北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

八王子市内高等学校吹奏楽

2024-12-25 15:16:54 | 音楽・日々是尺八

12月22日、八王子J:COMホールで八王子市内高校吹奏楽フェスティバルがあったので聞きに行ってきた。無料である。

予め、広報誌で見ていたので11時40分開場に合わせて、早めに昼食を済ませて、会場に向かった。運よくいい席が取れて、最初から最後までしっかりと聞いてきた。

中には中学生の合同演奏もあった。会場は1.2階席は後半、ほぼいっぱいだった。2~3校は都合により欠演していた。

何校もクリスマスソングを演奏したので、全員がサンタの帽子をかぶっての演奏だった。皆さんそれぞれ帽子を用意をしたのか、使いまわしか分からない。

クリスマスメロディーは大体わかる。

なかには「マツケンサンバⅡ」「ラピュタ」「戦場のメリークリスマス」などもあった。
穎明館(えいめいかん)高校の「祭-YAGIBUSI」は和太鼓を3個舞台の前面に出し、男子学生が勇壮に撥さばきを見せてくれた。

片倉高校は以前から上手いと思っていた通り、定番の「宝島」を演奏。女性の髪形も皆ポニーテールに決めて統一感があり上手い演奏だった。

明治大学付属八王子中学・高校の「吹奏楽のための第二組曲 ラテン・メキシコ風」は中学生と高校生の一体感があり、ラテンサウンドを聞けた。

私はかつてユーフォニアムを演奏していたので、必然的にユーフォニアムの演奏を気にする。
各高校とも大体は2~3人である。私は何時間も演奏するには重いと感じたが、中学生がユーフォニアムより重いチューバを運んだり演奏するのを見て感心した。
大体の曲が最初から一斉に演奏する迫力がたまらない。特にチューバの重低音が胸に響く。とにかく生演奏である。家庭では味わえない音である。

ホルンが数台ある高校もあり、中音域の楽器であるが高音が素晴らしい。ユーフォニアムもそうであるように対旋律もいいものだ。

やはり最後に演奏した八王子学園八王子高校の「ドラゴンの年」「八学Beeeet!!~クリスマスver.~」は圧巻だった。総勢100名を超えるだろうか?

迫力あるサウンドでソロも良し。素晴らしい演奏だった。もう最近は皆プロ並みに上手く甲乙つけがたい。八王子学園高校は今年の全国高校吹奏楽コンクールで金賞の実力校である。

私の高校では25人がやっとで長野県のコンクールに出演した事があった。それから比べたら信じられない人数だ。

パンフレットに挟んであった八王子学園高校のチラシは次の通り、3月に定期演奏があるという。


2024年 我が家の庭

2024-12-19 11:11:22 | 趣味・ガーデニング

2024年の我が家の庭である。

4月17日、我が家の芝桜である。このところ毎日のように朝のNHKニュースの終了時に立派な芝桜が写されていた。
我が家は水はけが悪く、毎年この中は苔で一杯になる。従って秋には全部一旦はがして埋め戻しているのである。秋には花が咲いていないので写真のようにピンクと白の区別が不明確になってしまった。

毎年ツツジの剪定の仕方が悪いのか、なかなかきれいに咲かない。ところが今年はきれいに咲いた。
今ピンクに咲いているこの4本は、花後の剪定が遅かったと思う。そこで昨年は花後に素早く剪定してみた。その結果見事に咲いている。

こちらは霧島ツツジである。これも久しぶりにきれいに咲いてくれた。

こちらは枝豆である。昨年より少し遅れたが、5月15日種をまいた。品種は昨年と同じ「湯あがり娘」だ。

こちらは「スチューベン」である。老木のためか、剪定のし過ぎか今年は実の数が多くない。しかしうまくいくと、ひとつづつの房は大きくなるかもしれない。

5月24日、枝豆は順調に育ち、ペットボトルは15個はずした。

アジサイも咲き出した。サツキはやはり5月になると咲く。右側はブルーベリーで網掛けをした。
ブルーベリーは3本苗木を買ってきて植えたのだが、いつしか1本は枯れた。しかしある1本からサッカーなるわき目が出て、それを移植したら上手く根付いた。従って今は3本である。
鳥に食べられるから、毎年支柱を立てて、網をかけるのだが、結構大変だ。今年はいつもより多くの実がなっている。

