風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

新しいブログ

2008年04月03日 02時51分49秒 | まーちゃん作家になるシリーズ

「都会的な視点」をコンセプトに、新たにブログをつくってみました。
格好良さやクールさ、スタイリッシュなものよりも、
逆の部分にも多く触れていきたいと思います。
「渡海(渡海)も意味しています。ご贔屓に・・・


渡海のつむじ風(タイトル仮称)
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冥福を祈る・・・・・

2008年03月09日 01時14分12秒 | まーちゃん作家になるシリーズ


 




もう手を尽くすことがないと医療に匙を投げられた私たち。

一方はノンフィクション作家で、命の期限を告知され、

もう一方は、命をすぐに取り上げられるほどではないにしろ、ただし生の質には重篤な不具合が生じ、

じわじわと近寄る死の匂いに脅える者、後者はもちろん私を指している。





そんなふたりの接点は「作家」と「それを目指す者」、それから「病」だった。

「生きていくことがいかに残酷であるのか」とそれぞれの立場から私見を述べ合ったり、

「医療について」熱い議論を繰り広げた。

ある日、私は彼女の深い溜息と共に吐き出された一言、

それは「医療に何を期待しているの?」という凍るような問いかけに愕然として、

両頬を何度も叩かれた心境に陥った。

もちろん、私はすぐさま気の利いた言葉を引き出しから探し出すことができずにいたし、

言われるがままに、確かに私は医療に何を期待しているのだろう?という自問が脳裏を埋め尽くして、

それにとりつかれてしまったように、その自答を探すだけに数日を費やした。

けれど、やっぱり、自分を納得する答えにはありつけないまま終わった。





今にして思えば、それがどうしてなのか、いくら考えてもわからないのだけれど、

新宿の雑踏の中から、私は突如思いついたように彼女の携帯へ連絡を入れたことがあった。

それは「交通事故被害者は、その不具合を医療に証明させない限り仮病扱いで済まされる!」と

言うだけのものだった。

私は自己満足に過ぎない主張をするために、

彼女の大切な時間に土足でずかずかと踏み込んでいった無礼などさっさと棚にあげて、

私の不具合とは無関係な彼女へ、憤りや腹立たしさをぶつけてしまったことがあった。

言うまでもなく、

彼女は交通事故の加害者でもなければ、医療という巨棟を振り翳す偽善者(一部)でもなければ、

ただのひとりの女で、誰よりもか弱く、そして、社会的には弱者だった。


 

そのとき彼女は病の再発を告げられた直後で、「私はとっくに医療放棄したわ・・・」と告白された。

「だからといって書かない理由になんかならない」と私は語尾を強めて、不機嫌に返した。

人間に捨てられて、何日も飯にありつけていない薄汚れた狂犬のようにがぶりと噛み付いた。

人間の匂いを嗅いだだけで不信を募らせる、刃むき出しで、どう考えても惨めでしかない私だった。

「そんなことを書いて誰が読むと思っているの?」と数倍に膨れ上がった

やり場のない感情を何度もぶつけられたせいで、

「じゃあ、誰が医療の闇を書けるのでしょう?」と、誰かが書かなければ・・・と

安い酒を飲んだ翌日の頭痛がわかりきっているのに、

私だけが信じている正義をがぶがぶと飲んで、深酔いして、やっぱり頭痛に襲われた。

勝手にゲロを吐いて、それを彼女に始末させるみたいだった。

私という存在そのものが、残酷で、卑劣で、偽善なのかとも思った。

 

彼女が死んだ。

生きていくことは冷酷で残酷だとわかっているのに、

私たちみたいなのはとことん生に関わってしまう性質なのよ、とあの日彼女は私へ言った。





痛くはなかったのだろうか?

苦しくはなかったのだろうか?

怖くは?

悔しくは?

怒りは?

彼女の人生は幸せだったのだろうか?

