名神高速道路、蒲生スマート付近で道路南側に復元古墳らしいものが見える。何度かチラ見していたが、行ってみる。
滋賀県の代表的古墳群で、正確には木村古墳群というらしい。5基以上の古墳があったらしいが、名神高速の建設工事に伴い失われたものも多いようだ。
平成に入り二基の古墳のが本格的に調査され、古墳公園として整備されている。蒲生は記紀にも出てくる地名だ。ワカタケルの従弟イチベノオシハ殺しの舞台でもあり、大海人皇子と額田王との相聞の舞台ともなる。あかね古墳の名称はこの「あかねさすむらさきのゆきしめのゆき」に因むものだろうか。
古墳公園の駐車場に付近の文化財などの案内がある。山部赤人関係のものもあるようだ。
復元されている古墳は、久保田山古墳と雨乞山古墳である。久保田山は円墳・雨乞山は方墳である。サイズ的には雨乞山の方が大きいのであるが、葺石と埴輪列を復元した久保田山の方がよく目立つ。全面復元をしていない古墳の多くは樹々に覆われ、自然の山林と見分けがつかない状態が多いので、こういう復元がなされていると、古墳とは遠くから目立つことを目指して作られたのだろうということがよくわかる。久保田山は円墳ではあるのだが、南北に造り出しを持つ。
雨乞山の方は方墳で、これもだいたい南北に造り出しがある。どちらも特に造り出し状に特別な施設や遺物はなかったようだ。雨乞山にも葺石が認められたらしいが、全面を葺いていたかわからなかったのか、墳丘は芝を貼った復元になっている。
久保田山全景
南側造り出し部分から
円筒埴輪の列
墳丘上の円筒埴輪 発掘される埴輪は割れて破片となり、表面が風化しているものが多いが、こんなに赤みを帯びていたのか、葺石相まりよく目立つ
北側造り出し 奥の山の向こうが琵琶湖だ
久保田山から雨乞い山を望む
竪穴式石室 久保田山の方は主体部不明、一部石材のみだ。盗掘されたか
雨乞山から北西方向
この辺りはかなり広い平野だ。
息長氏やそれに続くような豪族が掌握したのだろうか