物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

大塩八幡宮

2020-06-24 | 行った所

大塩八幡に義仲が陣を敷いていたという。寿永2年(1183)倶利伽羅(砺波山)・篠原の合戦に大勝した義仲の軍勢は越前に入る。平家物語では越前国府についた義仲は評定をし、覚明に比叡山へ書状を送らせる。第7巻「木曽山門牒状」である。
国府址とされるのは越前市(武生)の市街地である。大塩だとするとだいぶ南に行ったところだ。火打城があった今庄へ行く途中になる。

古い神社らしい。越前二之宮を称す。一之宮は敦賀の気比神宮のはずだ。

参道も長い。参道が尽きると石段になる。

義仲ゆかりの地の碑がある。

拝殿はなかなか豪壮だ。重文だそうである。

裏へ回ると義仲の陣跡の碑がある

手書きの軍の配置図があった。模造紙大で前面にガラスがあり非常に読みにくいのであるが、大変な労作だ。
根井や仁科、盾、樋口など馴染の義仲郎党たちの名が見える。

ネタ元は、「八幡宮伝承記」という物らしい。一体いつ頃の物なのだろう。


この山城に陣を敷いたのなら、ほとんど戦闘態勢だったと思う。
国府に入り、悠然と評定、というイメージとは乖離があるが、兵士の失火による拝殿焼失で杣山の拝殿を慌てて持ってきたなどと妙にリアルで面白い。

山城らしく、堀切の跡もあるが、南北朝、戦国と時代を越えて使われた城山らしいのでいつの物かは比定できないだろう。

参道辺りから日野山を望む。

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祇王妓女邸跡

2020-06-24 | 行った所

福井市西藤島に祇王の屋敷跡があるという。どういうことかわからない。実在するとして近江の野洲あたりの出身で、京都の白拍子、福井に縁があるとも思えない。仏御前の方がまだ北陸の出身というから因縁のつけようはあるかもしれないのだが。

しかし、そういう伝承があるのだという。
西藤島公民館の脇である。

石の祠のようなものの中に石地蔵のようなものがある


大きな碑があったがこれは治水の記念碑だ。

 

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鯖江市南井町 齊藤実盛

2020-06-24 | 行った所

鯖江の文殊山のふもとに齊藤実盛の生まれたところがあるという。

文殊山は福井市と鯖江市の境にある山だ。その南側、山懐に抱かれた部分が南井町らしい。文殊山への登り口のひとつだ。


実盛の跡はなかなかわからず、地元の人に教えてもらう。

 遠景

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敦賀市公文名 利仁将軍

2020-06-24 | 行った所

平家物語第6巻「廻文」に義仲の生い立ちが描かれている。為義の次男義賢の子、義賢は義平に殺され2歳の義仲は母に抱かれて木曽の中原兼遠の元へ行き義仲を託したことが語られる。そして20余年、力も世に優れ、心も並びなく強い。そして古き伝説の武将たちにも勝るとも劣らぬとほめあげる。喩えられるのは「田村・利仁・余五将軍・知頼。保昌・頼光・義家」である。
平家物語を聞いた時代の人たちにはそれとわかるスーパーヒーローだったのだろうが、今、すぐああ誰だ、と思うのは無理だ。

・田村は坂上田村麻呂、歴史の教科書に載る人物だから聞いたことがないとも言えない。
・利仁将軍は芥川の「芋粥」と云われればそんな話があったなと思う。
・余五将軍平維茂(これもち)となるとさらに難易度が上がるが、歌舞伎「紅葉狩り」で鬼退治するのが維茂である。
・知頼というのは誰なのだろう?岩波本では「ちらい」とルビがふってあるが、平致頼(ちらい・むねより)で維茂とライバル関係にあった人物のようだ。
・藤原保昌は知っている。和泉式部と結婚し、盗賊袴垂とやりあった男。他にも無頼のエピソードがある
・源頼光、・八幡太郎義家となればさすがに分かる。

藤原利仁の息子は斎宮職に就き、斎宮の藤原で斎藤を名乗る。全国の斎藤さんは祖先をたどるとみな利仁に行きつく、嘘のような話だが、少なくとも平安末から中世の越前の斎藤氏は利仁の子孫を名乗っている。

藤原利仁は越前敦賀の豪族秦氏の婿となり、館を構えていた。まさしく「芋粥」の舞台である。芥川龍之介の「芋粥」は五位の心理描写がいささかうるさく、また五位のしおたれぶりときたらなんだかゴーゴリの「外套」を思い起こすほどだ。宇治拾遺物語や今昔物語でも五位はかなりのしょぼくれ下級役人だ。

だが五位と云えば鎌倉時代初期、鎌倉殿頼朝の推挙で武家が従五位を得るのは限られた人だけの特権的栄誉だったはずだ。この辺の感覚はわからない。

今昔物語に出てくる五位と利仁の敦賀行の経路は、鴨川沿いから粟田口、山科、三井寺で食事、三津で狐を捕まえるのであるが、ここは下坂本の辺りらしい。道中で一泊。野宿だろうか、高島で迎えの者と出会って腹ごしらえ、暮れ方に敦賀に着いたとある。
この経路で京都―公文名間90kmくらいである。江戸時代の一日の行程8里=32kmだが、馬を使ったためだろう、一泊二日で来ている。
この狐はいいご愛敬であるが、さすが伝説の将軍の若き頃、神通力をちらりと見せた、という所であろうか。
肝心の芋粥なのだがあまりうまそうとは思えない。ヤマトイモ・自然薯の類は好きである。とろろ蕎麦、マグロのとろろ掛け、とろろ飯をすすりこむのも捨てがたい。だから私は長い間、芋粥とはとろろ飯のようなものだとばかり思っていたのである。しかし、今読めば、あまづらを入れて煮るなどとあり、甘いんか!とびっくりしてしまう。デザートだったのだろうか、それを山と出されたら確かに食えないだろう。

利仁の館跡は敦賀市御名といわれ、公文名に利仁を祀った神社がある。


利仁と菅原道真を祀る。天満宮だ。この二人は同時代人のようだが直接的な関係はあったのだろうか

境内をうろうろしていたら宮司さんが出てきていろいろ説明してくださった。基本的知識が足りずよくわからなかったが

利仁の供養塔がと云われるものが入った祠だそうだ

公文名は敦賀の内では南の地域だ、山を越えればすぐだろうが、あの山々を越えてきたかな。

 

北上して常宮神社に寄って帰った

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