない言葉がただ空中に舞い上がるだけで、私の心には、内側には入っては来ない。
「コミュニケーションはふたりの人間が存在して成立するものだと知らないのかもね?
間合いや距離感や時期やタイミングなどが絶妙に絡み合うことで、心地よい音色が生まれる。
もしかしたら、そうした経験に飢えていたか、乏しいか、
だから、話を聞いて欲しい・・・という欲求が抑えられないのでは?」

シェアの出来る人とならば、いくらでも付き合いたいと思えるのに。

 


 


脳機能障害(高次脳機能障害)講演会に参加して

2009年11月26日 22時37分58秒 | エッセイ、随筆、小説




某区、某所、某家族会主催にて開催。
高次脳機能障害を患う患者または家族、東京都をはじめとする行政の担当者が参加する。

リハビリという科目が医学部に二箇所しかなかった時代、
昭和54年、そのひとつの医学部にてリハビリを学んだ医師が講師として壇上に立つ。
第一印象はといえば、一度ゆっくりと話をしてみたいと思う、私好みの風格あるドクターだった。
続いて、高次脳機能障害者に関与する医療従事者や家族から情報が開示される。

まず、この障害の当事者として感じたことを率直に記録したいと思う。
これは個人的な私見であるために、他者の意見と同等であるなどという誤解は避けて頂けたらと願う。
また企画を実行した家族会の方々のご尽力にも心から感謝申し上げたい。

さて、高次脳機能障害が熟知できない理由は、個々の症状の差異がさまざまであること、
次に、高齢者と若年層が抱える問題や課題の相違、
性別、移住地、発症原因によって、一律に語れる障害ではないことを先に書き記したいと思う。
また私のケースは「若年層」「女性」「交通事故」がキーワードにあがる。
その立場から講演会に参加した感想になることをどうかご理解ください。

医師も言っていたことだが、若年層が高次脳機能障害を発症するケースは、
主に交通事故、スポーツ外傷、転倒、転落などだといわれる。
高齢者の場合は脳梗塞などの病気の後遺症(特に手術をしたケースに多いらしい)の合併症として
高次脳機能障害が発生するケースがみられるが、実体は誰もこの国で把握できていないのが現実だ。

医師曰く、若年層が障害者となった場合、社会復帰の困難さ、結婚や妊娠、育児などの最中など
人生を大きく狂わされる結果に陥るのだという。
若年層の場合は治り難く、特に耐性が必須となり、
目に見えた快復となると十年単位で取り組むケースも稀ではないという話に愕然とした。
また社会復帰率がゼロに近い数字である事実も、私を簡単に奈落に落とす現実でもあった。

家族会に参加している多くは女性であったので、高次脳機能障害者は男性で、
病気での発症が主原因だとすぐにわかった。
高次脳機能障害の当事者、特に若年層、女性、交通事故被害者の参加者は私のみで、
置かれている現実がまったく相違するのだと痛感させられた。
というか、参加したことを後悔させられる内容が含まれていたために、
その後、体調が悪化、病院で吐き気が止まるまで点滴を受ける羽目になった。
それは以下のとおりだ。

あるケーススタディとして、対象者は高齢者、男性、脳卒中の後遺症として高次脳機能障害を発症。
彼の快復におけるプリントと上映が行われた中で、
介護者である妻と娘がヘルメットを被らないと暴力に耐えられない状況であった対象者が、
エロ本を見た瞬間、にこにこと笑顔を浮かべ大人しくなったことを発表するのだが、
エロ本が丸見えで、若い女性の裸が画面に映し出された瞬間に、私は吐き気を覚えたのだ。
ふと、セックスボランティアという本の内容を思い出した(障害者の性における内容)。

配慮がないと腹立たしく思った。
女性参加者も、しかも障害者もいることを知っている中で、
高齢者が若い女性の裸を見て笑顔を浮かべたなどと言ったら、
アムネスティなど女性人権団体は即刻抗議するだろうと思った。
若い男性が、特に性の処理に困っている・・・・・・というのであれば、また違ったのかもしれない。
高齢者だから性に関心を持つな、というつもりも毛頭ないことを伝えておく。

