風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

きらきらと輝く魂たち

2010年08月13日 10時22分40秒 | エッセイ、随筆、小説




ここにいる魂って、きらきらとして輝いていて、柔らかくて、温かいんだよね。
だから好き。


毎日のように通うようになった場所がある。
私はそこでみんなとランチを食べて、おしゃべりをして、笑って、
ときどき人生を考えさせられたりしながら、
それでも人間っていいものだし、できることなら自分もいい部分のみを引き出して生きたいと思うし、
生まれてきてよかったと言って死んでいきたいと思う。


ここにはたくさんの仲間がいろいろな障害を抱えて生きている。
中途障害者の私にとって、障害者の友達がたくさんできるなんて想像してこなかったし、
明るくて、優しくて、負の感情がまったく存在せず、
お互いに無理のできない体だからこそ、自分のペースで生きることが尊重されている。


楽しいことだけをフォーカスして、にこにこと笑顔が絶えないのは、
きっと、この世の地獄を彼らは知っていて、実際に経験しているからではないか、との仮説を立てた。


私の頭を路線バスが踏んずけていったときにね、
最後の記憶は「ぐしゃり」という音だったの。
私はこんな風になってしまったのに、相手の組織が大きすぎて、負う傷で心臓を一突きされそうで、
被害者が声を出せない社会というものが日本にはまだまだ根深く存在するのだということを学んだの。
それと、日本の福祉について、当事者として考えられる環境を引き換えに諦めたんだ。
あとはきらきらと輝く魂たちとたくさん出会って、
この世界には見えるもので人は混乱させられるけど、
見えないものが真実を語るとき、私はその声が聴こえるようになったの。
だから今の方が幸せよ。
もうすこし、体が動くようになれば日常が楽にはなると思うけど。
そうそう、数年目を覚まさなかった私だからいえることをひとつ。
あそこで脳死判定をされてしまったら、いまの私はなかったのよね?


時間が止まる瞬間がある。
きらきらと輝く魂たちは、いつ、どこで直球を投げてくるのかがわからないからだ。
私はその言葉の意味するものを考えて、
この世界や人間の本質というものが、ますます関心ごととして囚われの身と化してしまう。


魂が疲れたら、彼らのもとへ。
きっと、いつの間に魂が癒されることと思います。
ぜひ。