飛鳥は奈良盆地の南端にある。田舎田舎した辺境と言っていい場所だが、ここが間違いなく日本の政治的中心であった時代がある。
端正な円錐形の三輪山とその東南の香久山、西南の畝傍山の中心に藤原京趾がある。そこから更に2kmほど南下し、わずかに東へそれたところに甘樫丘がある。標高148mというから山と云えば、耳成や香久山と遜色のない高さの山だが、裾野が広がって丘陵上になっているので丘と認識されているのだろう。全体の傾斜は緩いが、昔、盛夏に自転車で登り、随分と消耗してしまった覚えがある。
麓の駐車場から歩く。
甘樫丘から北方耳成山 香久山はもう少し右手になる
西方畝傍山、奥に二上山
甘樫の丘の南東から北西に掛けて飛鳥川が流れている。
あまり流量のある川とも見えない。
渡ってみる。
対岸の民家の屋根が吹替え中だ。この辺りの建造物には規制があるのだろう
飛鳥川に沿って少し歩くと、農産物直売所がある。
そのすぐ脇が水落遺跡で、直売所の脇に資料館もある。
この辺り一帯、迎賓館のような役割だったらしい石神遺跡で、その一角の水落遺跡は漏刻、即ち水時計であったという。
石神遺跡には噴水のような施設もあったという。石人とか須弥山石とか言うものがその部品らしい。
石神遺跡と飛鳥寺は隣接していたらしい。
甘樫丘の北方の十字路の信号には雷の表示がある。交差点の北西部が雷丘となる。
おおきみはかみにしませば は人麻呂の天武へのヨイショ歌だが、雷のいわれは「雄略記」にある。類話?が日本霊異記の冒頭にあり、こっちの方が面白い。ちいさこべのスガルが雄略の命で落ちた雷を捕らえる。雄略は畏れ元の所へ帰させた。スガルの死後、雄略はスガルの墓に雷を捕らえたと書いた。雷は悔しがり、墓碑に落ちたが、木の割れ目に捕まった。雄略は雷を放し「生之死之捕雷栖軽之墓」(生前も死後も雷神を捕らえた栖軽の墓)と書いた。この丘が雷の丘になる。カミナリ様は7日間も呆然としていたという。笑ってしまった。日本霊異記なんぞわけわからぬ説教話ばかりかと思いきや、これはユーモアSF掌編だ。
雷から東に走る道は明日香桜井線とあった。スガルが走った道だろうか。
雷の西が豊浦だ。そのすぐ北が小墾田宮(おはりだのみや)に比定される。
豊浦寺跡 向源寺という寺がある。蘇我稲目が仏像を置いた家の址と伝わる。
難波池
難波池がここだったら、難波で拾い上げ、信濃まで担いでいった善光さんの話は何だろう?
近くの甘樫坐神社
境内でクガダチをしたらしい。