北原鈴淳 琴古流尺八教室 in八王子

尺八の音色は心を癒してくれます。

演奏すれば「無」の境地になれ、演奏が終われば満足感、充実感が得られます。

図書館で週刊誌

2023-01-24 12:26:19 | 随想

図書館に行くと先ず週刊誌を見る。

新聞に広告が表示されるとつい見たくなるのは人間の性か。
私は先ず「週刊朝日」を手にして、次は「週刊新潮」「週刊文春」、無い時は「週刊金曜日」「サンデー毎日」を読む。

「週刊朝日」は先ず、松尾貴史選の「似顔絵塾」を見る。以前は山藤章二だったが、高齢で松尾が引き継いだ。

これはもう傑作ぞろいで笑ってしまう。デフォルメされた絵は抱腹絶倒で思わず大声を出す寸前だ。美人でも特徴を強調されるとおかしくて、確かにと唸ってしまう。

以前、私の門下生にイラストレーターのSさんがいて、書いてもらった事があった。やはり特徴を強調されると他人には見せたくない。

「週刊朝日」のコラムの内館牧子「暖簾にひじ鉄」、嵐山光三郎「コンセント抜いたか」、下重暁子「ときめきは前ぶれもなく」、東尾修「ときどきビーンボール」、林真理子の対談「ベストコレクション」などを重点的に読む。

東尾は元西武の投手で監督を務めた。彼の観察力はすごく、よく当たると感心する。「今年は西武はいいぞ」と言っていたら、その通り一時期トップになった。

「週刊新潮」は五木寛之のコラム「生き抜くヒント!」、「読書万感」に時々記載する立川談四楼の書評。

五木寛之は人生の達人だから生き方の参考になる。

「週刊文春」は先ずは「文春砲」を読む。よく取材していると感心する。

コラムは林真理子の「夜ふけのなわとび」、杉本昌隆の「師匠はつらいよ」である。
真理子さんは、この度日本大学の理事長になった。以前から継続的に読んでいるので、行動が良く分かる。かなり精力的だ。
日大には毎日のように通学しているそうで、忙しい中大変だなあ。学生に聞いたそうだ。「私、誰だか知っている?」「知らない」と言われたそうだ。

杉本昌隆は将棋の藤井聡太の師匠である。苦労が良く分かる。

「週刊金曜日」は1993年創刊で、本多勝一らが編集者である。
本多は長野県旧大島(おおじま)村(現松川町)出身。一般の人には分からないから彼は伊那谷出身と本の履歴書には書いている。飯田高校の先輩に当たる。
私は彼の著作は6冊持っている。「日本語の作文技術」で何とかうまく書けないかと勉強したのだが。

「貧困なる精神」シリーズで有名で、昨年くらいまでは書いていたのだが、現在は体調悪く執筆していない。

政治にかなり辛口で、現編集者には宇都宮健児や落合恵子、雨宮処凛(かりん)がいる。

「サンデー毎日」は毎日新聞、科学環境部長の元村有希子のコラムを読む。彼女は以前、我が家で毎日新聞を取っていた頃、科学について非常に分かり易く書いていたので感心していた。

図書館の週刊誌は一応30分で返却となっている。だから忙しい。ざっと見るか一部分だけ読むかである。
特に八王子は学芸員の前で借りるので、せいぜい40分で返却する。西八王子は棚にあるのでもう少し読ませてもらっている。

一週間に2回行く時は文芸誌を読んでいる。

最近は太宰治シリーズで「ヴィヨンの妻」「走れメロス」「人間失格」「斜陽」を読んだところだ。
「人間失格」は大学の三曲研究部の夏の合宿で討論会をすることになっていた。しかし私は読んでいなかった為、議論に加われなかった。そんな思いを引きずり、いつかは読んでみたいと思っていたのだ。

「斜陽」はマムシの玉子を焚火で焼くシーンが出て来るのは残酷だ。人気の太宰治だが、癖のある文章だ。彼は自殺したが文章の中でも、遺書を書いており、成るほどなと思った。