けれど、誤解を与えないのだろうか?
私は講演の内容を事前に知っていたなら・・・・・・
エロ本を与えると大人しくなるという障害者の存在を知り、寒々とした心境に陥った。
家族は大人しくなればいいと思い、その状況を安易に発表して、
男性障害者を抱える家族に向け、笑ってもらえるくらいに思ったのだろう。
が、当事者として参加している私を含め目の届く距離に着席していた方々は、
男性であっても不快な表情を浮かべていた。
障害者を持っているからといって、同じ障害だからといって、わかりあえるとは限らない現実を
ここでも見せ付けられた気持ちになって、どっと疲れが押し寄せてきた感が否めない。

障害者を何度も殺そうと思った、どれだけ金がかかったかわからないなどという
家族としての苦労を無視するつもりは私はない。
が、障害者を殺したいと何度も思った・・・という話を聞かされる障害者は、
その発言に対して、なんと答えればいいのか、どんな表情を、感情を抱けばいいのかと困惑をするのだ。
私たち障害者は、そうした暴言を浴びせられるたびに、心を凍らせ、感情を押し殺し、
なにもなかったこと、聞かなかったものとして、生きていることを知っているのだろうかと疑問に思った。

ちなみに若年層が受けられる介護サービスはないそうだ。
私の場合も介護3(6段階)という認定は受けたものの、それは外出する際に適用するものであって、
家事や食事介助などは家族がなぜ行えないのかという問題が、
無駄な議論として時間を費やしたと担当者から聞いて愕然とした。

現役として仕事を持っている家族が私の面倒を見れるのか?
朝から晩まで大学やアルバイト(通学費などを稼ぐため)に時間を費やす娘がどうやって、
私の介助ができるというのか。
結局は共倒れするのは、時間の問題になるだけの話だ。
もしくは自責に駆られた私が自殺するしか問題を解消する術はないだろう。

この国にはなにかが足りない。
それは当事者として障害者の介護にあたる家族ですら気付いてない問題なのだと感じた。
女性が、しかも若年層が障害者になった場合の視点が抜け落ちている。
そして、女性を性の対象として公然に扱う無神経さにもショックを隠せない。
患者はもっと深刻であることが、家族にすら伝わりきれていないのかと感じる場面が多々あった。
残留するのは疑問だけだ。










高次脳機能障害者と医療従事者との温度差

2009年11月26日 11時31分04秒 | エッセイ、随筆、小説




日本に目を向けて見るのもいいんじゃないですか?との言葉が脳裏から離れなかった。
私の記憶違いでなければ、2週間程前、交通事故の被害者を集めたグループセラピーの際に
もしリハビリを学べる施設や学校が米国内であれば、教えて欲しいのですが・・・”の回答が上記だ。

海外に目が向いているわけではないと思った。
致し方なく、が私の本音なのだから。
東京都には約5万人に近い高次脳機能障害者が存在して、年間約1万人以上の患者が増加している。
がしかし、いまだに高次脳機能障害という名称すら知らないドクターは少なくなく、
そこに関与する従事者にも、理解されているかと問われたなら、私は首を傾げるだろう。

私は聞いた。
「なぜ、日本に目を向けた方がいいのかという理由がああれば教えてください」と。
彼女は言った。
「○○クラブとか、家族会とか、そういったところに参加してみるのもいいんじゃないかと思ったので」と。

私は自身が抱えた高次脳機能障害を当事者として学問として、学びたいと思っているだけだ。
しかし悲しいかな日本では、専門的な勉強ができる大学も機関も存在しないのが現実。
リハビリや障害者の社会復帰に積極的に取り組むアメリカの状況や知恵を
拝借して、ぜひ、日本でそれを生かしたいと思うのは、自分のためでもある。

グループセラピーに参加している重度高次脳機能障害者である若い女性が口火を切った。
「私は親が面倒を見てくれていますが、親がいつまでも面倒をみれるとは思っていないし、
交通事故さえなければ親の人生も変えずに済んだという自責にかられるし、
そうした心無い言葉をぶつけられることもあります。
だから、このまま一生、障害者として誰かの世話になって生きられるなどという甘い考えはありません」