5月29日現在、スチューベンは順調に育っている。

6月1日、いつものように草取りをしていたら、草むらにこちらを見つめる動物にぎょっとした。
2~3年前までいて最近は見かけなかった大きなヒキガエルである。薄茶色したヒキガエルは15センチ以上あり、手足を伸ばせば30センチくらいになるだろうか?
その後、アガパンサスの茂みの中に入ってしまい、もうどこにいるのか分からない。困ったものである。

6月9日、スチューベンの摘果と摘粒をした。小さな粒は取り除き、二手に分かれた実は片方を切った。中には邪魔な葉を切ろうとして、誤って房を切り落としてしまったこともあった。
葉を切るのは風通しを良くする為である。

娘に鉢をもらったガクアジサイも咲き出した。今では立派になった。

田舎から父が球根をくれた白百合が今年も咲いた。

枝豆は順調である。

スチューベンも順調であるが、今年は暑すぎるし事情があって摘果が遅れている。

アガパンサスも咲いた。立派に育ったが今年で見納めにしようと思っている。
アガパンサスは冬に葉っぱがところどころ枯れてみっともなく、その都度葉を切っている。又どんどん増えるし、どうやらヒキガエルの隠れ家になっているようだ。だから花が終わったら根こそぎ始末しようと思う。

そんな中、土砂降りのある8月の事だった。いつもはどこにいるか分からないヒキガエルがひょこり庭に現れた。
降り始めた雨の中、枝豆の畝の周りの水たまりに現れて、私と目が合った。あわてて家内を呼んで見させた。家内は初めて見るのである。時々動いては私を見つめて、危険がないと感じたのか、そろりそろりと草むらに逃げ込んだ。
我が家が気に入っているようだ。

ブルーベリーは今年は順調で今までで一番良い。梅雨に恵まれ、太陽もそこそこに当たり、かなり枝も伸びた。8月10日、ついに5粒くらい収穫した。21日までに30粒くらい収穫した。

枝豆は今年初めての収穫はとりあえず20個くらい。
ところが枝豆は高温過ぎたか、水まきが少なかったか、最初は旨かったがその後は旨くなかった。失敗だった。

スチューベンはついに全部、袋掛けを終了した。全部で100房くらいだろう。昨年より数は少ないが、房は大きいのが多い。

ブルーベリーは全部で100粒くらい収穫できたと思う。そろそろおしまいで、網掛けを外して、今度はスチューベンにかけようとした矢先に、鳥にかなり食べられてしまった。網をかけるタイミングが今年は難しかった。日照りが続いたと思ったら、土砂降りだ。

9月1日台風が温帯低気圧に変わったのを見て、スチューベンに網をかけた。鳥に熟したのを知らされたが、実際は未だ完熟ではない。もう少し待とうと思ってるとやられる。残念である。知人にあげるのにやはり完熟した旨いものをあげたい。皮が真っ黒になれば完熟である。糖度が高く旨い。

残念ながら今年は鳥にやられ、暑さにやられて余り出来栄えは良くなかった。

玄関入口横に小さな庭を作ってある。箱庭や坪庭の感じかなと思ったら、京都では見世庭(みせにわ)と言うらしい。

   

今までは万両を植えていた。そして周りに玉龍(リュウノヒゲ)や苔が一杯であった。ここは北側だからジメジメしている。
万両は2本植えていたが1本は枯れた。西日に当たり実が上手く付かない。面白くないので思い切ってサツキに変えた。

たまたま行ったカインズホームでサツキの苗を見つけて購入した。10月4日無事移植した。玉龍や苔は一切取りスッキリした。
ところが12月に入って葉が枯れだした。買って来た時にそのまま植えたからと思い、一度掘り出して根を整え植え直した。しかし半分くらいが紅葉した。しばらくは様子眺めだ。

