ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

おなじひとつの命

2011-09-16 22:58:56 | Weblog
久しぶりのブログです




昨日、京都の本願寺に

お参りして来ました




親鸞聖人750回大遠忌の法要に

お参りさせていただくのは、初めてでした。




お経にもいろいろあって

節がなく、まっすぐ読んでいくものも。




この度は「音楽法要」という

とても美しいメロディのお経を、みなさんで読みます。





若い方や、お寺に馴染みのない方も

肌で感じられるお経だと思います。





みなさん一斉に

「お正信偈」を読み始めたとき





わたしは、言葉にできない感動で

胸がいっぱいになりました





50年に一度のご縁に、こうして

遇うことができた、よろこびはもちろん





みなさんで、声をひとつに

おなじ方向を向いて

おなじように手を合わせること





いま生かされていることに、

頭が下がること





これほど、美しいことが

これほど、美しい姿が





この世の中に、あるだろうかと。






すべての命が

この世に生を授かって

この世と縁が尽きるまで




懸命に生きていて




みんな、おなじ「いのち」を

生きているんだ





ほんとうは、

みんな、何も違わないんだ・・・





阿弥陀様の前では、みんな一緒なんだ、、






みんな、おなじひとつの命を

生きている。





美しいお経を聞きながら

そんな思いで、体いっぱいになりました。





おつとめが終わった後には





ご門主さま(親鸞聖人の御子孫)と

新門さま(ご門主さまの御長男、ご門主を継職される)の





お話をお聴聞させていただきました。





ご門主さまが





「悪というのは、罰の対象ではなくて

迷いの、救いの対象です」





とお話されたのが、いちばん心に残りました。






阿弥陀様のお心の深さを、想いつつ


人間であるわたしが、いかに小さいかを





感じずにはいられませんでした。





わたしの、よろこびを書きながら




世の中安穏なれ

仏法弘まれと 




こころから念じております。
コメント (2)
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