中学時代から42年!同級生コンビのつぶやき

日々の生活の中での雑想文。時代の狭間に在するアラフィフの想い・・・。

故デストロイヤーの4の字固めに苦しんだ「故輪島関」

2019年03月09日 22時30分06秒 | アラフィフ

「故デストロイヤー」vs「故輪島関」のトレーニングとしての対戦で、当然のように「4の字固め」をかけられた「故輪島関」

本当に痛かった!と後から聞きました。

「NO」「NO」「NO」と連呼する「故輪島関」

「故ジャイアント馬場」さんは、「故輪島関」が、「参った!」の意味で、「NO」と連呼している事を分かっている上で、「意地悪」をしました。

必死に「NO」を連呼する「故輪島関」

怪我をしないような加減で、「痛み」を加えつつ、「イタズラ」をする「故デストロイヤー」

頃合を図って「ギブアップ?」とわざと声かけする「故ジャイアント馬場」さん

故輪島関は、いっぱいいっぱい。

「NO」の連呼

「ギブアップ?」「NO!」「ギブアップ?」「NO!」時間にして3分もなかったと思います。

その間、「故デストロイヤー」は、「故ジャイアント馬場」さんからの「ストップの合図」を待ちながら、4の字固めの強弱をつけていました。

もう無理だと諦めた「故ジャイアント馬場」さんが大きな声で、「ギブアップか!?」で、ようやく悟った「故輪島関」から「ギブアップ!」で解放。

そこで「故ジャイアント馬場」さんから一言「ば~か」

「故輪島関」は足をさすりながら「死ぬかと思った」

「故ジャイアント馬場」さん「死ぬわけないだろ」

とこちらを見て「ニカッと笑顔」

コントのような「トレーニング」のひとコマ。

そんな事がありました。


給料いくら?

2019年03月09日 12時25分12秒 | アラフィフ

朝、

ビズリーチの立ち上げ者の独占取材を見ていて

中学1年の息子からの突然の質問、

 

「給料いくらもらってるの?』

 

いきなりで、

はっ?

 

子どもから面と向かって

給料いくら?と聞かれたことがないので、

咄嗟に出た私の言葉は

 

「いくらだと思う?』

 

の逆質問。

 

どのぐらいで見積るかと思いきや

 

「15万!』

 

だそうです。

 

母ちゃん1人、

この東京で、高校、中学の二人をかかえ

スイミングだー、塾だー、なんだで

15万じゃやっていけませーん!!

と、心の中で叫びながら

 

「内緒!』

と答えておきました。

 

今中学で、仕事調べの課題がでていることもあり

素朴な質問だと思います。

 

家族に協力してもらい、

一つの職種について聞いたり調べたりしていて

まとめる用紙には

 

なぜその仕事を選んだか、

その仕事に必要なスキル、資格、

1日の業務内容、

などを書くのですが、

給料についての項目は無し。

 

でも、給料大事だよなーと思っていて

学校でそのあたり教えてもらえたらいいのに。

 

どうなんでしょう。

子どもに聞かれたら、本当の額を伝えます?

どう答えます?


保釈金10億円 違う角度から見る...

2019年03月09日 10時34分38秒 | アラフィフ

未だゴーン容疑者の保釈のニュースが流れ、

昨日は家族と散歩するシーンを目にしました。

 

保釈は本人自身の意思のみならず、

家族の気持ち、意思にも左右される。

 

容疑者であろうと、信じ、心配している家族がいて

実は刑務所にいる本人よりも

家長を待っている家族のほうが

精神的にしんどいのではないかと。

 

数年前、身近にそんな光景を目にしたことがあり、

中にいる息子を待つ母の姿は、

これまでになく消沈しきっており、

なんとかして出してあげたい

という気持ちがひしひしと伝わりました。

 

ゴーン容疑者の家族もそれに同じかと。

プライドや肩書や、名声...

そんなものよりは、本人が無事に戻ってきて欲しい。

払えるお金があるならば、

迷わず払う。

 

だだ、その10億の後ろには、

信じてついてきた人間、

犠牲になった人間が大勢いることを

忘れてはなりません。

 

ゴーン容疑者が日産を立て直す背景には

何千人ものリストラされた人間がいるわけで、

その人達は今どんな心境でニュースを見ているのか。

 

体調が整い次第、会見を開く用意をあるようですが、

無罪の主張がメインにならないことを期待したい。

 

ゴーン容疑者の第一声に耳を傾けて

今後の行方を追いかけます。


デストロイヤー死去。32年前のニューヨークでの思い出。

2019年03月09日 00時59分06秒 | アラフィフ

ご冥福をお祈りします。

32年前の夏休み。

ニューヨーク州バッファローのデストロイヤー宅に、1週間滞在しました。

その時に、故ジャイアント馬場さん、故横綱輪島関が、アメリカ武者修行で、デストロイヤー宅の裏にある「リング付きのトレーニングルーム」で、デビュー前のトレーニングに明け暮れていました。

故横綱輪島関の水汲みをした事で、目の前で、馬場チョップを見られたり、食事をご馳走になったり、アメリカ往年のプロレスラーのゴルフコンペに参加等、貴重な体験をさせて頂きました。

デストロイヤー宅の裏山で、キコリの手伝いをした時に、大型トレーラーを森の中で「運転できる」からとさせて貰い、ギヤーが逆で大木にぶつけてボンネットとバンパーを壊した時は、流石に穏和なデストロイヤーでも、叱られました。プロレスラー、キコリ、ドライビングスクールの教官という顔も持っていました。

親日家であったデストロイヤーは、隣の家(車で10分位)の友人に、日本に行く度に「日本土産」を届けていて、着物等色々なお土産が飾ってあり、その家族の方も、親日家でした。

一緒にお邪魔した際に、日本の事を色々と質問され、彼等の中の日本は、「江戸時代」が今も続いていて、「サムライ」がいて、食事は正座をして食べるイメージで、何故あなたは着物を着ていないのか?など真剣に聞かれ、答えを信じて貰うのに時間を要したのも懐かしい思い出です。

デストロイヤー、馬場さん、輪島さん。本当に優しくて、あたたかいレスラーでした。

改めて、ご冥福をお祈りすると共に、恩返しもできずじまいになってしまった事が、心残りです。

お世話になり、本当にありがとうございました。


「ポンジュース」を飲みながら、昭和時代を偲ぶ

2019年03月09日 00時08分12秒 | アラフィフ

JRのホーム設置自販機で、肌寒くて温かいミルクティーを飲もうかと思ったのに、購入したのは「ポンジュース」

子供の頃、「崎陽軒のシュウマイ」、「冷凍みかん」、「オレンジジュース」、「ボンタン飴」、「変わった容器の、お茶」旅行に行く時に、駅の売店で買うのが定番でした。昭和時代のひとコマ。

電車の窓越しに「駅弁」を買った思い出。

動き出した電車の窓から「駅弁」を買ったスリル。

ベンチに座って「ポンジュース」を飲みながら、そんな事を思い出し、改めてアラフィフを実感しました。