庭の枯山水はしばらく手を付けていなかった。そのため随分小石が汚れてきた。そこで小石を洗うことにした。

周りを囲ったレンガも汚れてきた。その外側は芝生だからドンドン伸びて枯山水内に入ってくる。
それを取り除き、先ずは小石を取り除いて砂利だけにした。その下には草防止のシートを貼ってあるが、芝生はお構いなしにドンドン伸びる。一苦労である。

取り除いた小石を全部洗った。しかし単にバケツに水を入れてこすっただけだから、完全には白くなっていない。確かに小石を高圧洗浄機で洗えばきれいになるだろうが、そこまでの苦労がもうできないのだ。
それでも遠目に見ればきれいになったと自己満足している。12月19日


2024年版 旨い店

2024-12-08 15:48:58 | グルメ

2024版 旨い店

西八王子のどら焼き「万叶」(まかな)は初詣の帰りに寄った。

いくつもの種類があり、私は「渋皮モンブラン」だった。店内で作っており、「うまかない」だって?それはない。ここのどら焼きは実に旨い。どこどこよりも、とは言いません。

2月16日は、八王子セレオ9階にある「梅蘭」に入った。
ランチ時で私は梅蘭焼きそば(小)とエビチリのセットだった。1400円。
梅蘭の本店は横浜にある。名物の焼きそばは、その宣伝文句によると
「カリッと焼いた焼きそばの間に豚肉、モヤシ、玉ネギ等のトロリとした熱々のあんかけがたっぷり! 今まで食べたことがない美味しさが、口いっぱいに広がります。」とある。
以前一度入った事があり、その味は知っていたが、本当に久しぶりだった。
旨いなー。焼きそばは小となっているが十分の量だ。エビチリは少し甘いあんかけだが、甘すぎない。杏仁豆腐も付いている。
私は11時過ぎに入ったので空いていたが、瞬く間に混んできた。

こちらは京王八王子駅ビルにあるレストラン、ステーキ・ハンバーグ「紅矢」である。
オージービーフを使用したハンバーグランチが700円。コロナ前までは600円と安かった。味もおいしい。今年の3月でビルの営業を終了すると聞き、何回も通った。
最後にはハンバーグとステーキを奮発しても1050円で満足した。

こちらも京八駅ビルにある中国料理の「蓬莱軒」で日替わりランチが800円。
私は普通のランチで「土鍋麻婆豆腐」や「青椒肉絲」が気に入っていて注文する。880円。
ここはとてもおいしい。本格的でサラダや杏仁豆腐もついてくる。中国人が経営で注文時は中国語が飛び交う。この京八駅ビルには何軒もレストランがあったのだが、生き残ったのは他に「サイゼリヤ」くらいだ。
「サイゼリヤ」はどこにでもあるが、この2店舗が無くなるのは残念なことだ。

娘の誕生日祝いに家族が買ってきたケーキである。

めじろ台南にある「ペール・ノエル」でここは本当に旨い。
私の希望を聞かれてやはり「モンブラン」を取ったのだ。好きだね。翌日にはシュークリームもいただいた。ここのシュークリームはドロッとしていて、皮はしっかり堅めである。

高尾駅からイーアス高尾への道には桜並木があり、4月2日には満開近かった。所用があったので、その前に昼食をとイーアス高尾の、その名も蕎麦屋の「高尾の桜」に入った。
注文は「かつ丼とうどんセット」で1067円だった。某かつ丼店より旨いと思った。
食事を終わってレジに向ったところ、諏訪の日本酒「真澄」の一升瓶が置いてあった。かねてよりの縁で店員さんに聞いてみた。すると店員さんは「私は塩尻出身です」と言い「私は飯田出身です」と答えた。
話が合い、「また来てください」に「また来るよ」と答えたに。

タイトルとは違ってしまうが、最近のレストランはセルフレジが多くなってきた。

行きつけの「ガスト」「サイゼリヤ」は、やっとこさっとこ操作ができるようになった。

話は違うが、友人と新宿の居酒屋で飲んだ時、清算して自宅に帰ってからレシートを見たら、飲んでないのに表示されていた。「酔仙」600円。外国人のオーダー係が、スマホみたいな器具で操作をしているのだが、他のテーブル番号をインプットしたのだろう。今後はその場で気を付けたい。