谷崎潤一郎の文章は本当に上手いと思う。「細雪」も読みだしたが、活字が小さくて途中で止めた。4人姉妹の話である。

並行するように芥川賞受賞作品である高瀬準子の「おいしいごはんが食べられますように」を読みだした。女性らしい作品である。6日 間で読了した。

時々、私の過去のブログを読み返すと、誤字脱字が見つかると直しておく。

このブログを再掲する。
実は「週刊朝日」が今年5月末で休刊すると発表されたのだ。誠に残念である。


最近、物が壊れる

2022-11-10 10:33:57 | 随想

2021年1月に掲載したブログをリメークする。つまり又歯が欠けた話を追加するのである。

最近、物が壊れる。

身の回りで物が壊れる。何かの前兆だろうか。

その①、昨年10月に右上の虫歯を治したばかりなのに、12月始め突然口の中に硬いものをかんで、吐き出した。金属の詰め物だったが、その時は何故か他人を疑った。

自分のは鏡をのぞいたが異常無いと見なして、その金属を一度は捨てた。翌日どうも私の右下の詰め物のようだと拾いなおして、後日歯医者に行った。
結局その場所で、詰め物をクリーニングして、はめなおした。

その②、結婚する時に買った腕時計は、5~6年後T百貨店で電池交換の際、無くされてしまった。
それで、同等の新品の腕時計をくれたのだ。

その腕時計も経年劣化で、新宿で商売をしている頃、電池交換のサービスを請け負っており、メッキも出来たのだ。それで金メッキをしてもらって、きれいになった。

それも今では大分剥げて来たので、腕が見えない冬にだけ使用していた。
12月5日図書館からの帰りに長袖をめくって時計を見たところ、ガラスが無く、針は止まっていた。

しかもこの時計は4日前に電池を交換したばかりであった。何という不運だ。
100年は持たなかったが、約36年間休まず動いてくれたのだ、感謝する。

その後、ついでがあったのでその時計店に伺って、事情を話し「もうこれはダメだ」と言うことで、店主に「何か部品として使えるならば使ってください。電池も新しいし」と渡すと、お礼として?長さ10センチの携帯用LED照明をくれた。これは便利な「懐中電灯」である。

その③、べつに壊れた訳ではないが、洗面所の点灯管が突然つかなかったり、翌日にはデジタル体重計の電池が切れた。その前、電話機子機のバッテリー切れで新品を取り寄せた。急に変化が身の回りで起こっている。

12月18日バスに乗っていて追突事故にあった。
八王子に行く予定で、めじろ台からバスに乗り、2停留所目の前の信号待ちで止まっていたところ、「ドン」とバスが前のめりになった。

エンジントラブルかなと思っていると、車内放送があり、追突事故らしい。後部座席にいたので後ろを覗くと、乗用車が止まっていた。80歳くらいの爺さんがぶつけたようだ。

私はあわてて降りて、後部を見ると双方へこみは特になかった。
ちょうど白バイが走っており、パトカーも割と早く来たが処理に時間がかかると思って、めじろ台に向けて歩き出した。振り出しに戻ったのだが15分位かかった。

予定を変更して西八王子行きのバスに乗った。冷静に考えれば、大した事故ではなかったので、それ程時間はかからなかったろうにと思い直した。

軽い衝突だったので、幸いむち打ち状態にもならず、あの時猛スピードでぶつかっていたら、一瞬で命を無くしたと思うとゾッとする。

12月24日、しばらく使って無かったプリンターで印刷しようと思ったら、インクジェットの黒がほとんど無く、印刷できなかった。あわててネットで調べたが、どこも掲載されていなかった。

買って2年程だからまだあるはずだ、と八王子に出かけてヨドバシカメラで購入出来た。
プリンターの品番を調べてあり、従業員に聞いたらすぐに見つけてくれた。自分で見つけるより早い。

しかし、機械に弱い私はセットの仕方に四苦八苦。メーカーのネット上の説明でやっと取り付け完了。やっとの思いで印刷できた。

又新年早々、歯と歯の間にピスタチオの殻が挟まり、自分では取れなくなった。

バカな私は新聞を読みながら、ピスタチオとナッツ類を食べていたのだが、たまたま手にしたのを見なかったら、ピスタチオの殻までかんでしまった。

あわてて吐き出したのだが、その時は気がつかなかった。

しかし、歯の裏側に飛び出した小さな殻は自分では取れなかった。非常に気持ちが悪い。触ると舌が痛い。

これはすぐ歯医者に行かなくてはと、予約なしで診てもらった。結局歯を少し削り除去したのだが、詰め物をする事になった。こうして段々歯が削られていくのかとうんざりする。

