風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

月が4回欠けたとき・・・・・

2007年09月30日 23時02分53秒 | エッセイ、随筆、小説







雨の日曜日、それを「静養のとき」と私は呼んでいる。

BGMは雨音、とくに気に入った曲をかけることもせず、

しっとりと心に残るだろう予感を感受する本を積本から取り出し、

読みかけの本はかばんに仕舞ったままにしておく。








内省でもなく、深慮でもなく、ただし、何かを考え、

複雑に絡み合うことを好む人の増加や

ミャンマーで亡くなったカメラマンの死の映像や

カンボジアで目にした無数の骸骨、死臭、地雷の被害を受けた人々、

手足を切られた不可蝕民族であるインドの青年の姿、

煌びやかなニューヨークのレストランでの毎夜のパーティー、

現在、東京にいる私がどこかしっくりと事の上に事が増し加わる結果である今を

受け入れること、受け止めることが、うまくいかない。







雨の夜は月や星に救いを求めることもできずに、

だからこそ、人には深みがこの瞬間にこそ添えられるのかもしれない。

地球上に吹く風は私たちの現実に吹く風とは方向を異としており、

盟友から届いた電子メールには「前例」という文字が

私の内面をゆさゆさと揺さぶり、叩き、

何かをより目覚めさせるように心や魂にそれらを刻み、

体が他のものを動かし得る力を届け、私はそれらを有難く受信した。








月があと4回欠けたとき、

風は本来の風の方向を取り戻し私たちが希求する結果へ

導いてくれるものだと確信する。

その挑戦は明日からはじまる。

月があと4回欠けたとき、静止している物体に運動を促し

また、動いている物体の速度を変えようとする作用が起こるだろう。











プロテスタンティズム

2007年09月29日 18時37分04秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

16世紀の宗教改革に発したキリスト教プロテスタント各派の思想・神学。

その思想的中心は、

人は信仰によって救われるとする信仰による義認(ぎにん)と、

聖書を信仰の唯一の根拠とする聖書主義の二点である。

新教。

ちなみに義認とは、罪ある人間がキリストの贖罪(しょくざい)によって

正しい人として神に認められること。

罪のゆるし。

カトリックでは、義化という。






朝から長電話となったのは、南房総のシャーマン。

「タイから帰国したとき、私の中には『慈悲』『慈愛』という言葉が

ぐるぐると出口を探すこともなく巡るだけめぐり、

その欠如が現代の日本の象徴であることを痛感させられました。

それが私の自問に対する自答であり、

批判ではなく、今後、実際にそれをどのようにしていくのかがテーマでしょう」

「僕もまったく同じことを考えていました」とシャーマン。

成田から高知湾上空まで私が見続けた薄雲の龍の話、

ベトナム上空でみた灰色の龍の意味、

タイでの火災、飛行機墜落事故、インドネシアの地震、ミャンマーの政治情勢、

僕とは違った感覚で少し先の未来を感知してしまうのでしょう、と

シャーマンは私の話をひとしきり聞いた後、

一度、ゆっくりお話できませんか?と申し出を受けることに。






すべてとは決して言わない。

けれど、ヨーロッパでは宗教観がビジネスの土台となっている背景からも

慈悲の度合いが日本とは相違する。

世界ではじめてシートベルトを考案したのはVOLVOらしく、

自社がつくる製品で他者の命が散っていくことに心が痛み、

自社製品である車が交通事故を起こした場合、

その事故現場に社員を送り、ダメージの現実を知り、

そして改良へと結びつけたらしい。

実際にベンツも同様のことをやっていると聞いた。

車社会である以上、事故をゼロにすることは不可能に近い。

けれど、ダメージを最小限にすることは、

開発者である販売元にも責任ありと私は考えてしまう。







では日本ではどうなのだろう?

私が知らないだけなのか、

それともやはり耳に入ってこないということは何も行っていない証か。

どの車種が年間どれくらいの事故を起こし、

人間の死を誘発し、ダメージを与えている詳細を知りえているのだろうか?