秋である。秋と言えば秋刀魚だ。どうしても秋刀魚が食べたくなった。自宅ではレンジが汚れると言い、出てこない。
そこで、12日大戸屋へ行き、「秋刀魚定食」を食べた。二尾付で1380円。秋刀魚は小さかったがおいしかった。

秋刀魚での思い出は私が中学生だった頃、田舎の自宅で秋刀魚が出たが、煙が凄いので母は中庭で七輪を出して焼いた。脂がポトポト落ちて下の炭に勢いよく火が燃える。部屋にいても「ボウ」「ジュウジュウ」と音が聞こえ「脂が凄いんだに」と言っていた。

八王子に行けば大概ドトールコーヒーに寄る。ドトールコーヒーはdポイントが貯まるからである。
ところが12月1日からシステムが変わり、ポイントが付かなくなった。その上、ほぼセルフレジである。
注文は店員にするのだが、すぐにセルフレジで操作をする。ややこしくなったものだ。


2024年の高尾山

2024-11-26 16:19:34 | 散策・ハイキング

新緑の候 皆様いかがお過ごしでしょうか。

好天に恵まれた5月10日高尾山に登って来ました。めじろ台駅発9時42分に乗る。
高尾山駅ではもうウグイスが「ホ~ホケキョ」と歓迎してくれました。

ここが高尾山駅前の整備された案内川の水辺です。やっと工事が終わりました。長かったなぁ。
行きは10時頃だったので未だ誰もいません。
流石に良い天気と花粉と黄砂が終わり、絶好の行楽日和でした。早速、小学生と中学生の遠足に遭遇しました。
昨年はと調べたら期せずして同じ10日に登っています。

未だ空いているリフトに乗ると「ケキョケキョケキョケキョケキョホ~ホケキョ」とうまく鳴いてくれました。

やはり新緑の空気がとてもきれいで、思い切り吸い込みます。

薬王院の上の定点観測の鳥居と新緑のもみじです。秋になると真っ赤に紅葉します。

最近、新聞に掲載された投稿によると60歳代のおばさんが週に2回、午前中に薬王院まで登り、御朱印をもらうそうだ。もう7冊になったとか。おそれ多いね。

私は老化現象により、若い人に追い抜かれる。階段は心臓がバクバクで、休み休み登る。

高尾山頂には11時頃到着。春は富士山の冠雪が見えてとてもきれいだ。霞も雲もない、こんなにきれいな富士山を見たのは初めてなくらいだ。

少しズームアップしてみた。これからは雪が溶けだすだろう。
我が家の庭も、そろそろ枝豆をまく時期だ。

相変わらずの山頂でのおにぎりとお茶で軽く済ませ、下山する。
往復リフトなので12時過ぎには高尾山口駅だ。

最近はテレビで高尾山の特集をあちらこちらの放送局で放映している。
新しくできた「さんかく堂」や「すみれ庵」「ふもとや」「タカオネ」もテレビに映った。

高尾山口駅のホームで電車を待っていた時、ウグイスが鳴いてなんとホームの屋根下の電線に留った。
自然界でウグイスを見たのは初めてだった。

高尾駅まで行って、行きつけの「たまの里」でビール大瓶と魚定食をただいた。後から隣に座ったおじいさんも魚定食で、その後に座った怖そうなお兄さんも僕のを見て「それって魚定食ですか」と聞いて同じものを注文していた。サバ焼きと天ぷら、冷奴に暖かいソバ付きだった。

今年2回目の高尾山
10月31日、やっと好天に恵まれ、高尾山に行って来た。やっと私のスケジュールと好天がマッチしたのだ。
高尾山口駅前には幼稚園児らが整列していた。ちょうどいい時期に遠足なんだな。

いつも通りリフトに乗る。10時少し前である。リフトを降りてから山登りの準備をする。
6月に白内障の手術をしたのでメガネを作り替えた。遠近両眼用のため手前が霞んでぼやけるので、階段が歩きづらい。それで初めてメガネを外して歩いてみた。大丈夫そうである。

前回より登りや階段の足が進む。筋肉を鍛えたからである。

定点観測の薬王院の階段の上である。未だ紅葉ではないので、この分だと盛りは11月中旬頃だろう。

11時前に高尾山頂に着く。今回は天気が良く富士山が良く見えた。

    