時は過ぎ、今年の9月初旬より左上の歯ぐきが痛み歯医者に行った。歯ぐきが化膿したらしく、1か月かかってやっと治ったのが、10月2日だった。

そうしたら、翌日の3日の昼食事に右下奥歯の詰め物が取れ、ついで歯も少し欠けた。
あわてて、詰め物を持って4日歯医者に行ったのだ。年を取り、もろくなってきたかな。

まだ神経がある親知らずで、結局もう少し削って被せるようだ。いやはや、いやな歯だ。

11日、無事詰め物をして終了。女医さんに「親知らずが全部残っていて素晴らしい」と褒められた。

経過観察で18日、クリーニングもしてもらう。
「いい歯並びをしており、虫歯にしたらもったいない」と言われ、3か月毎にメンテナンスするように言われた。

そして2022年11月、久しぶりにカセットテープをUSBに録音するため、新しい方(2010年購入)のミニコンポに入れたら蓋がしまらない。蓋を押さえて動かしてもテープは回らなかった。仕方なく古いミニコンポにカセットテープを入れても動かない。それを取り出そうとしたら、今度はもう取り出せない。両方とも壊れてしまった。しばらく使わないとダメだな。



百貨店の終焉か

2022-10-03 16:12:49 | 随想



ここは新宿西口の小田急百貨店である。今年10月2日で閉店した。

現在の本館は14階建てで1967年に開業し50年以上経った。
私が新宿に勤務の頃は地下食料品、文房具、催事、レストランなどを利用したものだ。
跡地には地上48階、高さ260㍍の高層ビルが29年度に完成予定。新ビルに小田急百貨店が入店するかは未定だそうだ。



こちらは小田急ハルクである。小田急百貨店本館の閉店の為、こちらに食料品を中心として移転するらしい。
もう地下街の小田急エースもかなり閉店や移転で、受け入れを準備している。

同じ頃に建設された近くの京王百貨店も同じような経過をたどるから、いつ建て替えをするか分からない。

一方、東急百貨店は2023年春以降、東急本店の解体作業に着手すると発表されていた。

跡地には東急電鉄、東急百貨店、LVMH(モエヘネシー・ルイヴィトン)グループの3社によって開発を進める。

隣接するBunkamuraも大規模な改修工事をする。
東急百貨店はすでに渋谷駅前の東横店を2020年3月末に閉店している。

東急百貨店での思い出は尽きない。

私が結婚を決意した時に、東急本店8階のレストラン「コートダジュール」は私の両親と、家内の両親の顔合わせをしたところだった。

Bunkamuraの大ホールで横山勝也の尺八と、鶴田錦史の琵琶による「ノベンバーステップス」を家内と聞きに行ったこともあった。

作曲は武満徹で開場前にロビーで見かけ、私は家内に知ったかぶりで「あれが武満徹だ」と指をさしてしまったところ、武満氏が気が付き、お辞儀をしてくれた。

面識はなかった。今でも思い出すと可笑しい。

私が20代の頃は未だ東横百貨店だった。
渋谷駅の東横店には「東横ホール」なる大きなホールがあって、よく落語なども開催されていた。

ある時、青木鈴慕先生に推薦され、箏社中の賛助出演に呼ばれて、その東横ホールにて宮城道雄作曲「高麗の春」を演奏した事があった。

とにかく大きなホールだったので、演奏していても音が散って、迫力を全然感じ無かった事だけは覚えている。

八王子の駅ビルも「そごう」だったのが、今は「セレオ」である。
府中も伊勢丹が閉店して、専門店街になった。

今、百貨店の独自の営業は難しい。
元々テナントに貸して、食料品は「のれん街」やレストランなど他店に任せている。
社員が専門性を身につけるのも大変である。

今や「ユニクロ」「ビックカメラ」「無印良品」「ロフト」「ダイソー」だらけで、代わり映えがしなくなって来た。

9月16日、新宿に出かけた。これは小田急百貨店である。

 

