本当は鬱とは違うんじゃ?と言われた。
入院中に知り合ったKさんは社会復帰して5日目、やっぱり頭が痛くて通勤が苦痛だと訴える。
それに比べると、身体的な問題があっても精神的に・・・というようにはどうも思えないのだが。
私と比較しても、鬱の状態とは相違するんじゃないかと言うと怒られるかな?とにこにことしている。
私身体的な痛みはある。
それもかなり苦痛なものだ。
が、Kさんのいうように「うつ」なのか?というと、鬱々とした気持ちでいることは間違えないのだけど、
だからうつ病なのか?というと、どうも当てはまらないように思えてきたのだ。
今までそうだといわれてきたから、そうだと思っていたのだが、
考えてみればこの2年、薬の副作用と闘ってきた感が強いのも事実だからだ。
アメリカへ行く前にヨガに通えば?とKさんの提案。
銀座にもあるから、一緒に覗いてみない?とさらりと言う。
断る理由もないし、興味はあるし、価格的にも支払える。
ぜひ・・・と返答すると、ティファニーを通り越したビルの中にそのヨガ教室はあった。
友人が世界的にも有名なヨガの講師をやっている。
満足できるものか・・・よりもまず、この引きこもり状態から脱する道を模索しよう。
ヨガのウェアも買ったままのものがたくさんあるし、なにしろ、この服装は心地よい。
フレンチを食べながら「なにか持っている人はそれを役立たせなければならない」という。
Kさん、さすが会社役員だけあって、人をおだてるのが上手だ。
薬を減らすと体調がよくなった・・・という話はときどき耳にした。
私の血管が点滴針を拒否したように、今回も「そろそろ」という気持ちになった。
薬を止めたい・・・と身体が言ってきたためだ。
ノラ・ジョーンズのメロディがラジオから流れる。
Do you?
驚くわよ・・・という歌詞。
その中で私の細胞が目覚め、息を吹き返すようだった。
髪を切った。
腰まであった髪を、顎のラインまでばっさりと。
なにかがはじまる。
そんな予感めいたものを感じる。
ビジネスパートナーだった人に会った。
過去形なのは一年前までのパートナーだったことと、
今はビジネスの話ができる状況ではないものの、
彼をみていてとても勉強になったことがいくつかあった。
待ち合わせは神保町のビヤホールにした。
今勤務している会社が神保町にあるらしく、私の家からも15分もかからず向かうことができるからだ。
不安定なときは新しいものごとを前向きに捉えるよりもまず、
焦りが出てきてしまうものですね、と笑っていた。
これは去年の反省の意味を込めて・・・と付け加えて。
私も薬を止める方向に動き始めました、と言った。
それはよかったですね、との返答だった。
物事が落ち着いたら一年くらい留学でもしたい。
ロスやニューヨークでやっぱり仕事をしたいという念願をかなえたいと思うんです、と伝えた。
すると、運ばれてきたこの店の名物だというメンチカツを切り分けながら
知人の社長も、銀座にすし屋を出すことが夢で、
今年、定年をして社長業を退いたと同時に夢を実現させ経営しているのですよ、と言った。
夢や希望があると生きていけますからね、と。
なにか心に染み渡るように、言葉が深く入り込んでいった。
心身の設計がもし仮にあるなら、
その設計図を知り、その設計図をときに熟読し、
必要であれば手を加える勇気が必要なのかもしれないと思った。
もうすこしでやみそうな小雨。
霧雨にあたるのも気持ちがいいものですよ。
私たちはその言葉とおり、傘をささず、街頭に照らされて虹ができているシャワーで
全身を清めた。
性格が変わったというなら、
きっとがんばり屋のあなたが物事を簡単に諦めることではないでしょうか、と言われた。
“性格が変わった”と書かれた書類に目を落としながら、白衣のかわりに紺色のフリースを着た医師は
椅子をくるくると180度回転させながら、
僕の見解は違います、と言った。
普通の人であれば、損害保険会社との折衝に耐えられず、泣き寝入りすると聞きますから、と。
ひとりで娘を育て、一家の大黒柱として男の中に混じって仕事をこなし、
ある日、突然に交通事故に遭った。
国内では物足りず海外へまで足を、活動拠点をのばし、
夢や希望や目標を掲げながら、ある日、突然にして、そのすべてを奪われた。
交通事故事件の被害者として、意思など関係なく、心の準備をする余地などなく。
性格が変わった・・・というよりも喪失したと表現した方が適切な気がするんです。
それはあなたが作成した経過観察書を見ても思いましたし、
こうしてお話していても、初対面なのにも関わらず、あなたは“自分の困っていること”を
相手にわかりやすく説明することができるのです。
性格が変わったともし仮に言うなら、そういうことができなかったのにできるようになった、
そうおっしゃるのですか?
それは端的に言って、無理な芸当です。
新宿の空は高かった。
電線に鳩が数羽とまっている。
人とおりは多くも少なくもなく、年齢層は若すぎず、かといって年寄りが多いわけでも、
サラリーマンが目立つわけでもなかった。
時間の流れが目に見える速度で流れていて、
それが不思議と心地よいメロディーのように感じた。
都会にいながらも、その緊張に支配されずにいる快感。
爽快感。
重さのない孤独という世界に浸れる贅沢さ。
どれもすぐ手の届く場所にありながらも、簡単に手に入らなかったり、
逆に遠ざけたいものである場合もあったり。
性格が変わったというなら、
きっとがんばり屋のあなたが物事を簡単に諦めることではないでしょうか。
この言葉がなんども私の脳裏に張り付いたり剥がれたりしながら、
来週、医師に会ったら「嬉しかったです」と伝えよう。
自分が納得するまで諦めない。
たとえ不調で、頭がおかしくなりそうなほど痛みに襲われる日々であっても、
たったその一言で救われました、と。
報われましたと言おう。