風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

おなかの水

2008年12月17日 09時24分28秒 | 医療

 



おなかに水が溜まったような状態になって、なにをするにも胃が重苦しくて落ち着かない。
NY行き前にどうにかしなければ、飛行機なんか乗れないし、キャンセルも仕方ない・・・と
私はひそかに考えていた。

で、漢方を変更した。
わずか一日でだいぶ改善した。

交通事故はその後の投薬の苦しみも併合するのだと思うと、
ちょっと辛い思いになったし、ちょっと振り返る余裕もできた。

さて、今日は眼科だ。
目が見えなくなってしまい、0,1を切る勢いだ。
で、診断書を作成してもらうために、病院へ向かう。




戸惑い

2008年11月05日 18時32分57秒 | 医療




思ったよりも元気そうでよかった、とひとは言う。
心の中で私は”元気そうに振舞っているんじゃん!!”と呟く。
いや、ぼやく。

障害者になったことは、2人の友人にしか知らせていない。
ひとりはこれから障害者になろう盟友と、もうひとりは海の近くに移住した彼女、
特にこれといって反応がないのが、話せた理由とでもいうべきだろうか。

元気そうだから、温泉へ行こう、と言われる。
旅行は?ニューヨークは?初の黒人大統領の登場で盛り上がっているよ、と言われる。
でも・・・と私は口ごもる。
約束した日に元気かどうかの保障が自分でも立てられないためだ。
わからん。
明日になってみなければ、動けるか否か、わからんのだから。

ときに戸惑いが運ばれ、風に乗って飛んでいってしまえと思う。
波に攫われろと思う。
大男にふんずけられてしまえ、と思う。
でもそうもいかない。
なけなしの知恵を振り絞って言い訳を考えるものの、結局は健常ではない、と言ってしまう。
反省する。
たぶん、3日くらい。

生きていくためには戸惑いも必要なのだろうが、こうしたものは無縁でいい。
今日は三日月だ。
月に向かって、この金髪豚やろーと叫んだ。
と、同時に、元上司からレストランに到着したと電話が受信を知らせる。

 

 


 


カラーブリージング(AURA-SOMA)

2008年10月24日 06時20分03秒 | 医療

 

院内で仲良くなった男の子たちに誘われて“カラーブリージング”の講座を取ることにした。
カラーブリージングってなんだ?と私たちはそわそわした。
わくわくした。
にこにこした。
ある少年が言った。
「こんなに楽しい思い、笑うのって何年振りだろう・・・」と。

私は胸が締め付けられる思いがしたので、
「はいはい、自分の好きな色を選んでいらっしゃい」と言って、少年の肩を叩いた。
「選んできまーす」と少年。
おいおい、ここは病院で、私たちは入院患者なのだぞ、と心の中で思った。
でも、私も同じように、わくわく、どきどき、にこにことしていた。

私が選んだボトルは「80番」だった。
名前は「月の女神・アルテミス」だった。
意味は“愛情を、情熱を振りまく人、たとえ自分が疲弊していても愛情を注ぐ人、与える人”
とあった。

気をつけなければならないのは、自分が疲弊していることを
自分自身でも他者にも理解させること。
疲弊しているときは自分に愛情を注ぐことが必要であり、
他人はその次にしないと、自分の身が持たない・・・という解説だった。

そのとおりだった。
私は会社でも、家庭でも、疲弊しても与え続けてきた結果、今に至る。
それが愛情や情熱と同等のものかはわからないけれど、
確かにその衒いはある。
自分で自覚していただけに、可笑しくて、けらけらと教室内には私の笑い声が充満した。

マインドマップには、
①優しさ、母なるもの、宇宙、大地、生命、
②春から夏の穏やかな季節、桜、満ち足りた風景美
③情熱、内なる力、秘めた思い、
④美しさ、品格、慈悲・慈愛、世界、静かなる幸福
⑤柔らかさ、華やかさ・・・・と続く

最終的に希求するものとして「LOVE&PEACE」と書かれている。


久しぶりの雨音がする朝、
もうすこしここで、ゆっくりと時間を過ごすのもそう悪くはなさそうだ。



穢れのない美しさ

2008年10月23日 09時16分03秒 | 医療





年配の女性が「お話してもよろしいかしら?」と声をかけてきてくれた。
「はい、もちろんです・・・」と私は返答すると
「あなたをみていて思うのよ。心の穢れがないというのはこういう人のことだ」と。

私は口をぽかんとあけた。
私に穢れがない?
「そんなことはありませんよ」と年配の女性に伝えると
「人はある年齢を重ねると、顔や表情から滲み出す雰囲気をごまかせないものよ」と言った。

「日本でも、インターナショナルでも通用する美はね、心に垢がないものなの。
あなたが海外へ行かれていたか否かは私はあなたを知らないからわからないわ。
でも、きっと、海外でもあなたは大切に扱われ、
あなただからこそ実現できる世界に出会えると思うの」
朝から変なこと言っちゃったかしら?ごめんなさいね、と言って笑顔で立ち去る女性。