私も他の参加者も頷いていた。
リハビリやセラピーを否定しているわけでは毛頭ない。
が、私たちが抱える問題や課題を理解していないかのような発言が続いたため、
比較する次元が違うと言いかけてやめた内容がある。

臨床心理士の親戚に重度障害者がいるらしく、その子と私たちを比較した場合、
社会復帰を考えられるだけまし・・・・・親戚の子はそんなことすら考えられる状況にないので、と。

障害や不具合を抱え生きていかなければならない私たちの思いは、
決して今日にはじまったわけではない。
他人や他疾患などと比較するものでもなく、個人個人の生活背景や受傷または発症要因が相違し、
その中でも患者に寄り添う姿勢”すらあれば、それ自体がセラピーの意味を持つのだと思うが。
現実は議論のような、心理士の抱える問題ばかりが前のめりになり、
消化できないものを抱えている人などいないとは思う。
が、同時にそうした問題を抱えている人が医療現場に存在する場合、
患者である私たちにとって決して環境的に恵まれているとは思えない状況に陥る。

アメリカでしか勉強できる大学も機関もないことをご存知ですか?
もし日本で勉強できるのであれば、私は日本にいたいと思っていますが・・・・と言葉を加えた。
心理士は「そうですね、アメリカしかありませんね・・・・」と小さくて蚊の鳴くような声で返答する。
なら、無責任に、日本に目を向けてみるのもいいんじゃないか、などと言うべきでないと思う。

見えない障害だとわかって接している人たちですら、私たちの異常には気付かない。
なぜ、セラピーの題目ができないのかは、他の作品や課題を比較すれば一目瞭然のはずだ。
が、それが見えない。
もしかしたら見ようとしていないのかもしれないとさえ感じる。

言うまでもなく、セラピーに参加した患者は全員、その後体調を崩した。
首を背中の激痛に襲われ、それは1日経過した今でも、軽減する様子は見せない。
そうした現状をどうすれば理解してもらいやすいのかと考え続ける私がいる。
空を、青く高い、その向こうに広がる宇宙を見つめ、ため息がひとつふたつと口元から漏れ出してしまう。




酉の夜市

2009年11月25日 08時28分52秒 | エッセイ、随筆、小説





騙されてあげてもいいのに、と思う。
賑わう酉の市の長い長い列に並びながら、引っかかってしまった言葉尻が脳裏に張り付いて離れない。
私の機嫌が悪いときは、多弁になるか、無口になる。
その極端さを知っている知人なら、そっと、その曲がった臍が真っ直ぐになるまで辛抱強く待つか、
それとも甘いものでも食べさせて、いつの間にかに忘れさせてくれる。
それが私自身でも厄介だと思う障害の正体だと理解してくれているためだ。

でも、それが彼にはうまく出来ない。
百歩譲って彼の味方をするならば、饒舌なわりには肝心なことについては不器用なのだろうし、
もしかしたら歳のせいもあるかもしれないと考えてもいい。
けれど、私は自分でもどうしようもない傷つきやすさを抱え、
自分でも予期出来ない状況において、棘のような言葉を心に突き刺したまま、生きなければならない。
それが高次脳機能障害としての私の症状のひとつなのだが、
果たして彼は私の、何を、どの程度、知っているのか・・・・・・に疑問を持つ自分に気付く。

日本人は病気の話やネガティブだと思われる重い内容になりがちな会話を避ける傾向にあると感じる。
だから、私が自分の症状の話をしようとすると、もう治ったも同然だと言って、一向に聞く耳を持たない。
病気の話をしたり、薬を飲んだりするから、治るものも治らないのだと他人事だから言える発言に、
私は感情を逆撫でされる。
私は病気や障害を共有しようとも思わないが、ひとりで抱え込むつもりもない。
誰か傍にいるのであれば、寄り添ってもらえたらどんなに幸せなのだろうと思うくらいのものだ。
それも贅沢な希いだとわかっているものの。

