私は、まず
小説「ソロモンの偽証 第一部事件」小説「ソロモンの偽証 第二部決意」
を、読んで
↓
映画「ソロモンの偽証 前篇・事件」
を、観て
↓
小説「ソロモンの偽証 第三部法廷」
を、読みました。
↓
↓
↓
さあ、
いよいよ
映画「ソロモンの偽証 後篇・裁判」
です。
第一部741ページ、第二部715ページ、第三部722ページという
この重厚な物語を
前篇121分、後篇146分
計267分でおさめるというのが、所詮
無理なことなのだ。と
つくづく、思った次第です。
解説
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・・宮部みゆきのミステリー巨編を映画化した『ソロモンの偽証』の後編。男子生徒の転落死により動揺が広がる中学校内で、生徒たちが自主的に行う校内裁判の様子を臨場感たっぷりに映し出す。前編同様成島出監督がメガホンを取り、佐々木蔵之介、夏川結衣、永作博美、黒木華といった実力派キャストが集結。オーディションによって選出された生徒役たちも続投する。裁判によって明らかになる、ショッキングな真相に言葉を失う。
あらすじ
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・・被告人大出俊次(清水尋也)の出廷拒否により校内裁判の開廷が危ぶまれる中、神原和彦(板垣瑞生)は大出の出廷に全力を尽くす。同様に藤野涼子(藤野涼子)も浅井松子(富田望生)の死後、沈黙を続ける三宅樹理(石井杏奈)に証人として校内裁判に出廷するよう呼び掛ける。涼子は柏木卓也(望月歩)が亡くなった晩、卓也の自宅に公衆電話から4回の電話があったと知り……。
なんか、消化不良。
主人公の野田健一のひととなりが、まったく描かれていない。
なにより、柏木卓也のひととなりも
まったく、描かれていない。
重要ポイントだと、思うのですが。
それと、
小林老人の、家族を疎開させた時のいきさつも、とても
たいせつなひとここまだと、思うのですよ。
去りゆく家族の目と、あの日の神原少年の目は、同じだ。
と、小林老人は、感じたわけですよね。
三宅樹里の救いのシーンもそうです。
原作とは、まったく変わっています。
残念。
ソロモンの偽証。
ソロモンは、いったい誰だったのか。
この物語のテーマは
「未必の故意」だと思われます。
未必の故意(みひつのこい)とは、罪を犯す意志たる故意の一態様であり、犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、それを認容している場合を意味する。故意は、刑法において「犯罪を犯す意志」(刑法38条1項)をいい、過失犯として法律に特別に規定のある場合を除き、犯罪の成立に必要とされる。
故意の具体的内容は、犯罪の客観的な構成要件を認識・認容されていることをいうとされる。未必の故意は、犯罪の実現自体は不確実という認識を犯罪行為者が有しているものの、実現される可能性を認識しながら、それを認容している点で「罪を犯す意志」として十分であるとされている。これと異なり、犯罪の認識はあるが、認容を欠く場合には過失(認識ある過失)となり、故意は認められないことになる。
映画では、“口先だけの偽善者”という表現が使われています。
直接的ではないけれど、相手を傷つけてしまう。
そんなことならです、
ここに登場する、中学生たち
一人一人、
それから、取り巻く大人たち、
全員、
きっと、「未必の故意」をこころのどこかに
秘めているのでは、ないでしょうか。
社会に生きるすべての人が
多分、きっと、ソロモンなのです。
ソロモンの偽証 後篇・裁判
4月12日鑑賞
福岡は3月22日発表、29日満開。
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