2024年元日に起きた、能登半島の地震で被災地は大変である。もう1か月以上経つ。
私も自宅でただならぬ地震を感じ、東日本大震災を思い出した。長く揺れたのでこれ以上揺れないでくれと祈っていた。
輪島と言うと必ず輪島塗のおちょこを思い出す。個人旅行で思い切って買ったものだ。
毎年メモ帳を購入して、旅行などこまめにしるしていたはずだ。最近の記憶は段々曖昧になってきて、いつだったか思い出せない。
きちんと整理をして保存しているのを引っ張り出してみた。多分20年程前かと2000年前後から調べたら、もっと前の1987(昭和62)年5月に見つけた。もう37年前である。
こまめに旅行記を書いた旅行もあるのだが、この輪島行きは簡単なメモだった。だから記憶が曖昧なところがある。
この時の旅行は金沢、輪島、津幡、富山、飛騨高山のルートである。
メモ帳によると5月26日、当時の自宅の大和市つきみ野から新横浜に行き、新幹線に乗った。米原で乗り換えて金沢には12時23分に着いた。
兼六園、金沢城石川門、中央公園、武家屋敷、香林坊の109、大和百貨店を見学。これらはバス一日乗車券で対応した。
香林坊109には、実は知り合いのMさんが店長をしており、いきなり訪ねてみた。
快く迎えてくれて店長室に伺った。「景気はどうですか?」の質問には「厳しいですね」と答えられた。調べたところ2016年には東急スクエアと名称変更したそうだ。
この時の香林坊の印象が凄く、北島三郎の「加賀の女(ひと)」の歌詞に出て来る、「〽君と出逢った 香林坊の酒場に赤い-ーー」(星野哲郎作詞)を気に入ってカラオケで何回か歌った。点数を出してみたら結構良かった。
能登半島と言えば石川さゆりのズバリ「能登半島」の歌だ。先日ちょうどNHK「うたコン」で彼女が歌った「〽夜明け間近 北の海は波も荒くーーー春から秋への能登半島」(阿久悠作詞)は、さゆりの歌が上手く、曲も良いのでヒットした。最初から高音のサビで始まる。
翌27日は金沢を9時56分に出てから輪島には12時35分に着いた。
漆器会館、輪島屋本店を見学。輪島塗の工程が凄いと感心した。漆器工芸店を3軒見て、どこかで上の写真右側の輪島塗おちょこを4000円で買った。1個ですよ。高かったが何しろ中側の竹(笹)に惚れて、「私を買ってくれ」と叫んでいるように思った。笹には金が点々とちりばめてある。心ときめき買ったのだ。以後気に入って大事にして晩酌を楽しみにしている。
5月28日は8時に朝食後、ホテルからマイクロバスで輪島朝市に9時15分着。
道端にはおばあさんが多く、それなりに活況だった。サザエのつぼ焼きを300円で購入してすぐ食べる。
お土産にフグ一夜干しを1000円で、ムシアワビを3000円で購入。この時のフグ一夜干しがとても旨く、最近の京王百貨店の物産展で探すのだが、同じ物はなかなか見つからない。
その輪島朝市の場所が地震と火事で全滅と知り、唖然とした。
10時27分、輪島を出て、津幡、富山、高山に入った。この時のメモによると津幡駅での乗り換えに10分。富山駅で高山本線に乗り換え時間はたったの4分だった。この乗り換えは一生忘れない。何しろ初めての地で、乗り換えの電車が急には見つけられなかったのだ。降りたホームの先(西3番線)の方にあり、やっと見つけて走りに走ってやっと間に合った。
飛騨高山には15時43分に着いた。あらかじめ打ち合わせをしていた鈴慕会所属のY氏と18時に合流して、箏の先生が待つ集会場に行き合奏練習をした。曲目は「萩の露」「残月」「千鳥の曲」だった。
一緒にY氏と飲めるかなと思ったが都合により、そこで解散した。私1人で居酒屋で一杯やった。
翌日は高山見学で、やはり朝市を見る。輪島の朝市よりこじんまりしていた。サイクリングで飛騨民芸館、高山陣屋などを見学した。
高山を13時26分に出たが、高山本線はまるで飯田線のように曲がりくねって、飛騨川に沿って下って行った。岐阜で乗り換え、名古屋には16時24分着。
そこからは新幹線で新横浜に向った。
時は過ぎ、2016(平成28)年4月、金沢方面のツアー旅行をした。今度は2人である。
ルートは八王子から特急あずさで松本行き。
松本からは観光バス(アルピコ)で高山へ。白川郷を見学。山中温泉のたわらやに泊。翌日は越前大野、七間朝市、白山平泉寺、永平寺を見学。永平寺は平面でなく、階段状になった造りだったのは驚きだった。なんとなく修行僧の感じにもなって来た。ここでは「屋根瓦の修理に寄付をお願い」とあったので、1口寄付をした。お礼としてお経の「修證義」と数珠をくれた。「修證義」の中には「開経偈」や「魔訶般若波羅蜜多心経」などが入っていて、時々YouTubuで聞きながら唱えている。偶然、我が実家は「開経偈」をお爺さんが毎朝、唱えていたので覚えてしまった。
数珠をもらったのがうれしく、実家の法事で使用した。ところがどこかで無くしてしまい見つからない。
門前町から一乗谷朝倉氏の遺跡を見て再び山中温泉のたわらや。この温泉は熱かった。
翌日は自殺の名所東尋坊。松本清張の「ゼロの焦点」を思い出す。この日はあいにくの土砂降り。金沢に入って近江町市場の見学で昼食。旅行会社勤務の友人に聞いていた「市場寿司」に入る。「のどぐろセット」でこれは旨かった。さらに「東出コーヒー」も紹介された店で、雰囲気の良い喫茶店だった。
そして「ひがし茶屋街」の見学。当時は各旅行先でおちょこを買っていた。金沢と言ったら金箔だ。そこで見つけたのが、写真左側のおちょこだ。中は金箔の九谷焼。まぶしいくらいだ。
長町武家屋敷跡から兼六園を見学。有名な琴柱(ことじ)の灯篭まで行ったが、この日は最悪の土砂降りと寒さで見学どころではなかった。足早にバスに戻ったのは残念だった。その後はバスで富山駅まで行き、富山駅からは北陸新幹線で東京まで戻った。
まもなく北陸新幹線は福井県敦賀まで延伸、開業する。