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https://www.rd.com/true-stories/inspiring/wwii-veteran-returned-flag/ Credit: EUGENE HOSHIKO/AP PHOTO
安江辰也さんに日章旗を返還するマービン・ストロンボさん=岐阜県東白川村で2017年8月15日
私は、CBS放送局のニュースで見たが、毎日新聞にも2017年8月15日報道されたのが、題して「終戦の日 日章旗、遺族の手に。。。73年ぶり、元米兵から」である。同じ記事は、今月発行のリーダース・ダイジェストにも載っている。私自身、少し前に友人から、同じような署名のたくさん入った日本国旗を渡されて、持ち主を見つけて欲しいと依頼された。友人の父親が亡くなり、遺品整理で、彼が持っていた古いフットロッカー(ベッドの足元におくトランク)を開けたところ、丁寧にたたまれて、その中で保存されていたのである。友人と母親は、初めて目にしたのであるが、一目で、これは最初の持ち主に是非返還しなければならないと感じたのだった。そして私の手元にこの旗はやってきた。持ち主を探して、返還してほしいと頼まれたのだった。
私は、友人にいつどこでこれを父親が入手したのか尋ねた。私はその少し前に彼女の父親についての系図を調べ終わったばかりで、それによると、確か彼は、第二次大戦終結直後海軍に入隊し、一切戦闘活動には参加しておらず、戦後処理というような仕事で、彼が乗り組んでいた軍艦は、太平洋のあちらこちらを寄港していたのだ。彼女は、実際にどこそこで見つけたというのではなく、同じ乗務員の先輩が、くれたらしい、とのことであった。ガダルカナルか、サイパンか、はたまた硫黄島か。場所は結局わからなかった。その旗には、「xxx君戦地でのご無事を祈って」と書かれていた。それを手に取って見ていた私は、急に胸にこみ上げるものがあり、再び丁寧に旗をたたみ、薄紙に包んだ。
結局日本の姉に連絡を取り、靖国神社へ奉納したほうがよいのではないか、との姉夫婦の提案で、丁度近々訪米する姉が、持ち帰ることにした。友人に、その旨伝えると、快諾してくれた。そしてその国旗は、姉夫婦が靖国神社へ奉納してくれた。あの時、この記事のようにマスコミを通じて直接ご遺族を探した方がよかったのかもしれないと思ったのだが、父親が、火事場泥棒的に思われるのは心外だろうと友人が言ったので、靖国神社を選んだというわけである。火事場泥棒。。。敵地に入り、負けた死者からなにかを奪って戦利品とすることは、往々にして戦地ではあることなのだろう。アドレナリンがそうさせるのか、今まで生きるか死ぬかの戦闘を経てきて、そのツケがやってきたのか、その心理は通常の世界にいる私にはわからないが、その時ポケットにいれられたからこそ、今まで生き延びてきたとも考えられるので、その黒白はつけなくてもいいのかもしれない。
又この記事にある元米兵も、友人の父親も、実に丁寧に保存し、虫食いの跡もなかった。そこにこうした旗に対する元米兵だったアメリカ人の礼儀と尊敬が感じられ、結局戦わねばならなかった時代を残念に思う。そして平和は、大きな事から始めるのではなく、小さなことの積み重ねだと思う。まずは、私達の家族や隣人への言動から、かもしれない。よくブログ世界でも意地悪が横行するらしいが、見ず知らずだからそうできるのか、小さな世界だからできるのか、理解しがたい。私がその一人とならぬよう自ら戒めていきたい。
以下は、毎日の記事からである。
終戦の日
日章旗、遺族の手に…73年ぶり、元米兵から
毎日新聞2017年8月15日 11時21分(最終更新 8月15日 11時36分)
返還された旗は「戦争の悲しみが詰まった旗をたくさんの人に見てもらいたい」との遺族の意向で、村の戦争資料館に展示される。
遺品の返還活動に取り組む米国の非営利組織「OBONソサエティ」によると、これまでに100枚以上の日章旗が返還されている。遺族に直接返還するため来日したのはストロンボさんが初めて。
辰也さんは「優しくて頼りになる兄でした。兄の肌のにおいがするような大事な旗を保管していただき、太平洋を渡って来ていただき、ありがとうございました」と話した。【駒木智一】