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賀屋 興宣 かや おきのり(1889 - 1977)
政党 : 自由民主党
前職 : 日本の法務大臣 (1963–1964)、 日本財務大臣 (1941–1944)、 日本財務大臣 (1937–1938)
出身校: 東京帝国大学法科大学政治学科
東京裁判
東京裁判(正式名は「極東国際軍事裁判」)は、1946(昭和21)年5月3日(金曜日)に東京市ヶ谷の陸軍士官学校大講堂で開始されました。
A級戦犯28人の「平和に対する罪」の審議が2年10ケ月間も続き、戦争に負けたから責任を取らされます。「ポツダム宣言」で戦争犯罪人の処罰が明示されており、「敗戦処理」からは逃げれません。
戦勝国からすれば、「ポツダム宣言」を受諾しておきながら、「正義の戦争」と宣(のたま)う日本無罪論を主張する、戦後、吉田茂や岸信介~安部晋三ら首相に尻尾を振る情けない一部の阿呆な産経新聞などの記者は、支離滅裂な姿にしか映りません。
東京裁判は市ヶ谷で審理されましたが、「国際裁判」であることをわすれてはなりません。 法理論も国際法が優先されます。
B・C級戦犯
A級戦犯だけでなく、B・C級戦犯として起訴された数多の人々がいる。 B・C級は、捕虜虐待、民間人の殺害、掠奪まどの行為をした罪を問われた。 終戦と同時に、国内および外地(がいち)で捕らわれた日本人「戦犯」だ。
1998(平成10)年6月13日に、50年を経て外務省がやっと公開した資料によれば、連合軍7ケ国がB・C級戦犯57002人を裁判にかけ、4404名が有罪判決を受け、その内、984名が死刑にされた。
米国は、143名の日本人B・C級戦犯を死刑にした。 イギリスは、223名。 オーストラリア、153名、オランダ236名。 フィリピン、17名。 中国(国民政府)、149名。
外務省はすでに、1950(昭和25)年4月5日現在のB・C級戦犯につき詳しい統計を発表していた。 1998年に公開された数字とほとんど同じだ。 フランスは52人に死刑を宣告し、20人を処刑した。
ソ連と中国(北京政府)で戦犯として裁かれ。死刑になった日本人の数は、未だに不明である。スターリンは、戦犯でなくとも捕虜なら殺しても問題ないと思っていた。 毛沢東も自国民5000万人以上を粛清したと言われている。 彼らにとって、日本人は全員戦犯だったのだ。
賀屋興宣の嘆き
東京裁判で「終身禁固刑」の反稀有を受けた賀屋 興宣 かやおきのり(1889-1977年・第一次近衛内閣蔵相・北社支那開開発株式会社総裁・東条内閣蔵相)は、「理屈はともかく日本は敗戦国である。 殴られ役は要るのである。蹴とばされ役は要るのである。それを全く封ずるというわけにはいかない」と達観している。
しかし、賀屋は、戦後日本が「戦争責任」を自主判断していないと嘆く。東京裁判には、道義的にも、法律的にも議論の余地がある。外国が判断したものではなく、戦争を実行した責任者を日本人自らが判断すべきである。 この一番重要なことが。ほとんどなされなかったことが、「まことに私は日本国民として遺憾千万なことである」と悲嘆に暮れる(賀屋 興宣『戦前・戦後80年』経済往来社・1976年)。
賀屋興宣は、巣鴨プリズンで10年間服役し、1995(昭和30)年に仮釈放され、政界に復帰。 井池田勇人内閣では法務大臣(在任1963年7月ー1964年7月)という要職に就いた。彼は法務大臣在任中に「死刑執行命令書」に一度もサインをしない。
賀屋興宣は、巣鴨プリズンで絞首刑に処せられた7名のA級戦犯、百数十名のB・C級の受刑者が黄泉の国へ旅立つのを間近で見ており、「死刑の執行はたいがい金曜の午前、未だ深夜に行われ、「絞首刑者の遺体が処刑台より落ちて、処刑の瞬間に発する異様な音」が聞こえたと回想している(賀屋『戦前・戦後80年』)。 彼は法務大臣になってからも「処刑の瞬間に発する異様な音」がトラウマになっていた。
吉田茂は、賀屋興宣が法務大臣に就任した際、巣鴨プリズンに10年も入っていた「囚人が逆にその刑務所を監督する法務大臣になるというのは、全くおかしな話ですね」とからかった(賀屋『戦前・戦後80年』)。
事実、吉田茂は戦犯が保釈されることに否定的だった。 対米関係がこじれることを恐れたからである。「戦争受刑者世話会」から直訴されても、「物事には時機というものがあるし、相手のあることだから」と拒否。
戦争受刑者の鮎川義介(弐キ参スケの一人で「日産コンツェルン」の創始者)は、吉田茂を「彼は血も涙もない人である」と失望した(日暮吉延『東京裁判』講談社現代新書・2008年)。
吉田内閣が倒れ、1956(昭和31)年に保守合同を成し遂げた鳩山一郎(1883ー1959年)が自由民主党の初代総裁となり、受刑者の保釈運動が活発になった。
出所 『占領神話のj崩壊』 著者:西鋭夫・岡崎匡史、発行:中央公論新社
西鋭夫 : スタンフォード大学フーヴァー研究所・教授
岡崎匡史:元スタンフォード大学フーヴァー研究所・リサーチフェロー
*占領期の日本から多くの公文書が密かに米国に持ち出されていた。 スタンフォード大学・フーヴァー研究所に手付かずのまま残された数万枚に及ぶ極秘文書。これらを徹底的に調査し、新たな発見をもとに、隠蔽された歴史の真実にせまる。
おまけ
最古参教団元幹部が初証言/安倍家三代と旧統一教会【12月28日(水)#報道1930】
https://www.youtube.com/watch?v=MvQ03QVerGc
ロスチャイルド財閥-152 終戦
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/cff9bf4d7ef8d6c4558121dd61424dfd
ロスチャイルド財閥-153 (1/2) RAA(特殊慰安施設協会:実態は日本の婦女子を使った売春慰安所)と新憲法成立
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ロスチャイルド財閥-153 (2/2) RAA(特殊慰安施設協会:実態は日本の婦女子を使った売春慰安所)と新憲法成立
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ロスチャイルド財閥-154 太平洋戦争と極東軍事(東京)裁判
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ロスチャイルド財閥-155 東京裁判 暗躍する吉田茂
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