誕生日の今日、とても素敵な言葉との出会いに感激した。
垢のない心、穢れのない美しさ、
私がそういう女性になりたいと思ってきた理想だ。

すこしだけ自信がついた。
海外への行き来がはじまったとき、20代のあのときではなく、
40代だからこそできることがある。
そう思うと、お世話になった日本人外人すべての友の声が聴きたくなった。

Missing You
みんなに会いたい。

 

 

 


遺伝子ONまたはOFF

2008年10月23日 06時28分18秒 | 医療





昨日は南房総に住むNちゃんと電話で話をした。
東京でセミナーがあるらしく、夜遊びまで付き合えず体力はないが、
一緒に泊まろう・・・ということになり、某デザイナーズ系のホテルを予約した。
(支払いはNちゃんがしろ・・・と毎日念じる私、笑)

遺伝子について書かれている本をそろそろ読破しそうになっているが、
簡単に書いてあるだろう内容が、私には簡単であるほど、難しくて深い。
たとえば、「根拠のない自信」や「インテリの悲観論よりアホの楽観論」
もちろん、この"インテリ”には私は当てはまらないため、
アホの楽観かぁ~と自分の人生を振り替えすことしばしば、
確かにアホであったからこそ、世界中を放浪して、NYでは300ドルで一ヶ月過ごした。
食事も宿泊費も含めて。
捨てる神があれば拾う神ありで、いまでも拾う神であった人たちは
私の大切な友人になって久しいのだが。

持って生まれた遺伝子は、環境で大きく左右されるのではなかろうか。
親を恨むよりも、環境を恨むよりも、まず自分でその恨みから開放してやればいい。
とはいっても、そんなに簡単なことじゃないとお叱りを受けそうでもあるが、
結局のところ、私はストレスケア病院に入院して思ったのは、
患者は皆いい人たちだし、なぜ、ここに入院する羽目になったのか?と考えたとき、
無神経なひとりのケースワーカーなのか看護士なのかわからんが、
なにしろ、たったひとりのスタッフと比較することで、妙に腑に落ちる部分を感じた。

つまり、ストレスケアで働く健常者がいかに教育を受けても、
心のどこかで不満やストレスがあるとそれが弱者である患者へ向かう。
言い方や声色、態度、などその情報を患者は恐ろしいほどに感知しているというのに
そこに関与するスタッフは、感知できないのだろう・・・・と結論に至った。

私は宗教を持ち合わせていないが、祈りたい。
こんなにいい人たちが世の中で活躍し、自分を生かせる世の中に戻れますように、と。
勝ちや負けではなく、笑みの絶えない生活ことが、幸せだと認識する社会になりますように、
ここですら医療格差を痛感して、私の心はひどく痛むのだから。


 

 


病者または健常者とは

2008年10月22日 07時21分04秒 | 医療




勝ち組や負け組みといった言葉が大流行した後、
前向きに、ポジティブに・・・という表現が当然のごとく、そう生きなきゃならないかのように
世間にも社会にも根付いてしまった。

私はそうした言葉が大嫌いで抵抗があると何度も書いてきているのだが、
人間は空模様のように、曇りもあれば雨も嵐も、
もちろん晴天もあっての人間の本来の姿だと強く信じているために上記を嫌うのだろうと思う。

一瞬の勝ち負けは勝負の世界には存在する。
でも、一生という長いスパンで物事を考えて捉えた場合、
真の幸せとは「心の平静」に行き着くのではないか、と思うのは私だけだろうか。
勝ったといわれた人たちが、今も勝ち続けているのかといえば疑問だし、
牢獄にいる人も、自殺に至った人もいる。
でも、本当に"勝った”のだろうか・・・・・

デザイナーズホテルにしかみえない院内で誰かがふと「外が怖い」と言った。
「私もよ」と言うと、「あなたは嘘よ、だって元気そうじゃないの、誰よりも」と返答が戻った。

私は言った。
「私の問題はそこなのよ」、と。
医者も患者も友人も家族も「誰よりもパワフルで元気そう・・・」という烙印が押されているために
病者です、痛いです、のた打ち回っています、と言っても信じてもらえないことにある、と。
医者ですら「あなたのように元気な人をはじめてみました」と言うし
「○○さんなら大丈夫。根性があるもの」などと言って
慰め励ましているのだろうが、私にとってはずたずたになるきっかけとなってしまったのだ、と。

病者扱いされる私の時間は止まっている。
だから見えてくる世界があるというのは、あまりにも大袈裟な表現かもしれない。
でも誤解を恐れずに書かせていただけるとすれば
健常者と言われている人たちが病者へ烙印を押す。
病者か否か、健常者か否かと。

でも、私たちからみると、健常者の方が病者にみえてしまうときが、
棘や刃やありとあらゆる武器を体中にくっつけて、はったりでようたく立てているように見える。
それでも元気で、幸せで、健全なのだろうか・・・・・・





