振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

秋晴れの日、篠山の街のたたずまいが気に入った

2018-11-21 14:23:24 | 旅行
篠山と言えば先週末の市民投票で、市の名前を篠山市から丹波篠山市へ来年度から変更することが決まったばかりだ。篠山は以前からバイク仲間でツーリング先の候補に挙がっているのに天候不良などで実現できていないが、今回はマイカーで行ってきた。

神戸で用事を済ませた後、六甲山を越えて丹波に向かったが篠山に近づくにつれて山々の紅葉が深まっていった。



下調べをほとんどしていなくて、先ずは篠山城跡に行った。笹山と呼ばれていた小高い丘に築城された城跡で、ここは大手門の跡になるようだ。



徳川家康が築城を命じて1609年に完成したが、目的は豊臣家のある大坂や西国の諸大名を抑えることのようだ。当然ながら城主は譜代大名が務めることになる。城郭は明治新政府の廃城令で解体され、その際に大書院だけが残されたが1944年1月に失火により焼失。そして2000年に大書院が再建されたとある。



大書院の手前の広い場所が本丸の跡。天守閣は築城の際に土台だけは作ったが、家康からの役に立たない天守閣より城主の力量が大事との指示で建てなかったとか。

南門から歩いて出て外堀まで行こうと思ったが通行止めだった。外堀の西側にあった下級武士や足軽たちの住居街に行きたかったが諦めた。



城跡を出て周囲の城下町を歩いて見ると、今はお土産屋や飲食店になっているが古い町屋が残っている。レストランや売店が入っている大正ロマン館は、旧篠山町役場の建物を保存利用。



現在は篠山歴史美術館として利用されている明治初期に建てられた古い木造建築は、篠山地方裁判所として昭和56年まで使われていたとか。





現存する木造の裁判所としては日本最古のものらしい。屋根瓦には菊の紋章が使われていた。



篠山は古い街並みがよく保存整備され、市役所などの新たな建築物も城下町の雰囲気に合わせてある感じだ。隣国但馬の出石の街のたたずまいに似ていると思った。