その後の二次・三次被害、保険会社や病院の対応を本当に把握している機関は

日本にはあるのだろうか?







私の今生のテーマのひとつが医療なのだと自覚したとき、

主張できる私の後ろには人間で生まれた人たちの人生がときに関与してくる。

人生の深さを考えたとき、そこには責任や慈悲や慈愛への思いが欠かせない。

日本に欠如しているとするのであれば、

欠如していない人間がそれを欠如した部分を補う役割を担えばいいのだ。






容易いことではないことは理解している。

けれど、私は批判ではなく実際に改革として着手したい。

ちなみに小泉政権が行った弱者への切捨ては、

障害を持った子供たちが通園する費用が1000円から2万円以上に、

私たちのように医療を必要とする身であったとしても、

健常者としての取り扱いが通常なされるのだ。

ということは、国は切り捨てに入り、

自立できない者は生きていく道が閉ざされ、

結果、健康問題での自殺者急増につながっているものと思われる。

自らの手をくださなくても人は殺せる。

功罪は功罪として、いずれ自らの首を絞めることになるだろう。

慈悲・慈愛の意味や必要を、もう一度、私自身も考える必要に迫られている。











田口ランディ文学、死ぬことで完結する仕事

2007年09月28日 07時41分02秒 | エッセイ、随筆、小説







「あなたもね、死ぬことで完結するような仕事をしたらいいですよ」



ドリームタイム「肉の花」

著者 田口ランディ








はっとして飛び起きた。

いつもなら激痛の点滴時前に薬を服用し、

点滴がはじまると読書をしていたはずが、

いつの間にかうとうとと浅い眠りに就く事が多かったものの、

その日は田口ランディさんの新刊「ドリームタイム」を書店で購入し、

待合時間からその世界へ吸い込まれるように誘われていった。

それはベッドに横になってからも変わることなく、

片時も本から目を離さなかった。

それでもいつの間にかうとうととしはじめたとき、

突然、私の目に飛び込んできた言葉、

私がどこかから誰かにそう言われている気がしたのだった。








あなたもね、死ぬことで完結するような仕事をしたらいいですよ、と。








田口ランディさんの新刊「ドリームタイム」は短編で構成されている。

心臓を抉られるような言葉の連なりに、一瞬時間が止まる。

以前、私はある仏教徒(宗派は知らん)である知人と、

現代風にアレンジした精進料理をつくっている最中に

殺生について激論を交わしたことをふと思い出した。








殺生をしない人間などどこにいるのでしょう?と私。

彼女は言った。

彼は肉屋を営んでいるから、魚屋だから、

腰が悪くなったり、目が見えなくなったり、不幸が続くのですよ、と。

随分と残酷なことを平気でさらりというものだと私は目を剥いた。

では、交通事故に遭い、難病となった私はやはり殺生の祟りですか?

友人には焼肉屋も魚屋もいますし、漁師も死刑執行人もいます。

焼肉屋の友人に関していえば、彼の家系は母方はすべて日本人なのに、

父方が韓国系ということで在日扱い、

仕事がなく、それで焼肉屋をはじめた経緯があります。

それは日本があの戦争に負けたときサンフランシスコ条約の調印式で、

取り残された彼らが今の現状であることも。

むろん、日本が植民地化していたことで帰国しても仕事がないとの理由で

日本に留まった方々もいるでしょうが、在日の定義は曖昧で矛盾だらけです。









私は続けた。

自営業の人、国家公務員、立場が変わっても、

彼らは与えられた仕事を彼らなりに全うしていることを否定するのですか?

私たちが生きていくために、食べていくために、

必要な仕事がこの世に存在しているとは考えないのですか?

この世には天国も地獄もすでに存在していますよ。

仏教徒であるあなたがそのように他者の職業差別をするとは

夢にも思ってみませんでした。残念です。








怪訝な表情を浮かべながらその人は言った。

理由のないことは起こらないの。

だから私は殺生はしない。

けれど、と私は言葉を挟み、野菜も生きていますよね?

