実家の寺で、ずっと総代長さんをされてきて
ご尽力いただいてきたTさんが、
昨夜亡くなった。満87歳。
脳梗塞の、2~3度目だったそうだ。
わたしの結納の時には
お腹からの大きな声で、詩吟を
嫁ぐ前には、お別れ会を開いて下さった。
「つらく厳しい事もあるかもしれんけど
河渡(実家のある地名)の女性も頑張れるんやと
胸を張って、がんばって。まゆらちゃんなら大丈夫や。
それでも、つらくて寂しい時は
故郷の方向を向いて、手を合わせて、ね」
母親にとっては、おとうさんで
弟と私にとっては、おじいちゃんだった。
弟が住職になるときも、Tさんのお力添えがあった。
とてもあたたかく、みんなに愛され
芯の強い方だった。
戦艦大和と長門と、あともうひとつ
3つもの船に乗られて、奇跡的に生きて帰られた。
いつも戦争の話をして下さった。
子宝の小石を持って来たと、実家の庭にまいて下さったり。
島根の家に飾れるようにと、
菊石を(菊の模様のある石)くださったり。
2月13日の法事のときには、お元気で。
今年の闘牛の年賀状は、アイディアがいい、
よく考えたね!と、何度も褒めてくださった。
法事の後は、詩吟へ行かれるとの事だった。
「4月にお会いしましょう」
そう言って、ご挨拶をしたのが、最後となった。
若院が胸を貸してくれて、背をさすってくれた。
号泣して目が腫れ上がって、鼻がぜんぶつまった。
「仏様になられたのに、なんで悲しいんやろう」
「目に見えなくなったから、悲しいんよ。
でも。目に見えるっていうことは、別れがあるけど。
目に見えないっていうことは、永遠になられたんで。
それは、離れないっていうことやよ。
まゆらちゃんの命に、なられたんやよ」