こちら本館は10月2日で閉店して、10月4日にはハルクに移転する。「キャッチコピー」が際立っている。「新宿店は閉店しません」だって。


漫画家の藤子不二雄A の死去

2022-04-11 12:26:17 | 随想

漫画家の藤子不二雄Aがこの度亡くなった。88歳だった。
「オバケのQ太郎」「忍者ハットリくん」「怪物くん」「笑ゥせぇるすまん」「まんが道」などの作品を残した。

本名は安孫子素雄で事務所は西新宿に藤子スタジオがあって、私が新宿でハンコ屋をやっている時にお客さんであった。
先生には名刺やハンコの注文をいただき、時々昼食では行きつけの飲食店でお会いした。
テレビで見る通り、いつもサングラスで白くて長い「もみあげ」が特徴だ。

不思議な縁だが藤子・F・不二雄(藤本弘)の藤子プロも近くで、やはり名刺や印章のご注文をいただいた。

トキワ壮に在籍したアニメ作家の鈴木伸一さんが新聞のコメントに出ていたが、鈴木さんも来店されて、名刺の注文をいただいた。鈴木さんは気さくであるので話しやすい。
鈴木さんは藤子不二雄の漫画で「小池さん」としてラーメンをすすっているのが有名だ。

 


ラジオの思い出

2022-02-09 11:57:00 | 随想
朝ドラで「カムカムエヴリバディ」を放送している。
時代はちょうど我々が生活してきた頃で懐かしい。

年代物のラジオが出てきたが、我が家も同じくらい古いラジオがあった。
木製で割と大きかったが、小学校生の頃の夏休みは父が家の前にラジオを出して、ラジオ体操をした。10人くらいの小学生が集まり、毎日ハンコを押してもらった。
この頃、少年剣士の「赤銅鈴之助」を聞き、主題歌も覚えた。

中学生になるとビクターの大きなステレオを買ってくれて、レコードやラジオを聞いた。
レコードの視聴盤の「汽車」の蒸気の音が立体的に聞こえて、左のスピーカーから右のスピーカーに抜けていくのが感激したし、「ベサメムーチョ」や「アイーダ」をそれで知った。

また、夕方のNHKラジオ「一丁目一番地」を聞くのが楽しみで、かじりついて聞いていた。
黒柳徹子が「さえこさん」役で出ており、大変気に入っており、テーマ曲は今でも忘れていない。

高校生になり受験を迎えて「カムカムエヴリバディ」ではないが、文化放送の「百万人の英語」を聞きだした。
冒頭のテーマ曲、ブラームス作曲「大学祝典序曲」も耳に焼きついている。

大学に合格して上京。武蔵境にある長野県の寮に入ったが、「ソニー」のトランジスタラジオを買ってもらった。

良く聞いたのがニッポン放送の「オールナイトニッポン」だ。
軽快なテーマ曲にのり、有名な糸居五郎、斎藤安弘(アンコー)、高崎一郎、高島秀武、亀渕昭信(カメ)がデスクジョッキーだった。
とりわけ「カメ&アンコー」が人気を博した。
この頃、「〽おらが死んじまっただー」の「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。

試験が近づくと何故か聞きたくなり、1つ先輩も「そうだろ、何故かなー」と会話したものだ。

大学3~4年生の頃、当時の寮母さんの息子が幼稚園生だったので、みんなが可愛がった。

大事にしていたラジオだったが、私は良くFMを聞いておりアンテナを伸ばしていた。
その時ちょうど坊やが部屋に入って来たのだろう。何かの折に彼にアンテナを壊されてしまった。それからFMは雑音が多くなったと思う。

卒業して26年後、寮は老人ホームと併設する形で新築されて、そのパーティーが吉祥寺のホテルであった時の事。
実はあの時の寮母さんと息子さんも出席されて、ばったり会ったのだった。

彼も成長して、もう30歳過ぎで立派な青年になっていた。対面してつい愚痴が出てしまった。
寮母さんに「すいませんねえ」と言われた。

卒業すると練馬のアパートを借りた。木造の狭い4畳半である。
壊れたラジオの代わりにステレオ「トリオ」を購入。「トリオ」を買ったのは多分CMの影響だろう。

会社に入ってから田園都市線の高津に引っ越し、6畳のアパートに移った。

27歳の時に尺八リサイタルを行い、録音はオープンリールだったので、ソニーの「テープデッキ」を購入した。随分立派なデッキで、いい音がした。興奮して何度も聞いていた。