私は植物の力を借りて、植物が私の痛みを吸い取ってくれるのは午前4時ごろで、

その息吹からたくさんのことを学びました。

それは殺生を行わずに生きていける世界に私たちはいないということです。









メニューの中には蕎麦がある。

蕎麦汁だけはかつおを使っていた。

かつおは魚だ。

矛盾していないか?

人は自分にとって都合よい理由をいくつも並べて、

他人の不幸を説明しようとする。

けれど、真面目に生きていても殺生をたとえせず生きていると思っても

どうしようもない出来事は星の数ほど存在するというのに。









あなたは幸せですか?といいかけてやめた。

信じるものがないと生きていけない人を少なくとも知っているつもりだし、

私は虚像を信じなくても生きていけるタイプの人間でたまたまあるだけだ。

空があればいい。

海が。月が。星が。光が。風が。

 


「死んだ人間は怖くありません。生きている人間の方がよほど恐ろしいです」

繭のシールドのはじまり。

ミャンマーでは軍事政権下で仏教徒が抑圧されている。

銃殺されている。









死んだ人間は怖くはありません。生きている人間の方がよほど恐ろしいのです。

私の頭の中で、言葉が彷徨うようにぐるぐるとめぐる。











医療環境

2007年09月27日 20時35分03秒 | 医療

 

 

 

この病院は患者ひとりに対して7人の看護師が必要な民間病院です。

もう、僕も外来マシーン化していますよ、

週3日の外来、救急、脳外科手術と爆発寸前です、と主治医は小声で言った。

実はね・・・と声をよりひそめ、外来担当の看護師全員がパートで、

家族がどうの、彼氏や恋愛が、残業は嫌だ、などの不平不満揃いで

結局優秀な看護師は皆、入院病棟へ。

私の紫色になった点滴痕の腕を眺め、ひどいもんだ、とため息を漏らす。







院長も看護師不足だから怒鳴ることもできないし、

怒鳴れば看護師がまとまって辞めてしまう。

けれど、看護師の身勝手を放置していることで医療の質は必然的に低下する。

悪循環だね、これ。

本来なら、患者ひとりに対して10名の看護師なら条件もよく勤務可能なのに、

うちは7名だから、経営的にもうまくいっていないんだよ、実は・・・・・

 

 

その差はなんだろうか、と思った。

患者ひとりに対し7名または10名の看護師、その差は何か?

明日、厚生労働省の担当者に連絡を入れて、その詳細をお聞きしよう。

あれでは医師が死んでしまう。

過労で、激務で、本来、医師の右腕となるはずの看護師の質低下に拍車が加わり

本末転倒では済まされない自体に陥るのは目に見えている。

時間の問題だ。







点滴をすることで体内液の調整を図る。

体調の底上げを徐々に推し進め、どうにか生きていける体にまで快復させる。

今日は医師も泣きが入っていた。

私が点滴をする以前に、医師の職場環境改善などを検討しなければ、

ここで指す医師とは私の主治医のみに限ることだが、

医療に関与してしまった役割として、

患者以外の環境もより深く知りたいと思った。







けれど、さすがに驚いたというか、

点滴の針が一発で刺せない理由がこれで判明した。

パートだからプロ意識がなく、

戦場と化している脳神経外科医師や患者とは相違するだらけた空気に

医師も患者も激怒することは当然のこと。

主治医も戦闘モードに突入したらしく、

温厚な性格のはずが今日は一変、意識が違うと連発していた。

患者である私はもう、彼にとって患者ではなくなっている。

医療と共に語る相手にすこしずつ、距離を縮めた証拠か?




