島根県には→石見と出雲、2つの地方がありまして。
わたしは、石見地方に住んでおりますが
今朝7:30出発、出雲へ。
おかあさん&ご門徒さん&わたしの、3人で
研修会に行って参りました~
テーマは「グリーフケア、深い苦悩に寄り添う活動を模索して」
約4時間の講義を受けました
いちばんの要点は。
思い通りにならない人生を、思い通りにするのが
宗教ではなく。
『苦しみや悲しみを、どう乗り越えるか?』
これが、宗教そのものであります。
→寄り添いながら、そこに一緒にいる
→あなたの悲しみ=わが悲しみ、とする阿弥陀様の心を
拠りどころに生きる
「傾聴(けいちょう)」の大切さを学びました。
わたし達は生きていく上で
いろんな悩みや苦しみ、疑問を抱きますが。
人に話をして、その相手から
解決策=答え、を与えてもらいたいのではなく。
自分の思いや、こころの叫びを
ただ、まるごと「受けとめてもらいたい」
そんな思いが、心の奥底にはあるのだと思います。
阿弥陀様のように
あなたの悲しみ=わが悲しみ、
とは、なれない私。
人を救うどころか
自分すら救うことができず、
溺れっぱなしの身でありますが。
阿弥陀様に支えられて、生きている者としては
ちょっとでも、ひとに寄り添えるような
生き方を選択したいものだなと、思います。
五木寛之さん著『親鸞』
今日から全国的に、新聞連載が始まりました。
宗教的天才、親鸞聖人
わたしは、石見地方に住んでおりますが
今朝7:30出発、出雲へ。
おかあさん&ご門徒さん&わたしの、3人で
研修会に行って参りました~
テーマは「グリーフケア、深い苦悩に寄り添う活動を模索して」
約4時間の講義を受けました
いちばんの要点は。
思い通りにならない人生を、思い通りにするのが
宗教ではなく。
『苦しみや悲しみを、どう乗り越えるか?』
これが、宗教そのものであります。
→寄り添いながら、そこに一緒にいる
→あなたの悲しみ=わが悲しみ、とする阿弥陀様の心を
拠りどころに生きる
「傾聴(けいちょう)」の大切さを学びました。
わたし達は生きていく上で
いろんな悩みや苦しみ、疑問を抱きますが。
人に話をして、その相手から
解決策=答え、を与えてもらいたいのではなく。
自分の思いや、こころの叫びを
ただ、まるごと「受けとめてもらいたい」
そんな思いが、心の奥底にはあるのだと思います。
阿弥陀様のように
あなたの悲しみ=わが悲しみ、
とは、なれない私。
人を救うどころか
自分すら救うことができず、
溺れっぱなしの身でありますが。
阿弥陀様に支えられて、生きている者としては
ちょっとでも、ひとに寄り添えるような
生き方を選択したいものだなと、思います。
五木寛之さん著『親鸞』
今日から全国的に、新聞連載が始まりました。
宗教的天才、親鸞聖人
「風を待つ人」お名前が素敵ですねー♪
その姿と景色が、目に浮かぶ様です。
ブログを読んで頂いて、ありがとうございます!わたしも、風待人さんのブログ読ませていただきました!
アンテナを張られて、日々エネルギッシュに過ごされている様子ですネ!!
はい、わたしはお寺の若坊守をしています☆
(自身も、僧侶で布教使です)
わたしもまた、ブログ読ませて頂きますね!よろしくお願いします!!
お邪魔いたしました。
お寺さんのお嫁さんでいらっしゃるんですね!
私も、傾聴ボランティアの勉強をしているので
興味深くお話を伺っておりました。
出雲大社と日御碕は、訪れたことがありますけれど
石見も、きっと良いところなんでしょうね~!
また、お話を伺いにまいりますね!!
どうぞよろしくお願いいたします。
以前。お参りでご門徒宅をまわっていた時、いかに自分が無力であるかを思いました。
目の前で、体の痛みや、精神的な悩みを抱えておられる方がたくさんおられて。ずっと年配の方々が、わたしのような若輩者に、必死にお話をして下さるんです。にも関わらず、その苦悩に対する良い答えがないのです。その場しのぎ、安易な気休めや、受け流しはしたくないのです。
お釈迦様は、苦の解決とは、苦を苦であると認識することであるとされましたが。
やはり、そこに寄り添い合っていくことしか、われわれ人間にはできないのだと思います。
同じ苦を乗り越えるのでも、そこに「寄り添い」があることで、得られる安らぎがあるのではと思います。
ひささんは、お医者さんでしょうか。ひささんや、脳科学者の茂木さん、看護士の友人、カウンセラーの友人、またそういった職業に限らず、いろんな分野で仕事をされる、みなさんの視点での「ものの考え方」にとても興味関心があります。
プロセスは違えど、すべては、ひとつの真理に繋がる
ものであると、わたしは思います。
長々失礼しました☆☆
「苦しみや、悲しみをどう乗り越えるか?」
たしかに、人が生きることにおいて
とても大切なことですね。
そのためには、「寄り添うこと。」
本当にそう思います。
たとえ、大したことができなくても、
「寄り添う」という気持ちを
抱き続けるだけで、自分自身も含めて
救われるのだと思うのです。