ただいま妄想中

夢、かつリアルな頭の中身をどこへ。

自然のままに

2012-07-05 00:03:02 | Weblog
きょうは、小学校で

絵本をよむ日だった。




家にある、お気に入りの本




「オオカミくんはピアニスト」




「じぶんだけのいろ」を読んでみた。

(作・レオ=レオニ 訳・谷川俊太郎)

→だいすきな本です。





「7月やし。みんな、もうすぐ夏休みでいいねぇ!」

とか何とか、おばちゃんは言いながら。 笑。





終わったら、いつもすぐ帰るんだけど

今日は、本読み仲間の、Kさんとお会いしたので 






校長先生と3人、すこしお話をしてきた。






Kさんは、畑もやっておられて

(写真は、いただいた、まんまるズッキーニです






Kさん「自然の中で生活をするっていう事は、

あきらめなきゃならない事なんかもあって・・・」






というお話をされた。





わたし:「なるほど、、自然の中で生きていると、

自分の思うようにならない事に出くわすんですね。

人間、なんでも思い通りになるような気でいますが」






Kさん:「うちの父親なんて、大洪水のとき、心配して電話したら

”あぁ、目の前は、海や”って、一杯飲んでるんですよ。

どうするの?って言ったら 





”どうもこうもない、雨がやむのを待つしかない”って。

わたしなんかは、びくびくしながら生きてるんですけど

それもまた、人間らしくていいじゃないですかねぇ」







わたしは、このお話を聞いて

なんだか、すこぶる感動した。






わたし達は





なんでも自分の思うようにしたい、

なんで出来ないんだ、、、! 






と思って、不平不満を抱えて生きているけれど






本来、思い通りにならないもので。

とくに自然の前では、無力で 






いかに自分がちいさいか、おごっていたか

感じさせられる。 






仏教というのは、自分から何かを信じるとかじゃなくて

真実があきらかにされたもので。








生老病死とか。これも、わたしが信じるとか

信じないとか関係なく。








ものごとを、あきらかに見る「智慧」に出あうと

人間の知識や経験が、役に立たないこと

自分の愚かさ、闇に気づかされる。






迷いの存在であることを知らされ

初めて、光の存在に気づかされる。






光と闇は、一体のもの。






ありのままの、自分を知らされるのは

怖いことでもあるけれど






おおきな宇宙に身をまかせたらいいんだ

おまかせしかないんだ、という安心でもある。




追伸:「自然」仏教では「じねん」と読みます。





親鸞聖人は「自ずから然らしむ」と読まれ

人間のはからいを超えた、如来のはからいによる救い





をあらわす語、とされたそうです。
コメント (2)
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