本日2度目の更新。相変わらずの、気まぐれ
きょうの夕食は、しゃぶしゃぶに。
肉食獣であります
と言っても、野菜も食べるので。切って準備していたら
・・・
そうか謎が解けたぞ。
別に「共通のもの」を探していた訳ではないけれど、
突然、頭の中の回路が繋がった感を味わう。
「宗教と科学に共通するもの、わかった!!」
と、隣の部屋にいる若院に叫ぶ
きょう1度目に書いたコラムの、続きになるけれど
宗教と科学に共通するものは
『人間には、わからないことが、たくさんある』
という事だ!!!!!
宗教と科学は、相反するものとして挙げられる事が多々あるが
それは、分別・比較論で物事を捉えようする、落とし穴だ!!
プロセスの違いでしかない。
~おまかせする →わからないことが、たくさんあるから~
~わかろうとする→わからないことが、たくさんあることを知る~
ソクラテスの「無知の知」を合わせると
哲学も同じことだ
親鸞聖人のお師匠、法然聖人も
「浄土宗の人は、愚者になりて往生す」
というお言葉を遺しておられる。
すべては繋がっている!!
ということは、「切り捨てない=摂取不捨」の
親鸞聖人の、あらゆるいのちを「肯定」するお念仏、
南無阿弥陀仏は、やっぱり真実真理だ!!
すべては究極のところ、繋がってしか存在し得ないからだ!!
ひとつの答えは、また次の問いを生むだろう。
この、ぐるぐるスパイラルは果てしなく続く・・・
追伸:ここで言う「宗教」は浄土真宗の意味で用いています。
きょうの夕食は、しゃぶしゃぶに。
肉食獣であります
と言っても、野菜も食べるので。切って準備していたら
・・・
そうか謎が解けたぞ。
別に「共通のもの」を探していた訳ではないけれど、
突然、頭の中の回路が繋がった感を味わう。
「宗教と科学に共通するもの、わかった!!」
と、隣の部屋にいる若院に叫ぶ
きょう1度目に書いたコラムの、続きになるけれど
宗教と科学に共通するものは
『人間には、わからないことが、たくさんある』
という事だ!!!!!
宗教と科学は、相反するものとして挙げられる事が多々あるが
それは、分別・比較論で物事を捉えようする、落とし穴だ!!
プロセスの違いでしかない。
~おまかせする →わからないことが、たくさんあるから~
~わかろうとする→わからないことが、たくさんあることを知る~
ソクラテスの「無知の知」を合わせると
哲学も同じことだ
親鸞聖人のお師匠、法然聖人も
「浄土宗の人は、愚者になりて往生す」
というお言葉を遺しておられる。
すべては繋がっている!!
ということは、「切り捨てない=摂取不捨」の
親鸞聖人の、あらゆるいのちを「肯定」するお念仏、
南無阿弥陀仏は、やっぱり真実真理だ!!
すべては究極のところ、繋がってしか存在し得ないからだ!!
ひとつの答えは、また次の問いを生むだろう。
この、ぐるぐるスパイラルは果てしなく続く・・・
追伸:ここで言う「宗教」は浄土真宗の意味で用いています。
>minさん
考えていると広がって、まとまったかと思うと、また迷宮入り。不思議ですけど、楽しいですね~♪♪
無駄に思えることの中に、何か秘密が隠されているのかもしれませんね~☆☆
ひささんも書かれているように、minさんの表現は素晴らしいです!!やわらかく、あたたかく、いろんな角度からの視点を持っておられて、勉強になります!
ブログも読んで下さる方があってこそ、続ける喜びられているように思います。minさんのコメントに、日々支えられています!受け止めて下さって、本当にありがとうございます!!
>ひささん
ひささんのブログ、毎朝拝見しています!minさんの心温まるコメント、嬉しいですね♪♪繋がっていますね!!
昨夜のプロフェッショナル、めちゃくちゃ面白かったですね。そして、ひささんの考えに共感します!
相手のことを本当に思っていなければ、厳しいことは言えないものですね!
ちょっと極端な言い方をすれば、どうでもよければ、何も言わず、適当に済ませてしまうものですね。
摩擦があることで、自身、骨を折らずにはいられません。それを避けずに向かっていくのは、信頼関係あってのものだと思います!