結婚してつきみ野の建売を購入した時には、もっと良いステレオが欲しくなり、義父の知り合いの秋葉原の電気店で「パイオニアプロジェクト7」を買った。(トリオは甥にあげた)
これは随分大きかった。スピーカーが大きい事。

しかし娘が2人生まれステレオ部屋は娘に与えたので、私の部屋にはミニコンポーネントを考えた。

近くにヤマダ電機が出来たので、ビクターの「マイクロコンポーネントMDシステム」を購入。

やがて現在の八王子に引っ越し、パイオニアのスピーカーは処分して、チューナーの入っていたのはコンポーネントの置台にした。今は私の部屋に鎮座する。



録音の機器は目まぐるしく発展して、カセット、CD、MDと進んできた。
その前にも何台もラジオ、ラジカセ、ウオークマンも買ってきた。
手元のラジオはソニー、尺八の演奏を録音するラジカセはアイワや、大きなダブルラジカセはパナソニックだったが全て壊れて処分した。

上記写真もそのうちMDが使用出来なくなり、新宿のヨドバシカメラまで重いのを持参したのだが、結局部品が無く、修理不可能だった。
しかし、MDだけが使用できないだけで、ラジオは聞けるし、これは又別売りのレコードプレイヤーを接続して聞いている。

写真には写っていないが、この下にパイオニアが置いてあり、その中にレコードやカセットテープ、CD、MD、DVD、VHS、ベータなど入れてあり、良い置台となっている。

やはりMDに貴重な録音をしているので、どうしてもMDが必要である。
上記のMDはA、Bの2か所あり、ダビングが出来た優れものだった。

そこで、もう1台買う事にした。こちらは居間に置いてある。



これも同じ「マイクロコンポーネントMDシステム」だ。
こちらのMDには「ラジオ体操」が録音してあり、毎日いつでもラジオ体操ができる。
コロナ禍の中で自粛が続くが貴重な運動が出来る。

このコンポーネントは一番下にUSBが付いており、パソコンにダビングするのに便利だ。

会社を卒業?して、新宿で自営業していた頃は、暇だったので、TBSラジオを良く聞いた。
ここでもサンヨーのラジカセ、CDも聞けるのを買った。

平日の午前中は「大沢悠里のゆうゆうワイド」を毎日聞いていた。
朝8時30分から午後1時までの放送だったが、2016年4月に終了した。同時に土曜日午後3時からの放送に変更されたが、ついに3月で終了するそうだ。

番組の中の10時過ぎには「毒蝮三太夫のミュージックプレゼント」もあった。
申し込みのあった商店などに出かけてインタビューをするのだが、リクエストの音楽もマムシの「くそばばー」などのしゃべくりで、なかなかまともに音楽が聞けなかった。

土曜日は「土曜ワイドラジオTOKYO永六輔その新世界」だった。
2000年5月から外山恵理アナが担当して、永六輔が随分可愛がっていた。
晩年には永六輔の滑舌がだんだん悪くなり、かわいそうだった。

外山アナは今金曜日の午後「金曜たまむすび」に出演して、相変わらずかわいい声で、若々しい。

TBSラジオの平日午前中は大沢に代わって伊集院光が担当した「伊集院光とらじおと」だが、やはり3月で終了するらしい。

午後は時々「赤江珠緒のたまむすび」を聞くことがある。

時々、夜寝る前にNHKラジオを聞く時もあるが、だんだん若者向けになってきており、私には早口で聞き取れないし、みんなが同時に喋ったり、笑ってばかりで面白くない。

1957年4月から2008年3月まで続いたNHKラジオドラマの「日曜名作座」なんて良かったなあ。森繁久彌と加藤道子が2人だけで、ナレーターや2~3人を演じた。

今は「新日曜名作座」で西田敏行と竹下景子がしている。
テーマ曲の古関裕而の曲はいいなあ。

やはりNHKの夜11時過ぎの「ラジオ深夜便」は年寄りが聞いているようだ。
父の法事で田舎に帰った時、90歳過ぎの母の部屋で炬燵に入って寝たが、一晩中「深夜便」がかかっていて眠られなかった。