ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

風化させたくない記憶。

2008年05月12日 | Weblog
 阪神大震災でもっとも被害の範囲と度合いが大きかったのは、神戸市内にあっても長田区であったといえる。

とにかく、火事が多かったのと、改めて思うが、規模の大きい地震だったので、水道、電気、ガス、道路、建物が倒壊し、むしろ、あの中でよく助かったと思うことすらある。

又、午前5時46分という時間も思えば、不思議な時間。

もう少し前なら、いや後なら、過ぎていれば、始発電車、道路渋滞が始まり、あの被害ではすまなかったかも知れない。

ただ13年経た今、もう町はすっかりと新しくなり、当時生まれた子供が中学1年生になっている。

被災地であった小学校においては、学習の中で、震災に関しての事を伝えており、決して風化はしていない。

当時のことを体験したものが、伝えていくのが、やはり重要なことであると感ずる。

写真  菅原市場の今