 


自我肥大男

2007年09月27日 07時42分36秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

私と同じ歳、

つまり今年38歳になる男性からメールが届いた。

とはいっても、ソーシャル系サイトを通じてのため、

知人でなければ友人でもなんでもない。

一切の関係は今までない男だ。







いきなり、メール交換をしたい、あなたに興味がある、との
文面からはじまり、

「私」というよりも「私の過去」について関心を注いでいる印象を受け、

それはわかりやすく質問という形式で男の興味が示されていた。







男は大学院卒、年収1500万円以上だといい、

職業もそれなりのものをもっているらしい。

自分を勝ち組だと勘違いしているのか私の知ったことではないが、

どうも当初からの文面からして私を「下」に見ているらしい。

それは「未婚の母」という過去が関係しているらしい予感は、

すぐさま見て取れた。







どのような意図なのかはわかりませんが顔も知らない相手の過去をかき回し

それについて責任がないからこそ済んだ物事へ執着をお持ちになるのでは?

私は言った。

また、あなたに私の人生を評価される覚えはないし、

私はあなたについて興味のかけらも持ち合わせておりませんこと追記として。








これはもう二度とメールをよこすな、とやんわり拒絶した言葉だ。

が、男にはその意味がわからなかったようで、

写真が欲しい、実際にお会いしたいなど、エスカレートする結果に。








なぜ、あなたに写真をお渡ししなければならないのか?

なぜ、あなたにお会いしなければならないのか?








その返答には「興味があるため」と記されていたが、

私はこの男には関心もなければ

異性だけではなく人間としても琴線に触れる要素がまったくない。

次ははっきりと言った。

写真をお渡しする、お会いする理由がありませんので、

ご提案は却下させていただきます、と。








すると、語尾が強いんだからはじまり、

断り方があるだろう、と説教がはじまった。

いつかお会いできるかもしれませんね、とか、

そのうちに、とか、

今は忙しいので、とか、

断るなりに礼儀があるだろうと、自分の失礼を棚にあげごね始めた。

終いには、作家を目指しているなら口語ではなく文語を書け。

アメリカ生活が長かったせいだろうが、気が強く、

お前の相手をどこの誰が引き受けるのか、だから未婚の母なんだ、と罵られた。

作家になれればなぁというのは確かに正解だが、

アメリカ生活はしていないし、しても滞在は数ヶ月という短期だ。

住んでいたなど一言も書いても言ってもいないし、

世界=アメリカなどと私は思っちゃいないのだ。








うわっ、38歳でこの化石状態。

すんごい生き物が生息しているんだなぁ~と思った。

まだまだ世間知らずの私。

こんな危険な生物をつくりあげる作業は、

どのような家に生まれ、育てられると自己評価だけが高く対他からの評価とは

雲泥の差が生じるのか興味があったが、

いじるとストーカー化することが一目瞭然なのでやめた。

ばからしい。

知性があり、教養があり、ルックスもスタイルも抜群。

一方的に送られてきた写真は慎重170センチ弱、痩せ型、

顔は気持ち悪い、というか、絶対に38歳ではない。

自我だけが肥大化し、

自分を否定する、拒絶するものを片っ端から攻撃する要素が男にはあった。

要は、5歳児と同じだ。(5歳児にも失礼かも 笑)

 

 