ぐるぐると私の中を駆け巡るだけの問いに、彼女はなんと答えてくれるのだろうか。





人間が生きていく上では「敵と希望」という相反する存在の同居によって、

それが成立するのだと私たちは語った。

誰でもいいから私たちを納得させてみろと、うぞ振る思いをかき消すための理由を探したこともあったし

さっさと命を取り上げろと、何かわからない敵と格闘した日々を告白し合ったことも。

けれど、もう少し生きていて欲しかった。

出版社へ私が作品を提出した日、彼女は亡くなった。

誰がこんなものを読むのか?とまた怒られそうで怖いのですが、

あなたが言ったように、とことん生に関わってみようと思います。

自分を納得させるために。

ただのひとりの女で、誰よりもか弱く、そして、社会的には弱者な私ですが・・・・・・

 

 

またいつかお会い出来ることを楽しみにしています。

 

 


 


書く気持ちと情熱

2008年03月07日 18時29分18秒 | まーちゃん作家になるシリーズ

 

 

まったく入らないのよ、困ったわ・・・と看護師も医師も頭を抱えている。

おそらく雨が間近で待機しているせいで、空が重いから仕方ないですね、と

渋い柿でも食べたみたいな表情を浮かべた私の、無理やりつくった笑顔の嘘がばれたらしく、

我慢強い患者さんを目前にすると、こっちの未熟さが申し訳なくてね・・・と

私の主治医である女医は深々と頭を下げた。




私の血管が点滴針を拒絶してしまうようで、

すでに五箇所の傷が腕を赤々と染め上げて、

6回目に入らなければ止めましょう!と提案したところで、針が体内へ吸い込まれていった。

ようやく・・・・・と誰もが言葉とも溜息とも取れない吐息を漏らしたとき、

ふぅ~っと肩の力が抜けていく様が肉眼ではっきりとみえてくるように院内に充満していった。

それは春を思わせる桃色や桜色に非常に近い色彩で、

安心の香りを漂わせた心地のよいものだった。



窓外から聞こえてきたのは、道路に叩き付ける激しい雨の音で、

ほら、やっぱり!!と私がクイズでも当たったように勝ち誇って言うと、

体は正直なのね、こと血管は・・・と主治医は頭を掻き毟って芥川のようになった。

勉強になるわ、と一言残して、緊張が解けた表情を浮かべ診察室へ戻って行った。




誰よりも血管の細い私は、点滴の針や点滴中ずっと蝕まれる血管痛のひどさで、

ベッドを転げまわるか、それとも空想をして意識をどこかに飛ばさないかぎり、

その苦痛に慣れる自信がなかった。

その場をやりくりする術の習得にいつしか長けていった私は、

天井にぐるぐると渦のような模様が浮かんでくると、別世界や別次元の扉がぽっかりと開いて

この世なのかあの世なのか、今なのか、それとも未来なのか、

過去なのかわからない空間が目前に広がって、

アジアに生息する美しい羽を持つ鳥にも、広大なサバンナを駆け回るヒョウにも

海の庭で優雅に泳ぐイルカにも、地中に生息する未知の生物にも、なんにでもなれた。

自分の細胞にも、未来に発見されるヒトゲノムの解読や

世界的にはすでに絶滅したといわれる種であろうと、私がなろうと思えばなんにでもなれる。

あのぐるぐるとした渦の中で手足を広げて泳いでいると、

厄介な出来事はすべて忘れられ、留めておく必要のある記憶だけが当然のように残っていった。




そういえば、私は帰宅して泣いたのだ。

それは点滴痕がちくちくと痛んだせいではなくて、

雨の音が胸底でひっそりと佇む哀愁を誘ったわけでもなく、

「書く気持ちと情熱さえあれば、いつかいいものが書ける」という一文にめそめそとして、

そのうち声をあげて、子供のように両手で目を隠すようにえんえんと泣いたのだ。

その様子をみていた母や娘は、鬼にも涙があるのだ、と

珍しそうに憎まれ口をたたきながら、しばらく私を眺めていたが、

シエルだけはくんくんと鼻を鳴らし、心に寄り添っているのだよと言うように傍でじっとしている。



あれこれ並べたところで自分との闘いでしかない。

余計なことを考える暇があるなら、書け。

私を泣かせた人の声が脳裏を掠めていく。















 


重い約束

2007年11月04日 16時43分47秒 | まーちゃん作家になるシリーズ









先人として後世へ何を残したいのか?