しかし、未だ初冠雪が無い。大変珍しく遅れている。冠雪が無いと大きく見える。
山頂で🍙を食べ終わると、隣にハスキー犬を連れたお兄さんが座ったので、あわてて席を立った。

帰りはいつも通り、高尾駅で降りて「たまの里」に入る。又も大瓶ビールと蕎麦とミニカツ丼セットを注文した。

寒くなって来たし、もう次は大瓶はやめよう。中生が良いと思う。

11月7日の立冬の日に富士山初冠雪とニュースがあった。

今年3回目の高尾山
11月14日は残念ながら曇っていた。天気予報は最初は晴れでのち曇りだったが、ずっと曇りだった。
案の定、大変な賑わいだった。リフトは未だ早い時間の10時前だから混んでいなかったが、その後は賑わっていた。
リフトでは周りの紅葉を見ながら、心で文部省唱歌「もみじ」を歌っていた。〽秋の夕日に照る山 もみじ 
作詞者高野辰之は信越本線熊ノ平駅から紅葉を眺めて、作詞したそうだ。

定点観測の薬王院上の階段は、曇って暗く、まだ紅葉には早かった。
高尾山山頂には順調に着いたが、やはり曇って富士山は全く見えなかったので、写真は無しです。

11時過ぎに🍙を食べ、下山。帰りのリフトを降りたのが12時過ぎで、もう登りのリフトは長蛇の列だった。

今年4回目の高尾山
11月25日は快晴でこの日は高尾山へと決めていた。皆さん考えることは同じで大変な混雑だった。

寒いからいつもより30分遅く、めじろ台を10時9分の急行に乗った。それが間違いだった。
いつもの2倍は混んでいた。これは大変な混雑になると予感した。案の定リフトはいつもならすぐに切符を買ってすぐに乗れるのだが、切符を買うのにもう並んでいて100メートルくらいの列であった。さらに踊り場では長蛇の列で、リフトに乗るのに結局、40分もかかった。多分ケーブルカーのが速かったであろう。
多少は厚着をしていたのだが、やはりリフトは寒かった。

いつもの薬王院の階段上はすっかり紅葉していた。他の方のブログにも同じ場所で撮影していた。
このところ足を鍛えていたので、前回より階段はスムーズに上がれた。大きな口を開けて、空気を思いっきり吸ったのが奏功した。

高尾山頂もいい色づきだった。12時丁度に山頂だ。皆さん食事中だ。

大変な混雑の中、やっとの思いで富士山を写す。すっかり冠雪していた。雲がなくて良かった。
いつも座る椅子は満席だったので、頂上の周りの石垣に場所を取って新聞紙を敷き、🍙を食べた。
高尾山には欧米人、中国人、東南アジアらしい人々でいっぱいだ。これほど混雑したのを見たのは初めてだった。帰りも相当混雑するとみてすぐに下山した。

このケーブルカー駅前は見晴らしがよい。

これはふもとに降りてから撮った写真(13時13分)だが、リフトは50分待ちと表示されていた。

いつも通り、高尾駅で降りて「たまの里」に入った。今回は生中にざるそばと簡単にした。
もう寒いから今年の高尾山行きはやめにしよう。

 


信陽舎 舎友会総会で尺八

2024-09-13 16:11:37 | 音楽・日々是尺八

一度投稿しても何度も見返すと、追加したい文が出て来て毎日のように、追加している。しつこくて済みません。

未だ猛暑が続く9月7日、信陽舎 舎友会の第8回総会が、新宿サンパーク7階で開催された。
信陽舎とは私が大学生時に4年間お世話になった寮である。総勢38名が出席した。

総会の後の懇親会で尺八演奏を頼まれて演奏してきた。余興としての尺八である。

自宅以外で演奏するのは調べてみたところ、7年前に高校同期会で演奏して以来だ。
与えられた時間は20分くらい。すべて暗譜するように努力してきた。候補にあげた曲を練習したところ、夜中に頭が冴えて眠られなかった。久しぶりなので不安もあった。