あっと思った。

まもとに女性と付き合った経験がない男なのだということを。

そして、自分がすんごくよく見える鏡でも特注して、

キムタクやカッコいい俳優さんのように見えてしまうという

罪を犯していることも。

これだけの屈折の仕方はただ者ではないし、

自分の欲求が満たされないとわかると、すぐさま攻撃に転じる。

それも通常の人間であれば傷を残すような言葉を安易に使い、

心をずたずたに切り裂き

再起不能にさえ可能な表現を用い、

さも、自分はまともで相手、

ここでは私の人生を否定しにかかってきたわけだから。

母親の顔が目に浮かぶ。

38歳の今でも母乳を与えているのではないか、と。








正直、私は驚きませんでした、と結んだ。

謙虚さもなく、容姿端麗で教養も知性もあり、

それを決めるのは自分ではなく、他者だ。

いくら自分がそう思っても伝わらないこともあり、

逆に自己評価が低くても評価の値する出来事はたくさんあるのだから。







しっかし、すごい生き物がいたものだ。

私にはそれらが人間ではなく生き物以下にすら思えないのだ。

かわいそうな男たち。

いい女をひとりでも知っていれば、

ここまで自我が氾濫を起こすことはなかったであろうに。







※自我とは 自分。自己。

哲学で、知覚・思考・意志・行為などの自己同一的な主体として、
他者や外界から区別して意識される自分。Z5192.gif
非我
 
心理学で、行動や意識の主体。自我意識。
精神分析で、イド・超自我を統制して現実への適応を行わせる精神の一側面。
エゴ。


大辞泉より













 

 


龍の子供

2007年09月26日 21時17分27秒 | エッセイ、随筆、小説







ベトナム上空でみた竜の化身が東京にやってきた。

ここで子供を産み落とすのかをためらっているものの、

私は上空のそれを眺めながら、

とうとう日本にも・・・・・・と思った。







夕方の秋風が強まる時間帯と

工事で使う鉄板板上をバスやトラックが

ごとごとというものすごい音を立て行き交う振動や爆音、

駅から吐き出される人間という汚泥、

普通の人にとってみれは平日のごく当たり前の光景が、

私には違った景色にしか映ってはこない。

毎日殺人事件が起こっていかに残忍で凶悪で冷酷だとしても、

それは一瞬のごくわずかな時間を灰色に染めるだけに過ぎない。

けれど私にとってそれはドクマチールが肝臓に一週間も残留するのと同様に

他の人がすぐに忘れてしまう類、

楽しいことを追いかけていく様のようには容易くはいかない。

竜は怒っているのだ。

そして、ベトナム上空からインドネシアへ移動し、

今度は日本へやってきた。

何をしにきたのかは、私の口から今は言えない。







※ドクマチールとは薬名です。

 

 





 


魅惑の月夜

2007年09月26日 09時39分41秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

 

ある方のお父様が月夜の美しい夜、

天に召された。

月と会話していると、その時空を超越した輝きに見蕩れていると、

この世のすべてが可笑しく、俗世であることを思い知らされる。





人はなぜ求めるのだろう?

異性も、生活も、金銭も、医療も、今よりもいいものとを希求する。

それが人生にとって潤滑油の役割をすることは当然であるし、

質の低下に向上を・・・・・と声高く叫ぶことは必要なことなのだ。





けれど、ときどき疲れてしまう。

点滴が終了した確認をせず、管を逆流した緋色に染まった管をみると、

刺す場所のなくなった穴だらけの変色した右腕に視線を落とすと、

かわいそうに・・・・・と自分で自分の頭を撫でてやりたくなる。





点滴の必要性も投薬もなにもかもを、

知識のあるはずの医師に患者側が高度な情報を与え、

そのとおりに指示書に記入してもらい、今後の経過観察方針が決まる。

それができるようになったのは二名の主治医を持ち、

看護師の資格を有する友人のお陰で、

1名の主治医しか持ち得なかったら、おそらく私の主張が通っていたかどうか。






ある方のお父様が月夜の美しい夜、

天に召された。

月と会話していると、その時空を超越した輝きに見蕩れていると、

この世のすべてが可笑しく、俗世であることを思い知らされる。

俗世とは、天国も地獄、

人間の面をつけた鬼も悪魔も、神も仏も存在する世界の呼称だ。






ひとつひとつ問題を片付けた後、

俗世からは距離を置き、ひっそりと暮らそう。

 

 

 