地位か、それとも金か、人か・・・・・・・・






作家っぽいと後輩にからかわれた昨夜、

「普通の人生を生きていない者が作家になっているじゃん」と何食わぬ顔で後輩は言った。

甘栗ときのこの入った濃厚なブレンドチーズのピザをほお張りながら、

私へ「要素あり」として判を押したらしい。

カプチーノを啜っている隙に、横目でちらちらと私を窺っている隙に。







後輩はまだ若いという私の勝手な理由で、私とは齢の離れた幼い友人であるため、

友人といえども私の過去や素性を明らかにはしていない。

一生というと少し大袈裟な感も否めないし、本音は告白するつもりはなかったものの、

難病を抱えていること、作家しか(『しか』とは失礼な表現お許しを)

選択肢のなくなった今を

私は久しぶりに会った若い後輩へ伝える隙をすべて封じ込められたような心境になり、

言うつもりはなかったと言いながら、

その隙がなくなると人間、隙間をつくりたくなるものだ。






すでに食事を済ませていたにもかかわらず、食べていないわ、と嘘をつき、

ご馳走をしたいと近所までわざわざ出向いてくれた気持ちに応えようと

なぜか躍起になっている。

細く細く切ったピザを食べ、食べている演出を。

なんて私はけなげなのだ?

その目前で後輩は、まだ私をからかい、自分の言葉にひとりでうけて大笑いをしている。

くそっ、なんて憎たらしいのだ。

そして、なんて、可愛いのだ、こいつ!!






変なの・・・・・・と、自分で自分を思った。

どこに踊りに行っているのかというクラブの話とか、

早くお父さんになりたいという20代の男の子(私にとっては男以前なのかな・・・)の

慎ましやかな人生設計を聞いていたら、

男ならもっと無茶をやれ!と、

またしてもひとり旅を推進するおばさんに私はなってしまった。

私の人生を私が後悔していないのであれば、それでいい。

普通に・・・・・と後輩は軽々しく言うものだから、

私にとっての普通は自分が基準となっていて、

普通という概念を出されてしまうと何が普通で、何が普通ではないのかと

私の頭はそこで躓き、混乱してしまう。

普通に見えない・・・・・と言われてしまうと、あっそう?としか言い様がないし、

そこにオーラが、作家っぽいね~と冗談でもいわれてしまうと、

返答の言葉を出す隙を奪われ、目指しているから・・・・・と

結局は告白せざるを得ない状況にくすくす笑った。

馬鹿みたい・・・・・私。

なんで10歳も下の男の子にからかわれたり、一生懸命になってしまうのだ?






だって、自分では実現すると信じていても、

それを言葉に置き換えると責任を感じてしまうわけだし、何といっても照れくさい。

今までそのご報告ができるまで私からの連絡を控えている先人との重い約束のように、

彼らの命、または私の命が期限となるような約束は、

その人数を増やしたくないというのが本音だからだ。

重圧やプレッシャーは時に心地よく、時に力を届け、時にその思いに泣けてくる媚薬のように

不思議な作用をもたらす重い重い約束なのだ。







久しぶりに外出した土曜日の夜、

見慣れているはずの景色なのに、今日は星の輝きもいつもにも増してきらきらと眩しい。

踊りに行きたい。

おしゃれをしてライブへでかけたい。

うずうずする。

そして、心はどきどきと鼓動が高まり、

重い約束を思い出すと、頻脈が胸を締め付けてくる体調を前に、諦めではなく時の延長を

自分に言い聞かせながら、二杯目のカプチーノを啜り、少年へ笑顔を振りまく。







してしまったか・・・・・

いや、させられたように思った。

少年と私の重い約束を・・・・・

美味しいお料理を餌に、デザートまでお土産として包んでもらい、

あと何年若ければ・・・・・などと思うとは、さて、若ければ恋の相手か?

星空のきれいな夜は、幸せの魔法にかかった気分。

どうか、このままで・・・・・








まーちゃん作家になる⑧「弁護士の焦り」

2007年10月19日 14時08分13秒 | まーちゃん作家になるシリーズ







働いていないのであればいつでも時間はあるだろう?

○○まで出て来い、と言ったところで、現状をご存知ないようで・・・と言葉を挟んだ。






なぜ、あなたはそこまで焦るのですか?