また、わたしも昔舞台に立っていたので、よくわかります。演出家は、隠したり嘘ついたり飾ったりはしませんね。お客さんに観ていただく「作品」が一番大事ですから、ストレートなものです。
言われたことを受け入れた方がいいのか、それとも自身の意志を貫いた方がいいのか、その都度、難しいところですが。100人いたら100通りの感性があって、芸術―表現することに、正解はあってないようなものでもあり。演出家は絶対ですが、演じ手も、それだけの誇りをもって演じなければならないという意味です。(もちろん、どう見てもおかしい事は、即座に改める姿勢も必要です)
ひささんは鋭い方ですね。実のところ、わたしもお師匠の言葉は本音だと思いますね。
役者の間でよく言われる「褒め殺し」という言葉があります。役者をダメにするのは簡単で、褒めればよいと。褒められてのぼってしまったら、その人はそこで終わりだからです。
芸の世界に生きるものとして、小三治さんがあの場面で褒められて満足して終わっていたら、今の小三治さんはおられなかっただろうと思います。
そこで、逆境をバネにされたところに、意味があるんだと思いますね!
ひささんの考えられること、とてもよくわかります!!素晴らしいです!!貴重なコメントを、ありがとうございました☆☆
自分のブログに頂いた、minさんのコメントの返信に、
まゆらさんのブログへのminさんコメントをお借りしました。
minさんの心温まるコメントにお互いうれしく思う毎日ですよね!
これも「繋がっている!」ということでしょうか!?
ところで、まゆらさんが茂木さんのブログに
寄せられたコメントも読ませていただきました。
「なるほど!そうも考えられるなぁ」と思うと同時に、
「答えは1つじゃないなぁ!」と思ったのです。
小三治さんのお師匠のお言葉は、
まゆらさんが書かれたように、
「師匠の最高の教えだった」と思います。
それはまさに共感です!
でも、自分は思うのです。
「本気で師匠が小三治さんの落語が、
面白くないと言われたのだろう」と。
「本気で向き合わないと言えない言葉ではないだろうか?」と。
そして、小三治さんという弟子を信じるからこそ、
言えた言葉でもあるだろうと思うのです。
師匠と言えども同じ道を究めようとする人間としての言葉。
自分も指導する立場にありますが、
否定するような言葉は、よほどの覚悟がないと
口にすることができないものです。
同時に、その相手のことを本気で考え、
この言葉を言っても乗り切れると信じてはじめて言えるのです。
自分はこう考えるのですが、いかがでしょうか?
「こうも考える、ああも考える」ことに触れて、
人は共感し、感化されるのでしょうね!
そういった考えが「繋がっている!」こと。
とても素晴らしいと感じます!!
ところで、自分もまゆらさんの表現に
「わかるわかる!」と感じる1人ですから!
すべては繋がっている!!☆
すごい~~!!でも、ほんとにそうですね~!
確かに、何か調べ物をしていると、いつの間にか自分の疑問があとからあとから湧いてきて、収集がつかなくなって、最後は全く違う疑問を持っていたりします。これも、みんな繋がっているからかな!?(それって、考えが一つに集約していくようで、実は拡散していたり・・・☆またまたわかりにくい文で、ごめんなさい~汗!)
でも、そんな時間って、無駄なようで・・・実は楽しかったりします♪
私は、自分の中に浮かんだ疑問など??を、うまく言葉で表現できなくて、ぐるぐる渦巻きが頭の中で迷走してしまうのですが。。。
ひささんのように科学的に筋道立てて表現されると「なるほど!☆」と思い、まゆらさんのように心理的にわかりやすくひもといて表現されると「わかるわかる!☆」と思い・・・
お二人のブログに、混乱した思考を、日々助けられているようです☆
ありがとうございます!!
ひささん、おはようございます!ひとり大興奮の末、ぐっすり眠って朝を迎えました。おめでたい事です。笑。
でも本当に、ひささんも言われるように、科学も文学も哲学も宗教も、全部が大切ですね!!
なんで人間はすぐ、境界線をもうけて、分野ごとに区切って→切り捨てたがるのか、、不思議です。
もっともっと貪欲に?あらゆるものから吸収できれば、人生こんなに楽しい事はないなぁ~と思います☆
こんな偉そうなことを言いいながら、わたしは「無知の知」以前の「無知」ですが。笑。そう考えると、まぁ!恥ずかしいこと、、。笑。
あたたかいコメントを、ありがとうございました!!
今朝はブログを読ませていただいて、
「おぉ!」っと感じました。
ただ問うのではなく、答えを導き出し、
そして、さらに問いが生まれるというスパイラル。
まるで、科学の世界に生きられる方のようです!
でも、科学も人の世界の中にあるもの。
科学だけが特別ではないのですよね。
科学も文学も哲学も、そして宗教も、
人が生きるためには必要な
「知ること」を教えてくれるもの。
ブログを読ませていただいて、
まゆらさんの素敵な「ぐるぐる」が
「ぐるぐるぐるぐる」になったような気がしました。
とても興味深いお話。
それをおもしろく伝えられるまゆらさんのブログを
これからも楽しく拝見させていただきます!