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夫と出会う以前に親しかった男子学生は、大学近くに実家があり、そこには優しい両親とまだ高校生だった二人の妹がいて、ランチに私をよく連れて行ってくれた。彼は私のボーイ・フレンドではなく、友人のひとりにすぎない(a friend who is a boy)、少なくとも私はそう思っていた。彼の母親は見るからにやさしく、事実本当にやさしかった。妹達も可愛らしく、そこを訪問するのは楽しかった。彼はある日言った。「両親も妹達もあなたのことが大好きで、あなたを娘や姉として大変気に入っています。どうでしょう、僕たちは一緒になるほうが。。。」 確かに彼はいい人ではあったが、特別な思いを私は抱いていなかったので、お断りをしてその後は会わなかった。唯一心苦しかったのは、彼の両親と妹達のことであった。ふとあのおかあさんが私の義母だったら、と考えたりしたものである。
夫の母はその友達の母親のようではなく、最初は彼女の職業の教師のごとく、私は接せられたと思えた。意地悪ではなかったが、あの友人の母親とは全く異なっていた。結婚当初、義理の母となる人を先に見つけておけば、などと不埒なことも思ったが、そう時間が経たないうちに、私は、夫の母を好きになった。夫の母親は、家事を見事にこなし、それでいてフルタイムの教師であった。洗濯は仕上げが新品のようにきれいにしていたし、アイロンかけもプロのようにびしっと決まり、俗にSquare Mealと呼ばれるような食事を丁寧に用意し、それは、いつでもおいしかった。
私達はひと月に一度夫の実家を3時間かけて運転して、訪問したものだったが、訪問中に家事に関して、彼女を見て、聞いて、手伝って、習った。意見の食い違いや様々なやり方の違いを、彼女は自分のやり方を私に押し付けることなく、私が私のやり方ですると、逆に「ああ、あなたのようにやるといいわね」などと言ってくれた。夫の兄達の妻は、いつも彼女を姑だから、と敬遠していたが、私は敬遠する必要性が見い出せず、大抵は彼女の傍にいたものだ。私が鈍感だったのかもしれないが、生まれ育った国も環境も言葉も異なるのだから、違っていてあたりまえ、くらいのおおまかな見方が私にはあった。長くなる結婚生活で、時折、「おかあさんにお礼状を出さなきゃ」と思うことがあって、それは、夫がいつも私を助け、一緒に働き、そして子供達のいい父親であることに、そんな夫に育ててくれてどうもありがとうございました、と、おこがましくても、一言したためたかったのである。彼女が逝って今年で5年になるが、いまでもふとそう思うくらいだから、私はラッキーだったのだろう。そして私は、旧約聖書の一節に影響を受けていたのかもしれない。
旧約聖書のルツ記第1章16節は、私にとっては理想の女性を描いている。ルツは、姑ナオミが、二人の立派な息子(一人はルツの夫)を失って悲嘆に暮れるのを見た。ナオミはその二人の息子の未亡人達に、それぞれの故郷へ戻るよう話す。ナオミの心のうちにある孤独と絶望を見たルツは、このようにナオミに言った。「あなたを捨て、あなたを離れて帰ることをわたしに勧めないでください。わたしはあなたの行かれるところへ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。」そしてルツはその言葉に偽りがないことを示すかのように、姑のナオミと共にナオミの夫の故郷ベツレヘムへ帰郷し、そこで落穂を拾い、ナオミを助けた。ルツはモアブ人で、ユダヤ人のナオミにとっては異邦人であった。そんな話が、私の意識の底にあったのかもしれない。
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しかしルツとナオミの関係は理想であって、確かに私はそのような気持ちで夫の母といたが、世の中は、そうはいかないことが数多にある。むしろその方が多いかもしれない。難しい人々のひとりが、あなたの姑であるかもしれない。そして難しい姑とよい関係を築いていくのは、赤の他人の難しい人々とつきあうよりも、難しいのが常である。それでも、もしそのような人々とつきあう(接する)時に助けとなる事柄を知っていたら、そこにいくばくかの光明を見出せるかもしれない。相手を姑と設定して、試したいその事柄とは:
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- 個人的な関係を築く: 他の誰ともするように、友好的な関係を姑と築くよう試す。覚えておかなければいけないのは、彼女の考え方や在り方を変えようとはしないことである。あなたが彼と結婚するということは、母親と息子という長い家族関係・歴史の中へ、あなたが貼り付けられる、ということ。何年経っても姑はあなたを余所者と見ているかもしれない。そしてそんな余所者が、彼女の息子の母への忠誠を横取りしようとしていると彼女には見えるかもしれない。あなたができることは、あなたが突如やってきて息子の母親への忠誠心や愛を盗もうとしているのではなく、むしろ家族の新しく付け加えられた頁であるように思ってもらえるように、彼女との関係を友好的にすること。あなたが、姑とのつながりを夫を通じてだけのものとしたら、姑は、いつまでもあなたを余所者と思い続ける。
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ある人々は、自身の嵐を作り、そして雨が降れば、立腹する
- 夫の助け(協力)を頼む: 決してしてはいけないことは、夫をあなたと彼の母親との間(確執)に入れること。夫は自分の家族を知っているし、なによりも歴史がある。自然に夫はあなたと自分の家族との間で双方に引っ張られる立場になるが、夫は、妻同様に、二人が夫婦としての個体であることをきちんと把握していなければならない。あなたが姑や義理の家族から感じるストレスや圧迫をきちんと夫に説明し、わかってもらえるよう、教育し、働きかけなければならない。また同時に、姑について理解を深めるよう、あなたも知らないだろうことを夫から勉強する。
- 前出だが、本当に覚えておきたいのは、決して姑を変えようとしないこと: 人は誰かに自分の意見ややり方を変えさせられそうになると、抵抗するものだ。もしあなたが、相手のことを第一に考えるように試みたら、どうなるだろうか。相手の心証を良くする効果があるかもしれない。
- 現実に、姑との好ましくない関係は、どちらかが逝去するまで変わらないかもしれない。その場合は、人はすべての人を喜ばせることはできない事実を覚えていることである。だからと言って、あなたが相手を粗末に接したり、無礼を働くことはない。あなたはあなたで、自分にできることをすればよい。親切や思いやりを見せても、一向に感謝も愛情のひとかけらも相手が見せないならば、それはあなたのせいではなく、相手の損失である。 どんな状態でも、あなたは、孤高の道を行くこと。それは相手に対する悪口雑言を吐かず、親切を惜しまず、相手が助けの必要な時は、手を差し伸べること。そこであなたはすでに勝利している。