早口であり、強制的な物言いは職業病ですか?と質問すると、

あんただってさっさと解決したいだろう?というので、

私はまず治療に専念させていただきたく、と返答すると、

より口調は穏やかさからは遠のき、さっさと、さっさとだけ、受話器の向こうから聞こえて

こんな弁護士じゃ、もともと相手に不利な材料が多いのに勝てないよ、と思った。






私は円満解決など到底できないと思っているので、

法廷に立ち、なぜ、交通事故被害者がこうした現状に追い込まれてしまうのか、

ドクターショッピングの実情、加害者や保険会社の未払いなどに触れ、

交通事故処理や医療改革を多少でも考えるきっかけに名って欲しいと希求してしまう。

 

 

日本も訴訟大国になったなぁ~としみじみ思った。

たかが数年前であれば「裁判や訴訟」などとは無縁であった国だったのに。

43歳にして弁護士を目指し大学院に入学し直した友人は言った。

狭くて、バカらしいので、それを改革する会社を起業してやった、と笑いながら

てんぷらをぱくぱく口に運んでいたのだった。







焦ってもいいことなど何もありませんよ。

法律家でもない、被害者の私に、冷静になりなさいと諭される弁護士のレベル。

負けを認めたようなものよ。








さぁ~て、いっちょやるかな。

いろいろなことが次々起こるけど、一晩寝れば冷静に戻れる。

ぐっすり眠れる。

将来の恋人だろうか、誰かといちゃいちゃする夢までみて幸せな気分で朝目覚める。

構造が強くなってしまったのだよ。

あんたたち加害者が考える以上に、被害者は強く、逞しく、育てられてしまうのだから・・・・・

 

 


 


まーちゃん作家になる⑦「医療への美感」

2007年10月19日 11時04分42秒 | まーちゃん作家になるシリーズ









「美しい国」を目指し総理になった人がいた。

その人は不調を訴え、総理の職を辞することになった。

そもそも「美しい国」などとは何を指しているのだろう?と思っていた私は、

路上生活者の一掃やネットカフェで寝泊りせざるを得ない若者、

私たちのような医療を必要とする人間、犯罪の温床になっている社会背景を無視して、

「美しい国」ではなく「出来る限り『美しく見せる国』」「国辱を隠す方向」を目指し、

非情に人間を切り捨てる行為を「美しい国」という美麗で

誤魔化そうとしているのだと思った。

「自己責任」を追及されるが本来それにあてはまる人はごく一部であり、

私たちは忘れてはならないのは、もちろん被害者にも落ち度はある。

がしかし、イラクへ入国した青年が「自己責任論」の下、

命を落としたこと、私たち日本人は彼を見殺し同然として、葬ってしまった事実がある。









間接的であっても、犯罪の自覚ない者でも、

どれくらいの国民が犯罪者予備軍であるのか、と私は考えたことがある。

青空の中で心地よさそうに流れる白い雲を眺めながら、芝生に寝転んで、思いを馳せた。







派遣社員賃金をピンはねする一部上場会社、

詐欺行為を仕事と呼び、慶応大学法学部以外出身者は人間と思わない社長、

自分は慶応ではないのが私の失笑を買った所以だが、

霞ヶ関ビルに立派なオフィス持つ外資系と思わせる名前のこてこて日系会社の内情。







逮捕されないだけで犯罪に手を染め生きている方々は、よくメディアに登場する。

感性の欠如か、それとも恥知らずか。

私には知ったこっちゃないが、先日も知人とその会社の話題となり、

そのうち嘘泣きでもしながら謝罪会見でもするだろうね・・・・・と言って笑った。









医療に精通している方々、某省へ電話取材を行った。

地方公務員である某氏は言った。

「書きなさい」そして、某医学会でも口演の機会を得て、

医師の前で患者として、人間として、自分の思いをぶちまけなさい、と。

それに反感を持つ方はそうした医療を行っていない医療者だろうし、

逆にあなたに興味を持つ方は、

医療の限界に対して次期ステージを共に模索するパイオニアよ、と。









まーちゃんはやっぱり作家になるのだろうか?