執筆を理由に・・・

2007年09月25日 10時49分51秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

年末を目処に脱稿したいと考えている

医療に関するノンフィクション」があります。

私または私たちが感じてきたこと、

現在の医療の現実、医療現場で何が起こっているのかなどを

自身の経験や取材などから寄り集めたものを作品としてまとめる予定です。




ブログに時間を費やしてしまうと不慣れなため、

作品への影響が拭いきれません。




随時、ブログは掲載していきますが、

毎日ではなくなるかもしれませんこと、どうかご了承を・・・・・




今度ともどうぞ末永いお付き合いのほど、

宜しくお願い申し上げます。

 

 

風の生まれる場所、著者より

 

 

 


バイブレーション

2007年09月24日 00時44分23秒 | エッセイ、随筆、小説








それはあのときも感じたことだった。

祖母が亡くなったのは去年の今日、

秋の彼岸を選ぶように、静かに息を引き取ったと聞いた。

昨日は私の夢に出てきて、

祖母は家に迷いこんだねずみを心配している様子だった。

あの子は悪さなどしないから、殺生せずに逃がしておやり。






不思議なことだった。

朝の気だるさもなく目覚め、

祖母が私の体から痛みを吸い取ってくれたように

快適な一日を過ごすことができた。

つながっているのね、私たち。

ずっとずっとつながっている。

細胞も魂も目に見えないものばかりだけど、

私と祖母は繋がっている。

そして、祖父とも先に亡くなった友人たちとも自然とも。







秋のせいか、感慨深く祖母を思う。

夢でいつでも会えるわ、と祖母は微笑むけれど、

私は祖母の手打ちうどんが食べたいし、

お茶には野沢菜をつまむ風習の信濃の縁側で語りたい。

そして、子供のように頭を撫でてもらいたいし、

一緒にお風呂で背中を流してあげたい。

祖母は、今夜の夢で叶えてあげるわ、と容易く言った。

そして、私は2日連続で祖母の夢をみて、

祖母のいうとおり、夢の中で希求したすべてを満たしてもらえたのだ。

目覚めると、歯を磨いて寝たはずの前歯に、

祖母が雑に切ったねぎが証拠として残されていた。






私の細胞の中で生きている人たち。

それはときにバイブレーションとなり、

私に嗅覚を与え、未来に手が届くように手解きを加えてくれるらしい。

茶香炉の火を絶やさなかったわりには、

懐かしいニオイが部屋に充満し、

祖母の命日に相応しい祖母のかつての匂いが細胞に染み込んでいく感触。





祖母が以前手作りしてこしらえた半纏を着て、

今日は娘が祖母の夢を見たいと言った。

祖母に会いたい・・・・・・

もう一度、祖母に抱かれてみたい・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


文化祭

2007年09月23日 08時35分16秒 | エッセイ、随筆、小説







絶対に来てね!!

そう昨日は私に何度も念を押していたくせに今朝になると

来なくていい、絶対に・・・・と娘の主張は変化していた。

母は娘の学校をみたことがないため誘ってみると、

行く気満々の様子。

今度は母に、私をみかけても絶対に知らん振りしてよ、だって。

なにか奴には企みがあるのだ、きっと。






そういえば、彼氏と校内で食べ歩きを楽しみにしていたし、

彼のお母さんも今日は来るようなことを言っていた。

今まで電話では話したことがあったものの、

実際にお会いするチャンスは今日しかない。

御礼を伝えることも兼ねて、やっぱり母を連れ出そう。





学校が楽しいということ、友達に恵まれるということ、

それが彼女たちの一生に関与する思い出にもなり、支えにもなり、

私は学校の行事に参加するたび、彼女たちをみていると羨ましくて仕方ない。

さて、学校見学に来ている来期受験生も来ていることだろう。

母のテーマは「銀座マダム」らしい。

なんだそりゃ?とみんなにからかわれた後、

今日は銀座マダム気取りでしか外出しないと今度は駄々をこねる結果に。

じゃぁ、私は何をテーマに服装を考えればいいのだ?

母は銀座マダム、これが・・・?とケチをつけたくなるだろうが、

そこは彼岸で祖母の命日だとの容赦から、

心の中に仕舞っておくことにするとしよう。