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古河電工の所有により日本が富国強兵を成し遂げるための銅の
採掘は国家を挙げて急がれた。
栃木県日光市足尾地区
しかし、その国策による銅の採掘と精錬は鉱毒被害がやがて蔓延し
この周辺地域のみならず、周辺を流れる河川を汚染し、そして
農地にも広がり環境にも重大な影響を及ぼしまった。
1891年、時の衆議院議員の田中正造が政府に対して、即座に
採掘を中止するように質問し、要求するが時の首相山縣有朋はこれを無視し
国策としての増産をし続け、むしろ田中正造を国家反逆者の扱いを行ない、
田中は議員を辞し、農民とともに反対運動を71歳の享年まで行なった。
当時、国会議員の中で、この問題を意識するものは出ず、むしろ
政府の方針を後押しする意見がむしろ正論とばかりの中で、田中は
人の命と、環境を守ることが真の文明と卓越した先見性を
もっており、その精神は今尚、学ぶところが多い。
21世紀の時代にあっても、いまだ当時の国会議員がそのまま
居座っているこの日本。
過去の歴史から学び、反省することからはじめることが
東日本大震災の復興をまとmこな形で進んでいくのではないか。