みんなは「書きなさい」と言う。

今のまーちゃんには検事、裁判準備、通院、主治医の変更による病院検索と、

問題が山積でなかなか執筆に集中できないことを理由に筆が進んでいない。

でも、まーちゃんのケースと黒幕の存在、仲間たちの援護を受けることで弱者を救済し、

完治しない疾患を抱えた者たちへの希望となり得るのであれば、

やっぱりご指名を与った以上、書かなければ死ねない、と思うのだった。









某省へ連絡をすると、外部担当者の氏名をきちんと教えてくれる。

がしかし、その後には必ず「私から聞いたとは言わないでください」とか

「研究段階で連絡をしても迷惑になるだけだ」とか

「某省には何も連絡はないし今後もこちらから随時連絡を要求するつもりはない」と言う。

もとは税金である膨大な研究費を注ぎながら、知らぬ存ぜぬ、

自分の名前は出すな、だとは保身のために官僚になったのか?と

思わず聞きたくなってしまった。

研究費を出した責任は、某省にはないのですか?と。

(もちろん、同級生の旦那は官僚だがこうした人種とは相違する、念のため)

医療への美感は社会へのそれへ通じる。

社会をよりよくしようとしたとき、踏まれて続けた経験を持ち、

そこから立ち上がれるか否か、

弁護士へ相談すると、検事はあなたがどれくらいの精神力を有しているのか、

怒鳴り声をあげ、法廷に立たせ、その苦痛に耐えられる人物であるかを

試していたのかもしれませんね、と言われた。








確かに・・・・・

まーちゃんは人生のお試し期間に突入したのだろう。

そのための過去であり、今がある。











まーちゃん作家になる⑥「しーちゃんと医療」

2007年10月18日 08時49分33秒 | まーちゃん作家になるシリーズ








人として向き合う医療とはなんだろう?

なぜ、病院へ行くと点滴針の痕が無数にでき、心身共に傷付けられてしまうのだろう?

交通事故後に発症した疾患だと理解を示しながら、

検察へは「原因不明」「交通事故との因果関係は不明」となぜ書けるの?








予後の結果に対し、医療から、主治医から苛烈さを突きつけられるとき、

私の中では感覚器官のすべてが麻痺し自分を護る癖がついた。

晴れ上がっている空ですら重く、暗く感じられ、

ため息の数を増やすためだけに通院するのかなぁ~って感じることが多々あるの。

あの白衣も患者を呼び出す看護婦の声、主治医の満面の笑みを目にしても

私はもう笑顔を返すことはできないと思っている。

すべてが苦痛をつくる産物としか受け止められないのよ。








しーちゃん、せっかく医療不信から払拭できる医師にめぐり合えたというのに、

比較できるということは、残酷な結果を生むものね。

私が今まで決断できずにいたことを、

主治医の忙殺の日々を思うからこそ聞けなかったことへ機会を与えてくれた。

それは現実という自分を護る盾だった。

自分自身を誤魔化して、医師の多忙を理由にたくさんのことを諦めて、

直視せずにいようと思っていることもいっぱいあったのよ。

点滴痕は腕に一生残る傷として沈着しているばかりではなく、

心にも痛みという痕を残した。

点滴ひとつとっても、別の主治医の指示がなければ彼は動かなかったのだから。

主治医の頑張って・・・・・・と言う言葉で済まされてしまうと、

それ以外、私は言葉を続けることができずにきたのだもの。

患者が主治医を選べるように、主治医も患者を選ぶ権利を与えようと思うの。

お互いがお互いを切り捨てるのではなく、

進む道が相違するなら、離れることが最善だから。

恋人みたいなものね、きっと。

私は私なりにこの主治医との1年半という月日の中で、

患者としてやれることはやったつもり。

医師を護るために医師法を勉強し、

損保会社へ私の情報を伝える際の注意点や

それがどのように医師法に抵触する行為になるかなど患者がそこまで行う?

某医学学会へも出席をして、私の疾患の演題やそれに対する質疑応答内容を

医師へ伝える患者がどこにいるの?









覚悟を確認しようと思うの。

そうしなければ彼は医師としていずれ限界を迎えるわ。

もちろん私自身も自分の人生を後悔する結果に追い込まれてしまう。

覚悟や責任は言葉でいうほど軽くはなく、それは日々の積み重ねによってでしか

確認できるものではないのだと知って欲しいのよ。










昨夜、疲れ果てて帰宅した後、ばーちゃんに私の選択について夢見で知らせてほしいと

お願いしておいたの。

けど、ぐっすくりだった。

おそらくそれがばーちゃんの解答ね。

今日は私にとっては交通事故処理を左右し兼ねない主治医の変更否かの重要な日よ。

けれど、主治医にとっても今後を左右する、医師として問われる結果になることは明確。

いい医者になるか、それともくずで終わってしまうのか・・・・・・

周囲にこれだけの人材、私のもうひとりの医師の存在がいるのに

それに教えを被らないことは、彼の医師としての資質や力量に影響を与えるわ。








いざ、鎌倉ね!