谷中にあるイタリアンレストランのバーカウンターで飲んでいた。
壁にはアフリカ系アメリカ人が描いたオレンジを基調とする線の細い黒人女性が佇む姿、
ジャズは楽曲を尋ねたものの、メモに残していないために誰の、何という曲なのか忘れた。
しとしとと降る雨がガラス張りのドアを色っぽく水滴で色のない色彩と夜を重ねていく。
酒の力を借りて、私の機嫌の、いつから、なにが原因で無口になったのかを思い出そうとする男の横で
美しくお洒落で美味しい野菜の盛り合わせを注文して、ぼんやりと雨を見ていた。

酉の市の、境内の最前列で、人込みにもまれながら言ったじゃない。
あなたがおしゃべり過ぎなければ、騙されてあげてもいいわよ、と。
私にいろいろな話を聞いてもらいたいことはよくわかっているの。
でも、私には、今の私には、障害との折り合いをつける手段を考えるだけで思考は占領されていて、
無駄に傷つく余裕もなければ、私を知ろうとできない人に割く時間はないように思うの。
だから、騙された振りができるように、健常で、私よりも大人なんだから、
甘える隙間をつくってえくれさえすれば、そこに滑り込んでいく術を覚えられるのに。





高次脳機能障害の快復

2009年11月21日 08時17分57秒 | エッセイ、随筆、小説





周囲の人、
うちの家族はあてにはならないので、たとえば長年の友人や信頼できる人数人に、
私の症状や特徴を理解してもらい、ひきこもりにならないように、
けれど過度の疲労を感じさせない程度に、外出や食事や買物に付き合ってもらったりしている。

私の場合、小さなことから大きなことまでにおいて「待つ」作業は(カフェなどは例外)苦手なため、
一週間後という約束をしたところで、すべてをドタキャンしてしまう。
そのかわり、前日の夜や当日の朝に、支度をする時間がちょうどよい具合に約束時間が設定されると
行動や作業が想像以上にスムーズに運び、高次脳機能障害についても目立たないように感じる。

ヨットという究極の体育会系のクラブに所属しているせいか、
裏方とはいえ、人の役に立つ、人に信頼される、人に頼りにされることが新鮮で、
なによりも心の平静を保つ結果へと結びついている。
過度の期待は重荷になるが、それでも仲間がいるという存在は、
そこに他の障害者も参加しているために、いままでとは違った視点で物事を見る上では役立っている。

連休明けは高次脳機能障害における区の取り組みや
慢性期以降におけるリハビリに特化した医師との会談を予定している。
弁護士の解任、また新たな弁護士との協議など交通事故における処理業務は今尚継続しているが、
5年かけて徐々に味方になってくれる方々との出会いがあるからこそ、
私はひとりでも諦めずに、今後も、納得する結果を得るまで頑張ろうと思えるのかもしれない。
願わくば、私のケースが前例となり、後に続く方々、被害者にとって、
多少の力になることを祈りながら。

素敵な連休を。




プライド

2009年11月18日 13時19分15秒 | エッセイ、随筆、小説

 


「最近の質問っていかがなものかと思うんだけど・・・」とあった。
私は「何が?」とそ知らぬ振りをする。
「今晩はなにが食べたいとか、好きなテレビ番組はとかではなく、
日本についてとか、右と左・・・みたいな系統に変化したよね?」と言うので、
だからなにが言いたいのだ?と心の中で思った。

「ごめん、なにか都合の悪い質問でもしたかしら?
覚えがないのは障害のためか、最近立て込んでいたから記憶に留められていないのか、
自分でもよくわからないの、でも、不愉快な気分になったなら謝るわ」と返信した。

私が聞いたのは家族の位置付けについてだ。
なにも日本がどうのとか、世界の貧困についてなどといった重く難しい質問なんかしてやしない。
彼が「正直でありたいと思うのと、嘘はつきたくはないので」といった趣旨の書かれたメールの末尾に
交際に触れるような、私には不愉快極まりない言葉が並んでいたために、
私と付き合う云々以前に、結婚生活ってどんなものなの?と聞いただけのことだ。
もちろん、本当のことなど言いやしないことは十分わかっている。
が、その質問を投げることで、事前に彼のプライドを傷つけ、閉口するだろう予測が立てられたため、
治療を最優先している私に交際云々などという話題を持ち出すなと釘をさした結果、
静かなる怒りのメールが質問から5日も経過した今朝、朝5時半という時間に携帯が受信した。