医療に携わる人々

2008年10月21日 07時45分59秒 | 医療





午後11時、午前3時に巡回に来てくれる。
どちらにしろ、私は眠れなかったために、投薬やホットミルクを医師の指示の板下、
行ってくれたことには頭が下がった。

先日、若い、確かまだ20代前半の看護士が過労で亡くなった。
なにが原因かは私は部外者なため断言できないが、
やってもらうのが当たり前という患者視点であった部分が、
それはほんのすこしの部分に過ぎないが、
医者や医療者への視点がここにきてがらりと変わったのは事実だ。

なんと表現すればよいのだろう?
気の利いた言葉が浮かばないのが悔しいが、
なにしろ“共存の道”でしか両者が生きていく道はないのだと実感した。
私たち患者がいて医者は成立するが、
患者も医者に倒れられては元も子もないとは言えないのではないだろうか、と。

朝日が眩しい。
すがすがしい風、いい朝だ。

今日は本を読もう。
そして、考え事をひとしきり終えたあと、エステの予約だ。




あるストレスケア病院

2008年10月20日 14時29分13秒 | 医療





東京で静かに過ごせる場所がどこにあるのだろう?と考えたとき、
無理だ・・・・・という結論に達したのは、もうずいぶんと前のことになる。
できる限り(ほとんどは財布との相談事)東京を離れ、
移動のし易い場所にて療養を行ってきた過去がある。

先日、久しぶりに東京に来た友人は「これじゃ、杖を飛ばされたりするのも当然だ」と言った。
だから私は怖くてしょうがなくなり、引きこもりになるのも無理はない、と付け加えた。

初日だからだろうが、落ち着かない。
すんごい熱い風呂に入った。
髪を洗った。
体も隅々まで、いざ、エステへ行くとしよう。

なんだろう、この医療格差の社会とは。
ふとこみ上げる疑問に、私はまだ答えを見出すことができずに困惑する。


 


休養と養生と停止状態に入る入院準備

2008年10月19日 17時13分02秒 | 医療






ようやくこの日までたどり着いた感が強い。
冬を迎える前に、体調が悪化する前に、痛みが再現する前に、
入院をして休養と養生を同時に行いたかったからだ。

とはいえ、しえるの病状や娘の進学など、
結局は私がいないと進行しないことがあまりにも多すぎて、
今回は短期の入院を希望した。
今後、社会復帰を目指せるまで快復した時点で
再度、入院する必要があるだろうとは医師の見解だが
まずは休養だ。
もう限界ぎりぎりのところまで、きていたのは事実なのだから。

私に限らず、女性が病気になったときに、本当に“休養”できる環境なのだろうかと思った。
新聞には「介護休暇は取得できない状態」であると書かれているし、
実際に、私が以前いた会社でも「介護を理由に退職」せざるを得ない人が
後を絶たなかったのだから。

よくまぁ、自分でもここまでたどり着いたと思う。
後ろを振り返ると、ぞっとして怖いが。

 


 


悲しい出来事

2008年10月18日 01時47分07秒 | 医療





昨日、バスを待つ間の出来事だった。
歳の頃、60代半ば・・・・・・と思われる夫妻が私のすぐ前で並んでいる。
すると、奥さんの方は体調が悪いのか、
列からはみ出さなければならない椅子に腰掛け、
でも、列に戻れないことを気にかけている様子で、
「ここ、私の場所ですから・・・」と旦那さんの後ろ、つまり私の立ち位置について指摘した。

杖をじろじろとみる。
足元から頭の先まで舐めるように眺めるとは、こういうことをいうのだ・・・と思った。
定期、持ち物、ありとあらゆる「私」を検査するように見定めた頃、バスがやってきた。
彼らは二人席を、私は出口に近い、彼らとは並行する二人席に座った。

しばらくバスが停車している間にご夫婦の旦那さんが言った。
「さっきの子、なんらかの障害者だし、定期もそうだぞ・・・・・」と。
すると奥さんらしき人が
「あんなに若くて元気そうな人に障害者手帳なんか出すから私には下りないのよ」と言った。

つまり「私について」の会話が丸聞こえで、元気そうだから・・・に対する批判を
私に聞こえるようにわざと話をしているとしか思えなかった。
もちろんのこと、腹立たしいよりも悲しくて、降車する前に泣き出しそうになる私。

昨日は免許の更新ができなかった。
それは“障害”のためだ。
今後、免許更新が障害の完治度によって「保留」か「取り消し」になるかを
説明されたばかりの後だっただけに、
「押さないでください」とか「障害を抱えています」とステッカーでも貼らないと
“みえない障害”を“みえるもの”にすることは、不可能なのか?と考えた。

私よりもあなたの方が元気そうじゃない?
私よりもあなたの方が元気よ。
気のせいで、病気だって思い込んでいるだけでしょ?
性格の問題よ。
前向きに。
明るく、ポジティブに。

そうした言葉を浴びせられる度に、私は言葉につまり、今も死ぬほど身体は痛みますし、
心も・・・・・と声にならない声で叫び続けてきた。
でも、理解してくれる人はいなかった。

優しい社会とはなんだろう?
きっと、健常であろうとなかろうと、皆にとって優しいものは無条件に”柔らかな光”となって
微笑みで包まれるのだろうに・・・・・・と私は思う。