 

 


 


まーちゃん作家になる⑤ 「主治医夢に現る」

2007年10月16日 09時03分14秒 | まーちゃん作家になるシリーズ







「何かあったの?」と私は聞いた。

何も答えず、ただじっと黙って見詰めている、私を。

他者に対する怒りを抱いている主治医と夢の中で朝まで語り合っていた。

私の傍でずっとひたすら護ってくれている。

何があったのだろう?

私に対する「何か」があり、

それを知った山内(仮名主治医)は一生分の怒りを排出するかのように、

私の傍に誰も寄せ付けようとはしなかった。

何かあったの? との問いに首を横に振るだけだ。

けれどと思う。

こんな姿の山内を今までもこれからもみることは二度とないだろう、と。









不思議な夢だった。

誰かに見詰められている感覚、誰かに護られている気配、

その「誰か」は紛れもなく山内だった。








簡単に切り替えられる程度の関係ではなく、

私はどれほどに山内を信頼し、甘え、彼と生きているのかを知った。

このダメージは傷として深く、目には見えない血を流したけれど、

逆の言い方をすれば、山内との関係における新たな局面、

つまり、私の気持ちを再度伝えるきっかけを与えていただいたと思えば腹も立たない。









嘘だ、と思ったのだ。

気の重い通院、必死に涙をこらえながら、ここに山内がいなくなったとき、

私は果たして通い続けることができるのだろうか?と自問した。

いつものように処置室のベッドで横になり、天井をみあげ、点滴痕に視線を落としたとき、

「まだ言っちゃいけなかったのかしら?」という看護師の言葉が思い出されたのだった。

私を試すために、山内との関係を確認するために、ありもしない異動という状況をつくり、

私を動揺させることが目的だった・・・・・・

直感は嘘を嗅ぎ取った。

普段とかわりない処置室の慌しさの中で、私は震えた。

生きている人間の恐ろしさとは病人に鞭を打つことも厭わず、

自らの欲だけでなんでも行うのだと思うと、身震いが止まらなかったのだ。









しーちゃんは言う。

もしそれが根拠のないでまかしだとわかっても、山内にその事実を確認するとしても、

看護婦の行為は許してあげなよ、と。

体の辛い患者に対してやることではないし、それはとてつもなく悪意に満ちている。

もちろん医療者としてあるまじき行為だけど、許されることではないけれど、

人を傷つけるという見返りにまーちゃんがわざわざ悪業に加担しなくても

山内との関係がしっかりとしたものなら邪念の入る隙なしよ、と。









物事が動き出している。

しーちゃんの言うとおりだと思った。

裁判官から交通事故後における二次・三次被害状況の調査を主旨とする面談依頼があった。

検察審査会からも加害者不起訴処分に関する異議、再考への詳細が届き、

私が事実を伝えてきた訴えが認められる結果となった。

また、ちょっとした知恵をつかい、

3年もの猶予を与えた加害者へ取り外した容赦に交通事故処理のプロであるはずの相手側一同が

自分の首を自分で締めてきたことへの責任を問われる段階へ事が進んだ。

長かった道のり。

素人である私はひとりで闘った。

法律の勉強をして、前例のないことに挑み、素人であり被害者が不調を抱えながら

医師探し、通院、子育て、仕事などのすべてのやりくりをしてきた日々。

けど、諦めなかったことはいつか報われることを意味する。








山内がいるから疾患と付き合っていけると思ったこと、

裏切られ続けた医師との関係に光を与えてくれたのは山内だったこと、

私と向き合い、共に歩み、

今後もその信頼関係は揺るがないと信じて疑わなかったこと、

医師と患者ではなく、人間として一生の盟友として付き合っていく覚悟、

患者が医師を護らなければ医療が成立しない現実、

主治医をかえるつもりのないこと、

私にもしものことがあったときは、山内にしか看取る役割りを願いでないことを伝え、

私の気持ちを伝えることで山内と今後を話し合おう。









不思議な夢だった。

誰かに見詰められている感覚、誰かに護られている気配、

その「誰か」は紛れもなく山内だった。

私も山内を護り続けるわ。

あなたのネガティブさや落ち込みやすべてを包み込む優しさを携え、

患者としても人間としてもあなたを通じ私も成長できたお礼よ。













 

