ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

光州5.18の映画を観て

2008年05月25日 | Weblog
 今から28年前、韓国は全羅北道の中心的都市。光州で、当時軍事クーデーターで政権を手にした、全斗煥率いる軍部、とりわけ空挺部隊が70万人光州市民を、暴徒鎮圧の口実として、2万の軍隊で使い2000人近い市民を虐殺に近い形で、命を奪った。

歯向かうものは、アカと断言し、婦女子、老若男女をとわない、無差別殺人といっても過言ではない。
この自国民の命を奪うこと自体、軍が反乱軍であり、結果、光州市民を結束させて、市民軍を成立させるまでとなり、後日、この反乱の首謀との濡れ衣を浴びせられた、金大中前大統領は、光州事態ではなく、光州義挙という。

 この事件があった当時、日本でも、在日の我々の間にあっても、体制派、反体制派と意見が分かれたことがあったが、罪なき一般市民を虐殺する当時の軍部の行動については、韓国の民主化への道程の大きな、歴史の汚点であり、韓国国内史の恥部であることは間違いなく、28年を経て、今、事実があきらかにされようとしている。

むしろ、日本の植民地時代でもおそらく、これほどの虐殺は行われなかったともいえるほど、振り返ってみても、実に恐ろしく、悲しいことであった。

いつの時代も、体制派に媚へつらい、自己保身に懸命な人間が命を永らえるが、結果、新しい歴史、または時代を切り開いたためしはない。

在日の主要的な両団体にせよ、本国の体制に媚へつらう人士が、結果、何らかの利権をえながら、それを愛国心と自我自讃している者が今なお、中心的役割をはたしているように、自負しているようだが、この映画を観ることを強く勧める次第である。