当日、会場で渡された式次第を見たところ、私の演奏は宴会が始まって30分後に始まるようになっていた。
これは皆さん騒いでいる最中で、聞いてくれるか心配だった。知人にも「もっと前にしてもらったら」と言われた。
今までの経験上はうるさくて、あまり聞いてくれなかった事もあった。
しかし、私は「大丈夫ですよ。聞いてなくてもやりますよ」と臨機応変に対応することにした。

実は昨年の総会は長野市であり、総会に地元の舎友会の父君が都山流(竹琳軒大師範)の尺八演奏をした経緯があった。
曲目は尺八本曲「鹿の遠音」、箏との「黒田節」「千鳥の曲」を演奏して大好評だったらしい。それで今年は北原に尺八をとなったそうだ。
私も過去、信陽舎が建て替えられた平成8年の記念パーティー(吉祥寺東急イン)で尺八を演奏していた。実に28年振りである。

信陽舎の連中は良く飲む。幸い私の長方形の長いテーブル席10人は当時在寮中に一緒になった人ばかりで、話が弾む。

酒が入って歓談中の大騒ぎの中、司会者から尺八の演奏を頼まれた。多少はビールを飲んでいた。少しは飲んだ方が唇の潤いがあって、良く音が鳴ると思う。

尺八を持って演壇に登ったところ、演台上に20センチくらいの高さのマイクがあった。
工夫すれば良いのにそのまま演奏に入った。本当は立ちマイクが必要だったのに。
演台上のマイクを近づけたり、離したりしてしゃべくりと演奏を繰り返した。演台がぶつかりそうで極めて演奏しづらく、歌口をマイクに近づけるためかなり尺八を真下に持ち、下を向きながらの演奏だった。

後で考えたら、演台の横に立ち、マイクを横に向ければ良かったのにと思った。

私は以前ライブでやってきたように、自己紹介と尺八の簡単な説明をした。
先ず尺八は前に4孔、後ろに1孔の説明から、音階でロツチレチリ。すなわちヘ長調で言うラドレミソで出来ており、ドから順に始まる曲がある。「ドレミソラドレミミミミー」とリズムをつければ「函館の女」になる説明をした。

そこで北島三郎の本により、この曲の出来た時の話で、作曲者がもう一行詞が欲しいと言われて、作詞者の星野哲郎は「ちょっとトイレに行く」と言い、帰って来たら「とても我慢が出来なかったよ」を付け加えたそうだ。これは本当の話である。

私が23歳の時に「新春北島三郎ショウ」で「仁義」を10日間伴奏したが、曲の最初の口上は「お控えなすって。私、生国と発しますところ関東です」だ。それをもじり、「寅さん」の口上をミックスさせて「私、生国と発しますところ信州飯田です。天竜川で産湯を使い、姓は北原、名は康夫。人呼んで尺八の北原と発します」と述べた。多分受けたと思う。
この頃気づいたのだが、会場はすっかりシーンとなって皆さんしっかり聞いてくれて、時には笑っていた。

尺八と言えば正月に聞かれる、宮城道雄作曲「春の海」だ。前半の部分を演奏した。
皆さんが聞く「春の海」は大概、二代青木鈴慕であると説明した。今は著作権が切れて誰もが演奏できる。

ペギー葉山が歌ってヒットした「ラ・ノビア」も演奏、いい曲だ。演奏後に友人から「ラ・ノビア」はいいねえと言われた。「春の海」も高音が良かったと。多分カモメが鳴いているところだろう。

長野県には「信濃の国」の県歌があるが、その中に「北に犀川、千曲川」とある。
信陽舎は長野県全体から集まるので、ゆかりの五木ひろしが歌った「千曲川」を演奏。五木ひろしは音域が広いので素人にはハードルが高い。

この日の為に楽譜のファイルを用意してテーブルの上には置いていた。曲の順番に楽譜を並べてあり、時々見ては確認していた。
演奏では暗譜で間違えてはいけないと曲順のメモまで持って行ったのだが、胸ポケットに入れるのを忘れ、肝心のメモはカバンの中だった。それさえ演奏中は忘れていた。

