この記事の3つのポイント
- 新自由主義の教徒となった米ボーイングを襲った悲劇
- 価値を換金する仕組みに潜む致命的な欠陥
- 我々の生きる道は「みんなで幸せになろうよ」にあり
(文中敬称略)
新刊『ボーイング 強欲の代償 -連続墜落事故の闇を追う-』(江渕崇 著、新潮社)を読んだ。かつてエクセレント・カンパニーの筆頭だったはずの米航空機メーカー、ボーイングが、なぜ、ガタガタのボロボロになったのかを追ったルポルタージュだ。
大変面白かった。
というのも、単にボーイングの衰退を時系列で追っていくのみならず、「そもそもボーイングが没落する背景には一体何があったのか」まで追究しているのである
本書は、2019年3月にはエチオピアの首都アディスアベバで発生したエチオピア航空のボーイング737MAXの墜落事故で、家族をすべて失った人の話から始まる。
737MAXはボーイング最新鋭の近距離旅客機で2017年から航空会社への引き渡しが開始されたばかり。しかし2018年10月にはインドネシアの首都、ジャカルタでライオン・エアの737MAXが墜落事故を起こしていた。
最新鋭機の2連続墜落事故を受けて、米連邦航空局(FAA)は737MAXを飛行停止処分にして、事故原因調査を始める。が、737MAXの墜落は、単に機体設計のミスではなかった。
その背後には1990年代から始まる社会状況の変化と、それに伴うボーイングの組織の変質・劣化があった。
その上で、本書は「原因は“強欲”にある」とする。本の題名にある通りだ。
では強欲とは何か。
新自由主義(ネオリベラリズム)である。
この本では、新自由主義を提唱した経済学者ミルトン・フリードマンの「The Social Responsibility of Business Is to Increase Its Profits」(ビジネスの社会的責任は利益を増大させること)という“フリードマン・ドクトリン”が、米社会に浸透し、その結果としてボーイングを没落せしめ、米社会を破壊していく様子を描いていく。
フリードマンの主張する通り「利益を増やすことのみがビジネスの社会的責任」ならば、「企業が社会的責任を果たす」ことは「強欲」ということになってしまう。
以前も書いた通り、キリスト教7つの大罪のひとつ「Greed」である。
1917年に創業したボーイングは、「よいものをつくって社会に貢献する」という意志を体現することで、伸び盛りだった航空機産業と共に大きく成長した。
1980年代までの同社は、たとえ採算を度外視してでも「いい製品をつくる」という意志で従業員が団結し、その意志を貫徹する、技術志向の会社だった。
そこに1990年代に入ると、「高い株価と高い配当がすべて」の新自由主義的経営が徐々に入り込んでいく。決定的な転回点となったのは、1997年の米マクドネル・ダグラスとの合併だった。
家族主義的なボーイングに対してマクドネル・ダグラスは1997年時点ですでに貪欲に株価と配当を追い求める新自由主義的経営に完全に染まっていた。
この合併は「羊によるオオカミの買収」といわれた。実際に羊の群れたるボーイングに入り込んだオオカミこと旧マクドネル・ダグラスの経営陣は、新自由主義的経営で株価をつり上げ、その株価を成果としてお手盛りの莫大な給与を自分らに出し、その一方で、「カネにならないことはしない、やめる、廃止する、解雇する」で、ボーイングという会社を根本から支えていた分厚い技術者の人材層を破壊していく。
その結果として行き着く先が、2連続の737MAXの墜落事故だったのである。
その後も、2024年1月には米アラスカ航空が運用する737MAXで、不要のドアをふさぐドアプラグという部品が離陸直後に吹き飛ぶ事故が発生。
また、同年2月には米ユナイテッド航空の737MAXで、着陸時にラダー(方向舵)が動かなくなる故障が発生――と、737MAXの危険なトラブルは続いている。
ボーイングの新型機ということで、日本の航空会社も737MAXを発注しているが、FAAが生産機数に制限をかけているため、2025年2月現在、まだ受領した航空会社はない。
たとえ737MAXが日本の国内航空路線を飛ぶようになっても、自分はあまり乗りたくないな、というのが正直なところである。
というのも、2連続の墜落事故は、旧式の737の機体に、最新鋭・低燃費の大型ターボファンエンジンを装着し、その結果空力設計のバランスが崩れたところを、自動制御で無理やり安全を確保しようとしたところに起因しているからだ。
一般に、飛行機にせよ自動車にせよ、それどころかゼンマイ仕掛けのおもちゃから自転車から工作機械に至るまで、およそ機械というものは、最初の基本設計に無理があるものを小手先で改善しようとしてもうまくいかないというのが、普遍的な真理だ。
737の初飛行は実に1967年。半世紀以上前で、機体の基本設計がとても古い。これまですでに2回大改修を受けており、今、全世界の空を飛ぶ737の中心は第3世代なのだ。
なぜボーイングは新型の近距離旅客機を開発せずに、737に3度目の大改修を行って第4世代の737MAXを開発したか。それは「その方が安く済み、もうかるから」。実に新自由主義的。
ゼロからの機体開発はコストがかさむ。空を飛ぶためのお墨付き、FAAからの型式認定を受けるにしても、既存機の改修よりもずっと手間と時間がかかる。
カスタマーである航空会社としても、新型機の場合は新たにパイロットに機種転換の訓練を受けさせて、運航人材を育成する必要があるが、既存機の改修だとそのための手間が減る。
それでも、ゼロからやらねばならないときには、やらねばならないのだ。そうしないと根本的な安全が確保できないからだ。
ところが、コスト削減に目がくらんだネオリベなボーイング経営陣は、限度を超えた「小手先の改修」に走ってしまったのだった。
ボーイングの没落は、旅客機部門だけではない。宇宙分野でも、軍用機部門でも、このところ失敗の連続である。
結局のところ、これらすべての根本には「企業の社会的責任は利益を増やすこと」の新自由主義的経営、そして社会全体を覆った新自由主義思想という問題があったのだろう。
「うる星やつら」のワンシーン
なんか思い出すなあ。高橋留美子の記念碑的SFコメディーマンガ「うる星やつら」(1978~1987)の「喫茶店への出入りを禁ず!!」という回(1982年1月の「少年サンデー」誌に掲載。少年サンデーコミックスでは第12巻に収録)。
主人公・諸星あたるの通う友引高校で、「生徒は喫茶店に入ることまかりならぬ」という規則が決まる。反発するあたると生徒たち。規則を破って学校をサボり、喫茶店でダベるあたると友人たちを見て、喫茶店のマスターとその娘がひそひそ話をする。
「おとうさま、これは正しくないことね!」
「そうだね、でも……」
「お金がもうかるからいいじゃないか!」
お金がもうかるからいいじゃないか!―― その後、この喫茶店はあたるたちのやりたい放題によって荒らされて閉店の憂き目に遭うのだが……ボーイングの現状は、今から43年前の「うる星やつら」で予言されていたのだった。すごいな、ノストラダムスどころじゃない。
いや、問題はボーイングよりも、「うる星やつら」よりも、1980年代以降、新自由主義という思想が世界全体にまん延したことではないか。
しかもその問題点は、1982年の「うる星やつら」がお笑いとして指摘できる程度のものだった。にもかかわらず、その後半世紀近くにわたってもてはやされ、世界各国の政策に反映され、そして今の事態を招き寄せてしまったのである。
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