まーちゃん作家になる④「しーちゃんへの手紙」

2007年10月15日 09時06分48秒 | まーちゃん作家になるシリーズ








自分でもこれほど動揺するとは思ってみないことだった。

いつものように一晩寝ればしゃきっと頭を切り替えて、

さぁ~、今週も通院に執筆に頑張るぞ~、となると思っていたけど、

そんなことはただの幻想で、ただのまやかしで、自分への気休めでしかなかった。








お酒で鶏肉をもみもみしているときも、

生姜をみじん切りしているときも、

フライパンから煙がもくもくと立ちこめ、私はどうかしてる・・・・・・・と思った。

ちびのお弁当、鶏肉のチリソースをいつものように3人分つくっている間も涙が止まらないから、

家族全員が「鬼の目にも涙だね」と言って私を笑いものにしている。

その声すら腹が立つよりも前にまず寂しさがこみ上げて、

そのうち、えーんと声を出して泣き始めたところで、

鬼の目にも涙じゃなさそうだ、ということで月曜日の朝の食卓はしーんと静まり返った。

みんなが妙に優しい。

ヨーグルトをくれたり、ぶどうの皮をむいてくれたり、薬を飲むためにって白湯を用意してくれたり。

けれどね、そんなことじゃないの。

私は山内が傍にいてくれないと、疾患と付き合っていくことはできない。

作り笑いすることも、点滴の苦痛に耐えることも、立っていることも、

なんにもひとりでできない現実を、今までみないようにしていただけだった。

たくさん山内に甘えていたことをこんなことで知るなんて・・・・・・








しーちゃん、山内が大学病院の医局へ戻ってしまうよ。

私ね、彼でなければ二人三脚できない。

障害の受容に時間を費やしたときよりも辛い。

受容には時間の長さが必要だったけど、今回の山内の件はこころに影を落としたわ。

どうして?

恋人とも家族とも友人とも違う関係との山内に、

どうしてここまで私は心を揺さぶられてしまうの?

こころではなく魂を両手でつかまれて、ゆさゆさと左右に動かされている。

針をさされるように、ちくちくと痛い。

どくどくとそこから血が流れ出ていってしまう。

点滴が終わって放置しておくと、管に血液が逆流をはじめるように。









彼にとってこれは喜ばしいこと。

次期某医学学会総会への口演のために、

シャネルやルイビトンのネクタイを奮発しようとか思ってあげられるのだと私は考えていたの。

けれど、現実は違った。

自分のことなのに、自分がちっともわかっていなかった。

私がどれだけ彼に救われてきたのか、支えられていたのか、頼りにしているのかを

ふいに届けられた看護師からの話で、突如として現実を突きつけられてしまった。

まだ時期早々の便りをこちら側のこころの準備のない中で

はい、受け取ってと無理やり手に掴まされてしまったよう。







彼の望むところなのかなぁ?

自分がね、ぎりぎりの精神状態で生きていることを知ったの。

通常の仕事ができなくなってしまった今、私は作家になるという夢を自分へ託した。

その夢を現実のものにしたとき、山内が抱える患者へも山内自身へも

希望を届けられると信じて疑わなかった。

けれど、それは違った。

私は山内が傍にいなくなることで不安に包まれてしまった。

闇の中に突き落とされてしまった感じがして、そこからの這い上がる方法を見出せずにいる。






泣ける胸がないのなら、山内の胸で泣けばいいとしーちゃんは言った。

それしかない。

まーちゃんの気持ちを山内に伝えることで何かがかわる。

そんな気がする、としーちゃんは言う。

泣いてもなにもかわらないかもしれないけれど、笑顔ではなく、涙を。

私の涙をみて、山内は動揺する。

だから、手術の予定を調べて、邪魔にならない時期を見計らい、

彼へは感情をぶつけてみるわ。

素直に、激しく、けれど、弱々しいだけの自分を。



 



しーちゃん、今日はね、

友人が弁護士になるためのランチョン激励会に呼んでもらっているの。

43歳にして会社を辞めて、家族もそれを応援してくれている。

大学院に入学し直し、人権派弁護士を目指す元ラガーマン。

私、笑って激励できるかなぁ?