従って「千曲川」で演奏を終了してしまった。本当は未だ文部省唱歌の「ふるさと」を演奏する予定だったのに、忘れてしまった。席に着き隣人に「ふるさとをやらなかったね」と言われて初めて気が付いたのだった。

私の演奏は最後の出番だと思っていたから「信陽舎寮歌」と「信濃の国」も続けて演奏するつもりでいたら、その後は自己紹介の段取りだった。
総勢38名の自己紹介を面白おかしく聞いた。

そして、いよいよ最後に「信陽舎寮歌」と「信濃の国」を演奏した。
寮歌の楽譜は手元に無かったので、自分で作譜していた。結構覚えているものである。
2曲とも2番まで歌った。

同じテーブル席のIさんには「尺八よりしゃべくりの方が良かったぞ」とお褒めの言葉をいただいた。それはうれしい事である。

又、飯田市がテレビに出た話題になった。日本テレビの「秘密のケンミンショー極」に焼肉日本一だと放送された事だ。
人口1万人当たりの焼肉店の数が多いというものだ。確かに飯田は昔から「おたぐり」(馬の腸の煮込み)やジンギスカンなど焼き肉店が多い。

この総会に向けて名刺を作成する事にした。久しぶりの名刺作成である。
以前から書いているが、10年前まで新宿で印章店を営んでおり、未だ名刺の印刷機が自宅にあるのだ。
約5年振りに稼働することになったが、上手く印刷出来るか心配だった。埃だらけの古いパソコンと名刺印刷機を掃除した。
インクリボン式だからもう干からびているだろうとの予想通り、中にあったインクリボンは機械に巻き付いてエラーとなってしまった。そこで幸い未開封の新しいインクリボンがあったので交換してみた。大成功である。
このブログは以前とはサービス会社が違っているので修正する必要があり、又メールも変更していた。そこで50枚ばかり印刷出来た。

舎友会終了後は隣席のAさんと二次会に行って、若い舎友とも名刺の交換しながら飲んだ。
そうした中で、私が飯田のライブで一緒に演奏したギターの桑原氏と知り合いだという人がおり、話が盛り上がった。

私は久しぶりに飲み過ぎたようだ。
理事長も交え、さらに3次会(喫茶店)に向った。終わったは午後8時近かった。

信陽舎の28年前の演奏後の2次会で飯田市出身の高田先輩から、下久堅公民館の「新年の会」(平成9年1月)で演奏をこの時頼まれた。
飯田市に箏の先生がおり、一緒に演奏する機会を得た。そこには私のいとこが「郵便局長」もしており、出席された。
又、飯田では初めての演奏だったので、高校の同期や信陽舎の先輩、小学校の担任の佐川先生も来られた。

そのおかげで、高校同期の企画でライブ演奏会を3回ほど催してくれた。

又、平成10年1月には長野冬季オリンピック開催に当たり、下條村からもエールを送ろうという企画があった。
メインは「画家の原田泰治と峰竜太の対談」であったが、前座で私は「尺八オンステージ」のタイトルで演奏を行った。
この時も下條村在住の佐川先生もお見えになった。
やはり、信陽舎の先輩で現在村長の金田さんも来ていただいた。なんと金田村長は今回の信陽舎舎友会で隣の席だったのである。

佐川先生は演奏後、楽屋に訪ねてこられて、下條村の名物「ヨーグルト」を何本もいただいた。
その時に「北原君、同級会をやってくれ」と言われて、同級生に声をかけ、同級会につながった。先生は大いに喜んだ。
計算上小学校卒業後、37年振りということになる。
佐川先生からはその後、お礼の達筆なお手紙をいただいた。

来年の総会は松本だそうだ。
信陽舎の寮歌の詩が良いので、1番だけ掲げよう。
〽千山万岳そそり立ち 白雪絶えず水清し 四時の谷には花香り 世塵も遠くかよいこぬ ああうるわしきわが山河

信陽舎は私が入った時は旧館の古い3人部屋だった。その後は新館の2人部屋に入ったが、現在は建て替えられて1人1部屋である。
立派な施設であるが、このところ入る寮生が少なくなっているそうだ。
パンフレットも総会でいただいた。希望者を募集中だ。