いい歳をして・・・など野暮なことは言わない。
結婚しているくせに、などとも言わない。
私が憤慨しているのは友人のひとりである彼の多忙さなどに気遣い、
話題を合わせてきたことや、機微、感情を瞬時に読み取った上で
食事などの時間を共有してきた経緯がまったくといって伝わっていなかった事実が逆鱗に触れただけ。

いろいろな男をみていて思うことがある。
仕事のストレスが女遊びに走ってしまうケースを垣間見るたびに、
結局は双方がぼろ雑巾のように傷付けあうだけで、なにもそこからは生まれはしない。
男女問わず、誰かに大切に思われたり、誰かを想ったり、好きになったりする行為は素晴らしいと思うが
ある一線を越えた瞬間から、泥沼に足を取られ、身動きできなくなる。
奇麗事かもしれないが、私はそうした男女関係を忌み嫌っているだけだ。
かかわりを持つ時間も、体力も気力もない・・・・・だけなのかもしれないが。

傷ついたプライドという残留物が目前に転がっている。
そりゃそうだろうと思う。
日本での最高峰である大学の法学部を卒業後、大企業に就職、エリート街道まっしぐらで
本当に偉いポジションに君臨する。
でも本当に幸せなのかと問うたときにも、やはり返信はなかった。
私が聞きたいのは彼の私生活ではなく、彼の思想であり、肩書きや社会的立場を超越した部分、
それが彼にとっては厄介極まりない質問に過ぎないのだろうか。

「ごめん、なにか都合の悪い質問でもしたかしら?
覚えがないのは障害のためか、最近立て込んでいたから記憶に留められていないのか、
自分でもよくわからないの、でも、不愉快な気分になったなら謝るわ」と返信した。

私。
毒のある、嫌な女だ。




 


優しい嘘

2009年11月17日 00時39分54秒 | エッセイ、随筆、小説




元気そうで安心した、と言われた。
うん、もう大丈夫、90%の完治ってところかしら、と私。
なぜ、嘘をつくのだろう・・・・・と思う。
無理に元気を装っているわけではないけれど、元気な姿だけを見せようとするもうひとりの自分がいる。

もしも、もっと早く出会っていたならば、おそらく違う道、
たとえば僕たちは結婚していたと思うと複雑な心境になるんだよ、と告白をされた。
そうね、とそっけない返事をして、車窓から広がる東京の景色をみながら、
男に甘える術を知らない自分の情けなさを突きつけられた気分になったので、
当分、アメリカにでも留学をするつもりでいるから連絡は取れなくなるわ、と男との距離を置いた。

沈黙が続く。
題名は忘れたが、なんとかというジャズのスタンダードが流れる。

こうやってさらりと、いとも当然のように、男から逃げてきた過去の自分がいる。
振られたふりをしながら身を引く術は人一倍長けているというのに、
なぜか甘える行為がうまくできずにいるために、男に一歩踏み込まれそうになると一線を置く。
笑いながら、友人としての縁しかないのよ、などと言ってその場をしのぐ。

私と会うと複雑な心境になると言うなら、胸の内を明かさないことこそが大人ね、と言うと、
こればっかりは好きになってしまったのだから仕方ない、と切り替えされた。
車が湾岸線から東京タワーを目前にするカーブにさし掛かった瞬間、
私は好きよ、こればっかりは仕方ないことだと思うことにするわ、と告げた。

障害を抱えている以上、体調が悪化した場合はふりだしに戻ることを条件に。
愛しい視線で私をみつめる男、それでもなにもなかったように振舞う私。
本音を言わないのが決していいとは思っていない。
たぶん、男へ・・・よりも、自分が傷つかないように、今から準備をしているのかとも思う。