作家を目指しているんだよね?と聞かれたとき、はい、って元気よく答えられるかなぁ?

めそめそしないでもつかなぁ?

その後、私は点滴に間に合うように一足先にお暇するんだけど、

病院へは行きたくない。

 


 

医局制度があるところは、本人や患者の希望などなく、組織の中で命令される。

泥中で山内は何を思い、何を考えているのだろう・・・・・・・・








まーちゃん作家になる③ 「日曜日の静かな病院にて」

2007年10月14日 22時48分37秒 | まーちゃん作家になるシリーズ







「どうですか? 主治医の先生は?」と時々みかける看護師から質問を受けた。

誰もいない病院、処置室には私と看護師のみ。

何か話がしたいのだと直感が真意を嗅ぎ取り、

「あのままですよ、あのまんまの人」と私は答えた。








「・・・というと?」と、右に少しだけもたげた頭がさらさらとした髪を動かした。

「正直な人よ、私は患者だけれど、彼には名前だけではない医師に成長して欲しいと希って

いろいろと無理難題をぶつけてきたのよ。

はじめは戸惑っていたみたい。けれど、彼は私から逃げも隠れもせず、

見捨てずに今の信頼関係があるのよ」









「大学の医局に戻るというお話は、あなたになら・・・・・」

看護師は点滴の準備をしながら話を続けた。

「予感はあったわ、某医学会に出席しているあたりから、その予感はあったわよ」

といいつつも、私は戸惑っていた。

そんなのは嘘だ。

予感なんてものは。

困惑を隠すことが動作をぎこちなくさせる。










生意気ながら彼を一人前の心ある医師に成長させることだけを希求し、

彼の症例となる私の疾患詳細や、

私を踏み台として、患者への厳しい現実の告知を彼の口からさせるつもりでいたのに。

意味もなく涙がこみ上げてきた。

点滴の意味などないくらいに、体内の水分は涙として排出され続けている。

大学の医局へ戻る・・・・・

彼の年齢では脳外科医として立派過ぎる手術の腕前がある。

人格も、あの笑顔も、貧乏ゆすりも、猫背も、彼のすべてが医師としての素質なのだ。








希求していたことがいざ実現するというのに、なぜ私は号泣しているのだ?

国内でも海外でも移動が決まればついていくこと、主治医をかえないこと、

私を見取るのはあなたしかいないと冗談では今までにも何度も伝えてはきたものの、

二者面談のときを待たずに、

主治医はその選択の泥中で何を考えているのだろうか?










「私は思うのですよ、彼はあなたという患者さんに出会うことで成長したのだ、と。

医師の出来にはどのような患者さんとの出会いがあるか否かで、

その資質や力量を試され、苦闘し、励まされ、

成長の階段をはじめて登ることが許されるということを」










今日も急患の緊急オペで手術室に缶詰だと耳にした。

納得がいかないとひどく落ち込むこと、もともとネガティブな性格であること、

それらを彼も私には隠して、診察室のドアを開けると、

点滴中の処置室のベッドで、満面の笑みをうかべて私をみつめていたのだ。









世界中からかき集めたような寂しさに包まれていた。

心の準備ができるまで、私は彼には会えないだろう。

私を強く逞しい患者だと信じて疑わない主治医への唯一のはなむけは、

診察室でその姿勢を崩さないことだ。

けれど、違うのよ。

あなたが知らないところでたくさんの涙を流してきた現実があり、

弱々しい患者であり、ひとりの女なのよ。









笑って会おう。

心の準備をさっさと整えて。

あの満面の笑みで出迎えられる診察室で、

私への厳しい告知をこの病院での最後の仕事に与えよう。

そして、私は主治医を変えずに大学病院へ通院する。

点滴は今の病院のまま、引き継ぐ医師も指名して。

けれど、私を看取るのは彼の医師としての使命だ。









片思いが終わる。

だからといって、涙が流れた理由ではない・・・・・・