ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Susan WHO?

2018-02-15 | アメリカ事情

http://images.slideplayer.com/11/3175576/slides/slide_1.jpg 

 

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Susan_B._Anthony_dollar#/media/File:1981-S_SBA$_Type_Two_Deep_Cameo.jpg

 

 

SusanB. Anthonyの一ドル硬貨を見たことがおありだろうか。1979年ジミー・カーター大統領時代に作られた硬貨だが、大きさが25セント(クオーター)硬貨と同じで、間違えやすく、1981年には製造を止めた。この硬貨に彫られている女性が、スーザン・B・アンソニーである。

 

日本ではおそらくそう耳にはしないと思うが、今日2月15日はアメリカ・マサチューセッツ州アダムスで、生まれたスーザン・B・アンソニーの198回目の誕生日である。何をした人物かと言うと、アメリカの公民権運動指導者で、禁酒運動家、奴隷制反対者、そして最大の功績は、女性参政権獲得のために活動したことである。アンソニーは、女性の権利拡張や、両性の完全な対等権利実現に運動し、また女性の男性への従属として堕胎には強く反対し、非常に雄弁な街頭演説家でもあった。彼女のモットーは、「真の共和国とは、一男性には彼らの権利を、そして、それ以上ではなく、女性にも彼女らの権利を、そしてそれ以下でもなく」であった。

 

1872年11月5日に行われた大統領選挙の投票に参加するため、アメリカ合衆国憲法修正第15条を提案、それによってアンソニーは、召喚状を送られて、1873年、100ドルの罰金刑を言い渡されたが、支払いを拒否し、裁判では、裁かれるは、合衆国側だと主張し、結局一ペニーも支払わなかった。アンソニーは、1906年3月13日に女性参政権実施の日を見る事なく亡くなったが、その14年後、1920年世界で8番目に、ようやく女性参政権が合法化した。これは合衆国全体での施行で、ワイオミング準州は、その以前に女性も投票できていた。

 

彼女とほぼ同時期婦人参政権を提唱して、どちらかと言うと、過激な運動方法だった英国のエメリン・パンクハーストは、英国での婦人参政権が達成された年、1928年に死去した。よって英国は世界で10番目に婦人参政権が認められた。ちなみに日本では、1945年である。驚くべきことは、1993年、スイスでの婦人参政権が(やっと)認められたことである。



https://cultureandanarchy.files.wordpress.com/2013/01/tumblr_m7tw6znvbp1ry8l99o1_1280.jpg

メリー・ポピンズでも、ジェーンとマイケルの母親、バンクス夫人は婦人参政権運動をしていた。

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