710年平城遷都。奈良盆地は盆地と言いながら、かなり広い平野部で南北に長い。平城京はその北端に位置する。飛鳥は南端だ。
平城遷都は藤原京からの引っ越しであるが、藤原京は飛鳥と離れてはいない。遷都時の大王元明天皇も「飛ぶ鳥の飛鳥の里を置きていなば 君の辺りは見えずかもあらむ」と飛鳥に未練たっぷりの歌を残している。
遷都に伴い、官人たちの移動は当然だが、寺もまた引っ越す。薬師寺もまた飛鳥から西の京へ引っ越した。興福寺は藤原氏の寺だからもともと奈良にあったかもしれないが大々的に整備されたのは遷都後だろう。
飛鳥寺は蘇我氏の寺だ。日本のもっとも古い仏教寺院だったという。だが飛鳥板葺きの宮、将に乙巳の変の現場にも近いこの寺は蘇我宗家滅亡後、維持も難しかったのではないか。
飛鳥寺裏手にある五輪塔、時代は合わないが蘇我入鹿の墓と伝わる
蘇我家は傍流だった蘇我山田石川麻呂が力を持つが、彼も山田寺で自害を余儀なくされる。
白鳳の優品 ウィキペディアより
山田寺にあったという仏像の頭部は興福寺にある。仏像が移動したのは中世に入ってのことのようだが、蘇我と藤原氏、権力の移動の象徴のようだ。
蘇我の飛鳥寺が平城京に移ったのが元興寺だ。興福寺の南にそれなりの伽藍を構えていたようだ。
今の境内は一部で近くに東塔の後がある。
元興寺東門
極楽坊
極楽坊屋根の一部が古いもので行基瓦という
境内
元興寺を出て、少し奈良町界隈を歩くと東塔址がある
礎石だけでなく基壇が残っている
基壇の上
猿沢の池の真南に位置した。
近くには御霊神社があった。祭神はお決まりの早良親王・井上内親王等。ただだいぶ新しい神社のようだ。