転職によって年収が1割以上増える人の割合が約4割と過去最高水準にある。人手不足やジョブ型雇用の広がりを背景に、働き手は転職に踏み切りやすくなっている。
一方、外資系企業のように結果が出ない社員に降格や退職勧奨を実施する制度を国内企業の2割が導入する。人材流動化に伴い、日本の労働市場は変化している。
「年収が前職より4割増え、部下を持つ職位に上がった」。企業の新規事業開発などを支援するRelic(レリック、東京・渋谷)でPRマネージャーとして働く佐藤知世さん(35)は笑顔で話す。
2023年春、上場会社から同社に転じた。2人の子育てと両立しやすく、キャリアアップもできる会社を探していた。
ジョブ型雇用導入、上位転職狙いやすく
総務省によると23年の転職希望者は初めて1000万人を超えた。就職情報会社のマイナビの調査は23年の正社員の転職率は7.5%と16年に比べると2倍に伸びた。調査開始以降で過去最高だった22年の7.6%と同水準にある。
転職時に年収や職位が上がる事例は増えている。リクルートの転職支援サービス「リクルートエージェント」を利用し、24年7〜9月の間に転職した人のうち、前職に比べて賃金が1割以上増加した人は36.1%と過去最高を更新した。年収が高い人の登録が多い転職サイト「ビズリーチ」では7〜9月に1割以上年収が増えた人は同5割に達する。
マイナビによると、23年の転職後の平均年収は489万6000円と転職前より17万1000円増えた。19年時点では4万円減っていたが、20年以降はプラスだ。
佐藤知世さん㊧はスタートアップに広報として転職後、年収は4割増え、役職も上がった(東京都渋谷区のRelic本社)
背景にあるのは人材不足に加え、職務に応じて報酬が決まるジョブ型雇用の広がりだ。
企業は職務に応じてポストごとに給与を決める。将来の職務が限定されず年功序列になりがちなメンバーシップ型より、働き手は転職時の待遇を把握しやすい。企業も募集をかけやすい利点がある。
一定年齢を超えると転職は難しくなり、「35歳が限界」といわれたが、ジョブ型雇用で状況は変わった。パーソルキャリアの転職サービス「doda(デューダ)」を通じた40代の転職者数は24年4〜9月で19年同期比2倍となった。
転職で年収が増えた人の割合も54.8%と過半となり、同9.8ポイント上昇した。
一般職も含め、ジョブ型雇用を先行的に導入したリコー。国内グループ企業の約1万2000人を対象に22年4月から始めた。
社内の若手社員を抜てきしやすくするほか、各事業に必要なスキルや経験を持つ中途採用の人材を増やすためだ。
「適所適材でベターな人材への入れ替えを促進している」と人事総務部HRマネジメント室の竹田佳代室長は話す。ジョブ型の導入と同時に転職市場も意識した報酬体系に整えた。採用にも好影響が出ていると手応えを感じている。
中途入社は即戦力として期待される。成果を出せば待遇は上がるが、思うような結果が出なければ給与が減る。外資系はより明確に運用する。
成果が著しく低かったり、組織内での行動に問題があったりすると「PIP」と呼ばれる業務改善計画を会社と社員が話し合って作る。改善計画に基づいて行動し、結果が出なかった場合、降格や退職勧奨にもつながる。
日本企業の2割、外資流の厳しい制度
解雇規制が強いとされる日本の場合、PIPの実施を公言するところはまれだ。
ただ、組織・人事コンサル大手のマーサージャパン(東京・港)が24年1〜2月に実施した調査によると、日系企業でも19%が実施していた。20年比で7ポイント上昇している。
リコーでも一般職向けに一部で実施した事例があるという。マーサーの白井正人取締役は「特定のジョブを十分担えない場合、(降格や退職勧奨などの)出口がないことは不自然」と語る。「中途採用増で将来はPIP導入が広がる」とみる。
人材の流動化が進みつつある日本だが、世界的には遅れている。労働政策研究・研修機構によると、勤続年数が1年未満の雇用者の割合は米国や韓国など主要国は軒並み2〜3割前後であるのに対し、日本は7.6%と低さが際立つ。
流動性の低さは年収差に出る。マーサーの調査では大企業の外資系の年収は日系企業をスタッフ職で2割、部長職で4割弱上回る。マーサーの白井氏は「日系企業の社員はあまり転職せず、市場メカニズムが働きにくい」と話す。
日本の労働市場の流動化は今後も進むとみられる。政府や企業は「健全な」転職市場の形成に努めつつ、職業訓練など働き手への保障を充実させることが欠かせない。
〈Review 記者から〉「就社」から「就職」、意識改革を
終身雇用や年功賃金などの影響が残る日本では働き手のキャリア意識が低い。リクルートと米求人サイト「Indeed」の調査機関が世界11カ国の転職者を対象に2023年秋に実施した調査によると、将来のキャリア形成のため「実施していることがない」という比率が日本が複数回答で30.5%と断トツに多かった。米国は2.2%、中国も3.1%だった。
職場内でのキャリアパス(目指す役職)に対しても、「考えたことはない」という回答が日本では43.7%に達し、2位の韓国(20.7%)の2倍強に達する。
同じ会社でずっと働く「就社」を前提とし、配置転換を企業が主導する。すると働き手は計画的なキャリア形成を考えなくなる。労働市場での自身の価値やキャリアを意識して「就職」する機会を奪ってきた側面がある。
結果としてリスキリング(学び直し)も低調になる。仕事をしていくうえで「学び」「リスキリング」が必要と思う回答は日本が70.9%と11カ国中4番目に高いのに対し、実際に取り組んでいる時間となると週1時間未満が42.5%と最も多く、全体の最下位だ。
多くの企業で働き手のキャリア自律を促し、企業の成長と両立させる動きが活発になっている。職務を明確にして将来のキャリア計画を描きやすいジョブ型雇用の導入のほか、「転職時に職位が上がって賃金も上昇する健全な雇用の流動が日本に求められる」とリクルートの高田悠矢特任研究員は指摘する。
(井上孝之)
解雇規制
労働者の解雇を制限する法律や規制を指す。労働契約法では「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は無効」と規定する。
経営悪化に伴って人員を削減する場合は①必要性②配置転換など回避努力③対象者選定の合理性④手続きの妥当性――の4要件が必要とされ、判例などを積み重ねてルールが作られてきた。
日本の解雇規制は厳しいとされ、折に触れて経済界などから金銭解決ルールを明確化するべきだとの声が上がる。
労働市場改革の一環として規制見直しが何度も争点になっている。ただ、経済協力開発機構(OECD)調査によると、加盟国の中で日本の規制は緩い方に入っており、議論が分かれる。
ひとこと解説
先の自民党総裁選で小泉氏が解雇規制の見直しに言及し反発を招いたが、人材流動化は法制度より現実が先行している。
日本の解雇規制は、社会的相当性の要件が必要で、レイオフには必要性、解雇回避努力、対象者選定の合理性等、判例が積み上げた高い制約がある。
一方で、早期退職制度、退職勧奨、会社分割など、解雇の一歩手前で従業員の退職や移管をする方法は豊富にそろう。
人材流動化が進むと、成果が出ない人の降格や退職勧奨も自然になる。
「適材適所でベターな人材への入れ替え」を促す、というHRマネジメント室長のコメントは実態を反映する。流動化した人材市場の中で、企業の人事政策の在り方、個人のキャリア形成の模索が続くだろう。
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日経記事2024.10.27より引用